雨宮るりかは革命をゆく

十津川さん

第01話 発端は同級生の罠

「え?」

「え、じゃない。質問は私がすると言ったはずよ」


 俺の声をさえぎったのは、正面にいた人影だった。

 倉庫の中は蛍光灯すらなく、薄暗い。

 ほこりの匂いを手で払いつつ、声のした方向に目を凝らす。


「もう一度聞くわ。あなた名前は?」


 目の前にいたのは、ほとんど裸同然の女の子。

 長く真っ直ぐな黒い髪に、整った目鼻に大きな目。薄桃色の形の良い唇。

 羽衣のような薄い布がしなやかな肢体を覆っていたが、陶磁器のように白い肌は半分も隠せてはおらず、むしろ逆光で透けてゆるやかな曲線のシルエットがくっきりと判ってしまっている。


 美しく作りこまれた彫像。


 それが彼女に対する俺の第一印象だった。

 もちろん質感はちゃんとした生物のそれであって、ほのかに赤みがかかった膝などは純情男子高校生が思わず見続けてしまうくらい魅力的で――


「ちょっと。聞こえてる?」


 ピアノの響きにも似た綺麗な音に俺はハッとし、裸体に釘付けだった視線を上に移した。

 ええっと、なんだこの状況は?

 今日はたしか高校入学初日で、顔合わせのクラス会は特になにが起こるでもなく無難に終って、それから下駄箱に手紙が入っているのを見つけて、そこに書かれていた倉庫にうっかり向かって、扉を開けたら……この状況である。

 まったく分からん。ここはまさか異世界とか? いやどう考えても単なる倉庫だ。

 なんだか状況は分からんが、とりあえずなにか返さなければ――!


「ウッス、聞こえてるッス」

「……? 質問の答えになっていないわ。私は名前を聞いているの」

「え、あ、ソッスネ」

「あなた日本人? 日本語わかる?」

「え、あ、ソッスネ」

「そう。 では質問に答えてもらえるかしら」

「え、あ、ソッスネ」

「あなたもしかしてRPGドラクエNPC村人なの?」

「は? 誰がお遊戯会で一つのセリフしかない木の役だって? 俺のトラウマを気持ちよくえぐるのはやめろ」

「微妙に違う上にそこまで詳細に言及はしてないのだけど……うん、でもそれほど大きくは間違っていなかったようね。よかったわ」


 いや自分で言っておいて何だが間違いまくりだしよくないのでは? むしろ扱いが悪くなってるまである。

 しかしとりあえず、気持ちに余裕ができたことで、「あなたは誰ですか」という彼女の問いに答えることができそうだった。


「俺は1年F組の八坂やさか浩一郎こういちろう

「1年A組の雨宮あめみやるりかよ」


 何だ。同じ新入生じゃないか。しかし一年にしてはなかなか良き成長みを……っていやいや。


「変態くんはなぜここに?」

「おい。初対面の人間に向かって変態呼ばわりはひどくない?」

「さっきからあなたの視線が私の胸部とか大腿部とか腰回りとか、そういった部分をいやらしく視姦しかんしているのが間違いというのなら、訂正するけど?」

「いやなにも間違ってなかったな」


 俺の視線はちょうど顔から白い太腿へ移り、更にその上に登ろうとしているところだった。超あってる。むしろ間違いようがない。


 けど俺にもひとこと言わせてほしい。

 少年少女漫画にあるようなラッキースケベが突如発生して女の子の裸を拝むToらぶるを目の当たりにしてしまえは純情で健全な高校生男児が見つめてしまうのは当たり前ではないか!


「最悪ね」

「この手紙がな」


 俺は手にしていた便箋――可愛い白色で縁取られた――をひらひらと振った。


「下駄箱にあった手紙に学園西外れにある倉庫で待ってるって書いてあったから来てみれば、この仕打ちだ」


 またガン見して変態扱いされるのはごめんなので、できるだけ正面を見ないように顔を横に向ける。

 が、視界にとある有名無職格闘家が10万ボルトを使いそうな黄色いネズミに昇龍拳のぼりりゅうこぶしをくらわせている謎の手作りポップが目に入って思わず吹き出しそうになる。おいおいこの倉庫いったい何に使ってたんだよ……。


「その手紙、見たのね」


 ちらと見ると、その顔には微笑が浮かんでいて、どこか悪巧みを考えている悪代官を連想させた。


「こりゃお前が書いたのか?」

「ええそうよ」


 意外にもビンゴである。もっとこう、「そ、それはっ」とか「くくく、それを見つけてしまったか」みたいな展開を想像していたのだがそんなことはなかった。


「その、なんだ。入れる先を間違えたんだったら俺が入れ直しておいてやるけど?」

「必要ないわ。それはゴミ箱に入れるつもりだったから」


 え、それってつまり遠回しに俺の下駄箱はゴミ箱って言ってます? 


「冗談よ」


 ちょっと油断するとダガーナイフのように切り付けてくる女である。

 見た目はすげぇ可愛いけど性格悪すぎだぞ。白く長い足を組みなおす彼女を見て、そう思った。


「しかし告白するにしちゃえらく手の込んだ内容だな。何が書いてあるか分からないんじゃ、告白された方もかわいそうじゃないか?」


 俺が手にした手紙には文章とは思えない英数字が羅列されている。

 少なくとも日本語ではない。


「べつに告白なんかしないわよ。というか、ここに来てるということは、それを読めたってことでしょう」

「まあな。『ホームルーム オワリシダイ ガクエンハシソウコ キタレ』。……わざわざエニグマの暗号を使ってまで隠す内容だとは思えないがな」


 エニグマは第二次世界大戦中にドイツが使用していた暗号器である。

 当時最も強固な暗号として活躍していたが、やがてイギリスに解読されその後の歴史を大きく動かした……というのは有名な話だ。


「やっぱり解読できたのね」

「そりゃな。分からなきゃここには来てないだろ。ま、解読つっても今じゃアプリにかけるだけだけど」


 文章とは思えない英数字をエニグマの解読器(今ではスマホのアプリで使えたりする)にかけてみると意味のある文字列に変換される。


「他の候補者は暗号だということにすら気づかなかったみたいだし、それだけでも十分理解があると言えるわ」

「普通は暗号何て知らないし興味もないだろう。俺が知っていたのも、たまたま『憧れの職業』にちょっと必要な知識だったりするからってだけで」

「そうね。だけど理解しここにきた。釣れた魚の知能面は合格ラインだと言えるわ」

「おいおい、俺は魚類じゃねえぞ」

「違うの? 確かに二本の手に二足歩行、うーん人間に酷似していると思ったんだけど違ったの」

「まるで顔は魚類って言い方やめて頂けますかね? つうかむしろご近所じゃ評判の美男子だったんだぞ」

「それはご近所さんの優しさに感謝するべきね」

「どんなねじまがった評価だ……」


 ふーっと一息つく。


「とにかく。なんの合格かは知らんがもう帰っていいか?」

「ダメよ。それに私がわざわざこんな手の込んだことをしたか興味はない?」

「ない。じゃあな風邪ひくなよ」


 俺は手紙を近くにあったダンボールの上に置くと、扉の方へ向き直った。

 可愛い女の子が裸体に近い状態で目の前にいるという状況に心惹かれなくもないが、やはりここはさっさと退散するべきだろう。

 ここにいたらロクなことにならないという予感がする。


「私がなぜこんな格好をして待っていたと思う?」


 背後から声が聞こえたが無視だ。露出狂のげんに惑わされることなくここは華麗にスルー。振り返らず扉へ歩くことで意思表示をする。

 とん。ぺたぺた……。

 そのとき、裸足で歩く音が近づいてきた。

 なんだ? と思った時には、肩をつかまれ振り向かされていた。


「これを見てから帰っても遅くないと思うわよ」


 抗議の言葉を言おうとした俺の面前にスマホが突き付けられる。液晶の画面には、やたら肌色面積が濃い映像が表示されていた。

 よくよく見ると、その画面には男子生徒と裸の女子生徒が古びた倉庫の中であられもない姿で絡み合っている映像が流れている。

 というより、これは男子生徒が押し倒していると言った方が正しいだろう。

 女生徒の顔にはモザイクが掛かっていて判別できないが、男子生徒の方は荒い画像でも分かるくらいはっきり写っている。

 あ、この男、知ってるわー。たぶん八坂浩一郎こういちろうって奴だわー。15年間鏡で見てきたから間違うはずないわー。ははは。


「っておいこれ俺じゃねぇか⁉」

「そうよ」


 そうよじゃねえよそうよじゃ! 何だこれ⁉ つうか映像の背景は古びた倉庫の中っていうか、ここだ。今いるここだよ!


「さっきからね、ここの映像は録画してたのよ。あなたが見ず知らずの女生徒に対してあんなことやこんなことをしている証拠映像をね」

捏造ねつぞうにも程があるわ⁉」


 見ると映像は彼女の薄い布をはぎ取っているところまで進んでいた。おいいい何やってんの俺! 当たり前だが俺にこんなことをする勇気はない。それに童貞はこんなスムーズに動けやしない。童貞を甘く見るな。


「失礼ね、なにが捏造よ。別室にいる友人が撮影した画像をリアルタイムでちょっとナニしているように見えるように編集してもらっているだけよ」


 それは普通編集じゃなく捏造というんですけどね?

 つうかリアルタイムでやってるその友人がすげえよ!

 少ない素材でよくここまでできるなおい。


「ちなみにこの映像は、私が指示を出した瞬間に学園のローカルネットワークに一斉アップされる手筈になっているから安心して」

「絶望できる説明ありがとう」


 映像の中の俺は、今まさにズボンを脱ごうとしているところだった。うん、完全にアウトだね。こんなのが学園に出回ったらジエンドだ。


「どう、自分の立場を理解できた?」

「…………ほんの少しだけな」


 彼女は右手の人差し指で銃の形を作り、俺の胸に突き立てた。


「という訳で、今あなたには二つの選択肢があるわ。一つはこのまま立ち去って、明日から学園の皆から後ろ指さされ『変態』という称号を手に入れるか」

「え、なにそのコンプしたくない称号。ぜったいいらないんですけど」

「そしてもう一つは」


 少女は俺のしかめっつらを無視し、突き付けていた指を自分の胸に持っていった。


「今日から私の道具となって、『雨露木あまろぎメモ』を探すか、よ」

「……雨露木メモ、だと」


 予期していなかったその単語は、俺の心臓を一段高く跳ねさせた。

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