ある殺人の動機
葛原 千
第1話
今日午後より、K市地方裁判所で去年5月に起こった湊川陽子さんが殺害された事件の被告、小川翔被告の初公判が行われます。
この事件は小川被告が一方的に恋愛感情を持っていたとされる、幼馴染である湊川さん、当時25歳を首を絞めて殺害した事件です。
小川被告は事件直後に警察に出頭したものの、未だに詳しい動機については黙秘を続けており、公判では動機や殺害に至るまでの経緯が注目されています。
我々ニュースエイトの取材クルーは、小川被告の素顔に迫るため、今回小川被告の地元、かつ事件のあったK市の隣の市、A市を訪ねました。
【小川翔の母 小川智代子(70)】
この度は多大な迷惑をおかけして申し訳ありません。
裁判に影響するので詳しいことはお話しできませんが、ご遺族の皆さんには本当に申し訳ないと思っています。
償っても償い切れることではありませんが、翔がきちんと裁判で本心を語ってくれることをご遺族の皆さんのためにも、亡くなった陽子ちゃんのためにも祈っています。
【小川翔と湊川陽子の高校時代の友人 鬼城百合(26)】
翔はいい子だったんだよ。
人を殺すような子じゃなかった。いつもニコニコ笑ってて、人が嫌がるような仕事も積極的にやってくれて、多分みんな大好きだったと思う。背が高くて、バスケ部だったから私から見ても結構惚れ惚れしちゃったくらい。
まだ信じられないの、あの事件からもう一年近く経つのに、翔が人を殺すなんて。
それも、高校時代は悪く言ったら気の優しすぎるくらいの翔が、一方的な感情で人を殺すなんて……だいたい、翔はまだ何にも言ってないのに。
……でも、それでも納得しそうになるんだよね。翔は、陽ちゃんのこと好きって言われても、そういうの抜きにしても。
裁判は私も傍聴するつもり。
だって、翔がなんでそんなことをしたのか、どうしてこんなことになっちゃったのか私は聞きたいから。
いや……ううん、ただ翔が……私の知っている翔なのか、確かめたいだけなのかもしれない。
被害者が、よりにもよってそれが、仲のよかった陽ちゃんだなんて、思いもよらなかったから。
いつの間に、翔が変わっちゃったんだろうって。
高校時代の二人はとても仲がよかったの。陽ちゃんは新体操部だったんだけど。
仲が良すぎて、ちょっと私がやいちゃうくらい。まるで付き合ってるのかしら?なんて、もちろん冗談だけど。
はあ……すみません。
もう事件から一年も経つのに……私、まだ陽ちゃんと翔と三人でどこかに遊びに行ける気がして——。
【湊川陽子の母 湊川栄(65)】
いっそ、犯人が見知らぬ人だったら精一杯憎めたものをと思います。
娘を殺したことはいくら幼馴染の翔ちゃんでも許せません。
親としては、量刑は死刑を望むべきなんです。
なのに、どうしてかこの後に及んで幼い頃の陽子と翔ちゃんのことを思い出すんです。
ちょっと転んだだけで泣く陽子を優しく手を引いて立ち上がらせてくれる翔ちゃん。
陽子が一人だと心配だから、翔がお嫁さんにもらってあげる、なんて冗談で言ってたあの翔ちゃんが……もちろん本気になんてしていませんでしたけれど……翔ちゃんがいるなら、陽子も安心って思ってたんです。私も、陽子自身もきっと。
そんな優しい翔ちゃんがどうして、よりにもよって、陽子を——。
翔ちゃんにはどうか、陽子の分まで罪を償って生きて欲しいと、死刑を望めないお母さんを、許してね……ごめんね、陽子……ごめんなさい。これで、もう、勘弁してくださいませんか?
【湊川陽子の婚約者 新谷哲也(27)】
陽子とは、職場の先輩後輩でした。
そうです、小さい輸入食品を取り扱う会社の、二人とも営業です。
俺が先輩で、彼女が後輩。
出会いはそこからで、俺から告白して付き合い始めました。
ええっと、付き合って、2年くらいかな。彼女が25歳になった誕生日に、俺がプロポーズして婚約しました。
事件の……3日くらい前ですか。
本当なら、今頃陽子とは楽しい生活を送っていたはずなのに……。新婚旅行は、陽子が行きたがっていた九州に行くつもりでした。
国内でいいの?って聞いたら、二人でいけたらどこだって楽しいなんていうから……。
被告は、陽子の幼馴染なんですよね?陽子がたまにしゃべってました。俺が嫉妬するくらい楽しそうに……。
でも俺はほとんど被告のことを知りません。だから許せない。
たった一人殺したくらいじゃ、きっと死刑になんてならないんだと思いますけど、それでも俺は死刑を望みます。
被告は陽子だけじゃない、もう一人殺してるんです。
ええ、陽子は身ごもってました。もちろん僕との子ですよ。だから、許せない。
絶対に、絶対に、被告の死刑を望みます。
【湊川陽子と小川翔の中学時代の担任 白樺光(45)】
湊川と小川ですか?ああ、川川コンビですね。え、二人とも苗字に川がつくでしょう?だからですよ。ええ、あの二人ですね。二人とも幼馴染ということで仲が良かったです。
だから、事件のことを聞いた時衝撃を受けましたよ。
——でも、少しやっぱりという気持ちもあったんです。
というのも、小川の方はよほど湊川のことが好きだったようで、湊川と仲良くなった男子生徒と殴り合いの喧嘩をしたこともあったんです。
湊川とはその事件以来なんとなく疎遠になったようにも見えましたが、しばらくしたらまた他の友達と一緒に移動教室やらなんやらしていましたし、関係も修復できたと思っていたんですがね、当時は。
ただ小川も湊川のこととなると少し冷静ではなくなることがなかったとは言えませんがね、とても人殺しをするような子では無かったんですよ、少なくとも、僕が見ていた限りは。
級長なんかも引き受けてくれていたり、成績も優秀でしたから。
手のかからないいい子でした。
しかしまあ、手のかからないいい子が、一番助けを求めているのかもしれませんね……もしもを悔やんでも仕方ないですが、あの時僕にももう少し何か出来ることがあったのかもしれません。
今はただ、湊川の冥福と、小川がきちんと罪を償ってくれることを祈るばかりです。
【幼い頃の小川翔を知る隣人 片岡安江(72)】
ええ、ええ、私は翔ちゃんの家の隣に住んどりました。
だからあの子がよく可愛らしい女の子と一緒に登校してるとこをよおく見かけたんですよ。
思えばあの子が今回の湊川さんだったんだねえ。かわいい子だったもの。
それにしても、翔ちゃんみたいな絵に描いた優等生なかなかいなかったのにねえ……挨拶はきちんとしてるわ、成績も優秀だったんだろう?顔もシュッとしてて、ありゃあモテるだろうなんてもう死んだ旦那とよく話してたりしたのにねえ……。
ほら、よくニュースであるだろう?
そんなことをやるような子には見えなかったって犯人の知人がインタビュー受けるやつ。
あれね、私最近までそんなわけあるかいと思ってたんですけどね、いやはや、翔ちゃんに関しては本当に、そんなことをやるようには見えなかった!
全く、馬鹿なことをしたもんだよ……。
【小川翔の同僚 三枝実(26)】
ううん、正直同僚と飲みに行くとかフレンドリーなタイプじゃなかったけど、とにかく仕事ができた人だった。
俺が自分の仕事でもたついてると手伝いましょうか?とか一言声をかけてくれて、プライベートの付き合いはそこまでだったけど、仕事仲間としては理想的だったな。
あいつはきっと出世するだろう、なんて事件のつい、ほんの前にも飲みながら仲良い同僚と喋ってたところにこれですからね。いやはや、人って見かけによらないですよ。まさかね、小川さんがって。二重の意味で事件にはびっくりしましたよ、僕に話せるのはこれくらいです。
——取材班が見る限り、小川翔被告は人当たりも良く、学生時代も友人から慕われていたようです。
そんな小川被告はいったいなぜ親しかった湊川さんを手にかけたのでしょうか。一部報道では一方的な感情によるものと言われていますが、小川被告が公判で何を語るのか、注目です。
今後もニュースエイトは小川被告の公判を続報が入り次第引き続きお伝えしていきます。
さて、次のニュースです……。
——同日 午後1時30分 K市地方裁判所 202号法廷
厳かな雰囲気の広い法廷。
傍聴席の人の入りは結構多くて誰が誰だかさっぱりだ。ああ、でもさっき見たら百合がいたな。
席に着くと感情のこもらない機械的な声で裁判長が開廷を告げた。
僕の隣には2人の警察官。
がっちりと両サイドをガードされて、逃げるつもりも全くないくせに、これでは逃げられないな、と心の中で思う。
「それでは被告人の確認を行います」
裁判長が僕の方へ目線をずらす。
——僕の出番だ。
ゆっくりと立ち上がり、証言席へ歩みを進める。
席について、素直に答える。
「小川翔、26歳、事件前は保険会社で事務を……OLをやっていました。住所はA県K市、本籍はA県A市です」
OLという言葉に、背後の傍聴席が、どよめく気配がした。
【被告人の意見陳述】
僕がやったことは、許されないことです。
罪を全面的に認め、遺族にも、陽子さんにも謝罪します。
ああ……すみません、癖で。私の方がいいですよね。
私は幼い頃から陽子さんと比較されて生きてきました。
それが、この度結婚、しかもおめでたということで、また置いていかれるのかと思うと我慢がならなかったんです。
陽子に比べられて生きるのはもうたくさん。
それが私の動機です。
——と、出頭したときにはそう言おうって決めてたんです。
でも一部報道で私が陽子に一方的な感情を寄せていたのが動機ということになっていました。
……どうして分かったんだろうと思いました。
しかし、恐らくですが、短い髪の毛に化粧っ気のない顔、そして凹凸の少ない無駄に高い身長と、あとはこの名前も手伝ったんでしょうね。女性で翔ってあんまりききませんから、きっと男性と思っても不思議ではないと思います。
しかし、その勘違いが幸か不幸か私の真の動機をあぶり出したのですから、皮肉ですね。ええ、本当に。
私が陽子を殺したのは私が彼女に一方的な恋愛感情を抱いていたからです。
奇しくも報道は私の性別という決定的な勘違いをしながらも私の真の動機を射抜いてしまったわけです。
もう長い間、私は人生の半分以上、陽子を思い続けてきました。
それがある日突然知らない男との間に子どもまでこさえて結婚するっていうんですよ。
小さい頃は私がずっと陽子のことを守って、私がお嫁さんにして当然だと思ってたんです。
成長しても、それがたとえ無理だとわかっていてもそれでも陽子の隣は私のものだって思ってました。
だから学生時代、陽子と親しくしていた男子に殴りかかるような真似もしたんです。
それなのに——あんまりじゃありませんか。
これじゃ今までの私が可哀想だわ。
結局、陽子が結婚の報告をしてきたのは、職場や他の友人に報告してからでした。
とっくに陽子の隣になんて私にいれっこなかったんです。
そうやって思ったら私、悲しくて、悔しくて。気がついたら、私、陽子の首を……。
取り返しのつかないことをしたと思います。
もう、これ以上言うことはありません。
——ここで速報です。
K市地方裁判所で行われていた湊川陽子さん殺害事件の被告、小川被告に懲役15年が確定した模様です。
繰り返しお伝えします、K市地方裁判所で……。
ある殺人の動機 葛原 千 @kiruru0202
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