和尚さんと向日葵

 暑い夏がやってきました。けれどもここ音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじは森に囲まれているので直射日光を浴びずにすむので割合と涼しいところであります。でも覚詠和尚さんはとっても暑がりの汗っかきなので、

「けっ、暑いのう」

 と言いながら読経をしたり、掃除をしたりしています。

 和尚さんの趣味は読書と園芸です。夏はトマト、胡瓜、茄子、とうもろこしなどの野菜を作ったり、タネを境内に蒔いて向日葵畑をこしらえたりしています。その向日葵畑は見事なもので、毎年見物客が訪れます。和尚さんは見物客に冷たいサイダーやかき氷をふるまいます。それらは近所のスーパー太平の社長さんがお中元と称してお布施をしてくれるからできることなのです。なんでスーパー太平の社長さんが和尚さんに肩入れするのかは分かりません。一説によれば、不治の病いで寝たきりだったスーパー太平の社長さんの奥さんを加持祈祷をして完治させたからだと言われていますが、和尚さんもスーパー太平の社長さんも口を閉ざして喋りません。つまり、事態は頑丈な鍵がかけられて秘密になっています。病気を治す力があるならもっと宣伝すればいいのに。なんでしないのでしょう?

「知りたいか?」

 和尚が私に話しかけてきました。アドバンテージ一回です。このところ私は、和尚さんとの会話が楽しみになって来ています。今日も和尚さんの秘密の一端を聞けると思い、心が浮かれました。

「わしがわしの力を宣伝したら、僧侶の職務を果たせなくなるほど、病人が全国から来るだろう。いや、外国からも来てしまう。それはそうとうに面倒くさい」

「人を助けるのが僧侶の仕事でしょう?」

「馬鹿め。そうやすやすと人の命なんか助けられるか。人の命の尊さはよく分かっているが、基本的には僧侶が立ち会うのは死者を弔う時だけじゃ。神に救いを求めるなら神社に行け。やおよろずの神々が賽銭箱を背負って待っているぞ」

 問答では和尚さんにはかないません。私は質問を変えました。

「和尚さんは人の病気を助ける秘技を持っているのですか?」

 それに対して和尚は、

「ノーコメント。テレビに出ておるインチキ霊媒師と一緒にされたくない。もういいじゃろう」

 と言って、プイっと横を向きました。もう喋りたくないと言う合図です。


 そんな夏のある日、一人の外国人が寺の境内に現れました。寺に外国の人が来るなんて初めてです。和尚さんは様子を見に行きました。外国の人は、和尚さん自慢の向日葵畑をみて、プルプルと体を震えさせました。どうやらいたく感動したようです。そして、和尚さんを見つけると駆け寄ってこう言いました。

「ジャパニーズ オンリー?」

 和尚さんは流暢な英語でこう答えました。原文は難しいので日本語訳を記します。(汗)

「英語も、いくつかのヨーロッパの言語を話せる」

 外国の人は喜んで、聞いたことのない言葉で話しました。これも日本語訳です。

「ならば、ネーデルランドの言葉は話せるか?」

「もちろん、問題ない」

 和尚さんがネーデルランドの言葉で答えます。

「おー、奇跡だ。神に感謝する」

「ここに神はいないぞ。仏がいるだけじゃ」

「おー、ブッティスト。素晴らしい」

「何が素晴らしいのじゃ。訳がわからぬわ」

「おー、そうでした。ここの向日葵畑の美しさ。ネーデルランドにもありません」

「おう、そうか。ヨーロッパより美しいか。わしが丹精込めて作り上げたのじゃ」

 ああ、確認ですが、外国の人と和尚さんは、ネーデルランドという国の言語で会話しています。念のため。

「私は、絵描きです。フィンセントと言います。ここの向日葵畑を絵に描いて見たい。どうぞ許してください」

「ああ、よいぞ。ただ、他の見物客の邪魔をせぬようにな」

「はい、分かりました」

 外国の人、いやネーデルランドのフィンセントさんは答えました。


 翌日から、フィンセントさんは毎日、向日葵の絵のデッサンをしています。他人に迷惑をかけない約束でしたが、フィンセントさんは、

「ダメだ!」

「俺の下手くそ!」

 と突然喚くので、他のお客さんがびっくりします。フィンセントさんはたぶん溢れ出す情熱を言葉にして出しちゃう人なんだと思います。結局、デッサンを完成させるのに十日かかりました。

「フィンセント。休んで昼餉と参ろう」

 和尚さんが流暢なネーデルランドの言葉でフィンセントさんを誘います。しかし、フィンセントさんは、

「今いいところだ。筆が乗っています。食事は後にします」

 と言って結局昼食を食べません。それだけ絵に集中しているのでしょうが、体のことが心配です。

 和尚さんは食材を無駄にするのが大嫌いなので残ったフィンセントさんの分の昼食を食べてしまいます。おかげで下っ腹がいつにも増して出てきました。和尚さんに夏バテも食欲不振もは無いようです。

 一方、フィンセントさんは悲壮な顔つきになりました。髪はボサボサ。目は真っ赤に充血しています。そしてガリガリに痩せてしまいました。それでも、絵筆だけは持ち続け、一心不乱に描き続けます。それは一種、狂気に似たものがありました。天才というのはフィンセントさんみたいな人を言うのでしょうか。天才となんとかは紙一重と言いますが、まさにその言葉が今のフィンセントさんには当てはまります。


 そして、とうとう絵は完成しました。フィンセントさんは過労で倒れてしまいました。母屋は狭いので、フィンセントさんを和尚さんは本堂に運びます。ご本尊の不動明王に断って、布団を敷き、フィンセントさんを寝かせました。

「よく寝て、よく食べればすぐに治るであろう」

 和尚さんはそう言うとフィンセントさんの額に手を当て、

「のうまくさんまんだ……」

 と真言を唱えます。そうすると、青白かったフィンセントさんの顔に赤みがさしました。これって和尚さんの秘密の力? と私は聞きたかったのですが、そんな気持ちをぐっと抑えました。


 翌日、フィンセントさんは何事もなかったかのように元気になりました。そして、

「南フランスへ行く」

 と言いました。

「和尚、この絵はあなたに進呈します」

 フィンセントさんはせっかく描いた絵を和尚さんに差し出しました。

「うぬ、なかなかよくできた絵画じゃな。タイトルは?」

 和尚さんは聞きました。

「タイトルは『向日葵』です」

「そのまんまじゃな」

「シンプルな方がいいんです」

 フィンセントさんは言いました。そして南フランスへと旅立ちました。


『向日葵』は掛けるところがないので、本堂の片隅に置きっぱなしになっています。その前を通るたび、

「ゴホ、ゴホ、ゴッホ」

 と和尚さんは咳をしました。

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