第81話 アリス・シンドローム 半蝶半蛾

 パヒュ----------ン……。


 ガラガラガラ……という音と共に、赤、青、黄色の立方体が三方向からやってきて積み上がった。ネオン光で輝く三連立方体は次第に像がぼやけ、消えた。そこに、一人の初老の男が立っていた。

「……ん? Gさんじゃないか。何でここに」

 時夫は唖然として見つめていた。

「……師匠! ようやく元の姿に。え?!」

 時夫はあの変な物体と会話した時、何となく聞いた事がある声だと思っていた。気づいていたのかもしれない。自分の祖父である可能性について。

「じいさんって誰よ」

「いや、俺のGさんだよ」

「金時君、何いって、あの人は半蝶半町の店長、金沢……あ!」

 ありすは何かに気づいたらしく、驚いた顔で時夫の顔を見つめていた。

「金時君って、ひょっとして金沢姓だったっけ?」

「ひょっとしてじゃなくて、ソーだよ。何を今更。俺を本気で金時だと思ってたのか」

「店長の名前、金沢達夫っていうんだけど」

「えぇ? ……Gさんと同じ名前だ」

「じゃあ、半町半街の店長って」

「エ~、時夫のおじいさん?」

 ウーも驚いていた。

「確かにこうしてみると、二人ってよく似てるわねぇ」

 その時、ありすと時夫は思い当たることがあった。

「あっ、二人とも作ったラーメンがうまい……」

 半町半街の店長と、時夫の祖父には、「美味いラーメンを作る」という共通点があったのだ。

「そうか、つまり半町半街は、Gさんの店だったのか!」

「どーいうこと?」

「恋文町にお店があるとは聴いていたけれど、すっかり忘れていた」

「何でよ?」

「俺がここに引っ越した理由はそれだった。いつか、Gさんのうまいラーメンを食べようと思って、恋文町を選んだんだ。けどすっかり忘れていた。今の今まで店を探そうという気さえ起こさなかった。何でだろう。というか、ラーメン屋だとばかり思っていたんだ」

 それにしても、ずっと関連性に気づいていなかったなんて……。なんてバカな話だろう? うかつにもほどがある。

「金時君って、サラブレッドじゃん!」

「そういうことになるわね」

 ウーもありすに同調し、二人で時夫を見つめた。

「師匠、今までどこ行ってたんです?」

 ありすの可憐な唇が震えている。

「アミューズメント・センターがある階まで侵入することができたが、それから地下の反乱が起こったので白井雪絵と合流し、ケルベロスの認証鍵をコピーしてもらって、チャペルまで階段を昇ってきた。移動中は察知されないように三つに分散したので、時間が掛かってしまった」

 その結果として三連立方体・店長が復活した。

「そうじゃなくて、半年前、急にいなくなった理由を教えてください! 本当のことを、全部私に教えてくれればよかったじゃないですか」

 半町半街の老師は半年前、中国の山奥の桃源郷へ秘密の漢方を探しに行くといったきり、ありすに店を任せ、戻って来なかった。連絡もなかった。

「事件の謎を解くために、世界中を旅していたのだよ。そして私は答えを見つけた」

「まずい……」

 サリーは店長を見て、一歩ずつ後ずさりしていた。

「待て! 真灯蛾サリー、お前の持っているそのオパール。それを発揮する方法を、まだ見つけてないようだな?! だからお前は、石をいくら集めても力を発揮することができずに、古城ありすに勝てなかった。……お前にも関係する話だ。よーく聞いておけ!」

 金沢達夫はサリーを指差した。

「サリー、お前を救うのは、私しかいない!」

 サリーはファイヤーストーンとムーンストーンを持っていたのに、古城ありすとのプロレスもどきの意味論料理対決で負けた。だから幻想寺でその秘密を手に入れた訳だが。

「これを見ろ」

 達夫は、「戀文<ラブ・クラフト>」をかざした。

「悪いがここへ来る時にもらったぞ。サリー。お前が時夫との結婚式なんぞにかまけている間にな」

「あぁ?! 泥棒!」

 サリーは幻想寺で盗んだ文書が時夫に渡って、自身の正体がばれることを恐れていた。しかしもはや、逃れられない。

「この町の秘密を解く四つの書物がある。まず一つ目は『恋文全史』。これは恋文図書館が編集し、開架で所蔵されている本だ」

 重々しい口調で、店長は話し始めた。

「俺も読んだよ。でも近代以後のことしか書かれていない。全史というには不完全な内容だった」

 時夫がサリーをちらりと見ると、サリーは目をそらした。

「そうだな。我々に関係するような事件については、残念ながら何一つ記されていない。しかし、『恋文全史』には巻末に、ある書名が記されている。それが二つ目の『火蜜恋文』だ。私が書いた、江戸時代から終戦までを書いた本だ。これも恋文図書館にあるが、秘密書庫に閉架で所蔵されている」

「Gさんが? -----でも巻末にその書名を見つけたとき、著者名にGさんの名はなかったと思うけど」

「著者は『恋文史研究会編』と記されている。それは私のことだ」

「でも、肝心の江戸時代のページが二十ページほど破られていたんだ。それに、戦時中のページも。ありすは店長が破ったと言っていた。……つまりGさんが」

「破ったのは江戸時代の綺羅宮と愛の部分と、大戦中の奇譚部分だ。私が本の中で一番力を注いで執筆した章だよ。そこに私がサリーを地下へ封じ込めたいきさつが全て記されている。地下に堕ちて己のことを忘却したサリーが地上へ這い出してきて、自分のことを思い出させないために、書庫の禁書にした。思い出せば、地上で完全に復活し、災厄をもたらすからな。ありすさえも読んだことがない禁書だった。だがサリーは何段階も力を弱体化させて図書館に出入りするようになり、私は旅に出る前に、本の該当ページを破って持ち去った」

 サリーは地下で魔学者として能力を高め、半年前に分身の姿で地上へ出てきた。そして自らのアイデンティティを求めて、調べまわるようになった。

 恋文町に這い寄る混沌、真灯蛾サリー!

「普通に、本を盗めばよかったんじゃ?」

 と時夫は念のために訊いた。

「立体機動集密書庫は、本を勝手に持ち出せば、セキュリティーが働いて書棚につぶされる。世界一の自動防御システムだ。システムを解除する暇はなかった。だからページを破るしか方法がなかった。しかしまさか、お前達が立体機動集密書庫の謎を解き、『火蜜恋文』を盗み出すとは思わなかったよ、時夫」

 茸相手に負ける達夫ではない。だが、その時達夫はサリーとの戦いがあったのだ。

「……」

「実は、わしが見た『恋文全史』には注釈があったんだ。とはいえ、あまり意味のない注釈が多い事に疑問を感じていた。ところが、図書館に所蔵されていたのは、注釈ページのない乱丁本だった。実はそれが、共同著作者の科術師によって、念のためにと仕込んだ立体機動集密書庫の謎解きの仕掛けだった。わしも知らなかった。そしてお前はそれを、鮮やかに解き明かした」

 サリーにそそのかされたとはいえ、あの時時夫は必死だった。町の謎を解明しなければならない、という使命感に駆られて、無我夢中だった。時夫たちが立体機動集密書庫に殺されなかったのは、運がよかったからとしか言いようがない。

「サリー女王は、地下でずっと自身を忘却したまま、あたし達を追いかけていた」

 ありすの言葉に、サリーはそっぽを向いた。しかし記憶を失っていたのは、ありすも同じである。

「そして三つ目が『恋文奇譚』、サブタイトルが『火水鏡』。これも恋文図書館の書庫の中だ。ありすが持ち去り、今も持っているな?」

「……えぇ」

「科術師の祖・綺羅宮神太郎が書いた原典であり、予言書だ。その本の中で綺羅宮は、百年後にまたこの町で同じことが起こると予言している。関係者がそっくり転生することも。彼が遭遇した百姓一揆は、ありす、お前が半年前に関わったブルーベリー街の蜂起となった。あの時に予言は成就した」

「恋文町の黙示録よね」

「そう。そして今日の最大の危機と、ダークネス・ウィンドウズ天、アップデートも予言されており、綺羅宮は聖書からの引用で、『羊と山羊が別れるとき』と語っている。今やその予言は成就されつつある」

 二度目の立体機動集密書庫への侵入では、「薔薇の名前はウンベルトA子」が居たから無事本を盗み出すことが出来た。

「さて最後の一冊は、幻想寺に保管されていた『戀文<ラブ・クラフト>』文集。これだ。私の家内、旧姓・去田円香が著した自費出版だ。私が死んだと思って、一度籍を抜き、戦時中の書簡や、我々夫婦の思い出をまとめたものだ。しかし幻想寺があるのは、もともとこの中空界! つまり現世には存在を立脚しない」

「だからですね。あたしが小さい頃から、寺の存在を知らなかったのは」

 幻想寺の「戀文<ラブ・クラフト>」は、古城ありすも読むことを禁じられていた。その後、幽界である中空界に来て、幻想寺の存在に気づいてから幾ら中を捜索しても、結界に阻まれ、ありすは発見することが出来なかった。

「秘密にしておく必要があったんでね、アップデートの準備が整い、時が満ちるまではな。ただし、私と幾人かは出入りできた。この『戀文<ラブ・クラフト>』に、事件の真相が書かれている」

 そういうと達夫は一同を見回した。

「この本に書かれているのは……。真灯蛾サリーは、おばあさんの思い残しがオパールに宿ったものだった、そぉいう事だ。オパールはな、おばあさんのパワーストーンだったんだよ」

 去田円香だって? それは時夫の母方のお祖母さんの名だ! 去田円香、サルタ・マドカ。ひっくり返すと、マドカ・サルタ、マトウガ・サリー……真灯蛾サリー。

「うわっ。お祖母さんの若い頃の写真は、サリーにそっくりじゃないか」

 時夫はうわごとのようにつぶやいた。

「これ! 一緒に立ってるの、金時君じゃない? ……何で?」

 ウーもまじまじと写真を見つめる。

「本当だ……。軍服を着た金時君だ」

 ありすはただただ驚いていた。

「これは俺じゃない」

「写真は、若い頃の私だよ。孫だから似てるのは当然だろう。私は戦時中特攻隊として出撃命令を受け、そのまま軍艦へ突っ込んで果てるつもりだった。だが死ぬことができず、南の島のパラオで科術師の男に助けられた。当時、恋文町で待っていたおばあさんとは、結局、戦後になって再会できた。ところが戦時中におばあさんが強烈に願った思いがサリーになってしまった……」

 いや、それにしても達夫は若すぎる。終戦時に成人していたとすれば、現在かなり高齢の老人のはずだ。だがありすの師匠でもある達夫店長は、六十代の初老の老人にしか見えない。

 終戦後、帰国するとお祖母さんの若い頃の思いが実体化し、恋文町に徘徊していた。それが今もなお、全自動で活動している。

「思い残しだ! つまりサリーは時夫のおばあさんの思い残し。それを私は解消するべく、今日というときを待っていた」

「クッ……!」

 サリーはまた一歩引き下がった。

 本物のおばあさんなら東京にいる。みさえ=雪絵、ありす=黒水晶と同じように。ここにいるサリーは偽者なのだ。

「私はサリーを地下へ封印し、その時にありす、お前を地下から連れ出した」

「師匠が、私を……。そうだったんだ」

 ありすは、綺羅宮の原典は読んだが、店長夫妻が執筆した文献は読んでいない。

「当時は、愛という名前だった」

「えぇ……それは思い出しました。でもどうやって地上に出てきたのか、覚えていません」

「そうか。私がサリーを地下に封じたとき、そこにまだ文献で読んだ吉原の愛が生きていることに気づいた。地下から引っ張り出したとき、お前は蜂人の初代女王だった」

 さっきのダンスで蜂の女王として覚醒。蜂人は全部ありすの側に付いていた。

「Gさん、ありすは、何で地下で蜂人の女王だったんだ?」

「ありす自身は蜂ではない。だが、幕末当時のこの村の一揆の際、蜂の精の力を借りたせいで、この地下に広がる蜂人たちの国に取り込まれてしまった。蜂人の力を借りた愛は、一揆の時に天変地異を起こした。そして、綺羅宮によって井戸から地下の世界へと封印された」

「ありすちゃ~~ん!」

 ウーは大げさに嘆いてありすに抱きついた。

「それはちょうど私が、サリーを地下へ封じ込めたことと同じだった。歴史は繰り返された。文献で読んでいた私は愛に対して、何らかの責任を感じたんだよ」

「……」

 ありすは唇をかんで黙っていた。

「Gさん、そもそも、この日本にあんな地下都市があったなんて未だに信じられない。蜂人って一体何なんだ? ショゴスの仲間か?」

「いいや、H.P.ラブクラフトの云う旧支配者とは何の関係もない。その当時の愛が語ったところによると」

「ぜんぜん覚えてない……」

「世界中でこの町の地下にしか棲んでいない、石炭紀の巨大昆虫が滅びずに進化した知的生命だ。まぁ、地底版のガラパゴス諸島というところか? 巨大植物が群生していただろう。超太古の地球と同様、酸素濃度の高い地下でしか生きられないが、一瞬だけなら地上に出てくることもまれにある。周波数の合う人には見える。それで愛は、科術の力で寝た子を起こし、彼らと結託した」

「蜂人は、絶滅寸前なのよ」

 ありすはぽつりと言った。

 蜂人は、地下で女王を頂点とする普通の蜂と同じ社会を形成している。餌は主に蜜で、地下には巨大植物が群生し、年中花を咲かせている。この特殊な環境でないと、彼らは生きることが出来ない。だが、長年の閉じた社会はDNAの近親交配を起こし、自分達の中から女王を育てることでは種を残すことができなくなっていた。

 そんなとき、愛は蜂人の持つ「精霊の力」を頼りにした。愛と結託した蜂人は、地下に堕ちてきたとき、愛を救い、受け入れたのだ。愛は蜂人から特殊なロイヤルゼリーを与えられ、新女王として育てられた。それは蜂人が生きながらえるための新しい道だった。蜂人にとっては種の保存がかかっていた。

 愛は地下に文明開化をもたらした。洋装のドレスを着て、蜂人を使って城を築いたり、バレエを習わせた。女王となった者は、蜂人の命運に対して責任を感じるようになるようだ。

 バレエを舞ったお陰で、地下での出来事を思い出しつつあったありすは、師匠の話で少しずつ記憶を取り戻したらしい。

 時夫は世界を冒険したいと常々願っていたが、その憧れの中には、チベットの地下帝国シャンバラの伝説も含まれていた。図らずも恋文町の地下に『帝国』が広がっていたわけだが、もしかすると世界中の地下には、人間の知らない種が他にもいるのではないか、と想像する。

「私は自宅のある東京から恋文町に通い、ここで科術師として薬局を開く決意をした。愛は、綺羅宮に語って聴かされた『不思議の国のアリス』が好きだった。私は愛に、古城ありすと名付ける事にした」

「古城は?」

「愛が自分で地下に作った宮殿に、やたらと執着したんでな。しかし最初は、『胡蝶』にしようと思ったんだ。だがサリーに悟られそうだったんで、古城にした」

 胡蝶ありす? それも良いじゃないか。

「フゥン……」

「お前は、しばらくの間は話をすることができたんだが、地上に出た影響のせいか、次第に記憶を忘却していった。地上の酸素濃度の薄さに、適応できなかったせいかもしれない。地下へ落とされたときから、ずっと若い姿のままだった。ロイヤルゼリーの影響かもしれない。私はお前を救うべく、店で研究を続けた」

 ありすは黙って達夫店長の話を聴いている。

 幕末当時、『不思議の国のアリス』に熱中した愛は、名実ともにありす化した訳である。これまた、奇妙な因縁ではないか。

 金沢達夫が、記憶を無くした古城ありすを育てながら、「半町半街」を営んでいたとき、東京で妻と一緒に住む自宅と恋文町を一人で行き来していた。妻を、恋文町から引き離したかったからだ。その後、生まれた娘の子が時夫である。

「地下で女王として永い間不老となっていたありすは、非人間化していた。その表情は、大きく目を見開き、まるで昆虫のように無表情だった。私は、一揆時代から引きずる闇の作用を感じた」

 ありすはハッとした顔をする。

「もしやサリーのような災難が繰り返されるのでは……そう思った私はお前を一度眠らせる事にした。私の漢方薬で眠り続け、目覚めたのは七十年代後半だ」

 それでありすは、当時のカルチャーに詳しかったのか。

「大分お前は人間性を回復していた。それから記憶喪失のまま、数年は店番をしてくれたんだが、何故かまた眠ってしまった。今度は、眠らせる漢方薬は投与していない。お前は眠ったまま年齢が退行していった。そうして二千年代に入ってようやく目覚めたんだが、ありすの年齢は幼稚園児にまで戻っていた。ウサエルの転生、つまり石川うさぎに会ったとき、体まで小さくなってしまった。うさぎもちょうど幼稚園に通っていたので、幼馴染になったという訳だ。それから私はありすを科術師として育て直すことにした」

 薬の副作用か、正常な作用なのか。時夫は、祖父の達夫の漢方薬がなんだか恐ろしいものに感じた。

「私はね、お前達二人を救わねばならないのだ!」

 真灯蛾サリーと、古城ありすを。

「恋文町。……ここはいろいろな人の思い残しワールドだ。この町の住人は、女王サリーのエゴによって全員が囚われている。町の人間全員が、中空界へと連れ去られた。そんな事は、決して許されん。我々の使命はすべての魂の解放にある。それは絶命寸前の蜂人をも救うだろう。長い長い、恋文町の問題解決の最終ゴール、『西遊記』における天竺はもう近い。囚われた恋文住人の魂の救済する、ダークネス・ウィンドウズ天の最終承認の瞬間がな。夜明けはもう近い」

「それで、この半年間どこへ?」

「半年前、関東地方で大地震が起こった。震度6弱。特に東京の被害が大きかった」

「もしかして、それも市の合併と何か関係が?」

 時夫は訊いた。

「あぁ……、その通り。ブルーベリー街の蜂起のときに戦わされた、科術と魔学のホットな戦争が原因だ。『7』のシステムに加えて、町が『不思議の国のアリス』現象に見舞われたのも、そこを期に次第に現世との乖離を始めたからといえる」

 時夫がこれまでの事件で遭遇した、まるで夢の中をさまよっているような体験は、半年前から恋文町が中空界に片足突っ込んだような状態だったかららしい。

「その後、私はお前達の前から姿をくらました。時間がなかった……」


 半年前、市の合併にまつわる大騒動のとき、関東地方を大地震が襲った。それは古城ありすが、最初に白彩本陣との全面戦争を起こした際の影響だったという。

 百五十年前にも、蜂人の精霊の力を借りた愛が、天変地異を起こして幕軍を壊滅させたのだ。ありすは愛としての能力を蘇られていた。

 その時、東京に帰っていた達夫は、時夫の同級生・伊都川みさえを救った。その際に、自身のパワーストーン・コレクションのムーンストーンを与えて、命を救ったのである。やはり、みさえはピンチだったのだ。

 しかしその情報は、なぜか孫でみさえの同級生の時夫には間違って伝わった。時夫は失意のままに、恋文町に越してきて高校に通い始めた。

 東京のみさえの、時夫に対する想いが、身につけているムーンストーンに篭った。こうしてみさえの祈りは、白彩工場の中で、白井雪絵となって結実した。本人の意図するところではなかった。ムーンストーンが擬態化したのである。

 半年後に退院したみさえは、時夫にメールを送った。

 十二月に入って、地震は再び起こった。時夫たちが脱出しようとしていたときの頃だ。震源地は恋文町。この時の地震は、町が完全に二つの世界へと分かれたために起こった。黒水晶が乗っ取っていたダークネス・ウィンドウズ7のシステムダウンが原因で地震が起こり、再起動した。だからこそ、幻想寺としては7から10へのアップデートが必要だったのだ。

 時夫達は体感として、それほど大きな地震とは感じかった。しかし、現世にある恋文町は未曾有の被害をこうむったのである。町は破壊され、住民は姿を消した。遺体すら発見されず、行方不明者の扱いになったのである。町が丸々、一つ消えた-------。それは「恋文町の神隠し」と呼ばれる大事件だった。

 その間、時夫達は住人とともに中空界の恋文町に連れ去られ、サリーや、黒水晶の放った刺客との戦いを繰り広げていた。

 みさえは住人の消えた恋文町に向かおうとしたが、達夫は止めた。行けば巻き込まれてしまう。……救助に行って、忽然と姿を消してしまった自衛隊のように。そう、彼らは中空界で「J隊」と名乗り、黒水晶の作った幻の敵である「ダークスター国」と戦っていた。

 みさえは仕方なく、ムーンストーンを使って中空界の恋文町に神隠しされた時夫と連絡を試みた。そのチャネリングがメールの形で時夫の携帯に届き、後はみさえの石、ムーンストーンの化身・白井雪絵にみさえの思いは任された。

 この町の住人は誰も自分が死んだとは思っていない。なぜ自分たちがここに居るのか、いつから居るのか、どうして出られないのか、それを知らないのだ。この町が中空界である事を知っているのは、ありすやサリー達だけだ。

 伊都川みさえの「祈り」の具現化である白井雪絵は、ずっと時夫の傍にいた。


「白井雪絵まで、みさえのパワーストーンだったなんて----? じゃあ、みさえが生きているなら、一体雪絵はどうなるんだ?」

「いいか、誰もが固有の石を持っているんだ。それぞれの人の個性に合った石をな。私はムーンストーンをみさえさんに与えただけだ。それはもともと、彼女の個性だったんだよ」

「つまり、雪絵や黒水晶は、擬人じゃなかったのか?」

「そうだけど、茸やサボテン……つまりショゴスたちとは明らかに違うでしょ? 硬い意思(いし)を持っている。石(いし)だけに」

 ウーが代わりに答えた。茶化そうとしたのかどうか分からない。

「そーいうイミロンか……」

「だって鰹節って化石だし」

 何そのウーのたとえ。

 店長は吹っ飛んだケーキの破片の中から、青く光る石を取り出して、時夫に渡した。ケーキの中に仕込まれていたのは、トルマリンだった。

「これはお前が持っておけ」

「これは……恋文はわいでシロワニに喰われたインジゴライト……」

「金時君……それ、あなたの。金時君のパワーストーンだよ。全員が固有の石を持っている。私、あの時君の石だっていう予感がしたの」

 ありすは指差した。

「恋文はわいで温泉に使ったとき、湯船の壁面に埋め込まれたパワーストーンの中で、トルマリンが反応し、君のエネルギーが入ったようね。その後の騒動で、トルマリンは転がって、床下のジョーズが食べた。だけどその床ジョーズを、新屋敷として改装した後に真灯蛾サリーが刺身にして食べ、サリーの手元に入ったという訳」

「俺のパワーストーン……」

「時夫、雪絵さんを想って、ハーグワンのエネルギーを誘導棒の中に流し込んでごらん」

 バシュー!! 青い光が誘導棒を包み込む。たちまちライトセーバーになった。

「そう……それだ。トルマリン、電気石として有名だ。結晶を加熱すると、結晶の一端がプラスに、そして反対側がマイナスに帯電する。だからお前達にハーグワンが起こったんだ」

 達夫は孫の成長を満足げに見つめている。

 時夫がトロピカル風呂に入ったとき、水が帯電していることに気づいた。微弱なので痛くはなく、むしろ気持ちよかった。

「電気石は、他に加圧でも帯電する。それをピエゾ効果という。キューリー兄弟によって発見された。ライトセーバーの科術は、その原理を使っている」

 さてジョーズから時夫が触れたトルマリンを回収した後、サリーはそれを使って、魔学でウェディングケーキを作ったらしい。自身が時夫とハーグワンするために。

「これであんたも科術師ね」

 ようやくジェダイになれた一般男性・金沢時夫(15歳)。

「大丈夫なの? 『僕と契約して科術師になってよ』とか言い出すぬいぐるみとか出てこない?」

「……」

「いや黙るなよ、そこで」

「……フッ、フフフ。そんなのあるわけないでしょ。金時アニメの見すぎ」

 これは……、一体何を意味するのか。

「人間は、ダークネス・ウィンドウズ天へのアップデートで、炭素系生物から珪素系生物へとアップグレードする」

「……みんな?」

「そうだ。我々は原石(エーデルシュタイン)だ。珪素系生物はな、劣化しないんだ。そうして人間は、何百年と生きる生物へと進化するのだ。ありすやサリーのように」

 気が遠くなってきたぜ。

「もともと土くれになれば、時夫だって化石になるはずでしょ」

 ウー、何年掛かると思ってるんだ。

「師匠、私、黒水晶を取り戻したの。それなのに、まだ自分の中では……」

 半年前の白彩との戦争で黒水晶を取られ、ありすは科術師としての力を半減させていた。

「ありすを元の人間に戻すには、黒水晶を取り返すだけではダメだった。私は長年捜し求めた漢方を手に入れ、ようやく戻ってこれた」

 金沢店長はキラエル(綺羅宮)の協力を得て、二つの世界に分かれた恋文町へ戻ってくることができたと言った。

 キラエルも、ファイヤー・クリスタルをサリーに奪われるという失態を負っていた。ありす自身も半年前に白彩で黒水晶を奪われた。

 誰もが幻想寺のハッキングによる、ダークネス・ウィンドウズ天のアップデート再開を待っていた。待つしかなかった。

「ありす……お前を救いたかったんだ。ずっと……。これを」

 店長は懐から小さなケースを取り出した。四角いケースには、蝶が入っていた。左右で模様が異なる。左は宝石のように青く輝くモルフォ蝶、右は翡翠色の美しい蛾、オオミズアオの羽だった。

「それ……」

「半蝶半蛾だ」

「幻の漢方薬。まさか、見つかったんですか」

「左右で模様が違う蝶といえば、イングランドで半分がメスで半分がオスというのが見つかったらしいって、ネットで見たけど」

 時夫が知識を披露する。

「いや、それは『雌雄モザイク』という。発生率は一万分の一だ。半蝶半蛾はもっと発生率が低い。それは蝶と蛾、異なる二つの種が融合した個体なのだ」

「半町半街の店名の元に?」

「その通りだ時夫。店名『半町半街』の元になった。ありすを救うには、これを見つけなければならなかった。店名の由来は、お前を救うという意味論だ。字は変えた。サリーの仲間に悟られないためにな」

「……」

「それで、師匠は桃源郷に?」

 ありすの大きな瞳が、師匠を見据える。

「私は中国の桃源郷へ半蝶半蛾を探しに行ったが、そこにはいなかった。ヒマラヤの奥地にも行ったのだが、現地の人に『日本人は想像力が豊かだな、そんなのいるわけがない』と笑われるだけだった。桃源郷やヒマラヤ山奥に住んでる奴らに言われたくない気分だったが、私は崖から夕日を見つめて、途方にくれて叫んだ。『カム着火インフェルノォオウウ!』と」

「………………」

「アマゾンにはなかったんですか?」

「南米に行く暇はなかったな」

「……いや。そっちのアマゾンじゃなくて、ネット通販大手のAmazonに売ってないかなーと思って」

 あるわけないだろうと、一同がウーを睨んだ。

「あれば旅行はしてないよ。そこで私はハッと気づいたんだ。私は根底から間違っていた。私はかつて、お前に自分の事を知らしめるために電柱の蛾を見せたことがあったな」

「はい」

「『蝶は日中に、蛾は夜に飛ぶ』という言葉を言ったはずだ。その意味論は、二つが一つになる夕刻に、それが現れるということだ。つまり、半蝶半蛾は、黄昏時に現れる」

「そんなものが本当に?」

「永遠の黄昏邑。ずっと黄昏が続く土地にそれは居た」

「というと、白夜?」

「正解だ。緯度が高い処に棲む、高山蝶の一種なんだ。それで、インスタグラムを眺めて、次の場所を決めた。それがこの写真だ」

 達夫店長のスマホの画面には、ピースサインと共に、見慣れたうさぎの耳をつけた女の子がニコニコと写っていた。その背景には、日が沈む頃の川沿いが見えている。

「ウーじゃん!!」

「あ、ホントだぁ」

「ホントだじゃないよ。あんた……時々空飛んでたでしょ」

 ありすがシラけた視線を送る。

「バレた?」

 なぜならこのうさぎ、あまりに神出鬼没すぎる。

「その羽、昨日今日生えたものじゃない。ぐるぐる公園から恋文はわいの煙突に出てきたときも、どうやって降りたか不思議だったし、西のときも人質のフリしてあっちこっち行ってたけど、瞬間移動できるビー玉だけで移動してた訳じゃなかったわよね」

「で、これは一体どこなんだ?」

「白夜のカムチャッカ半島だ」

「白夜のカムチャッカへ! 何とっ……!」

 と、ウーが合いの手を入れる。お前の仕業だろ。相変わらず正体が訳ワカメ。

「到着した私は、さっそく温泉に浸かった。だって寒いしな」

(だってじゃないし!)

「いい湯だった」

(……………………)

「半蝶半蛾は、カムチャッカのヴィストラヤ川沿いに棲んでいた」

 達夫は川沿いを散策し続け、蝶の群生地を発見した。他は全て普通の蝶だったが、その中にたった一匹だけ混ざっていたという。

 まさかの「カム着火インフェルノォオウウ!」の意味論なのだろうか?

「そしてこれがあれば、お前は女王の人質になった元人間たちを、すっかり元の人間に戻すことができるだろう。異形の者たちを元の人間へと戻す究極の漢方だ」

 半分蝶で半分蛾の虫。捕まえてから大分時間が経ち、すでに乾燥していた。それをゴリゴリすりつぶし、せんじて店長はありすに呑ませた。

「うぇ……ひどい味ですね」

「辛抱しろ。これで、黒水晶の本来の力を、お前はようやく取り戻すだろう。そして人間に戻れる。ただし変容には時間が掛かる」

「気になることがあるんだ。Gさん、俺がこの町に来ることを事前に知っていたんじゃないか? 恋文銀座のショーウィンドウに、四つのマネキンがあった。ありす、ウー、雪絵、サリーにそれぞれとてもよく似ていた」

「みさえさんを助けたときに、わしは予感を持った。あれはお前が誰を選ぶかで、この町の未来が変わることを暗示している。占い人形の科術だ。私の孫であるお前ならきっと、ありすを助けるだろうと分かっていた」

「何、それ。私、知らない」

 ありすは怪訝な顔で時夫を見た。

「俺が、この事件の重要な登場人物となることも、分かっていたんだな。……でも俺は科術師じゃない。よく託す気になったもんだ」

「時夫、お前に科術の力はない。だが、意味論は誰にでも働く。お前の場合は、この町で、とある強力な意味論が働いていたんだ。それはな、金沢姓の意味論だ」

「苗字が?」

「金沢市を知ってるな? お菓子の消費が全国一位の市だ。菓子全般、和菓子、ケーキ、プリン、スナック菓子、アイス、全てのジャンルにおいて消費量堂々一位。金沢市民は、日本一お菓子を消費している。それは、金沢姓であるお前がこのお菓子な国現象に見舞われた恋文町において、とても強い耐性を持ち、強運を働かせることを意味していた……」

 意味論、恐るべし。

「この辺に展開する黄金のコンビニ・チェーン店も、Gさんの店なんだよな?」

「コンビニ・ヘブンは、千葉県北東部に展開する私のチェーン店だ。サイドビジネスとして始めて、むしろそっちの方が成功した。特に西部の店舗はエネルギー・チャージする場所として置いてある。いわば、セーブ場所みたいなものかな」

「あ、西部(せいぶ)だからか!」

「そう正解。たとえ町が西部が魔学に支配されても、意味論の影響を一切受けない特別な科術の結界を張ってある」

「それは何?」

「それは一種のモスキート音だ」

「なるほど、あの音で茸人やヒトモドキは近寄れなかったのか……」

「音って何よ? あなた達には聞こえたの? てかそんな便利なものがあるなら、なんであたしに教えてくれなかったんです?」

「まぁ、お前には聞こえないからな」

 達夫は申し訳なさそうに言った。

「……年寄りだから?」

 ウーが無神経に言った。

 若い年齢層の人間が聞くと不快感を覚える高音のことを、「蚊の鳴くような声」、モスキート音と呼ぶ。加齢とともにモスキート音は聞こえなくなっていく。

(そういうことか……)

 ありすは反論せず、黙っている。地下に長く居たというありすは、一体今何歳なのだろうか。

「しかし茸人は誕生が若い。よってモスキート音が聴こえるという訳だ。一方、半町半街は、別の特殊な結界を使っている」

 店長はサリーに迫った。

「さぁお前は私と一緒に幻想寺へ来い」

「わ、私に何をしようっていうの? ……近寄らないで。私はあんたのようなじじぃなんか好きじゃない」

「そりゃそうだ、私は人間だ。年を取るからな」

 とはいえ、科術師としての力が、年齢の割の達夫の若さを維持しているのだろう。

「私が好きなのは、あんたなんかじゃない。時夫さん!!」

「まだそんな妄言を吐いているのか。早く目を覚ませ!」

「たとえフリでもモドキでも、意味がある。私にとっての真実は、時夫さんなんだ!」

 サリーがかすれ声で言ったこと、それは強情ではなく、彼女の本心だった。偽りの現実であったとしても、過ごしてきた日々はサリーの“真実”として意味論を持ちつつあったのである。

「お前には……これをくれてやる。チベットの養蜂家から分けてもらった、希少なロイヤルゼリーだ。さぁ喰え!」

「ヤメローッて! セクハラで訴えるゾ!」

 サリーは廊下へ走り出ていった。

「往生際が悪いぞ」

「冗談じゃない。私にはまだ、魔学の力が残っているんだから……!」

「追うぞ!」

 店長の掛け声と共に、時夫やありすは一斉に走り始めた。

 トムとジェリー。今度はあたしがジェリーの立場に。

「コラーッ、スミス! 起きろー!!」

 サリーは、唯一の頼りであるゴールド・スミスにすがろうとして、阿頼耶識装置へ向かった。

「あ~もう、邪魔よ、どきなさい!」

 真灯蛾サリーはマシン室に入ると、阿頼耶識装置にたかる蜂人をグイグイと押しのけ、右手を頭上にかざした。

「ハッキングなんて、一発で治してやる」

「あんたバカァ? やれるもんならやってみな!」

 ありすがあきれつつ、声をかけた。

「アッチョー!」


 バァーーン!


 サリーのチョップが振り下ろされ、ものすごい金属音が辺りに鳴り響いた。

「ブラウン管のテレビじゃないんだから。サリー、空手チョップで、幻想寺のハッキングを防げるとでも思っているの?」

 ありすは笑った。


 ドキュウウウゥーンン。


 阿頼耶識装置がうなり声を上げて振動した。

 サリーが振り向いてにやりとする。

「ホーラ、完了した」

 見ると、サリーの「スタンド」のように、傍らにゴールドスミスが立っている。その像は明瞭で、完全に実体を伴っているといっても申し分なかった。空手チョップの意味論、恐るべし!!


 次回、蝶展開。震えて待て!

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