和尚さんとさくら

 音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんは総本山に行ったまま、まだ帰って来ていません。なので、寺はかぐやが一人で守っています。と言ってもかぐやは尼さんではありませんので、お経をあげたりはしません。ただ、朝はご本尊の不動明王にお水と粥をお供えし、本堂の掃除を軽くします。昼は境内、参道を軽く掃除します。全てが軽くなのは、時間をかけてゆっくりやっていると、自分の仕事である、デザイナーズチェアを製作する時間がなくなってしまうからです。それでなくても、かぐやの作るデザイナーズチェアは座り心地がとても良いと世界中で人気が高いのです。なのに全ての工程をかぐや一人でやっているため、需要に供給が追いつかず、現在最大三年待ちとなっています。それでも客離れが起きないのは、その品質の良さと良心的な価格設定にあります。かぐやは元を正せば月の国のお姫様です。それがなんの因果か仁王寺の裏庭に続く竹林で和尚さんに見出され、月に帰ることをなぜだか拒否して、寺の東屋を工房にして寝起きをしているのです。


 普段は料理を和尚さんが一手に引き受けているので、かぐやは一切、手を出しません。それは和尚さんが料理大好き坊主だからです。なんでもできちゃうオーブンレンジと古くからあるかまどを駆使してどんなものでも作ってしまいます。かぐやは喜んでそれをいただきます。けれども、かぐやは料理下手ではありません。それどころか料理を作るのが本当は大好きなのです。いつもは和尚さんに遠慮して、食べることに専念していますが、その実、和尚さんの技を舌で盗み取っています。ですから今回の和尚さんの長期不在は、かぐやにとって千載一遇のチャンスなのです。和尚さんの畑から野菜、根菜を採ってきて好きなように料理を作るのです。かぐやは僧侶ではありませんから肉食も許されているのですが、寺の厨で殺生するのはよくないと考えて、野菜や、豆腐などの植物性たんぱく質を使って料理をします。今日はかぐやオリジナルの、豆腐と油揚げと大根、里芋の煮付けに水菜のしゃぶしゃぶを作りました。しゃぶしゃぶはポン酢でいただきます。七味唐辛子をふりかけるとピリッとしてとても美味しくいただくことができました。


 夜は徹夜でデザイナーズチェア作りです。かぐやはどちらかというと夜の方が仕事の進みが良いです。特に満月の夜などはやる気がみなぎります。だからと言って新月の時はやる気が出ないかというと、そんなことはありません。新月の時は地球の影で見えないだけで月そのものは存在しています。かぐやの心にはいつも月が見えています。そこは月のお姫様。我々と感覚が違うのは当然でしょう。


 その日も和尚さんは帰って来ず、かぐやは境内の掃除をしていました。空気はとても暖かく、なんだか眠たくなりそうな陽気です。けれど今日も徹夜明けのかぐやですが、眠そうな様子は見せません。いったい、いつ眠っているのでしょうかと不思議に思います。私は思い切って聞いてみることにしました。かぐやさん、いつ眠っているのですか? するとかぐやはこう言いました。

「あなたは誰ですか?」

 そりゃあ、そうですね。見えないところから急に声をかければ不審に思いますね。初めまして、この小説の作者です。

「ああ、そうですの。いつもお世話になっています」

 こちらこそ。それで、さっきの質問なんですが。かぐやさんはいつ眠るのですか?

「ええ、夕方から日暮れまで寝ますわ。でも、そんなこと聞いてどうするんですか?」

 質問に質問返しですね。そう、ちょっと興味があったもので。

「そうですか。でも、わたし思うんですけど、作者が気楽に小説のキャラクターに話しかけるのってよくないと思います。読者が混乱してしまいますよ」

 ぎくっ、痛いところを突かれました。私もその心配をしていたんです。

「では、もう話しかけないでくださいね。さようなら」

 はい、分かりました。なんだか恋しい人に振られた気分です。やっぱり和尚さん以外の人に話しかけたのはまずかったですね。気を取り直して物語を進めましょう。


 和尚さんはまだ帰って来ません。かぐやは和尚さんのことをたいへんに心配しながら、今日も境内の掃除をしています。ふと上の方を見ますと、境内の真ん中にどしんと構えた一本桜の木の枝に一輪の花が開いていました。かぐやは桜の花を見るのは初めてですので、その可憐さにうっとりとしました。すかさずデジカメで写真を撮ったのはデザイナーズ魂でしょうか。そんな時です。

「もし」

 と誰かがかぐやを後ろから呼びます。

「はい、なんでしょう?」

 かぐやは尋ねました。

「和尚さんはいらっしゃいますか?」

 尋ねて来たのは女性でした。

「和尚さんなら、総本山へ、行っています。いつ帰ってくるかは分かりません」

 かぐやは答えました。

「まあ、そんなこと初めてだわ」

 女性が言いました。

「和尚さんのお知り合いですか?」

 かぐやは問います。

「知り合い……そうね。ところであなたは?」

「東屋に居候になっています。かぐやと申します」

「家具屋さん?」

「発音はおんなじですが漢字で書くと輝く夜で輝夜です」

「夜のお仕事されているの?」

「夜も昼も働きます」

「まあ、たいへんねえ」

 女性は何か勘違いしているようです。

「ところであなたは和尚さんとどういうお知り合いなんですか?」

「私はさくら。和尚さんに春を連れて来てあげるのよ」

「春を……あなたは桜前線ですね」

「まあ、なんで分かったの?」

「和尚さんは、この桜が咲くことを、どの花よりも楽しみにしているんです」

「まあ」

 さくらさんは頰を赤らめました。そして、

「あなたは輝く夜。私は桜。今宵は女二人、夜桜を楽しみましょう」

 と言いました。

「般若湯を飲んでね」

 かぐやが笑いながら言いました。この二人は気が合うようです。ギスギスしなくてよかったです。

 その夜は、一輪の桜を愛でながらかぐやの手料理を楽しみました。さくらさんは般若湯をいただきましたが、かぐやは十九なので飲みませんでした。未成年だったのですね。かぐやとさくらさんはよもやま話がつきませんでした。お題はもちろん和尚さんです。今頃、くしゃみをしていることでしょう。


 翌日も、和尚さんは帰って来ませんでした。昨夜の宴で意気投合したかぐやとさくらさんは一緒に朝餉を作っています。かぐやも料理上手ですがさくらさんはもっとうまい。さくらさんの年齢はわかりませんが、十九歳(あくまでも人間の年齢に合わせた場合)のかぐやよりかは年上でしょう。それだけ一日の長があります。炊きたてのご飯とネギと豆腐の味噌汁、香の物だけですが、それだけで食欲をそそる香りが厨に立ち上ります。今朝はさくらさんが御本尊の不動明王にお供えをしました。

「掃除洗濯は私がやりますから、かぐやさんはデザイナーズチェア作りに励んでくださいな」

 さくらさんが言いました。

「お言葉に甘えて、そうさせてもらいます。一刻も早く世界中の待っている人に椅子をお届けしたいですから」

「そうね、頑張ってね」

 二人は仲の良い美人姉妹に見えます。そうするとムクムクっと現れるのが、源さん、マサさん、鈴木さんの『かぐやファンクラブ』です。和尚さんが不在と知った三人はこっそりと境内に侵入しました。別に立ち入り禁止区域ではないですけどね。

「あれ、かぐやさんは境内の掃除をしていない。別の人がやっている」

 源さんが言いました。

「でも、あの人もそうとうのべっぴんさんだぞ。歳は二十四くらいか?」

 マサさんが垂涎の眼差しで見つめています

「写真を撮っちゃおう」

 鈴木さんがシャッターを押そうとすると、

「コラー。盗撮は犯罪だぞ!」

 怒鳴り声がします。

「お、和尚さん!」

 三人は和尚さんの怒りっぷりに驚いて、退散しました。

「さくら!」

「あなた!」

 夫婦の一年ぶりの再会です。

「本山でトラブルがあって、寺を留守にした。すまなかった」

「いいんですよ。二日ぐらいのものです。まだ一週間以上ここにいられます」

「そうなのか。本山の桜もほころんでいたぞ」

「ここの桜が葉桜になるまでは止まって良いと桜前線強化本部長の許可を得ました。こう見えても私は重役クラスなんですよ」

「そうか、長いこと頑張っているからの」

「はい。若い桜前線も育っています。いずれは彼女らに道を譲り、あなたの元にずっといたいものです」

「そうか、希望が出て来たの」

「うまくことが運ぶとは限りませんがね」

「良きように運ぶと良いな」

 和尚さんは笑いました。

「それにしても桜の花は生き急ぐように咲くな」

 和尚さんは、あっという間に五分咲きになった桜を見てぼやきました。

「はかなき命。だからこそ人に愛されるのです」

「諸行無常じゃの」

 和尚さんは寂しそうにつぶやきました。


 桜が満開になった日の夜、和尚さんは街のお馴染みさんを集めて宴を催しました。某大手通販サイトでLEDのスポットライトを買って、一本桜をライトアップしました。薄いピンクが光に映え、絵にもかけない美しさです。今回、和尚さんは料理をさくらさんとかぐやに任せて、自分は桜餅を作って振る舞いました。源さん、マサさん、鈴木さんも招待されました。三人は大喜びで料理を運ぶ役をかって出ました。少しでもかぐやのそばに居たかったのです。和尚さんは悪い癖が出て、般若湯をガブ飲みしてしまい、酔っ払ってさくらさんの膝枕で寝てしまいました。本山でのひと騒動の疲れが出たのかもしれません。笑いの絶えぬまま、宴は終わり、三々五々、招待客は帰って行きました。


 翌日は、境内に遊びにきた子供たちのために、桜餅をふんだんに用意しました。和尚さんは和菓子作りに目覚めたようです。過酷なぼたもち、一万個製造が和尚さんのハートに火をつけたようです。子供たちも喜んで食べてくれます。鄙の純朴な子供達だからこそ、喜んでくれるのです。都会ではこうはいかないでしょうね。和尚さんは目を細めてそれを見つめて居ます。すると、

「あなた、お話が」

 さくらさんがやって来て口を開きます。

「なんじゃ」

 和尚さんが問いますと、

「突然ですが桜前線協会と紅葉前線協会が合併することになりました」

「うぬ、どういうことじゃ?」

「要はリストラです。春に桜前線として九州、西日本、近畿、東海、関東、北陸、東北、北海道と進んで、今までは終わりでしたが、夏の間、北海道にとどまり、秋になったら紅葉前線として逆のルートを進むのです」

「仕事が二倍に増えるということか。さくらはどうしたいのじゃ?」

「やりがいのある仕事だと思います」

「ならばやるが良い。紅葉ということは今年の秋、また逢えるということじゃろう」

「ええ、ただ……」

「なんじゃ?」

「名前がさくらではなく、もみじになります」

「中身が一緒なら、なんの不満があるだろう」

「あなた」

「さくら」

 二人は熱く抱擁を交わしました。


 境内の一本桜が盛大に桜吹雪を舞い散らせながら、今年の桜の終わりを告げています。さくらさんとのお別れの時がやって来ました。

「じゃあ元気でな」

「あなたも」

「秋を待っているぞよ。わずか半年じゃ」

「そうですね」

 かぐやには紅葉前線の話をしていなかったのでなんのことか分かりません。

「半年ってどういうことですか?」

「さくらはもみじになって紅葉前線にとして戻ってくるのじゃ」

「転職ですか?」

「いいえ、リストラの末の業務拡大」

「たいへんですね」

「いいえ、南から北に行ってまた南に帰るだけ」

「タフだわ」

 かぐやは感心しました。

「じゃあ、行くね」

「うぬ」

「さくらさん、ごきげんよう」

 かぐやが大きく手を振ります。

 さくらは北海道に向かって旅立ちました。欲の少ない和尚さんですが、この時は春の北海道へ旅に行きたいと思いました。

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