第11話長根球場

二軍での調整に入ってから二ヶ月、地方遠征にも慣れてきた。

ピッチングは、徐々にではあるが、三振を取れるまでには回復してきた。

コントロールは万全ではないけど、俺らしいピッチングを取り戻しつつある。

明日は、青森県八戸市の長根球場で試合がある。遠い想い人の故郷。

明日は、先発予定。今の自分に出来る最高のピッチングをして、二軍生活を終わりにしよう。

そして、彼女への想いも長根球場で終わりにしよう・・・。


「真理、頼むよ!フラワープレゼンターが風邪ひいてさ。」

「だからって、他にもやる人いるでしょ!何で私が。」

「今日の今日だし、いい年頃の娘がいないんだよ。」

私の父は、八戸市の長根運動公園を運営する企業に勤めている。

今日は、敷地内にある長根球場でプロ野球の試合があるみたいで、開式セレモニーでの花束贈呈係の人が風邪でダウンし、てっとり早く娘の私に、その役を押し付けようとしている。

「昨日、帰ってきたばかりの娘に言うセリフ?」

「真理、いいじゃないの。どうせ近所なんだから、ちゃちゃっと行って、ちゃちゃっと渡してくればいいじゃないの。」

「お母さんまで。」

母は昔から楽天家。物事をシンプルに考える、ある意味、ストレスフリーな人。

自宅から、徒歩3分の長根球場でのお手伝いをすっかり押し切られてしまった。

今日は、八戸の夏には珍しい、快晴のしかも夏日。

八戸は夏に「やませ」と言って北東の季節風が吹く。だから夏でも肌寒く曇天の日が少なくはない。

しかし今日は、野球ファンの熱気に、やませが追いやられたのかもしれない。

いつの間にか、車の渋滞も始まり、野球ファンで長根界隈も混雑し始めている。


地方遠征は、ファンとの距離が近い。球場に我々のバスが到着すると「出待ち」と呼ばれるファンが迎えてくれる。試合前は極力、接触は控えるがそれでもファンの声援はしっかり届いて、我々はファンからもらったエネルギーを力にかえられる。

選手控え室へ。この球場は運動公園の大規模改修にともない、数年後には解体されるようで、歴史を感じさせる施設。初めて来た球場だけど、懐かしい感じがする。

俺は、試合開始前までの綿密なタイムスケジュールに従って、肩を仕上げていく。グラウンドでの練習は、ファンの楽しみでもあり、スタンドは満員御礼。特に今日は、東北に本拠地があるドルフィンズとの試合だから、東北人が盛り上がる試合になるに違いない。

アナウンスも流れ、いよいよ開式のセレモニー。

我々はベンチでスタンバイ。マウンドでは、主催者の挨拶が行われている。

「真理ちゃん、今日はありがとね。ここで合図するまで待っててね。」

「あっ、はい、わかりました。」

ベンチ横の通路から、聞いたことのある名前と声がすうっと心に入り込んで来た。まさかな・・・。

「それでは、両軍の監督に花束の贈呈です。プレゼンターは、菊池加奈さんと、長根真理さんです。」

・・・・・・・・。

言葉も出ないとは、このことか。

想い人の姿がマウンドにあった。変わらない純朴な彼女の姿。

あんなに、東京で会えなかったのに、八戸で会えるなんてな。

驚きはしたものの、不思議なことに心がほぐれていくのがわかった。


試合開始。

シーガルズは先攻。1回表は得点ならず。

その裏、俺はマウンドに上がった。シーガルズファンからの大声援の中、大きく深呼吸した。そして、マウンドに手のひらを置いて、頼んだぞ、とささやいた。

俺らしく、冷静に、自分を信じて一球に魂を込める。


私は、プレゼンターのご褒美として、バックネット裏で試合観戦をしていた。ピッチャーはあの、瀬谷さん。ドームで見た姿のまま。やっぱり、遠い向こう側の人。

上野公園、あんみつ屋さん、芦田さん宅でのバースデー、そしてドームの試合観戦の夜を走馬灯のように思い返す。

やっぱり私には、勿体無い人。彼には美人で、賢くて、輝きのある女性が似合う。だから、私は一ファンでいい。

電話に出られなかったのは、心の整理がつかなかったから。

でも、今、はっきりと分かった。生きる世界が違う人だってこと。私には素敵過ぎる・・・。


試合は、3-0でシーガルズの勝利。しかも瀬谷の完投だった。

「瀬谷、ナイスピッチング。今日は八戸宿泊だが、明日、東京へ戻れ。1軍復帰だ。太鼓判を押す。お前は大丈夫だ!」

「ありがとうございます。頑張ります。」

監督からの激励に、熱いものがこみ上げた。

クールダウンや、後処理を早々に終えて、シーガルズとドルフィンズはそれぞれバスに乗り込んだ。

一足先に、ドルフィンズのバスが球場を後にするべく、発信しようとしたその時だった。まだ、4,5歳の頃と思われる男の子が母親の手を離れ、ドルフィンズのバスに向かって走り出した。母親の悲鳴が上がったその時、危うくすんでのところだった。男の子は、女性に抱かれながら、バスの前輪の右脇に倒れ込んでいた。無事だった。さっきまで、野球熱で溢れていた長根球場が一瞬、静寂に包まれた。そして安堵の空気が流れた。

女性は、母親に男の子を渡し、静かに路肩に腰を下ろした。

俺は、その一部始終をバスの後部座席から見ていた。

「監督!すいません。俺の知人なんで、降ります。宿舎には、門限までに帰りますんで。」

俺は、監督の返事を聞かずにバスを降り、女性の元へ駆け寄った。

「大丈夫か?」

「瀬谷さん?!何で・・・・・。」

「いいから、足ひねったか?」

長根真理を抱きかかえて、長根球場内の救護室へ向かった。

待機していた医師に診てもらうと、軽い打撲とのこと。

「良かった、大事に至らなくて。肝がつぶれるかと思ったよ。」と大きく息を吐いた。

「ごめんなさい。」

すると、救護室に真理の父親が血相を変えて駆け込んで来た。

「真理!真理‼︎大丈夫か?!」

「お父さん、声が大きいってば。」

「軽い打撲だそうです。」

瀬谷が答えると、父は

「ありがとうございます。娘がお世話になりまして・・・って、あなたは?もしかして・・・?」

「はい、シーガルズの瀬谷健人です。」

「え、あ、瀬谷投手?」

「ご自宅は、遠いですか?早く帰ってアイシングした方が良いと思うんですが。」

「近所です、徒歩3分。」

父と瀬谷さんとのやりとりで、結局家まで、私を送ってくれた。

家で待っていた母もこの騒動にさすがに驚いたみたいで、でも母はやはり楽天家。瀬谷さんを家に招き入れてしまった。


気が付けば、長根家の夕食に瀬谷さんはほぼ強引に巻き込まれていた。

氷水でアイシングをしたあと、冷湿布で足首を保護して、宿舎へ帰ろうとした瀬谷さんを、うちの両親が夕食に誘ったのだ。あまりにも強くすすめられたので、瀬谷さんは夕食に仲間入りするはめになってしまった。

「八戸の郷土料理を、と思ってね。イカのお刺身と、せんべい汁。」

「新鮮なイカって透明なんですね。せんべいの汁も、もちもちして美味しいですね。」

瀬谷さんって、美味しそうに食事する人なんだあ。

「いや、私ね、昔からシーガルズのファンでね。今回、うちの球場に来てくれるって聞いた時にはすごく嬉しくてね。しかも、今日、我が家に瀬谷投手がいるなんて夢のようで、本当にありがとうございます!」

父は両手で、瀬谷投手の手をぎゅっと握りしめて離さない。

あっという間に、夜の9時近くになり、

「宿舎の門限なので、そろそろ失礼します。すっかり、ご馳走になり、ありがとうございました。」

父は寂しそうだったが、また彼の手をぎゅっと握りしめて

「いつでも、来てくださいよ。」

とあつく訴えていた。

母が彼を宿舎まで車で送って行った。

私は彼に満足にお礼の一言も言えず、心に原因不明の熱っぽさが残っていた。






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