第63話 百年に一度花咲く月下美人

「それDTP? 何作ってるの?」

「いいえ。コタツなのでKTP、コタツ・トップ・パブリッシングです。DTP、デスク・トップ・パブリッシングではありません。KTPで、ありす達に見せる降伏勧告のビラを作ってます」

 黒水晶が座っているのはコタツで、その上にパソコンを広げてビラを作っている。地下とはいえ、冬だからね。黒水晶、意外とコタツムリだ。

「あ、そ」

 そんなもん役に立つのか、と女王はいぶかしがった。地上をお菓子化したが、連中は降参しない。黒水晶は熱心に作っているが、もはや手がない証拠ではないか?


 朝に来るからアサヒ新聞

 毎日来るからマイニチ新聞

 読んで売るからヨミウリ新聞

 飛んで散るからヒサン新聞

 悲~惨~な~し~ん~ぶ~ん~じゃ~

 な~い~のだよぉおおおぉ~~~


 …………


 自分が何者なのか結局のところ分からない。時夫さんにとって、自分とは何なのか。でも何のために生まれてきたのか、それだけは分かる。時夫さんの役に立ちたい。みんなの、この町に囚われた人たちの役に立ちたい。時夫さんに東京へ行って欲しい。そう願ったけれど、時夫さんが本当に東京に行ってしまって、伊都川みさえさんと再会したら、みさえさんの陰みたいな存在だった自分なんてもう必要なくなる。分かっている。でも、それでも、時夫さんの役に立ちたい。役に立ちたい。今の自分に出来ること。それは、女王に会いに行くこと。だって女王は自分を狙っているから、そのために恋文町はお菓子の国になってしまった。自分にしかできない。リスクはある。もし女王に食べられたら、女王は地上に出てくる。でもそれでも、今の自分は科術師だ。どこまで女王の魔学に対抗出来るかは分からない。けれど、もう以前の自分とは違う。氷の女王・白井雪絵だ。私には砂糖の魔学は一切効かない。地下を、全て凍りつかせる事だってできるんだから。……寒いギャグで。


「まさか。雪絵さんが一人で白彩へ行っちゃったって?」

 ありすが驚いて時夫を問い詰める。

「何で止めてくれなかったのよッ!」

 ありすは歯軋りして胸倉を掴んだ。

「気づいたら、置手紙があったんだ」

「……いや、金時君を責めても仕方ないわね。これは私のせいね。私もずっと雪絵さんを見てた訳じゃない。こうなる可能性に、気づいてなかった訳じゃないのに。私が手をこまねいて、何もできなかったせいだ」

 雪絵の決心を、時夫も何となく分かっていた。雪絵はこの状況を打破しようと思って、何とか自ら責任を取ろうとしているのだ。すでに雪絵はかつての砂糖人形ではない。科術師として覚醒している。この町の住人と自分達を霊界に閉じ込めた女王と対決し、脱出路を探るために。ありすもウーも、そして時夫も結局、雪絵がこうするであろう事に気づいていたのに、見放した。てどこにも脱出路がないこの恋文町で、打開の道を知っているのは自分だけかもしれない、そう雪絵は感じていたのだ。

「いくら一流の科術師となった雪絵さんとはいえ、たった一人で行かせるべきではなかった。それならむしろ、私が一人で行けばよかった。もし雪絵さんが女王と格闘し、その結果地下のものになったら、今度こそ女王を止める手立てはない。雪絵さんのパワーを手に入れたアイツは、地上へ這い出てくる」

 白彩本陣は、恋文町における女王の橋頭堡で、ありすは結界で入れない。古城ありすの科術は解除され、魔学に対して無防備になる。白彩は出入り自在の地下帝国のエレベーターがある唯一の場所だ。そこから、誘拐された人たちが地下へ連れて行かれている。雪絵はおそらく、もう地下に到着している。

「何これ?」

 ありすは玄関先でビラを拾った。白彩の煙突から煙と共にビラが飛んでくる。黒水晶が書いたものだ。ありすをディスった内容である。

「黒水晶のヤロォー……!」

 ありすはビラをビリビリに引き裂くと、何度も何度も踏みつける。だが、その後一枚、また一枚と曇天の空からビラが落ちてきた。


 …………


和菓子バカ一代


 俺の名は佐藤実。人呼んで菓子細工の鬼。俺の造る菓子には命が宿る。本物だから命が宿るのであり、他の偽モノとは一緒にしてもらいたくない。餓鬼の頃はいつも空腹で、甘いモノなんか食べさせてもらった記憶はなかった。俺はひょっとして「捨て子ザウルス」だったんじゃないかって、子供の頃は思っていた。なんてな。友達が食べている駄菓子でさえ、食べる機会はなかった。唯一の甘味は給食で出るデザート類だ。

 そういう事で、甘味は俺にとって憧れであり、大人になったら絶対和菓子屋になるという夢に迷いはなかった。高校時代は野球に明け暮れながらも、夜は和菓子屋でアルバイトをしながら、ためた金で和洋問わずに甘いモノを食べ歩いていた。

 高校を卒業すると、すぐ地元の和菓子屋に弟子入りした。そこの店長はとても厳しくて、店長自身も一日十四時間働きっぱなしだった。口答えをしようものならすぐ鉄拳が飛んできた。そうして俺は五年修行したが、俺にとってその店の水準ではすでに物足りなくなっていた。

 俺は店をやめると、自分の納得のいく甘味を求めて全国の菓子を食べ歩きした。もちろん各地の一流店は流れ者の俺なんかに教えてはくれない。俺は原材料を調べるために張り込みをして、業者のトラックがどこへ行くのか、バイクで着けたりした。それにも飽きたらず、世界中の文献や古文書を解読し、海外渡航まで視野に入れ、ありとあらゆる甘味、糖分の研究に没頭した。そうしてたどり着いたのが、土と水と光の研究だった。

 ある種の茸との出会いは、俺の人生に劇的な変化をもたらした。それは発光茸の一種だが、ここ恋文町のセントラルパークの土壌でしか生えない。緯度経度、いわゆる風水でいう龍脈、伝説のカタカムナ文献でいうイヤシロチ。それが恋文町のちょうどあの公園が最高だった。これはウチの門外不出の秘密だ。たまたま訪れたこの町に店を構えることになったのは、そういう理由があったからだ。以後、俺は恋文セントラルパークに夜な夜な通い、せっせと茸の育成と研究に励んだ。土と水、それに月光によって、なぜここだけ茸がよく生えるのか。俺は遂にこの町の地下に、とんでもない秘密があることを掴んだ。

 そうして恋文町に張り巡らされた防空壕の地下へのルートを探っているうち、とうとう真灯蛾サリー女王陛下に出会ったんだ。あんな、地下で何十年過ごしてきたような奴が普通の人間な訳はない。人間なのかバケモノなのか。とんでもない相手には違いなかったが、俺達はお互いの利益のために協力し合うことになった。優れた甘味を求める俺に迷いはなかったのだ。

 その後、茸を使った砂糖を使って、俺はとんとん拍子に成功した。俺はちょくちょくテレビに出るようになり、『TVオリンピック』で、毎度のように俺のゴッドハンドで作った菓子細工で優勝した。別に、そうなりたかったわけではなかったが、店にいるときのいつも通りの態度でテレビに出ていたら、逆にプロデューサーたちには新鮮だったらしい。テレビ出演に忙しくなって、この小さな田舎町に客が殺到した。店も繁盛し、大きな工場を作って、より本格的な研究にいそしむことができるようになった。実験に次ぐ実験、研究に次ぐ研究。人にマッドな和菓子屋といわれようが、あるいはマッド・サイエンティストといわれようが関係ない。だがその頃には俺はもう、この町のヤバい秘密と無縁ではなくなっていた。

 俺は恐るべきサリー女王陛下の手下となり、女王とその眷属どもによる地上への侵略に手を貸す約束をした。そうせざるを得なかった。言っておくが、この町の何パーセントかの電柱は、女王に逆らった者たちの成れの果てだ。地下の女王陛下にとって、インフラの操作など、インフラか、エビフライか、名古屋人のいうインフリャ~かという程度の誤差の範囲でしかない。全く恐ろしい、俺だって電柱にされたくなんかない! 女王はこの町の人間を次から次へとかっさらい、砂糖にして地下で喰っている。俺はそれに手を貸すしかなかった。

 白彩の繁盛を保証され、これからもセントラルパークの茸を独占できる代わりに、地下の連中の誘拐に手を貸さざるを得ないのだ。だが、日に日に、地下の要求は増す一方だ。それでもやらなければ俺と白彩に生きる道はない!

 近年は、女王に弓引く古城ありすという宿敵の存在に頭を悩まされている。コイツは商売の敵だ。古城ありすとつるんでいる金沢時夫という小僧に、白井雪絵を奪われた。偶然の産物だったとはいえ、白井雪絵は俺の最高傑作だった。もしこれ以上コイツらに邪魔をされたら、女王陛下の所望するカシラを作ることはできない。さらなる最高の菓子細工、カシラを早く完成させるために、誰にも俺の邪魔はさせん!

 そんな折、とんでもない事が起こった。白井雪絵が自らの足で白彩に戻ってきたのだ。命を宿した黒水晶の話によると、東西南北脱走を試みた連中は、結局脱出できなくてこの町に戻ってきたらしいが、黒水晶は彼らを捕らえることができなかった。俺は黒水晶と共に、恋文町をお菓子化する作戦を実行した。白井雪絵を失ったことは何よりの損失だったが、その白井雪絵がこのタイミングで白彩に現れたのだ。やはりお菓子化作戦は、奴らへの兵糧攻めとして成功したらしい。全く、この町で俺ほどツイている男はいない。勝利はもう間もなく、わが手のモノに。


「久しぶりだなぁ、雪絵」

「……はい」

「前に比べて、顔色がいいじゃないか? 外の世界はどうだ? 面白かったか。ずいぶん人間化が進んだみたいだな。しかしな、お前は人間じゃない。どうやら、時夫の事を気に入ってるみたいだが、どんなに人間のフリをしても、お前は俺が作った菓子細工だ。分かったな。何処までいっても、人間になれる訳じゃないんだからな」

「店長、それは違います。この世界が意味論で出来ているなら、私が人間になることだって、ありうるはずです」

「ほほぅ。そんな言葉も覚えてきたか。まぁいい。とにかく、戻ってきてくれてうれしい」

「……」

「お前がここに何しに来たのか知らんが、女王に会ってもらう事に異論はないんだな?」

 佐藤店長は鋭く雪絵をにらみつけた。

「そのつもりです」

 雪絵はきっぱりと答えると、工場内の地下エレベーターに乗り込んだ。


「陛下、ご機嫌うるわしゅう。本日もきれいな御髪(おぐし)で」

「お前もな。……んで、何かいい事でもあったの?」

 といいつつ、サリー女王の声のトーンにはそれほど期待感が篭っていない。これまでの経験から、黒水晶のやることには散々肩透かしを食らわされがっかりする事が多かったからだ。

「御意。観てください。今夜はほら、月下美人が咲いたんです」

 百年に一度しか咲かないという伝説の花は、黒水晶の両手に支えられた植木鉢の中で白く輝いている。

「へぇ~ふぅ~ん」

「陛下、それだけではありません」

「まだ何かあるの?」

「何を隠そう、白井雪絵を連れて参りました!」

 黒水晶は不敵に笑った。そこに雪絵が立っていた。

「な、何だってー!!」

 えびぞりした真灯蛾サリーはMMRか?

「なんと、なんという吉日でしょう」

 黒水晶は遂に勝ったのだ。あのビラが役に立ったのかもしれない。地上の町をお菓子に変えたことで、追い詰められた雪絵が自ら白彩に出向いてきた。それを白彩店長から聞いた瞬間、黒水晶は笑いが止まらなかった。消えたキラーミンには感謝しよう。偉大な犠牲に敬礼しよう。そして自分の幸運にも感謝しよう。月下美人が咲いた百年に一度のその吉日に、黒水晶は白井雪絵を捕まえた。運命の巡り合わせにも、感謝しよう。

「ひゃっほぅ-----------!!」

 サリーと黒水晶は雪絵を放ったらかして、子供ビールでビールかけに興じた。

「ホラホラ陛下!」

「いやん! 止めてェ」

 ずぶ濡れになりながら勝利のダンスを舞う。

 サリーの方から雪絵に近づいていく。

「ようやく会えたわね。随分てこずらせてくれたじゃない? でもま、いいわ、結局あたしのモノになったんだから。美味しソーな雪絵ちゃん♪」

 サリー女王は雪絵の顎に手を当てて、舌なめずりを一回転する。

「以前と随分違うわねェ。白井雪絵。時夫さんの愛をたっぷりと注がれたみたい。でもお前はもう、私のものよ。そしていずれ、時夫さんもね。……私を倒しに来たのかしら。でもね、私はお前たちが考えているような人間じゃない。私はこの地下帝国で長い事、女王蜂として滅び行く種族を次の世代へと繋ごうとしてきた。そして、新しい生命を作ろうとし、かつ、女王自身が地上で人間になろうとした。私は女王として、いつの間にか気がつかない内に蜂人に操られていながら、蜂人の種の保存について同情もしていた。今では彼らを救うことも、大切な仕事だと思っているの。そのために、お前が必要なのよ。このかわいそうな蜂人のためにね」

 女王は周囲の蜂人たちを見やる。蜂人たちの表情から、彼らの心を想像する事はできない。

「女王、あなたが本当に欲しかったのは、これのはずよ」

 雪絵は懐から、何かを取り出した。サリーと黒水晶は、白い手に載るその石を見てギョッとする。白く輝くそれは、ムーンストーンである。なぜこれを?

「皆を解放しなさい。あなたの目的に、みんなは必要ないはず。そうしたら、私を自由にすればいい。でもこれを渡すのは、それが絶対の条件です」

「なんて事……お前、ムーストーンを持っていたのか?」

 雪絵の右手に握られた白く輝く丸い石を、女王は大きな釣り目で眺めている。雪絵は女王をじっと睨みながら黙った。

「か、鴨がネギを背負って来た……」

「もしや、オマエ自身がムーンストーンなの?」

 黒水晶は自身がブラックオニキスの擬人化である事を顧みた。ムーンストーンを持った白井雪絵は、彼女自身が白くボウっと輝いていた。


「まもにゃく~幻想寺、幻想寺~」

 ビラに挑発された訳でもなかったが、ありす達は、またしても幻想寺のあるハコヤナギの路地へと到着した。ありすの記憶では、この寺はこの町に存在しなかったはずなのだという。明らかに、西部から戻ってきた後に出現したというのである。ありすは、どーしても綺羅宮神太郎をとっ捕まえるのだと主張した。白彩に行けないのだから、他に方法がない。なぜ幻想寺の住職が綺羅宮なのか、ありすの鼻以外に根拠はない。

 ウーといえば相変わらずマズル探しに奔走中で、こっちも「必ず役に立つから!」と力説して、必死に探し廻っている。実は時夫はまた科術師パン屋・レートに協力してもらおうと主張したが、「年末」の人出でますます忙殺され、前回の比ではない。年末中はパンを求める人々の行列で、店には近づくことすら出来ない。これでもしまたレートを連れ回したら、今度こそ奥さんの方がカム着火インフェルノォォォオウでエクスカリカリバーブロートで殴りかかられるだろうだろう。そして、「年末」は終わらない。にしても、レートの科術パンを食べるという選択肢がまだあった訳だ、このお菓子な町・恋文町において。

「……にょ?」

 幻想寺が巨大化していた。そのせいでウーが猫になっている。その大きさは、すでに奈良の東大寺並だ。門の寝猿像だけは変わらず、とぼけた顔でありす達を馬鹿にしたように見下ろしていた。

「にょにょ?!」

 しかも、近所をも巻き込み寺院化しながら目下巨大化中と思われた。

「何だァこれは?!」

 辛うじて時夫は二人のような猫語ではなく日本語で唸った。

「……匂いが違う。ここだけお菓子化が止まっている。まさかこの寺、お菓子な国現象に対抗しているのか?!」

 ありすは嗅覚が感じ取るままに言った。

「で、寺院化が進んでいるだって……」

「寺フォーミングだよ」

「にょーーー!!」

 時夫もまた猫語で叫んだ。一体、どういう事なんだろう。今度は、幻想寺で何が起こっているのだ?

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