和尚さんともみじ

 秋が深まりました。音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんは境内を掃除しながら、

「紅葉前線も間もなく来るじゃろう。さすれば、さくらがもみじとしてここにやってくるでのう」

 と嬉しそうです。そうです。四月にさくらさんはこう和尚さんに言いました。桜前線協会と紅葉前線協会が合併したので、秋にはさくらさんはもみじとして、このお寺にやって来ると。

 やがて境内のイチョウやカエデたちが色づき始めました。それらを眺めていた和尚さんは、思い立って必要なものを買いに、スーパー太平へ原付バイクに乗って出かけて行きました。後にはかぐやが留守番として残っています。そこへ一人の女性が参道の坂道を上って、境内にやって来ました。その姿を見たかぐやは、

「おかえりなさい、さくらさん」

 と声をかけました。しかしその女性はこう言いました。

「ごめんなさい。わたしはさくらじゃないの。双子の妹のもみじ」

「そうなんですか」

「この付近には毎年、来ているけれど、このお寺は初めて。自然豊かで綺麗なお寺ね」

「和尚さんがそれだけ心配りしているからです」

「そうなの。その和尚さんは?」

「買い物に出かけています」

「残念ね。早く会ってみたいわ」

 もみじが言いました。


 やがて、和尚さんが原付バイクで戻って来ます。

「ただいま戻ったぞ……おや、さくら、来ていたのか」

 和尚さんは勘違いをしています。それだけさくらさんともみじさんは瓜二つなのです。

「和尚さん、私はさくらではありません。さくらの双子の妹、もみじです」

「ええっ、これは驚いた。本当にさくらじゃないのかのう」

「よく見てください。唇の左下に、私は小さなほくろがあります。姉にはありません」

「本当じゃ。しかし、さくらは秋になったら、もみじとしてこの寺に来ると言っておったが」

「さくらは今、南半球にいます。そのことを失念していたのでしょう」

 もみじが言いました。

「そうか、忙しくて大変だのう」

 和尚さんは少しがっかりした様子です。


 もみじさんはさくらさんと同じように、和尚さんに代わって、炊事、洗濯、掃除などをします。和尚さんは、

「妻じゃないんだから、そんなことはしなくていい」

 と、もみじさんを止めましたが、もみじさんは、

「私は姉の代理です。いかようにもお使いください」

 と言って家事をこなしました。もちろん、裏庭の八頭の鹿たちへの餌やりももみじさんがします。鹿たちは大喜びで餌を食べます。鹿もオスですから、和尚さんより、綺麗なお姉さんから餌をもらう方が嬉しいようでした。鹿の一頭が感謝のしるしにもみじさんの唇の下をペロリと舐めました。親愛の情を見せるためです。その鹿が、もみじさんの顔をしげしげと見つめます。そして怪訝な表情を浮かべました。もみじさんは、

「これは、和尚さんには内緒ね」

 と言いながら、鹿の首筋を撫でました。


 紅葉が最盛期になったので、いつもは暇なお寺にも参拝兼紅葉狩りの客人が多く見受けられるようになりました。和尚さんは栗羊羹を作って客人に抹茶とともに供します。もう、和尚さんは和菓子屋さんでも開いた方がいいですね。それにしてもイチョウの黄色とカエデの赤が木漏れ日に映えてとても美しいコントラストを演じています。紅葉が風に揺れながら地面に落ちていくのを子供たちが追いかけていきます。和尚さんは、

「おーい、転んで怪我をするんじゃないぞよ」

 と微笑みながら注意しました。


 境内の隅に大きな柿の木があります。たくさんの実をつけるのですが食べられません。渋柿なのです。和尚さんはあのでっぷりと太った体で柿の木にスイスイと登り、実をもぎっていきます。小一時間でほとんどもいでしまいました。所々に残しておくのは鳥たちがついばむ分です。鳥には渋みがわからないのですかね。

 もいだ柿の実は皮をむき、般若湯につけて渋みを抜きます。渋みが抜けきったところで、へたに荒縄を巻きつけ、軒先に吊るします。そう、干し柿を作っているのです。和尚さんは、

「干し柿ができる頃には、もみじさんはここにいないんじゃな」

 と少し寂しそうに言いました。でも、

「でも、春になれば、さくらがやって来る」

 そう思い返して柿を軒先に吊るすのでした。もみじさんは神妙な顔で和尚さんの話を聞いていました。


 ところで十月は神無月と言いますが、和尚さんの寺は神様がいなくなるのですか? 私が聞きました。

「たわけ。寺は仏教だぞ。仏様と神様は違う。けれどもやおよろずの神様というからな。竈の神様や、トイレの神様などが寺から出雲大社に出張しているかもしれん。せいぜい火の元やトイレットペーパーの買い忘れには注意しなくてはな。でも寺にはもみじさんがいる。神様よりありがたい代物じゃ」

 そういうと和尚さんは読経を始めました。今年の十月は、もみじさんがいるので張り合いのある和尚さんなのでした。


 やがて、紅葉が終わりを迎えました。境内は落ち葉がたくさん地面を覆い、和尚さんは掃き掃除に追われました。でも落ち葉を集めて、ちゃっかり焼き芋を作って、子供たちと分けあって食べました。ホクホクとして、蜜があってとっても美味しかったようです。

 でも、紅葉が終わるということは、もみじさんと、さよならしなくてはなりません。

「和尚さん、お世話になりました」

 もみじさんが頭を下げます。

「こちらこそ、世話になった。まるでさくらと一緒にいるようで胸がときめいたでの」

 和尚さんがほっぺたを赤くしました。

「和尚さんは、さくらをそんなに愛していらっしゃるの?」

「もちろんじゃ。高校一年でさくらに出会って以来、わしはさくら一筋じゃ」

 そういうと、和尚さんはもみじさんの唇の下を指で撫でました。そうするとそこにあったはずの、ほくろが消えて無くなっていました。

「いつから気付いていたの?」

「はじめからじゃ」

「じゃあ、なんで言わなかったの?」

「これも、座興じゃと思ってな」

「いじわる」

「いじわるはお主じゃろう。茶番のような真似をしおって」

「ごめんなさい」

「これはこれで、楽しい戯れであったわい」

「ドキドキした?」

「わしは僧職にある身ぞ。これしきのことで動揺するか!」

「本当?」

「本当じゃ」

 和尚さんは遠くを見つめ、鼻を掻きました。


 お別れの時が来ました。

「また春に」

「春になったら」

 和尚さんが手を振り、もみじさんじゃなくてさくらさんが手を振り返します。やがて、さくらさんの姿は小さくなり、そして見えなくなりました。

 さくらさんはどうして双子の妹を名乗ったんですかね? 私は和尚さんに聞きました。

「さあな、女心は分からんよ。もしかしたら、わしの気持ちを試したのかもしれない」

 怒らないんですか? そんなことされて。

「なあに、可愛いものではないか。わしを愛している証拠じゃ」

 まあ、しょってる。

 

 冬の足音が近づいて、和尚さんは軽く風邪をひきました。

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