猫のみる夢

ワカヤマ ソウ

冒頭 ー 天涯孤独 ー

 あの日のことは鮮明に憶えている。


 あの日、梅雨前線が発達し、日本は梅雨入りになった。昨日まではカンカンに晴れていて夏の暑さを感じ始めた、そんな日だった。俺は、土曜日にも関わらず大学の図書館へと足を運んでいた。小説を書くために。大学に入った頃、中学から趣味で続けていた小説で大賞を取り、小説家として“お月見の丘“でデビューした。でも、親に明かすことなく大学の友達にも明かすことなく、誰にも秘密でいた。なんとなく、気恥ずかしく、売れていなければ恥ずかしかったからだ。

 その時に書いていた小説は"白昼夢"と言うタイトルで、ふとした瞬間に夢の世界に入るという内容だった。その日図書館で小説で使う言葉や意味を調べて頭の中にシナリオがどんどん沸き上がる。そんな時だった。

『ジリリリリリ』携帯の着信が鳴る。マナーモードにしていなかったせいで疎らにいる学生から目を向けられる。とても居づらく、慌てて席を立ち外へ出る。

「もしもし、斉木ですが。」

「あ、斉木 貴也さんご本人様でしょうか?こちら警察ですが。」

警察という言葉に心臓がドクリ、ドクリと大きく鳴る。疚しいことをした記憶も身に憶えもない。しかし、警察という言葉だけで心臓に悪い。

「はい、斉木貴也ですが、どういったご用件でしょうか?」

「落ち着いて聞いてください。ーご両親が事故で亡くなりました。」

視界が真っ白になった。まるで白昼夢を見ているような、そんな感覚で夢だと錯覚した。警察の人の言う通りに実家のある県へ戻り、警察署へ向かい、電話をかけてきた春田という中年の警官に言われるままにパトカーに乗せられ病院へ連れて行かれ、そこで両親の遺体と向き合った。

「遺体の損傷が激しいため、比較的綺麗なお母様のお顔を拝見されますか?」

心臓が高鳴る。

「どんなに、ひどくても、いい、です。俺の、家族の、姿が、見たい、です。」

言葉が上手く喋れない。何度も唾を飲み込む。

「興味本意、ではなさそうです、ね。念のためもう一度確認します。本当に酷いため、見ないことをオススメしますが、本当に見ますか?」

医師は最後の引き返し地点を設けてくれたが、俺は、本当に親なのか。本当に死んでしまったのか。ここで夢なら覚めてくれ、と思いながらも、見ずにはいれなかった。小さく一度頷くと、医師は目を伏せ大きくため息のような深呼吸をして、白い布を剥がす。



 葬式は、ひっそりと執り行われた。親の会社の人がたくさん来たが俺とは一切面識がなく、事務的のように俺は来てくださってありがとうございます。と繰り返し頭を下げた。会社の人が、弔文を読む。それはまるで俺の知らない人のことを言っているようで、頭に入ってこなかった。

 葬式の終わりに霊柩車に乗る際に、会社の人から声をかけられる。

「私は、君のお父さんの部下です。辛いと思うけど、何か困ったことがあったら頼ってください。君のお父さんには本当に、本当に、よくしてもらっていたので・・・。」

そう言って目を真っ赤に腫れさせた男は“赤松 信幸“と書かれた名刺を渡すと俺の首をギュッと掴み、左手で目を押さえた。その後、首を掴んだ手はゆっくりと力を解き、パンと軽く叩いて俺を送った。


 火葬場には、俺と親戚の3家族だけだった。親戚は本州に住んでいるため滅多に会うことはなく、疎遠だった。

 親戚の会話は、誰が俺を引き取るか、という話で持ち切りだった。

「うちは3人子供が居てこれ以上は・・・。」

「あんたのとこは子供2人であと1人くらい・・・。」

「うちはあなたのとこと違って公務員でもないし、共働きでギリギリで・・・。」


そんな会話が続いていた。その会話の隣で俺は静かに固い決心をした。

あの家で俺は、一人で、稼いで、生活して家を守る、と。

 火葬が終わり、名前が呼ばれ、そのまま納骨式に向かった。親はまだ50歳になったばかりにも関わらず、お墓を建てていた。その用意周到さに感心する。

 納骨式で俺は、親戚一同に宣言したのだ。

「俺、まだ大学生ですけど小説家をしてます。今後は、大学を辞めて小説で食っていきます。だから、見守ってください。」

散々隠していたものの、あの家から引き剥がされて別の地に行くより、あの家を守りながら死にたい。そのための苦肉の策だった。勿論、反対されたのだが、ちょっと反抗すると皆黙り、好きにしなさい、と。人一人養うのは相当に骨であるためやはり自立してくれる方が楽に決まっているのだ。


 こうして、俺は宣言したように大学を辞め、荷物を実家に送り、独り実家で生活することになった。葬式から2週間で引っ越しが終わり段ボールを片付け終わったとき、現実だと実感した。そして、誰にも聞こえないような小さな声でこう呟いた。


「俺、本当に一人になったんだな・・・。」

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