ラムネはTravelをTroubleから救う

@eyes

第1話

旅行がきっかけでケンカ別れするカップルは多い、という記事をエイジはどこかで目にした記憶があった。

そして鉄輪温泉から別府駅に向かっているこのタクシーの中のエイジとその横でぷいと外を見ているモネの二人は、まさしくそんなケンカ別れ寸前の典型的なカップルだった。


昨日ホテルに着いたところまでは間違いなく彼女は上機嫌だった。

それが急転直下で嵐になったのは露天風呂から食堂へ行く途中のことだった。

始まりは今では思い出せない。

ただ、それはとてつもなく些細なもので、たとえば目玉焼きを食べる時にかけるのは、ソースか醤油か、というようなものだった。

しかし彼女の怒りは別府の町の湯煙さながらにあらゆる所から噴き上がり、その温度も極めて高かった。

エイジはこの初めて遭遇した大嵐を頭を下げてやり過ごそうとした。

そんなエイジのむやみに謝る態度がまたモネの勘に障ったようだった。

しかし同時に彼女自身何対して怒りをぶつけているのかわからなくなっていることにエイジは気づいた。モネは怒っているのではなく、怒りに振り回されてしまっているのだ。

そして勢いに駆られて、予定を全部すっ飛ばして、すぐに帰りたいと言った。

「わかった」

そうエイジは応えたが、このまま終わらせるつもりはなかった。これで終わりにするのが耐えられないくらい、あまりにモネを好きになっていたからだ。

エイジはヴェルナー・ヘルツォークの「フィツカラルド」を思い出した。山の中に蒸気船が出てくるあの映画だ。

モネはあの映画の蒸気船だった。いつの間にか思いもしない所にたどり着いてしまった船。

なんの脈絡もない思いつきだったが、それが彼の原動力になった。

あの映画では山の中で蒸気船は動いたのだ。

それならオレも動かそう、と。


タクシーはビーコンプラザのグローバルタワーの前を通り過ぎた。

行き先を変えるなら、今だ。

「竹瓦温泉まで行ってください」

エイジはタクシーの運転手にそう言った。

モネはちらっとエイジを見たが何も言わなかった。

ビーコンプラザからは日豊本線を越えた先に竹瓦温泉はある。

ジブリの「千と千尋の神隠し」の湯場を二階建てにしたような立派な造りをしているのだが、れっきとした公衆浴場なのだ。

入口の横の柱には少し汚れたレース仕様の自転車が二台仲良くくくりつけられていた。

エイジは二人分の入浴料200円を払う。

モネは入口すぐ左の砂風呂に興味あり気な顔をしたが大人しく板敷きのホールへあがった。

「12時ちょうどにここで」

「15分よ」

それだけ言ってモネは右側奥の女風呂へと歩いて行った。背筋がスッキリ伸びた綺麗な歩き方だった。モデルという職業はどんな時でも隠せないものだ。

エイジは首を振って手前の男風呂に入っていった。


竹瓦温泉は内部も変わった造りをしている。

ホールから階段を上がった所が脱衣場になっている。建物正面に大きく切られた窓は人の足首ほどまであって、窓が開いていると男はみんな裸を外に晒すことになる。昭和13年に造られたとはいえそこまで開放的でなくてもいいのに、とエイジは思う。

脱衣場から階段を降りていけば今度はタイルばりの浴室だ。自然と窓は高い場所になるから、昼でも少し暗い。脱衣場が明るいだけに舞台から奈落に落ちるような感じになる。

浴槽は奥と手前の二つだった。

奥には湯番を自認しているらしいおじさんがいて、湯をどんどん入れている。

エイジは手前に入ることにした。

指を湯に浸す。熱い。身体を洗って恐る恐る入ってみた。冷えていた手足の先がジンジンする。身体がすぐに真っ赤になった。耐えられない。タイルの床であぐらをかいた。

「どちらからです?」

エイジが入る前からお湯に浸かっていたソフトモヒカンの男性が声をかけてきた。

「福岡です。そちらは?」

男性はお湯から出ながら、東京からだと言った。身体がエイジより赤くなっている。

「輪行で熊本へ行って、自転車で阿蘇を抜けて、ここからJRで戻るんです」

表にあった自転車に乗ってる人に違いなかった。

身体に息を吹きかけている男性(後でハナザワと名乗った)に、エイジは訊いてみた。

「列車までまだ時間がありますか?」


エイジとハナザワさんがホールで待っていると、モネが小柄な女性と一緒に出てきた。ハナザワさんの奥さんだった。

4人はフルーツ牛乳を飲んだ。4人ともお揃いのように腰に手を置いたポーズになっていた。


昼を過ぎて太陽はくっきりとした日差しを真上から降り注いでいた。これから行く場所を訪問するにはうってつけの天気だ。

「日本最古のアーケードです」

温泉の左側にある木造の建物へとエイジは三人を誘った。

「竹瓦小路アーケード」と銘のあるプレートをくぐった瞬間、三人は嘆声をあげた。

そこはラムネ色の光の中だった。

まんべんなくラムネ色だった。

モネが嬉しそうにアーケードを見上げている。ハナザワさんの奥さんもキラキラした目をしてあたりを見回していた。

エイジはホッとした。

ハナザワさんが出てきた。

「夫婦ゲンカの最中だったんですよ」

エイジはプッと吹き出した。

「こっちは笑えませんよ。でもこれで離婚危機は回避できそうです。ありがとうございます」

エイジは上目遣いでハナザワさんを見る。

「もしかして?」

エイジは頷いた。

「そっか。なんだかビールで乾杯したい気分になってきたな」

「美味しい餃子屋が近くにありますよ」

「それには女王様におうかがいをたてないと」

「そうでした。僕もお姫様に」

二人がアーケードの中に入っていった。

ラムネ色の光が二人を包み込んでいった。

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