海辺のふるさと

@runlauran

第1話

 生まれ育った徳島県鳴門市は好きだが、何が好きかと問われると、とっさに出てこない。これといって何もない田舎で、愛着はあるが、本当に好きなら今でも住んでいるはずと言われると、上京してそのまま定住している身としては何も言えない。

 中学卒業まで一緒に暮らしていた祖母は今でも鳴門に住んでいるが、幼少期を過ごした神戸の方が好きだと今でも言う。かれこれ七十年暮らしているのにと驚くが、当時から映画館など娯楽が多く、賑わっていた神戸の印象がよいようだ。とはいえ、文句を言いながらも七十年住み続けているのだから、鳴門にも気に入っているところがあるのだろう。

 鳴門のいちばんのセールスポイントは、やはり海だろう。スカイラインからの内海も、海水浴場で自分もその一部となりつつ眺める大鳴門橋から淡路島にかけての景色も、本当に美しい。幼い頃からそれらを見慣れているので、風光明媚で有名な海に行っても、鳴門みたいだな、と感じることが多い。

 残念なのは、私は海辺で育った、と胸を張れないことだ。私が住んでいた家から海までは車で十五分程度、遠くはないが、徒歩圏内とは言い難い。家から海が見えるわけでもない。窓からの景色は、梨畑と芋畑とレンコン畑だ。どれも名産品でおいしいことは間違いないが、やはり海のそばに住みたかったとも思う。

 だから私は帰省すると、浩ちゃんの家に行きたがる。浩ちゃんは祖母の弟で、八十歳を超えているが、現役の漁師だ。親戚に漁師がいることは、私の自慢だ。漁師なんてテレビや本でしか知らないという人も、特に最近は少なくないのではないだろうか。

 午後に訪ねていくと、浩ちゃんはだいたい家にいる。漁は朝のうちに終わるのだ。が、いない時もある。実はその方が私は嬉しい。家にいなければ、影浦にいるからだ。浩ちゃんの船が停泊している小さな漁港だ。

 先日も船に乗せてもらった。といっても、繋がれたままの船だ。漁は終わっているし、海に出られてしまうと私が困る。たちまち酔ってしまって、手伝いどころかただの邪魔だ。

 港といえど海なので波はある。揺れは感じるが、短時間なら酔うほどではない。釣果を見せてもらう。大きなサザエが無造作に転がっている。他は、名前のよく分からない小さい魚。ハワイや沖縄でダイビングをする時に出会う魚のように、かわいい、という感じではない。鳴門の海で浩ちゃんが釣ってきたから、ということも大いにあるが、それらはやはり、おいしそう、だ。

 その時はいなかったが、鳴門の鯛はおいしい。大きさにこだわらなければ、漁師の知り合いをもつ鳴門市民にとって、鯛はそれほど高級品ではない。よく獲れるので、分けてくれる。小さいものでも、煮付けるとおいしい。大きなものは、市場でかなりの高値で取引されているはずだ。東京の寿司屋や料亭に来るまでに、値段はどんどん上がっていく。そうなると私の口には入るはずもないが、地元のものに高い価値が付くことは嬉しい。鳴門鯛は私たちの誇りだ。

 高値で売れる魚ばかりたくさん獲れたらよいのだが、実際、漁師は大変な仕事だ。浩ちゃんからさまざまなエピソードを聞いた。親しい漁師仲間に、アカエイに刺された人がいたそうだ。想像もつかない状況だが、とにかく痛そうだ。すぐ病院に行き、結果的には大事に至らず何よりだったのだが、担当医もそのような事例を治療したことがなく、試行錯誤がうまくいったような形である。運ももっていなければ、長く漁師を続けることはできないのかもしれない。

 浩ちゃん自身も、数年前、船がひっくり返ったという話を聞いた。漁師には時にあることなのかもしれないが、波の状況などによっては事故になりかねないし、また前述の通り浩ちゃんは八十歳を超えている。まさに老人と海である。しかも長きにわたりリウマチを患っている。危ないからもう沖へは出ない方がよいのではと、浩ちゃんの姉であるところの私の祖母も心配しているのだが、沖に出なければ他にすることがない、と本人は言う。止めたくなる祖母の気持ちも分かるが、素晴らしい天職だ。

 漁師は格好いい。そして、漁師がいる町の海産物は、言うまでもなくおいしい。普段は私にとって比較的存在感の薄い食品だが、鳴門の観光地で売られている焼きたての竹輪は最高だ。これが竹輪かと、概念が覆されるほどだ。そこまでのインパクトはないものの、パックされてスーパーで売られているものも、地元産のはおいしい。生や、シンプルに焼いて食べてもおいしい魚を練りものにしているのだから、高級品ではないが十分贅沢だ。わかめもおいしい。商品名に鳴門とついた乾燥わかめは全国で買えるが、やはり地元の新鮮なわかめはそれとは食べ応えが違う。

 海の美しさに癒されたい人、本物の漁師に会ってみたい人、海の幸を堪能したい人に、鳴門はおすすめだ。渦潮は年中見られるわけではないので、その点だけ注意してほしい。春の大潮という言葉は、私たちにとっては常識だ。しかし私は、渦が巻いていようがいまいが、次の正月の帰省が楽しみだ。餡餅の雑煮が、鳴門で私を待っている。

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