和尚さんと紫陽花

 雨の多い季節となりました。でも音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんはこの時期、とっても機嫌がいいのでした。それと言うのも商店街から寺へと続く参道に和尚さんの植えた紫陽花たちが一斉に咲き誇り、和尚さんの気持ちを和ませるからです。その光景は鎌倉のお寺や箱根の電車にはかなうべくもありませんが、とても美しいものでした。赤や青それに紫、所々しょしょにある手毬咲きのおなじみの紫陽花やこの国固有の額紫陽花ガクアジサイなどが色とりどりに参道を飾り、人々は雨中の花見とかこつけて目を楽しませています。和尚さんも掃除をするついでに参道へ日参し、飽きもせずに紫陽花たちに声をかけるのでした。

「おはようさん。今日も綺麗だね」

 和尚さんはまるで美しい女性に声をかけるように紫陽花たちに話しかけます。話しかけられた紫陽花たちはふっとそこだけ赤くなります。きっと照れているのでしょう。それを知ってか知らずか、和尚さんは次々と花弁を撫でます。紫陽花たちは一層赤くなります。いつしか和尚さんの周りは赤い紫陽花ばかりになってしまいました。


 でもいいことばかりではありません。梅雨は動植物に潤いを与え、人間の用水をダムに貯める。それは分かっています。でも和尚さんはこうぼやきます。

「洗濯物ができんじゃないか」

 と。

 和尚さんは男やもめですからそれほど洗濯物が貯まるわけではありません。それでも法衣や作務衣など汗っかきの和尚さんは毎日取り替えています。一応、一週間分の着替えは用意してありますが、雨が続くと洗濯物が富士山のように聳えたち、和尚さんの心を焦らします。さらに雨が続くと洗濯物がチョモランマのようになってしまうと、和尚さんは癇癪を起こして、

「もういい。部屋干しをする」

 と大声で叫びました。

 さて、どこに干すのでしょう。母屋は狭い上に、和尚さんの趣味である本がいっぱいあって立錐の余地もありません。かといって本堂に干すのは、ご本尊の不動明王様に申し訳が立ちません。

「そうじゃ、あそこじゃ」

 和尚さんは名案を浮かべたようです。

「とりあえずは洗濯機を回す」

 と和尚さんは選択をはじめました。手洗いではないんですね。和尚さんはこう見えて家電好きなのです。吸引力が持続する唯一つの掃除機を持っていますし、ボタン一つでなんでも調理しちゃうオーブンレンジも持っています。テレビだって大画面4Kです。でも洗濯機は型が古くて、乾燥機能は付いていませんでした。

「家電にも命がある。それが尽きるまでは使ってやるのが肝要じゃ」

 和尚さんが私にいって来ます。何回言えば分かるのですか。小説内のキャラクターは作者に向かって喋りかけてはいけませんよ。

「そうじゃったかな。こりゃ、失敬」

 和尚さんはいつものように謝りました。本当に分かっているんですかね。


 さて洗濯機が洗い、脱水を終えました。和尚さんは一体どこに洗濯物を干すのでしょう?

「よいしょ。よいしょ」

 和尚さんは洗濯物を洗濯かごに入れます。そして母屋の玄関を開けると傘をさしてそこに出てしまいました。どこに行くのですか? 私は思わず小説のキャラクターに声をかけてしまいました。

「ふふふ。良いところが見つかったのじゃ」

 和尚さんは笑っています。そして山門まで傘で洗濯物を守りながら行きました。

「ここじゃよ。ここ」

 和尚さんは自慢げに言います。

「こっちの仁王さんの右腕に荒縄をかけ、こっちの仁王さんの腕にも荒縄をかける。これで物干しの完成」

 なんと和尚さんは山門を守る二体の金剛力士像に荒縄をかけてしまいました。罰当たりなことじゃないでしょうか?

「いいのじゃ。この仁王さんはわしが彫ったものじゃからな。壊れたらまた彫れば良い」

 そう和尚さんは独り言をしました。

「さて、ホイのホイのホイ。ハンガーにかけてホイのホイのホイ」

 和尚さんは軽快に洗濯物を干します。ぎっくり腰はもういいようです。

「ようし、終了。二日ぐらいかけておけば、風の力で乾くじゃろう」

 和尚さんはそういうと母屋に帰って行きました。そううまく行くのでしょうか?


 その日の夜のことです。寺の参道には街灯もなく闇の中に隠れてしまいます。不良少年少女の溜まり場になってもおかしくないですが、幸いそうはなっていません。山門の仁王像がギョロリと睨んでるからでしょうか? 理由はなぜだか分かりません。それはともかくとして、寺のあたり一面は漆黒の闇に包まれています。ねこの子一匹いないその暗闇の中で『ズズッ』という音がそこかしこから聞こえていました。そして、それは参道の方からだんだん山門の方へと近づいてきます。声がします。

「いい? みんな」

「はい」

「私たちを可愛がってくれる和尚さんのために頑張るのよ」

「はい」

 今度はプルプルとプロペラが回転するような音がしだしました。まるで扇風機を回しているようです。

 その時、雲間に隠れていたお月さまが顔を出しました。月影が山門を照らします。なんと参道に咲き誇っていた紫陽花たちです。紫陽花たちは花弁をプロペラのように回して和尚さんの洗濯物に風を当てています。そうです。和尚さんの洗濯物を少しでも早く乾かそうというのです。紫陽花たちは和尚さんにとても恩義を感じていたのです。それで洗濯物が乾くように風を当てているのです。それは明け方近く、毎毎新聞のにいちゃんが新聞を配達にくる、朝の五時半まで続きました。紫陽花たちは疲れたのでしょう。ぐったりして元の場所に帰って行きました。


 その日の午後。

「洗濯物はどうなったかな」

 和尚さんは山門に行き、洗濯物をさわってみました。

「おお、乾いている。参道の掃除が終わったら取り込もう。それにしてもよく乾いたなあ」

 和尚さんは言いました。

 それから、和尚さんは参道の掃除に降りていきました。そして紫陽花を見て、

「紫陽花が枯れかけている。梅雨明けも近いな」

 とつぶやきました。ちょっと悲しそうです。そして、

「枯れた紫陽花は醜い。介錯をしてやろう」

 と言って、紫陽花の花弁を園芸用ハサミで伐採しました。和尚さんは、

「また来年、素敵な花を咲かせておくれよ」

 と紫陽花に声をかけました。


 翌日、梅雨明けが気象庁から発表されました。そうです。夏の訪れです。

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