和尚さんと高校野球
真夏であります。
「般若湯は戒律で認められた飲み物じゃ。体にもいい。いいか、酒ではなく、あくまで般若湯だぞ」
と和尚さんは言いました。でも、買いに行くのは金子酒店です。ちょっとおかしいですね。でも、和尚さん唯一の楽しみですから大目に見ましょうか。
さて、和尚さんの住む地域は田舎の鄙びたところですから、日頃ビッグニュースなんてものはありません。せいぜい、牛の花子が双子を産んだとか、和尚さんが空飛ぶところを見たと言う、都会では口さも登らない虚々実々が大きな話題になる程度です。しかし、この夏新聞の全国版にも取り上げられる大事件が起こりました。和尚さんの地域の県立風花高等学校野球部がなんと夏の全国高等学校野球選手権大会の県予選決勝で、私立の名門、勉強院大学付属高等学校を破り、孔子苑球場への切符を手にしたのです。これは奇跡です。県立風花高等学校は勉強もいまいち、スポーツもダメ、だけど不良になる勇気もないという、どちらかというと無気力な生徒が中心のなんの取り柄もない学校でした。それを新年度に赴任してきた山下先生というのが「お前ら、やればもっとできるはずだ。ガッツ出していこうぜ!」とハッパをかけて、まずラグビー部を作ろうとしたのですが、人数が十四人しか集まらなくて断念しました。ならサッカーなら良いだろうと練習したら四人が骨折しておじゃんになりました。山下先生は「じゃあ、野球だ。みんな絶対怪我するなよ」として生まれたのが県立風花高等学校硬式野球部です。部員はギリギリ九人です。山下先生はラグビーが専門なので野球の指導ができません。誰かコーチを都会から呼ぼうとしたところに呼ばれもしないのに現れたのが、和尚さんのところの狼、ゴリラ、大鷲でした。山下先生は恐怖で呆然としてしまいましたが、生徒たちは平然としています。お寺を守る三勇士として地域の人たちにはよく知られていたのです。早速部員の三浦くんが山下先生に教えます。
「君らのことはよく分かった。神獣なんだな。でも、動物に野球は指導できないだろう?」
山下先生は尋ねました。
「僕ら、神様ではなくて仏に仕える身だよ。だから仏獣かな。それはそうと、僕ら和尚さんの4Kテレビでメジャーリーグの試合を見ているから、だいたい分かるよ。まずは基礎体力をつけるために五十メートル走、百本ね」
狼が言いました。
「持久走じゃないんだ?」
山下先生が聞きます。
「野球で使う筋肉は僕みたいに瞬発力にかかわる筋肉なんです。だから短距離をたくさん走るんです」
「なるほど、理にかなっている」
山下先生は納得して、選手を走らせました。初めのうちは五本も走らないうちに悲鳴をあげていた選手たちですが、一ヶ月もする頃には百本走る力が付いてきました。
次はピッチングと守備です。ここはゴリラがピッチング、大鷲が守備を教えました。ゴリラは自らお手本を見せます。
「いいかい。上半身の力は抜いて、下半身に力を貯めるんだ。なるべく下半身を大きく使って勢いをつけ、その反動で上半身を弓のようにしならすんだ」
ピッチャーの三浦くんは言われた通り投げてみました。スピードガンを扱う山下先生の声が震えます。
「ひゃ、150キロだあ」
守備を教える大鷲は空中を旋回しながら言いました。
「ボールは獲物だよ。獲物を確実に捕えるにはその動きを最後までよく見て目でキャッチするんだ。ああ、もちろんグラブは使ってよ。動体視力が大切だということだよ」
みんな、ボールをギリギリまで見てキャッチしました。エラーの数が格段に減りました。
走塁は狼が教えました。
「ベースを獲物のように思って走るんだ」
選手たちの走力が格段に上がりました。
最後はバッテイングですが、三勇士とも、腰が引けました。
「得意分野じゃないんですよねえ」
「それじゃダメじゃん。バッテイングが上達しなくちゃ、勝てないよ。ゴリラくんなんて得意そうじゃないか」
山下監督はぼやきました。すると、
「わしが見てやろう」
突然、現れたのは和尚さんでした。
「うちの獣が世話をかけたな。あとはわしが指導しよう」
和尚さんはバットでなく、錫杖を持っていました。そのままバッターボックスに入ります。なぜか左打席でした。
「三浦くん、思いっきり投げ込んできなさい」
和尚さんは三浦投手を挑発します。
「和尚になんか打たれるか」
三浦くんが投げます。150キロの速球。
「えい」
和尚さんは気合を込めて一本足打法で打ちます。
「バンバン」
何かが破裂するような音がします。なんと、ボールは真っ二つに割れていました。もし、和尚さんが錫杖でなくバットでボールを打ったなら場外ホームランだったでしょう。
「すごい、バッテイングセンスだ。選手に極意を教えてください」
山下監督が和尚さんにすがりつきました。
「荒川先生に教わった一本足打法じゃ。奥義はのう……」
「はい」
「日々の鍛錬じゃ。素振りをしなされ」
みんなガクンとなりました。それでも、言われた通り、素振りに精を出します。一ヶ月後には強力なラインナップが完成しました。
そして始まった予選一回戦。相手は強打を誇る私立鉄腕高等学校。ピッチャーの三浦くんはプロ選手でも出せる人が少ない150キロの速球を中心に落差のあるフォークボール、山なりの超スローカーブを有効に使って鉄腕打線をノーヒットノーランに抑えて勝利しました。県立勢が私立に勝つのはこの地域では初めてです。街の人たちは大喜びで仕事を忘れて浮かれ舞い踊り、昼間っから酒を飲んだくれました。
しかし、和尚さんはいつもと変わらないお勤めをしています。テレビも見ません。母屋のテレビには狼、ゴリラ、大鷲が熱心に観覧しています。鹿たちも、見ています。かぐやは東屋でデザイナーズチェア作りです。このところ頑張ったので予約待ちが一年に短縮されました。
二回戦は蒟蒻農業高校でした。なんだかふにゃふにゃした学校で、楽勝でした。これで県立初の三回戦進出です。街は盛り上がり、仕事どころではなくなってしまいました。
三回戦は私立金剛高等学校です。風花高校の部員の二倍の体格をしています。体格差だけで圧倒されてしまいます。
「自分を信じろ!」
山下監督が喝を入れます。しかし、選手の震えは止まりません。そこに、
「和尚さんから、水羊羹の差し入れだよ」
マネージャーの明美さんから水羊羹が配られます。
「美味い」
「なんだか、体がポカポカする」
そうです、和尚さんは景気付けに般若湯を少し、垂らしたのです。ああ、この小説は未成年の飲酒を推奨するものではありません。奈良漬程度の酒、いや般若湯を垂らしただけです。
緊張の取れた風花高ナインは強打の金剛高のお株を奪う猛打炸裂。準決勝に駒を進めました。街中大騒ぎです。けれど和尚さんは球場にも足を運ばず、日々の勤行に勤めています。あら、和尚さんの耳からイヤホンが取れました。ラジオを聞いていたんだ。やっぱり気にしていたんですね。和尚さん?
「当たり前じゃ。うちの獣とわし自身が関わりあったんじゃ。気にならないわけがない」
私は安心しましたよ。和尚さんが薄情でなくて。
「余計なお世話だ。お世話ついでに聞くが、この小説、予定通りに進んでないそうじゃな」
ええ、一エピソード、五千字で考えていたんですが二、三千字にしかならないんです。目標の十万字に届きません。
「届かなかったら、延長戦をすれば良い」
延長戦?
「寺にはまだ紹介していないものがたくさんあるぞ。季節にこだわらず、アラカルトをやれば良い」
和尚さん! 蒙が開けました。早速考えてみます。
「精進なされ」
私は和尚さんに救われた思いでした。アラカルトとは面白い考えです。でも、この小説のタイトルと、はずれますね。そこは上手く調整しよう。
話がずれました。すみません。準決勝の相手は私立
先行の風花高は先頭の石井くんから。初球をいきなり、セーフティバント。ピッチャー取れない。悠々一塁セーフ。二番波留くんは送りバント、成功。スコアリングポジションに早くもランナー石井くん。三番はシュアなバッティングが得意の鈴木くん。カウント2−1からのフォークボールを巧打。ボールは右中間真っ二つの2ベースヒット。風花高校1点先取。四番は薔薇くん。初球を叩いた。レフトスタンドへのホームラン。あまりのことに報鈴仙のピッチャー泣いています。
報鈴仙の監督出てきました。審判に試合放棄を告げています。それだけ両チームの力に差があったのでしょう。
ラジオでそれを聞いていた和尚さんは、
「負けると分かっていても最後までやるのが男だがなあ。まあ、我が宗派と考えが違うんだろう。致し方あるまい」
と言って勤行を続けました。
ついに、決勝戦です。とは言っても風花高が勝ったのは周知の事実なので、そのあとのことをお伝えしましょう。ナインは球場から、学校を経由して、大恩ある仁王寺までパレードを行いました。でも、オープンカーが用意できなかったので、トラックとコンバイン、トラクターに分乗しました。とっても恥ずかしかったそうです。
お寺に着くと、狼、ゴリラ、大鷲が出迎えました。ナインは整列してお礼をしました。和尚さんは所用でいませんでした。堅苦しいことが嫌いな和尚さん。たぶん、バックレたんだと思います。
さて、憧れの孔子苑球場に行った、県立風花高等学校野球部ですが、全国はレベルが違います。あっさり一回戦で負けてしまいました。でもその秋のプロ野球ドラフト会議で三浦くんは仙台インパルスに、薔薇くんは舞浜ランボーズにそれぞれ四位指名されました。石井くんと波留くんと鈴木くんは大学に進学するそうです。みんな頑張って欲しいですね。和尚さん。
「いや、挫折することもあろう。それが人生だ。そんな時にも仏への感謝を忘れなければ道は開けよう」
珍しく、まともなことを言う和尚さんでした。
さあ、夏も終わりです。ひぐらしが鳴くようになりました。
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