和尚さんと師走

 音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんは走っていました。走りながら、

「なんでわしが走らなきゃならないんだ」

 とぼやくことしきりでした。


 事の始まりは、毎年地域で開催されている『ふれあいマラソン』大会の名誉会長に和尚さんが選ばれた事でした。面倒くさいからと何度も辞退する和尚さんに、今年から大会会長になった八百屋の源さんが詰め寄ります。

「和尚さんは地域の宝だ。その和尚さんが名誉会長になってくれたら、盛り上がること間違いなし。することといえばスタートの合図をするだけ。誰でもできますよ」

「おい、源よ。張り切るのはいいが身の丈ってものがある」

「なんですか?」

「お主、タレントの猫ひできをゲストに呼んだろ。いくらかかった?」

「えー、プライバシーの関係で言えません」

「こんな田舎にソコソコのタレントが来ると思えん。土壇場でキャンセルされるぞ」

「そうしたら、和尚さんに走ってもらいます」

「ふふふ、わしを舐めたな。前の東京オリンピックでエチオピアのオベベと最後まで優勝を争ったのは、わしぞ」

「円谷選手は?」

「わしの後」

「そんな記録知らないなあ」

「わしの記録はある事情により公式には抹消されておる。わしに負けたのが悔しくて円谷くんは命を落とした。愚かなことをしてくれたわい……ってことはどうでもいい。源よ、毎年十キロだった大会をフルマラソンにしたそうだな。警備の準備が大変だと俵県警本部長がぼやいていたぞ」

「それですよ。いずれは国際大会にして、世界中から選手と見物客を呼びましょう」

「それを、身の丈知らずだと言うのだ!」

「ひえい、怒らないでくださいよ。おれは努力してひとかどの男になって、かぐやさんを嫁にもらうんだ」

「お前になんかやるか! それより、猫ひでき、しっかりチェックしなされよ。わしは走りたくない」

 和尚さんは源さんを追い出しました。


 師走は師匠が走るほど忙しいからその文字が当てられたと、いわれています。(諸説あります)けれど、和尚さんには弟子がいいないからかどうかは分かりませんが、全然、忙しくありません。ただ、毎日のように、大量の配達物が来ます。和尚さんは一つ一つを丁寧に包装して、赤や緑のリボンをつけて、それが終わると大きな白い袋に突っ込みます。それを押入れに入れるのが日課といえば日課でした。それから読経をして、境内で遊んでいる子供たちを見守っていると、結衣ちゃんが言いました。

「和尚さん、マラソン走るの? 大丈夫」

「なんのことじゃ?」

「なんか、猫ひできが捻挫して走れないから、大会に来られないんだって。代わりは和尚さんだって、源さんが言ってた」

「なんだと!」

 和尚さんは原付バイクで八百屋まで乗り付けました。

「源!」

 和尚さんはご立腹です。

「お、和尚さん。勘弁してくださいよ。捻挫なんですよ。仕方ないっすよ」

「源! トレーニングウェアとシューズと試合用のランニングを用意しろ。ランニングには仁王寺と赤で染め抜け。わしは優勝を狙っている。あの時の屈辱を晴らすためにな」

「へい!」

 源さんは仕事そっちのけで、和尚さんの手伝いをしました。こんな真剣な和尚さんを見るのは初めてでした。


 昼間は勤行があるので和尚さんのトレーニング時間は深夜です。裏庭に出ると八頭の鹿たちが白い息を吐いていました。

「お主たちのトレーニングに付き合わせてもらうぞ」

「いいですよ」

 和尚さんと鹿たちは山に向かって走り出しました。あの、サーカスの虎が逃げた裏山です。和尚さんも鹿も乱れることなく走り続けます。二時間かけて山の山腹を走り、三十分で山頂に上ります。和尚さんの息は乱れません。けれど汗びっしょりです。

「同じコースを走って戻る」

 和尚さんは宣言して戻りました。

 このトレーニングが二十日ばかり続きました。和尚さんのお腹は引っ込み、シックスパックが見えています。太ったり痩せたり忙しい和尚さんです。


 マラソン大会の前日、和尚さんはひたすらうどんを食べました。

「試合の前日にはカーボンだ」

 難しいことを言っています。無視しましょう。

「わしは勝つ」

 そうつぶやくと、和尚さんは早めに就寝しました。


 翌日は雨でした。気温も低くて、低体温症が心配です。

「和尚さん、リタイアすれば」

 かぐやが言います。

「いや、体調は万全じゃ。出場に問題はない。給水と軽食の用意を頼む」

「スポーツドリンクとおにぎりね」

「塩むすびでいいからな」

「はい。ご健闘をお祈ります」

 かぐやは火打石を叩きます。

「やくざの出入りじゃないんだから」

 和尚さんは笑ってお迎えの車に乗りました。なんてったって、大会名誉会長ですからね。


 会場に着くと何かざわついています。役員席に行くと源さんが、

「猫が、猫ひできが来てくれたんですよ!」

 と嬉しそうに話す。

「走れるのか?」

「走れます」

「じゃあ、わしの特訓は意味なかったな」

「そんなことありません。観客は和尚さんの走りを見に来ています」

「面倒だのう。ピストル撃つだけにさせよ」

「ダメです。師走は師匠が走るものです」

「わしは誰の師匠でもないわ!」

 和尚さんは癇癪を起こして、役員席をでました。そこに、猫ひできがやって来ました。

「和尚さん、僕は今日、あなたと対決するために来たんだにゃー。正々堂々戦うんだにゃー」

 真面目なのか、ふざけてるのかわからない喋り方でしたが、和尚さんには猫ひできの本気度がひしひしと感じました。なので一言。

「わしは負けん!」

 と挑発しました。


 さあ、スタート五分前です。参加人数は四百二十三名。この規模の大会では予想外に多いです。県警は警備の人数を増やしました。この前のサーカステロで、警備の重要性を強く感じた、俵県警本部長なのでした。さて、スタートラインには選手が出揃って来ました。ゼッケン1は招待選手の猫ひでき。ニャーと愛想を振りまいています。子供たち大興奮。ゼッケン2は……なんと、裏山のゴリラ! 和尚さんが、

「人間じゃないだろ!」

 とクレームをつけますが相手にされません。ゼッケン3は同じく狼。やる気満々です。ゼッケン4は和尚さん。不吉な番号を自ら選びました。ゼッケン5は小学校の長島先生。以下は省略です。

 正午スタート時間です。スターターは源さん。モーニングに着替えて正装です。

「よーい。どん」

 なんとピストルを使わず口で言ってしまいました。間抜けです。

 スタート良く飛び出したのは狼、ゼッケン3。短距離走の走り方です。体力が持たないでしょう。二番手はゴリラゼッケン2。両腕をオールのように使って豪快に走っています。

 あとは集団を作っています。猫ひできや、なんと仁王寺の和尚さんまで集団にいます。常識的に考えて、動物二匹は持久力がありませんからこの集団から優勝が出るでしょう。


 飛び出しました。猫ひでき。三十五キロです。あっと、その後ろから和尚さんが付いて来ます。いや、一気に抜き去りました。なんという体力。


 その時、和尚さんの目には見えていたのです。それは猫ひできではなく、東京オリンピックで惜しくも負けたオベベ選手の背中が。

「今度は追いつく。必ず勝つ」

 和尚さんはスパートをあげました。どんどん、オベベ選手が近づいて来ます。抜かした。「やった」しかし、その瞬間、和尚さんの足に限界がきました。アキレス腱断絶。「クソー、また負けた」和尚さんは泣きじゃくりました。その時です。オベベが和尚さんの右腕を、猫ひできが左腕を抱えて三人で走り出しました。ゴールはあとわずかです。そして三人でフィニッシュ。和尚さんはオベベと猫ひできに抱きつきました。友情の金メダル。けれど、オベベ選手はとっくに亡くなられています。気がつくとその姿は見えなくなっていました。


 和尚さんは救急車で総合病院に運ばれ、アキレス腱の接合手術をしました。そして驚異的な速さで回復し、クリスマスイブの大切な仕事をやり遂げました。

 

 和尚さんは思うのです。あの時オベベ選手が出てきたのは異教の仕事を真面目にこなす和尚さんへのクリスマスプレゼントだったのではないかと。


 クリスマスが終われば、年の暮れ、新年と飛ぶように日々が流れます。


 

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