破
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「おい、聞いたか? どうも近々、この国に《トントン族》の王子様が来るらしいぜぇ」
「ほぉー、トントン族の《トンスラーン》っつったら、この界隈一の金持ち国だろ?」
「そうそう! それがよ、物凄い数の家臣や従者たちを引き連れての大移動だって話だ」
「てことは、俺達にも飯の種が舞い降りてくる可能性が高いってこったろ!?」
「へへ、そういうことよ! この国に一体どんな用があるのかは知らねぇが、それだけの数が来るってんなら、何かしら俺たちにも仕事が舞い込んでくる。今日この店が繁盛してんのも、仕事が忙しくなる前祝いって奴が多いってわけさ!! がははははははっ!!」
酒場には既にかなり出来上がりつつある様々な風貌の男? たちが、大勢で酒を酌み交わして騒いでいるようだった。爬虫類のようなのやカエルのような顔の者までいて、一見して性別が分からない。
もちろん、私にも会話の内容が聞こえている。理解だって出来てる。
どういうわけか、この世界の人々は日本語で話しているみたいだった。
これならまぁ、ダックスって人を呼ぶくらいなら難なく出来るんじゃないかな?
言葉が通じない可能性もあったし、どうしようかと思ってたけど、本当に良かったよ。
しかし、王子様ねぇ。まぁ一回くらいは見てみたいかな。
でも、それよりも今は『ダックス』だ。
私は先程から店で給仕をしている女の子に声をかけた。
「あの、すみません」
「はーい! いらっしゃいませ! 《冒険者酒場》へようこそ! ご注文は何にしますかー?」
冒険者酒場!? ……でも、良かった。言葉はこちらからでも通じるみたいだ。
女の子はこれでもかという笑顔で接客してくれた。彼女は獣人……だと思う。
羊のような角が頭部から二本生え、露出度の高い胸元を強調した給仕服から見える肌は白い。しかし、そのところどころが滑らかなそうな体毛に覆われている。毛色は白に近い薄いピンク色だ。
あんな服着て接客とか私には無理! 絶対無理だから!
ってそうじゃなかった。なにもここで彼女のように働かされると決まったわけじゃない。
「えと、注文じゃないんですけど、ダックスって人いますか? その人に用事があって」
「えっ、《ダックス》さんですか!? じゃあお姉さん……」
少女は不思議そうな顔で私を見つめる。
「あ、すみません。じゃあ、ちょっとお待ち下さい~」
羊の女の子が店奥に引っ込み、少しして男を連れ立って出てきた。
男を私のところへ連れてくると、羊の女の子は給仕に戻る。
「……俺に用事だって?」
「あの、わたし異世界屋のお婆さんに言われて来ました」
私がそう言うと、女の子と一緒に来た胴長で中背の男が、私の顔を覗き込む。彼も獣人だ。頭部には大きなたれ耳が座っていた。
犬……かな?
「婆さんが? あぁ、その珍しいのっぺりとした顔の《ヒュラ族》……。間違いなさそうだな」
ヒュラ族? 普通の人間みたいなのをそう言うのかな?
つか、のっぺりとした顔で悪かったな。日本人は大抵みんなこういう顔だから! ていうか私だって、日本人としてはそこまで顔は悪くないはずだし!
あんた達がみんな堀りが深すぎるんだからね。羊の子も物凄い美少女だし、この犬耳の男、ダックスもいい感じに年季を感じさせるかっこいい犬親父だ。
私がそんな事を考えていると、
「フェルティ、空いた樽を一樽、奥の部屋に運んでくれ。あぁ、そうだ、あの時と同じだ。――で、あんたは奥に来な」
ダックスが羊の子となにやら話をして、店の奥へと私を誘導した。
あの子、《フェルティ》って名前なのか。ふむふむ。
「まずは、こいつに登録してもらう」
店の奥の部屋へとたどり着き木椅子に座ると、男が取り出したのは大きな水晶玉のようなものだった。
「なんなんですか、これ?」
「こいつは登録の魔石さ、冒険者登録して貰うのに使う」
「魔石!? ぼ、冒険者!? ちょっと待ってください。私、冒険なんてできませんよ!?」
「相変わらず、何の説明もしてないのかあの婆さん……」
ダックスは頭を振ると、説明してくれる。
「いいか、あんたにこれからやって貰うのはちっとばかり特殊な依頼だ。それで、その依頼を受けるために、こいつへの登録が必要になるのさ。なに、地下ダンジョンに潜らせるような冒険をさせようとか、龍退治させようとか、そういう腕力が必要になる依頼じゃあない。そこは安心しな」
「はぁ、なるほど」
地下ダンジョン? 龍退治!? そんなのがある世界だって事すら知らなかったよ……。
「じゃあ、ここへ手を置きな」
ダックスに言われるまま、水晶玉のような魔石の上に手を置く。すると、一瞬だけもわんっと水晶玉が紫色の光を放った。
「よし、いいな。これで登録完了だ。えーっと、リオナ・サトウか。よろしく頼むよリオナ」
ダックスは水晶玉を覗き込むと、私の名前を口にした。
あれに触れると勝手に名前まで判別されちゃうってこと!? なにそれ凄い。
「それと……さっきはああ言ったが、別にあんたに戦う力がないって言ってるわけじゃない。どうだいリオナ、あんたさえ良けりゃ、この依頼が終わった後にでもウチで冒険者としてやってみないか?」
ダックスが事有り顔で笑う。
しかし、私に思い当たる節は全くない。
そもそも、いま登録を終えたばかりの駆け出しの私に何を言うのか。
私が首を傾けてダックスの言葉の意味を考えていると、フェルティが結構大きな樽を片手で持ち上げて部屋へとやってきた。その樽が私の隣にどすんと置かれる。
ダックスには酒を飲むのに使われていた木のコップが渡された。
フェルティちゃん、みかけに依らず力持ちなんだね……。
「……不思議に思うのも無理はないさ。まぁ見ててくれ」
ダックスは木のコップを自分の前に置くと、右手をコップに向け「ウォーター!」と発した。
するとどうだろうか、手から薄い青の光を放った後、ダックスの手の先から少しずつであるがちょろちょろと水が湧き出した。周りにはなにもないし、ダックスの手にも何も握られていない。そして彼の手から出た水は、コップを半分くらい満たしたところで止まった。
「こいつは《初級魔法》の《ウォーター》さ。この世界ではちょっと勉強すれば誰でも出来るくらいの魔法だ」
ダックスはそう言うと、「じゃあ次はあんたの番だ」と空っぽの樽を指し示した。
私に同じようにやれということだろうか?
私が苦い顔をしつつ自分の顔を人差し指で指すと、ダックスは「そうだ、あんたが同じようにやるんだ」と首肯する。彼の頭に座った両耳がふわりふわりと揺れ動いて、まるでわくわくしているようにすら見えた。
隣りにいるフェルティちゃんも興味津々といった具合で私を見ている。
は、恥ずかしい……。呪文を唱えるだなんて、どうせ出来るわけないのに……。
小学校で小さい頃に、魔エガのマネをしていたことを思い出す。
私が声優になりたいって思ったのも魔エガが大好きだったからだ。あの頃はよく友達と魔エガごっこをやったものである。
ええい、ままよ! 女は度胸!
私は樽へと右手をかざすと、どうにでもなれ! という気分で叫んだ。
「……ウォーター!」
ちょっと幼い頃を思い出しつつ魔法少女になったつもりで、アニメのように息んで叫んでみたものの。――なにも起きなかった。
ほら! やっぱりだよほーら! あの……すごく恥ずかしいんですが。
私が恥ずかしさに顔を伏せようと思ったその時、右手の周囲に大きな青い光が突如として現れた。光は魔法陣のような紋様を描き、そして――物凄い勢いで私の右手から、迸るような水流が溢れ出した!
私の手から出た水は、ほんの数秒で空っぽの樽を満タンにすると、それで満足したかのように流れが止まった。
「膨大な魔力だからか、それとも初めてで魔力の扱いに慣れてないからか? 少し時間差があるみたいだが、やはり婆さんの寄越すヒュラ族は凄まじいな……。なにせ初級魔法でこれだ。中級や上級魔法を放てば一体どうなるか……検討もつかんな」
ダックスはそう言って満足気に頷き、フェルティちゃんも「おぉぉぉぉー」と拍手をしながら歓声を上げている。
今の本当に私がやったの!? 嘘でしょ、すごい! 魔法の才能があるってこと!?
「で、どうだリオナ。やっぱりウチで冒険者として――」
「ダックスさん! それよりもいいんですか? 時間! 今日、一緒に連れてくって言ってたじゃないですか、このお姉さんなんでしょう? もうすぐ
「なに!? もうそんな時間か、遅れると不味いな……。リオナ、この話はまた今度だ」
いやいやいや! 魔法が凄いのはわかったけど、私、別に冒険者になるつもりとかないから! これっぽっちもないから!
それよりも元の世界へ帰る方法とか、お婆さんからの伝言とかなんでも良いからそういう事を教えてください!
「話を戻すが、リオナにはやって貰う仕事がある。どうせ婆さんからは何の説明もされてないんだろう?」
私はダックスの問いにこくこくと頷く。やっと知りたい情報が得られそうだ。
「やっぱりか。たく、あの婆さんいつもこれだ。まぁ、本当なら俺の口から説明したいとこなんだが……ちょっと時間がなくてな。詳しい話は、
「え!? ちょっと待ってください。王城ってなんですか!? 私、いま詳しい説明が聞き――」
そう言いかけた時、私の身体がフェルティちゃんによって抱え上げられた。
彼女の柔らかい胸の感触と滑らかな体毛の感触とが心地よい。
って、そうじゃなくて! 私、フェルティちゃんにお姫様抱っこされてる!?
「お姉さん、しっかり捕まっててね! ちょっとスピードだしてくから!」
「ちょ、待っ――」
「待ってる時間はないんです! ごめんね、お姉さん!」
有無を言わさず、フェルティちゃんが走り出した。ものすごいスピードだ。
数瞬で店を出ると、彼女は私を抱えたまま跳躍。レンガ造りの店の屋根へと飛び乗ると、そのまま猛烈な速度で街中を屋根伝いに駆けていく。
ヨーロッパのような石造りの街並みが目まぐるしく流れ、私は異世界にいるんだなってことを改めて実感した。
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