和尚さんと豆まき

 音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんは雷の音で目を覚ましました。ゴロゴロドカーンとすごい音です。

「これは裏山に落ちたな。山火事が心配じゃ」

 和尚さんは飛び起きて、裏庭を抜け竹林を突っ切って、裏山を見上げました。けれど、そこからではどこに落ちたのかよく分かりません。

「頂上まで登って見下ろすしかないか。はて、面倒くさいのう」

 和尚さんには横着なところがあります。でも、山火事になれば大きな被害が出るかもしれません。和尚さんは気合を入れ直して頂上まで登ってみることにしました。和尚さんはでっぷり太っていますが、意外にも身軽です。裏山も大して標高の高いものではないので、ものの三十分で頂上にたどり着くことができました。和尚さんは辺りを見回します。すると大きな杉の木にギザギザの焦げ跡を見つけました。煙が上がっていますが付近に火の手は見られませんでした。和尚さんはひと安心しました。すると、

『ササッ』

 という音がして杉の密集地に人影のようなものが隠れました。

「誰じゃ?」

 和尚さんが問いかけますが、返答はありません。

「何かの勘違いじゃったかな?」

 和尚さんは独り言をして、山を下りました。


 ひと騒動あったので、今日の和尚さんのお勤めは一時間遅れです。さらに、

「いかん、いかん。忘れておった。今日は節分じゃったわ。豆を煎らなくてはならん」

 とつぶやきました。ますます仕事が増えます。今日は節分の日です。和尚さんは子供たちのために、大豆の煎ったものを毎年こしらえて渡しています。そして、

「夜になったら怖い鬼が家の前に来るぞ。そしたらその豆を『鬼は外』と言って鬼に投げつけるのじゃ。鬼が逃げ去ったら今度は『福は内』と言って家の中に豆をまくんじゃ。そしたら一年幸せに暮らせるというわけじゃ。最後はのう、お主たちの年の数だけ、豆を食べるがよい。さすれば病気知らず。頭も賢くなって、駆けっこも早くなるでのう」

 と言うのが常でした。

 勘の鋭い方ならお分かりでしょうが、夜に子供たちの家の前に現れる鬼は和尚さんの扮装です。偏屈で有名な和尚さんですが、子供たちにはサービス満点なのです。それはたぶん、和尚さんに実の子供がいないからだと思います。その話は切なくなるので、和尚さんには聞けません。作者が小説のキャラクターに気を使うのもどうかと思いますが、虚構の世界とはいえ、この世に生まれ出でた以上、触れてはいけないプライバシーというものがあると思います。皆さんも、このことは和尚さんの耳に入れないようにしてくださいね。


 さて、遅れた時間を取り戻そうと、和尚さんはいつもよりもテキパキお勤めをしました。そして朝餉をかぐやと食べて、豆を煎る作業に入りました。原料の大豆は和尚さん自慢の畑で採れたものです。いつもは豆腐を作ったり、納豆をこしらえたりしています。その大豆を大釜で煎るわけです。香ばしい匂いがします。それを約五十粒ずつに分けて小袋に入れます。小袋には可愛い小鬼と和尚さんの似顔絵がプリントされています。和尚さんがプリントパックに特注したものです。イラストの原画は和尚さんがパソコンのドローソフトで描きました。字は悪筆、いや達筆すぎて誰も読めないのにイラストの腕はプロ級です。

「ああ、子供の頃は漫画家を目指していたからの」

 聞いてもいないのに和尚さんが私に言ってきます。じゃあなんで仏法の道に? 私が問いますと、

「そういうネタは後にとっておいた方がいいんじゃないかの」

 和尚さんは私に貴重なアドバイスをくれました。メモしておきます。


 それはさておき、和尚さんが昼餉を食べて、子供たちの来るのを待っていますと、子供ではなくて、雲をつくような大男が現れました。和尚さんは微笑みます。やってきたのは地元出身の大相撲の横綱、鳥海山ちょうかいさん関でした。モンゴル勢優勢の相撲界で久々に登場した日本人横綱です。そんな横綱も、子供の時分にはこの寺で遊んでいたのです。その頃は体ばっかり大きくて、気が弱かったので“泣き虫マー君”と呼ばれていました。そんな彼に相撲を教えたのは誰あろう和尚さんでした。和尚さんは実は好角家でした。なので体の大きな“泣き虫マー君”が自分に自信を持てるようになれば、ひとかどの力士になれるのではと考えて、稽古をつけてやったのです。和尚さんは子供に優しいですからコテンコテンと転がって負けてやります。“泣き虫マー君”はそれに気をよくしました。もともと素質のある子です。自信をつけると一気に強くなりました。東京の国技館へ行って“わんぱく横綱”になり、中学は相撲部がなかったので柔道部に入りました。そこでも全国優勝を果たしています。それに目をつけたのが、名門日本海部屋の師匠(元小結 富士山)でした。高校進学を希望していたマー君でしたが、師匠の熱心な勧誘と和尚さんに「好きな道に向かってまっしぐらじゃ」という喝を入れられて日本海部屋に入門しました。そのあとの快進撃はみなさんご存知でしょう。えっ、知らない? 今、何度目かの大相撲ブームが来ていますよ。テレビを見て見て。

 和尚さんは横綱を見て、名案を思いつきました。

「横綱。子供達に豆を配ってくれないかのう」

「いいですよ」

 横綱は快諾しました。気のいい若者です。


 午後二時を過ぎて、子供たちが境内に集まって来ます。何かホットな話題があるらしく、みんな激論を戦わせています。

「どうしたのじゃ。喧嘩はやめよ」

 和尚さんが諭します。

「この和尚に詳細を話しなさい」

「和尚さん。翔斗がさあ、鬼を見たと言うんだよ」

 大地くんが言います。

「何、鬼じゃと?」

「うん、本当に僕見たんだよ、蜜柑畑の中に身を潜めていた。夜になったら僕らの家の前に現れるんだ」

 翔斗くんが興奮したように話します。

「翔斗よ。鬼というのはな、人の心に住むものじゃ。姿は人間には見えないものじゃ」

「じゃあ、毎年僕たちの家に来る鬼は何で見えるの?」

 和尚さん。痛い所を突かれました。

「あ、あれはな。地獄の閻魔大王にわしが頼んで、鬼をレンタルしているのじゃ」

「レンタル?」「変なの」「地獄ってあるの?」

 場が混乱して来ました。子供は一つ疑問に思うと質問の波状攻撃をかけて来ます。智慧者の和尚さんでもそれを受け止めるのは難しいことです。なので、和尚さんは子供たちの目先を変えました。

「なあみんな、ここにいるのは誰だと思う?」

「鳥海山関!」

 和尚さんの作戦成功。

「横綱がなあ、みんなに節分の豆を配ってくれるぞい」

「わーい」

 これで、翔斗くんの見たという鬼の話はどこかに吹き飛びました。子供たちは横綱に豆を貰って握手して、頭を撫でて貰って大はしゃぎです。しかし、根本的には何も解決していません。翔斗くんの見た鬼とは一体何者なのでしょう? たぶん翔斗くんの見間違いであろうと和尚さんは思いました。


 和尚さんは夕方、物置に行って、鬼の扮装セットを取り出しました。よく見ると、鬼のようで鬼ではありません。金棒ではなくて出刃包丁のようなものを持っています。衣装も虎の毛皮ではなく蓑、脛巾を身にまとっています。これはどう見ても秋田県のなまはげです。和尚さんは自分で鬼の扮装を作るのが面倒くさかったので、なまはげの衣装を大手通販サイトで購入して節分に備えているのです。しかし、こんなものまでよく売っていますね。

「だいたい、鬼と変わらんじゃろ」

 和尚さんは自信満々に言います。

「これをきて、子供らの家を回れば、皆大興奮じゃ。それで日本古来の風習やしきたりを守る心が生まれれば、不良少年少女などできようもない」

 和尚さんは教育評論家のようなことを言いました。


 さて、夜も更けました。和尚さんはなまはげの、いや鬼の扮装をすると、街に出ました。子供たちの家に行って、めいいっぱい豆の攻撃を受けて、這う這うの体で逃げる演技をするのです。和尚さんは高校時代、演劇部にいましたのでオーバーアクションは得意中の得意なのです。まずは翔斗くんの家に行きます。すると、

「鬼は外! 鬼は外!」

 大きな叫び声が聞こえます。おかしいな? と和尚さんが近寄ると人影が向かって来ます。それを見た和尚さんは、

「何じゃ、本物の鬼か?」

 と首を傾げました。走って来た人影には、二本のツノが生えていたのです。

「こらあ、冥界から迷って出て来たな。退散せよ!」

 和尚さんは強い口調で言うと、

「のうまく さんまんだ〜」

 と真言を唱え始めました。すると鬼が言いました。

「覚詠、間違えるな。わしは鬼ではない。雷神じゃ。背中に小太鼓たくさんをつけた鬼がいるか」

 何と鬼の正体は雷神だったのです。

「雷公、なぜ地上におるのです」

 和尚さんが尋ねました。

「今朝方、天空で調子に乗って雷鳴を鳴らしていたら、足が滑って地上に落ちてしまったのじゃ」

 雷神は答えました。

「では、裏山での人影は雷公のものでしたか。ならば、なぜ隠れなさった?」

「それはのう、転けて地上に落ちたなどと言うこと。気恥ずかしくてなかなか言えぬわ」

 雷神は照れ臭そうに言いました。

「ははは、お気の弱いことを。ならばいま少し、お付き合いください。子供たちの豆まきに、鬼が必要ですからな」

 そう言うと、和尚さんはなまはげ、じゃなくて鬼の扮装を解きました。

「やっぱり、本物の方が迫力がありますからな」

「じゃから、わしは鬼じゃないと行っておるに」

 雷神は顔を真っ赤にして泣きそうな顔をしました。まさに、泣いた赤鬼です。ああ、鬼じゃないのか……。


 子供たちの家を回り終わると、和尚さんは天界に連絡を取って、筋斗雲タクシーを頼み、雷神を天界に送り返しました。神仏習合とはこのことを言うのでしょう。

 明ければ立春。暦の上ではもう春です。でもまだまだ寺の周りは雪に覆われています。和尚さんはゆっくりお風呂に入って冷えた体を温めました。

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