和尚さんとお正月

 音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんの元旦はいつもと変わらず、朝四時に起床するところから始まります。前夜は境内にある大鐘楼で、除夜の鐘を打ち鳴らし、盛大に新年の訪れを街に伝えました。最近では除夜の鐘を「騒音である」とクレームをつけられて中止する寺もあるようですが、この街の住民はそんな野暮なことは言いません。和尚さんが全身全霊を込めて打つ鐘の音を聴きながら、ゆく年くる年を見たり、ジャニーズカウントダウンコンサートを見たりするのです。それにしても除夜の鐘を騒音に感じるなんてせち辛い世の中ですね。何でも文句を言う。そういう風潮は嫌ですね。


 さて、和尚さんの朝に戻りましょう。お正月は身を清めることから始まります。風呂を炊き、ザブンと入ります。和尚さんはでっぷりと太っているので(ああ、しっかりリバウンドしました。『和尚さんと運動会』参照)お湯は少なめに炊きます。そうしないと『モーゼの奇跡』のようにお湯が左右に分かれて大量の損失が出るためです。和尚さんは倹約家です。とはいえ、ケチでは決してありません。節目節目で、街の人たちを招いて宴を催したり、恵まれない子供たちの施設に『伊達巻人』という匿名を使ってランドセルを送ったりしています。でもそのことを自慢げに吹聴したりはしません。人に施しをするのが自分の役目だと思っているからです。目立たぬように、そっと他人に寄り添う。和尚さんの素晴らしいところです。ああ、私の説明が長すぎて和尚さんが風呂でのぼせてしまいました。和尚さん、ごめんなさい。

「別に構わんが、自慢話は嫌味に聞こえるから、大概にせい」

 和尚さんが私に話しかけてきます。近頃、お見限りだったので私は喜びました。和尚さんは風呂桶から出ると、頭を綺麗に剃髪しました。髭剃り用のシェービングクリームを頭につけて剃刀で上手に剃っていきます。鏡など見ません。長年の勘と手のひらの感覚で剃るのです。熟練の技です。

 風呂から上がると朝餉を作ります。今日はもちろんお雑煮です、と言いたいところですが違います。和尚さんは大の甘党なので(般若湯も好きですがね)おしるこを作るのです。大釜に缶詰の茹で小豆を三個も入れて熱を通し、餅を自分の分は五個、かぐやのために二個入れます。あと一つはお供え用です。餅は暮れに境内で餅つき大会をやって大量に作りました。防腐剤、添加物はいっさい入っていませんので、冷凍庫に入れて保存します。和尚さんは冷凍食品などは買いませんので、冬の間は冷凍庫の中に、ぎっしり餅が入っています。ちなみに夏はアイスキャンディーがぎっしり詰まっています。アイスクリームは乳製品なので和尚さんは食べません。その辺はなんども言っていますがきっちり守るのが和尚さんのポリシーです。

 

 おしるこの支度ができると、和尚さんはまず、ご本尊の不動明王に仏飯として捧げます。そして読経をします。新年最初のお勤めです。それが終わるとかぐやを母屋に呼んで、二人でおしるこをいただきます。

「ところでかぐや、お主は今年いくつになる?」

 と和尚さんが尋ねました。

「去年の九月に生まれましたので、まだ0歳です」

 こともなげにかぐやは答えます。

「そ、そうか。おむつ替えのいらない楽な赤子じゃの。で、人間でいうと何歳じゃ?」

 何だか、動物の年齢を聞いているみたいですね。

「十九くらいかと」

 かぐやは答えました。どうも、その点は曖昧なようです。

「で、家具屋の仕事は順調なのかな?」

「はい。全部手作りなので、最長三年待ちのお客様がいます」

「ほう、大人気だのう」

 和尚さんは感心しました。和尚さんは知りませんが、かぐやの作る椅子は座り心地が最高であると世界中で大評判となり、各国からインターネットで注文が殺到しているのです。なので、かぐやは寝る間も惜しんで、椅子作りに励んでいたのです。デザイナーズチェアですね。


 朝食が終わると、和尚さんは境内と参道の雪かきをします。寺のある場所は北国の鄙びたところですので、雪の量がとても多いです。本堂や母屋は雪国仕様となっているので、雪の重みで潰れることはありませんが、境内と参道、特に参道は坂道で傾斜がきついので参拝客が来た時に立ち往生してしまう危険性があります。和尚さんはそのために冬場は毎日、雪かきをしなくてはなりません。特に元旦は初詣のお客さんがたくさんいらっしゃるので念を入れて雪かきをします。和尚さんは長靴をはいて、スコップ片手にのっしのっしと歩きます。それに頭には転倒した時の用心にとヘルメットをかぶっています。完全に工事現場のおっさんです。早めに参拝に来たお客様は、このおっさんが和尚さんだと気づかずに「この寒い中雪かきご苦労さん。正月なのにたいへんだねえ」とか言って和尚さんにこづかいをくれたりします。和尚さんは今更名乗るのも億劫だったので「ありがとやーす」と完全に工事現場のおっさんになりきって、こづかいをもらいます。これがまあ、いい収入源になっていて、和尚さんはそれを楽しみにして雪かきをしている疑いがあります。和尚さんは「そんなことはない」と全力で否定していますが、どうなんでしょうね。


 雪かきをすますと、和尚さんは袈裟に着替えて本堂で参拝客の接待をします。かぐやはデザイナーズチェアの制作で忙しく、手伝うことができません。他に人手もないため、和尚さんは一人で接待をし、加持祈祷を行います。普段は参拝客などほとんど来なくて、子供たちの遊び場と化している境内も、三が日は人でごった返します。それらのお客様に甘酒を配り、あったまってもらおうと、和尚さんは厨と境内を何往復もします。その途中でちゃっかり甘酒を試飲していることは内緒です。こうして忙しいうちに、元日は終わります。

 その晩はかぐやと二人、和尚さん手作りのおせち料理を食べます。野菜と海藻、豆腐だけで作った質素なものですが、和尚さんが色とりどり、上手に並べるので、何だか食べるのが勿体無いような素晴らしい出来具合です。かぐやは物を作る人ですからこの配色がとっても勉強になると言って、デジカメで盛んに写真を撮っています。

「これ、かぐや。落ち着いて食しなさい。食事も修行のうちぞ」

 と和尚さんはたしなめますが、内心、嬉しいと見えて顔がほころんでいます。二人っきりのささやかな食卓ですが、和尚さん一人の時よりも華やかに見えます。

 人間の食事が済むと、今度は裏庭に飼われている八頭の鹿たちの餌やりです。

「どうどう」

 和尚さんは鹿たちを呼び寄せます。すると鹿たちは、

「名前で呼んでほしいっすよ」

 と文句を言います。和尚さんは、

「八頭も名前を覚えていられるか。わしは耄碌もうろくしているんじゃ。それはそうと、年末はご苦労だったな」

 と言って、鹿たちの首筋を撫でます。

「一年に一回だけのお勤めですよ。疲れなんてありません」

 鹿たちは答えました。


 一通り、お勤めが終わると和尚さんは手酌で般若湯をやり始めました。厳格な和尚さんの唯一の悪さです。つまみはスーパー太平で買ったミックスナッツとせんべいです。

「♪年の初めのためしとて〜か。正月は疲れるのう。早く、普段の暇な寺に戻らんかのう」

 そう言いながら、今年も懐かしい顔が見られてまんざらでもないような表情をする和尚さん。

「そうじゃ、年賀状が来ていたな」

 と思い出したようにつぶやいて、それを持って来ます。一枚目は、何と北風からのエアメールでした。

「なになに年末に三人目の子供が生まれただと。こりゃあ、めでたいなあ。あいつもこれで落ち着いてくれれば良いが」

 次のハガキは総本山の阿闍梨様からのものでした。

「ええと、自分も年だから、座主の席をわしに譲りたい。早く戻ってこいか。嫌なこった。わしは政治は苦手じゃ。あの魑魅魍魎が蠢く、総本山には戻りとうないわ」

 三枚目からは、子供たちの年賀状でした。

「まったく、後二、三日すれば、また遊びに来るのだろうに。律儀なものよ」

 そう言いながら子供達の手作りの年賀状を眺めてにこりとする和尚さん。

 最後は、和尚の妻、さくらさんのものでした。

「今年は春の訪れが早いようです。三月末にはお逢いできるでしょう、か。早く逢いたいなあ。さくら」

 和尚さんは目頭を押さえました。

「さて、明日も早い。寝るとするか」

 和尚さんは万年床に入りました。けれども、さくらさんの直筆を見て、心が乱れたのか、なかなか眠れません。仕方がないので、書棚から大阪譲の『イベリコシリーズ』を取り出して読みだしました。じきにイビキが聞こえ出します。眠りについたようです。


 その夜、和尚さんは初夢を見たようです。寝顔が笑っています。良い夢を見ているのでしょう。目覚めた和尚さんに、どんな夢を見たのか聞きましたが、教えてくれませんでした。初夢は人に教えると叶わなくなるものですからね。


 正月二日。参拝客も半分以下に減りました。和尚さんにも若干、時間の余裕ができました。和尚さんは書き初めをすることにしました。

「えい、心を鎮めて一心不乱に書く!」

 気合を入れて和尚さんは筆を動かしました。しかし、そうです。和尚さんは達筆すぎてなにを書いているのか誰にも分かりません。私は、和尚さんにそっと尋ねました。一体なんと書いたのですか? 和尚さんはこう答えました。

「わからんのか。『初日の出』じゃ」

 冬休みの宿題ですか! 私は思わず叫んでしまいました。もっと高尚な四字熟語でも書いたのかと思いました。


 その日の夜も和尚さんはかぐやと二人で、おせち料理を食べました。和尚さんはモリモリ食べましたが、かぐやは食が進みません。

「どうしたのじゃ?」

 和尚さんが尋ねると、かぐやはこう言いました。

「わたし、おせちに飽きてしまいました」

 和尚さんはがっくりしました。

「飽きるのが早いのう。で、なにが食べたいのじゃ?」

「カレーが食べたいです」

「なんと、カレーとな! おせちもいいけどカレーもね、か。古いセリフじゃのう」

「ダメですか」

「いや、カレーといえば、お釈迦様の出身国、インドのソウルフードじゃ。人参、じゃがいも、玉ねぎがあるから作るのは簡単じゃ」

 そう言うと和尚さんは厨に立ち、カレーをルーから作り出しました。驚くことに厨には様々な世界の香辛料が揃っています。料理も和尚さんの趣味だったのです。もちろん肉食はいけませんから野菜だけで作ります。次に和尚さんは大釜に火を通して、ナンまで作り出しました。よほどの凝り性です。和尚さんは一時間ほどで、カレーとナンを作ってしまいました。

「なあかぐやよ。今日はいいが、お主も寺にいる以上、粗食に耐えねばいかんぞ」

 和尚さんは軽く説教をします。しかし、得意の料理を上手に作れたので、若干ニヤニヤしています。かぐやは、

「まあ、美味しそう。いただきます」

 と喜んでカレーを食べました。


 開けて三日。子供たちが境内に遊びに来ました。和尚さんは喜んで、

「良いものをやろう」

 と言いながら男の子には奴だこを女の子には羽子板をプレゼントしました。

「わーい」

 子供たちは大喜びです。都会の子供なら携帯ゲーム機でもやらなければ、喜ばないでしょうが、そこは純粋な田舎の子供たちです。

「みな、ケンカせずに遊ばれよ」

 和尚さんは穏やかに言いました。今日はつかの間の晴天。奴だこが天高くとび、羽根突きの音が心地よく響きます。和尚さんは子供たちを見守りながら、うつらうつらとして来ました。のんびりした鄙の正月の風景です。

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