第76話 泊(ト)マリックスの女王

 真灯蛾サリーの背後で、幻想寺がメキメキと音を立てて、急激に拡大を始めた。寺門の寝猿像の目が妖しく赤く光っている。再度、寺フォーミングが始まったことは、明白だった。

 サリーの前方には、ありす達が睨んでいる。吹雪で極寒の中、サリーの顔に脂汗が流れていた。全ての力を奪われた女王に、逃げ場はなかった。そこへ、羽音が近づいてきた。飛んできたのは、四匹の蜂人だった。蜂人はすみやかに女王を捕まえると、吹雪の空へと消えた。

 古城ありすは、見る見る背が高くなってゆく幻想寺を見上げた。綺羅宮神太郎はこの中にいる……。幻想寺を詮索したいありすだったが、マズルに止められた。

「今は早く、城を阻止した方がいいと思います! 女王はあの城で何かをたくらんでいる。あそこには住人たちが捕らえられ、女王はそれで逆転を狙っています。最後の逆転を----。寺は、これから城へとハッキングを仕掛けます。それには、ありすさん達の協力が必要なんです」

 全てのパワーストーンを奪われた女王。だが女王の魔学の力の源泉は、この町の住人を砂糖化した人質によるものだ。その人質は新屋敷に捕らえられている。全ての人質を解放しない限り、住人の魂はこの中空界に囚われたままであり、かつ女王のパワーは衰えない。

「マズル……あんたも、この寺の関係者だったわよね」

 寺から注意をそらそうとしているのではないか、とありすは疑った。

「えぇ……その件は、また後で詳しくご説明します」

 寺フォーミングとともに、ダークネス・ウィンドウズ天・アップデートが再開している。しかしオレンジ色の空は、みるみる吹雪に覆われていった。

「じゃあ行くか……」

 吹雪きすぎて、一メートル先も見えない。

「雪絵、止めてくれないか?」

 時夫が隣の雪絵に頼んだ。

「私にも、止め方分かりません」

 最強科術師・雪絵の常識マシンガンは絶大で、町のお菓子化を吹き飛ばした。しかしその代償として、今度は、雪の女王・雪絵の力が世界を凍りつかせている。こりゃー、ディズニー・アニメ「アナ雪」の展開と同じじゃないか!


 ゴゴゴゴゴ……


 カイバラストロロ湯山という主を失った新屋敷(あらやしき)は灯が消えて、すっかり沈黙していた。アップデートの再開によって、城の女王のシステムが停止したからだった。

 吹雪の中を飛んできた蜂人達は、エントランスに到着すると、パタパタと倒れこんだ。身動き一つしない。サリーを運んで、力尽きていた。

「ううう……」

 サリーは「戀文<ラブ・クラフト>」を右手に、凍える体を左手でさすった。蜂人の散々たる状況に、女王は声が出ない。地上の環境は、温暖な環境に棲んだ地底人の彼らにとってあまりに苛酷で、それゆえ白彩による町のお菓子化が必要だった。それを雪絵に無効化された以上、城内以外は一時たりとも居られないはずだったが、蜂人たちの忠誠心が捨て身の女王救出を行わせたらしい。外の冷気は城の中にも入り込んできていた。

「このままでは蜂人が全滅してしまう……」

 城内の蜂人も、ガチガチと震えながら一箇所に固まっていた。城内のシステムは全停止し、氷点下になっている。降り積もった、本物の雪の冷気で蜂人たちは活動も乏しく、立てこもって震えているばかりだ。その他の蜂人たちは、地下室へと避難したらしく、城内は閑散としていた。

「古城ありすが攻めてくるぞー!! 総員退避------!!」

 真灯蛾サリーは自身が凍え死にそうな寒さを押し殺しながら、エントランスで眠りかけている蜂人たちに地声で叫んだ。

 シーン。無・反・応。

「コラー!! 寝るなー!! 寝るなら阿頼耶識装置を再起動してからにして」

 隅っこで固まっていた一匹の蜂人の腕を引っ張り上げ、サリーは命令を下した。城の阿頼耶識装置は、これまでカイバラストロロ湯山が操作していたのだが、湯山が倒れて以来、沈黙していた。蜂人は言われるままに、ノロノロと動き出し、再起動の作業を行った。

「いざ起動、泊(ト)マリックス!」

 サリーの掛け声とともに、ガコーンという音が城内に鳴り響く。

 新屋敷は再び温まり始めた。

「どう? アップデートは停止した?」

 元気を取り戻した蜂人の一人に、サリーは声をかけた。

「アイアイサー」

 蜂人は無表情で答える。蜂人の言葉はテレパシーなので、声としては「ギギギ」という音しか出ていない。

「一時停止? キャンセルは?」

「まだできません」

 この返事も、ギギギという蜂人の「声」を翻訳したものである。

 ダークネス・ウィンドウズ天のアップデートは、城の阿頼耶識装置によって、一時中断し、サリーはホッとしている。

「まぁいいわ。こうなったら篭城戦よ! ここに町の住人達が居る限り、私にも逆転の勝機がある。恋文町は私のものなんだから。絶対、絶対に手放すもんですかっ!」

 悔しさを滲ませながらサリーは、それでも不敵に牙をむいて笑って見せた。


「さっきの蜂人は決死隊だったのでしょう。蜂人達はこの寒さには耐えられますまい。本来は、一歩も城の外に出られないはずなのです。この地上の環境は、彼らにとってあまりにも苛酷過ぎる」

 そう佐藤マズルが言うと、ありすの眉間にしわがよった。

「早く、新屋敷に行くわよ。車……動かないわ」

「どうやって行く?」

 時夫がつぶやいた。

 除雪車。そんなものはこの地方にはない。

「あ! これなんかどうでしょう?!」

 雪絵が、幻想寺の駐車場にソリを発見した。

「トロイカ? トロイカって、確か馬三頭だよね!」

 トロイカと決め付けているウーに、ありすがやれやれという顔をした。しかしソリだけあっても仕方ない。

「馬なら、寺の馬小屋に居ますよ」

 マズルが言った。

「えっ」

 見ると馬小屋があり、馬が三頭つながれていた。そういうものなのだろうか、寺って……。

「移動手段はこれか。……でもなぜこれが寺に?」

 時夫は一瞬不審に思ったが、マズルにも検討が着かないらしい。よし、この際よしとしよう。不思議ハザードの吹き荒れる恋文町の中で、この程度の不思議は不思議でも何でもない。最初に発見した雪絵の科術か、あるいは拡大する幻想寺の「幻想実体化」が生み出したのかもしれないと、解釈すればよいのだ。

 三頭の馬をつなげると、雪の女王の真価を発揮しつつ、白井雪絵を先頭に、ありすら四人はソリで「トロイカ」を唄いながら城へと向かった。するとモーゼの紅海真っ二つのように、降り積もった雪が、吹雪が避けていくのだった。この吹雪は、城を落とすための雪攻めになっていたが、雪絵もありすも蜂人を死なせたくはなかった。すべては、中に囚われた恋文町の住人たちのためなのだ。……で、なぜ唄う?


 新屋敷にトロイカが到着すると、窓からオレンジ色の光が漏れているのが見えた。こんな短時間に、城が再び稼動していた。

「また城に立てこもる気です」

 雪絵が見上げて言った。

「篭城? 無駄なことを」

 ウーが指をバッキバキ鳴らしている。

「やっぱりこの城、白彩工場の『集合的蒸し器』に代わる何かがあるようね!」

 前に来た正門は閉ざされ、旅館側入り口へと回ってみる。

 ありすらはトロイカを降車した。

「あたし達が来てるのに、うんともすんとも言わない。女王め……城の奥深くに篭って出てこないわね。弱体化したせいでかえってやっかいになったか」

 ありすは寒さで鼻炎を起こし、鼻が利かなかった。

「何でさっきとっ捕まえなかったんだ?」

 時夫は不審げに言った。

「いや、寺フォーミングが気になって」

「一応聞くけど、ここって『アッシャー』は使えないか?」

 畳み掛けるように、時夫がありすに提案した。

 全員で「アッシャー」と叫ぶと、「アッシャー家の崩壊」よろしく建物が崩壊する科術だ。

「全然だめ。ここじゃ科術に必要な、二十一の条件が揃わない。それに、中の住人たちを巻き込んでしまう」

 ありすの目的の一つは、人質たちの救出である。

「じゃエッシャーは?」

 ウーの笑顔がそこにあった。

 全員で「エッシャー」と叫ぶと、どこでもお構いなしに空間がエッシャーの絵のようにめちゃくちゃになるという科術だ。そのせいで、スネークマンション・ホテルではえらい目にあった。その時は偶然? 黒い猫がいたおかげで、猫を追って外へ脱出できたのだった。

「やめて」

 となると、他に外からできることといえば……。ありすはキョロキョロと周囲を探った。

「送水公……やだもう凍りついている! コラー! 起きろ! 三倍のスピードはどーなった?!」

 いくら声をかけても、殴っても、ありすがうさぎマンボを目の前にちらつかせても送水口はまるで反応なし。……コイツ、寒さには弱かったか。

「都市のインフラは、雪には脆弱だからな」

 時夫は評論家みたいなことを口走る。

「入りましょ」

 その送水口に馬をつなげて城の中に入ると、黄色い照明で溢れた広い空間が四人を出迎えた。正面に金ぴかのデカ招き猫が一行を迎えた。

 上下する階段。立体構造の複雑な旅館。

 こりゃあ、エッシャーとまではいかないが十分な迷宮感だ。そして全てが和風の意匠。映画「キル・ビル」に登場した、大型料亭を髣髴とさせている。

「あれ、マズルはどこへ?」

 ……傍らを見ると、もう居ないし。

「きっと、幻想寺の一派としてこの城のメイン・コンピュータを探りに行ったんだと思うけど」

 ウーは、あまり彼氏の行動に対して感心なさげに答えた。もう慣れっこという感じだ。

「さっきもそんな事言ってたよな」

 時夫はそうならそうで、一言言ってから立ち去ればいいのに、と思う。ま、ウーもケッコーな確率で突然居なくなるけどな。

「あ……うるか。佐藤一家だ!」

 時夫は、浴衣姿でブラブラと城内を歩いている佐藤うるかを発見した。両親と弟も一緒だった。しかし、時夫が声をかけてもぼんやりしている。皆一様に魂を抜かれたようだ。彼らは風呂上りのようだが、冷気が城内に入ってきたとき、風呂に避難したらしい。

 うるかは一瞬立ち止まって、ありす達をまじまじと見たが、すぐスマホに目を落とした。

「ダメね。理由は何か分からないけど、この中の住人達はみんな洗脳されている。電柱にさせられていた人も、皆ここに移動させられている。どうやら、吹雪く前に、恋文町で蜂人たちが人質たちをここに集めていたようね。住人を使って、いったい何をしようとしているのか」

 間もなく、スネークマンション・ホテルで見かけた幽霊夫婦が歩いているのを時夫は目撃した。

「でもどうやって洗脳しているんだよ」

「そっか……」

 ウーが客達を見てつぶやいた。

「風呂→宴会→レクリエーション→寝る→風呂→宴会→レクリエーション→寝る→風呂……その繰り返しで、すっかりダメ人間に……」

 ウーが観察した結果を、そのまま口にした。

 ダメ人間製造工場!

 和洋折衷のホテルの中で、恋文町の住人達はアニメ「千と千尋の神隠し」の舞台となる油屋のように宴を愉しみ、すっかり「現実」を忘れていた。(もう、何が現実なんだか?)

 それがもし真実だったとしたら……。住人らは宴を繰り広げながら、それが当たり前だという幻想を抱き、城の中に囚われているのだ。大事な事を忘れながら。

「一つ分かったわ。白彩の魔学の原動力、集合的蒸し器の中身は肉まんだったでしょ。けど、新屋敷ではその代わりにこの恋文町の住人たちなのよ、きっと」

「白彩がない今、ショゴロースの精製はできない。住人を操るためにはショゴロースが必要だ。ショゴロースの量は圧倒的に不足しているはずだが……」

 時夫は積極的に推理に参加した。

「鼻が利かないわぁー。とりあえずどっかの店に。味覚で調べよう」

 鼻水をすすりながら、ありすは中華料理に入った。いつもの展開だ。結局、何だかんだで敵基地で食べることになるわけだが。


 赤い壁の本格中華料理の、バイキング形式の食べ放題店だった。

「ウー、バカ食いしないでね」

「それ……ありすちゃんじゃん」

「----なるほど?」

 ありすは料理を見やってしきりにうなずいている。

「何がなるほど?」

「並んでるのはその多くが茸料理て事よ」

 肉料理も茸を叩きにして、擬似団子にしたりしていた。

「白彩がないので、ショゴロースに精製している暇がないのねー。でもきっと、ずっとこんなもの食べてると体内で濃縮されて、茸人になっちゃうんじゃないかしら」

 ありすたちは丸テーブルに座ると、しばらく食事を取りながら、辺りの様子を伺った。

「しかし、こんなに短期間じゃ体内でショゴロースの濃縮も進まないんじゃ? まだ食べ物が洗脳の原因とは限らないぜ」

 時夫は率直に感想を述べた。自分でも洞察力が発達していると実感する。

「そこよね金時君。鋭く周囲を観察するのよ。あたし分かったわ。この町の人たちが城の端末の一部にさせられている原因が----」

 ありすの目が光る。

「でもどうやって?」

「それは……これよ」

 ありすは自分のスマホをかざした。

「……スマホ? まさか」

 確かに店内で皆スマホを見ていた。思い返しても城内で見た住人達はスマホを見ていた。だが、それは当たり前の日常的風景である。

 しかし宿泊施設内は奇妙な静けさが支配していた。誰も言葉を交わさない。それは目の前に人が居ても、スマホに熱中しているからである。時夫たちの隣の席では、若い男女がカップルが対面席で座っていた。二人とも食べ終わっていた。女は男の方をきっと見ているが、男は無視してスマホにずっと目を落としていた。時折、女が話しかけるのだが、男の方はめんどくさそうに一言だけ返事をするだけで、顔を上げようともしなかった。

「そう。スマホによる電脳支配。一見して、支配だと気づかない。そもそも、現代人は極度のスマホ中毒にさせられて、携帯会社に支配されている。これは当たり前すぎて見えない究極の支配なのよ。人の中にいて、誰もが孤独。いわば、新屋敷は現代社会の縮図といえるんじゃないかしら」

 ありすはフカひれモドキの何かを食べながら言った。声が大きいので隣にも聞こえているかもしれない。

「そんな社会学者みたいなコメントされても」

 ウーは春雨類をほお張る。フカひれモドキの正体は春雨かもしれない。

「ここに居ることが当たり前になって、しかしその原因はスマホの発する微弱な電磁波で脳波をやられている為って訳」

 短期間で洗脳するには、機械的操作の方が手っ取り早い。よく考えると彼らはスマホで何を見ているんだろう。ネットが外部と繋がっているとも思えない。

「そうか……じゃ、スマホを操る中枢がこの城のどっかにあるという訳だな」

 時夫は赤い天井を見上げた。

「うん」

 もしそいつを破壊することができれば、住人達を目覚めさすこともできるはずだ。

 雪絵がバイキングのデザート類を調査するといって、席を立った。さすがは元白彩店員である。

 時夫は何も箸を付けていない。

「俺、ちょっとこの城探りを入れてくる」

 突然、時夫が二人に宣言した。

「え?」

「他の店の様子はどうなのかな。まだスマホが原因と決まった訳じゃないが、中枢はきっと奥深くに隠されている。そう簡単には見つからないだろう。そのヒントがどっかにあるはずだ」

 時夫は椅子から立ち上がった。

「すぐ戻るから」

「でも……」

「いいや、女王は科術師の三人を恐れて、このままじゃ何のアクションも起こして来ないかもしれない……。そこでこの中で、唯一力のないこの俺が行動することで、なんらかのアクションが起こるんじゃないかと思ってね。だから、ありすとウーはここで待っててくれ! だけど、その前にトイレ! いいか、どこにも行くなよ?!」

 エラそうに、何言っているのこの男……とウーはしらけた目で見送った。

「よっ、チャレンジボーイ!」

 ありすが変な掛け声で見送る。

「なにそれ?」

 ウーは不思議そうな顔をする。

「昔、『びっくり日本新記録』って番組で、毎回チャレンジして玉砕したタレントのこと」

「ありすちゃん、そんな昭和の昔話されても誰も分かんないってば」

「フフフ……金時君ったら、あんなに張り切っちゃって」

 時夫の消えた自動ドアを見ながら、ありすは笑った。

「止めないの?」

「だって張り切ってるのに、止めたら悪いでしょ」

「ねェ、ありすちゃん」

「ん?」

「時夫が来るまで私達、同年代で話の分かる相手居なかったよね。科術とか、魔学だとか、それらの意味論とか……」

「うん。そうね」

「時夫って、そんな私たちが作り出したのかも」

 自動ドアが開いて、風が通り抜けた。店員が入ってきて、厨房へ歩き去る。二人は時夫が行ったトイレのある廊下の方向を見た。

「何言ってんの」

「あら、どうかしたんですの?」

 その時、雪絵がバイキングのケーキを取って戻ってきた。

「いいや……何でも……」

 ありすは頭を振った。

「時夫さんは?」

「トイレ。その後ちょっと探るとか言ってたけど。遅いなぁ。大かな? 小かな?」

「ていうか、また浚われたんじゃ?」

 ウーの一言で全員、廊下に出た。


「これ、時夫の字だよね」

 ウーが壁の文字を指差した。

 「ご……ご~み~ん」と、レストルームの入り口に書き殴られている。

「で、案の定さらわれてるし」

「何度も何度もさらわれやがって、お前ヒロインか!」

 ありすはブチギレた。

「ありすちゃんが担いだんじゃん」

「う~んたまにはいいかなと思って」

「ねぇ時夫って居たよね? さっきまで、私達と一緒に」

「……」

「いいえ、これは……作戦ですよきっと」

 雪絵の白い顔に、ほのかに確信めいた色が浮かんでいる。

「そうかなぁ」

「見えなくても、感じるんです」

 雪絵の言葉には力が篭っている。

「近いの?」

「離れていってます」

「やれやれ、どっちにせよ、とりあえず金時君を追うしかないか。ここに居てもしょうがないし」

「もーチョット待ってよ~」

 ウーが丸テーブルに戻ろうとする。

「あんた太るよ! そんなに食べると」

「私も行きます。どこへ連れ去っても、ロイヤルハーグワンに距離は関係ありません。『愛』の力で、私が見つけ出します」

 雪絵は微笑んだ。結局時夫の実在は、雪絵の科術が証明した。

(焼けるわね……)

 雪絵にはそれだけ「愛」の力(ハーグワン)に自信があるのだろう。ありすは未だ、寒さの影響による鼻炎でまだ鼻が利かない。


 時夫が目を覚ますと、天井つきの高級ベッドに寝かされている事に気づいた。部屋を見回すと、ステンドグラスとシャンデリアが輝く、おそらくは城の上階に位置するチャペルの中だった。

「お目覚めですね。時夫さん、あなただけは科術の力がナァーイ! だから今の私でも勝てますわ!」

 白いドレスを着た真灯蛾サリー女王が、時夫が横になってるベッドの脇に立っていた。まるで、花嫁衣裳だ。嫌な予感。

(ナメられたものだな。だがその油断のおかげで俺は女王に出会えた)

 残念ながら、女王は一人ではなかった。女王の隣には、サングラスの男が立っている。張り付いたような笑顔で、東京タワーの蝋人形のようなつるっつるの肌質をして。そして……何より目に付くのがリーゼント。

「紹介しますわ。リーゼント・スミス。彼が新屋敷の二代目館長よ。まったく、忙しくてドタバタでしたわよ。製造が大変だったんだから」

 城に戻った女王が蜂人たちに働かせ、まっさきにきのこから作り出したのがこの擬人らしい。しかし、急場で造ったデザインだ。作り物感が強く、不気味の谷が爆走している。チョット待て、サングラスに何かついているぞ……。とにかく女王はこの男で、すぐに攻めて来るありすらと幻想寺勢力に対抗しようというのだ。雑すぎて気の毒になる。その他、時夫を連れ去った蜂人たちが壁にずらっと並んでいる。

「と、いう訳で、この町の住人を解放したかったら時夫さん! あなたがこの町の救世主にならなければならない。つまり、私と結婚するの。結婚式で契りを交わして、この上階の機械に二人で接続するの。そうすれば住人は解放してもいいですわ。今度は白井雪絵ではなくて、私とロイヤルハーグワンするのよ、いいわね?」

 蜂人たちは、結婚式の準備に駆り出されているらしい。

 ……結婚か。命を取るという話でもない。

 ヨーシこうなったら、女王が何をたくらんでいるのかちょっと探ってやるか。いっちょ乗ってみよう。ありすらに啖呵をきった以上、引くに引き下がれない男の事情。

「分かった」

「……ん?」

「いや、俺もさ、最初地下で言われたときは戸惑ったけど、その後よく考えてみて、それも悪くないかと思い始めてたトコなんだ」

 ……おや? と時夫の変化に女王は少し面食らっている。

「ホーッホホホホ……! 聡明な判断ですわね! では私はドレスの試着が忙しいのでこれにて。時夫さんはここでお待ちになって!」

 サングラスの男にドレスのすそを持たせて、女王は立ち去った。何も疑問も抱いてないらしい。さっきまで幻想寺で絶体絶命のピンチだったくせに、ずいぶん余裕じゃないか。結局、この新屋敷をぶっ潰さない限り、何も終わらない。

 囚われの時夫は、下の宴のドンちゃん騒ぎとは無縁の、静かな上階のチャペルに、たった一人取り残され、ベッドに座っていた。


「金時君、金時君ッ!」

 一人考え事をしていると、ありす達がひょいと現れた。雪絵とウーも一緒だ。

「あ、ありす。もう来たのか?」

「来たのかじゃないでしょーし! 呑気ね。ベッドに座って何やってんの?」

 見ると、ありす達は入り口のカーテンから入ってこようとしない。

「このチャペルって、何故かあたし入れない。見えない幕でもある感じ」

 ありすによると、チャペルの床に魔法陣が描かれ、魔学の結界が仕掛けられているらしい。柄かと思ったら魔法陣か。

「時夫も、ジーザス・クライスト・スッパイ・スターになったの?」

 ウーが半ば茶化し気味に、時夫に訊いた。スパイ活動をスッパイにかけている訳だが。

「ジェームズ・アロンアルファ?」

「ジェームズ・ボンドだ」

「それで何か分かったことは」

 ありすが下らない流れを断ち切る。

「実はかくかくしかじか」

 時夫は女王の話をそのまま伝えた。

「かくかくしかじかか。ふ~ん。結婚式? なら当分危害を加えられることはないわね。やっぱあんたここに居て」

「お、おい!」

「あたし達もここに来る途中、色々な店を発見しちゃってさ、ちょっと準備があるのよ。反撃のための」

 確かにありすの顔は何かを企んでいた。

「ご安心ください、時夫さん。時夫さんを見つけたのは私です。世界中どこに居ても、私が探し出しますから」

 雪絵の笑顔に、時夫は癒された。

「あ……あぁ」

 ロイヤルハーグワンの力なら、それが可能だ。

 ありすは、そっぽを向いていた。

「時夫、ガンバ!」

 ウーが部屋から消える瞬間まで満面の笑顔を送る。こいつ。

 ありすは何かの作戦とやらで早々に立ち去り、時夫はまた一人になった。

「何が結婚式だよ! 俺、まだ高校一年だぞ」

 改めて白いチャペル内を見回し、時夫は呆然と考えた。魔学の結界か。


 パヒュ------------------------ン……。

 すぐそばに、いつの間にやら佐藤マズルが立っていた。

「うわっ、どこ行ってたんだよ! てか今どうやって入ってきた? 結界は? たった今ありす達が来たぞ」

「声が大きいですよ。……この城のメインコンピュータです」

 マズルは声をひそめた。

「見つかったか。それが、住人を洗脳している中枢なのか?」

「はい」

「ありす達はチャペルの中に入れなかったみたいだけど」

「この部屋は、ファイヤーウォールで外からの侵入を防いでいます。結婚式に招待されない限りは入れません。僕は仕掛けられる前に、中のコンピュータに侵入しました」

「この近くか? やはり、あるのか? さっき女王が……」

「はい、阿頼耶識(あらやしき)装置です。それさえあれば白彩の集合的蒸し器の代わりになるんです」

 ありすと全く同じ結論だ。どうやら疑いの余地はない。古城ありすは正しかった。マズルは城の秘密を調べていた。人質を集め、それをパワーとして吸い上げる魔学実験装置が存在する可能性を睨んで。

「住人たちは知らぬ間に、携帯でこの城の阿頼耶識装置につながって、城自体が一個の巨大なコンピュータみたいになっています。でも世話役の蜂人が群生していて、とても近づけません。すなわちそれが、泊(ト)マリックスです」

 協力している蜂人にとって、ここは新しい蜂人の巣だった。阿頼耶識装置の中枢は、蜂人の巣が形成しているというのだ。幻覚を見せられている町の住人の世話係として、彼らは居るのだろう。

「……トマリックス?」

「阿頼耶識装置を本体とする、この宿泊施設全体のことです。それと一つご忠告を。あまりウロウロしますと床に六角形の穴が開いて落ちます」

「穴が?」

「はい。実は僕は三回落ちました」

 あほか。そんな穴なんて。

「では、僕はハッキング作業がありますのでこの辺で」

 マズルが光速で去って、一瞬、マズルは穴に落っこちたような気がするが、気のせいであってほしい。今度はさっきのサングラス男が戻ってきた。

「トキーオ君ッ! ここで君たち人間を観察していて、ある事に気づいたんだが----」

 男は得意げに歩き回りながら、背を向けて演説を始めた。

 コノヤロ、今さっき女王に作られたクセに。

「君たちはこの恋文町で破壊活動を始めると、女王陛下の計画を全部壊すまで活動をやめない。君たちと似た生物が他にも存在する。それが何だか分かるかい? ウィルスだよ。ウィルス。君たちは恋文町にはびこるやっかいなウィルスだ。で、我々はそのワクチンだ」

 「茸人が正統で、人間がウィルスだ」と主張するショゴスだった。

 バターン! 突然、サングラス男の背後で大きな音がした。

「しかしそれも今日までのこと。恋文町のタイムリミットが迫っている。始まりがあるものには必ず、終わりがあるものだよ」

 演説を締めくくり、くるっと振り向くと時夫が居ない。

「ヤバイ、どこへ行った?」

 時夫は男から距離を取ろうとして、六角形の穴に落ちたのである。

 チャペル内にも穴は存在していた。

「……いない!」

 びびったスミスはキョロキョロしてから、茸を時夫に似せて作る事を思いついた。

「時夫さーん、お待たせ。あれ?」

 紫のドレスを着た女王は、チャペルの中を探し回った。ひょっとして金沢時夫は、結婚が嫌になったのか? いいや、違う。

 「時夫」は、隅っこでひざを抱えてぼーっとしていた。

「あぁいたか。脅かさないでよ。決心が鈍ったかと思ったじゃない。あなたは私の花婿なんだからね。だ・ん・な・さ・ま! ウフフフ」

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