大教会

 教会の前に積み上げられている死体のほとんどは、グルーズの信徒で間違いないらしい。血を飲むのを拒否して殺された者もいれば、飲み、変化し始める前にころされたのであろう者もいる。躰が膨れ、目が落ちくぼむ途中で死んでいるのだ。そしてそうなっているものは、みな口元に乾いた血がこびりついていた。

 連れ立つ男の一人が、ヴァリスの視線の先に気づいたのか、低い声で言った。


「すべてあの忌まわしい儀式のせいで、処刑された人たちです」

「なんで自分の国の人たちまで?」

「ゼリは神殺しの兵団を作るためだと、世界を変えるのだと言っていました」


 ヴァリスは犠牲者の亡骸から目を切って、教会を見上げた。かつてはグルーズ神を崇め奉っていたはずだ。しかしいまではリモーヴァのためのものとしか思えない。

 青い旗が吊られ、よく見れば壁面にあるグルーズの印章も壊され、代わりに血でリモーヴァの印章が描かれている。血吸鳥の嘴を模した図形だ。

 先行していたネウが、ヴァリスとヘルカが通れるように、大扉を開いた。

 重く大きな扉の向こうから、焦げた木の臭いが漂ってくる。


 ――ここもか。


 目の前に広がる凄惨な光景に、ヴァリスは軽く目眩を覚えた。

 長椅子の列の間に敷かれた赤絨毯は引き裂かれ、焼け焦げた跡が残る。絨毯の先にあるグルーズ像は引き倒されて首から折れ、頭が転がっている。その顔は執拗に破壊しつくされ、血を塗られた跡まで残っている。

 ヴァリスはヘルカの肩を担ぎなおし、ネウの背を追った。しゃり、しゃり、と音がする。色鮮やかなガラスの破片。ステングラスの欠片だ。

 顔を上げると、窓枠に歪んた金線のみが残っていた。


「なんでここまで……」


 思わずつぶやいてたヴァリスに、後ろについてきていた男たちが答えた。


「ゼリの命令です。ステングラスは、文字の読めない者たちに、グルーズの教えを伝えるためのものですからね。リモーヴァの信仰に染まった王としては、グルーズの神話を伝えるものは、すべて破壊したかったのでしょう」

「……反逆者だよ。ヴァリス」


 傍らのヘルカが小さな声で言葉を継いだ。


「信仰が残っていれば、いつか誰かが王に反逆を企てる。だから――」

「ヘルカ、喋っちゃダメだ。無駄に体力を使っちゃう」

「……喋ってないと――」


 ふいにネウが振り向いた。眉を吊り上げ、真剣な目をしている。


「ダメですよ。いまは言うことを聞かないと、私が怒ります」

「分かったよ……まさかこんな――」

「ヘルカ?」


 そう言ってヴァリスが肩を担ぎなおすと、ようやく彼女は口をつぐんだ。

 ネウに連れられて細長い通路を歩いていると、くぐもったうめき声が、いくつかの部屋から聞こえてきた。通り抜けざまに覗くと、簡素なベッドが並べられ、傷を負った人々が寝かされていた。傷病者はみな顔を歪め、痛みを必死にこらえているようだ。それでも抑えきれずに漏れ出た声が、廊下に反響しているのだ。


 一番奥の扉を、ネウが開いた。

 手入れの行き届いた部屋だ。打ち壊された礼拝堂の中とはまるで違う。部屋のそこかしこに金銀の華美な装飾がなされ、ベッドには装飾の施された真鍮色の天蓋までついていた。ベッドに乗るのは汚れた毛布ではなく、羽毛を詰め込まれ、柔らかく膨らむ羽毛の布団である。部屋主の姿が見えないが、まさかネウの部屋ということはあるまい。おそらく大司教の居室だろう。

 ヴァリスは、これまでに見たことのない、想像の外にある世界に嘆息した。


「なんだか、背中がぞわぞわするよ、この部屋」 

「気にすることありませんよ。いまは使う人もいないんですから」


 ベッドの横に立ったネウは小さく頷き、布団をめくり上げた。

「ありがたいねぇ。こんな柔らかそうなベッド、初めてだ」


 ヘルカは、雰囲気に圧倒され言葉を失ったヴァリスに代わるかのように呟き、自らの足でベッドの端に腰を下ろした。

 柔らかく沈んだマットに、じわり、と赤い染みがついた。

 近くにいた男たちは荷物を置くと青い司祭服を脱ぎ捨て、すぐに部屋を出て行った。

 ネウは猫足のサイドテーブルを引っ張り出し、銀のボウルを置いた。


「大丈夫です。治療のための道具を取りに行っただけですから」

「一体、何がどうなってるの?」

「司祭様は城に連れていかれ、幽閉されたそうです。先ほどの方たちは、リモーヴァの信徒を装って身を隠し、暗殺計画の準備をしているとか」

「信用できるの?」

「信じるしかありません」


 革の軋む音がした。

 振り向くと、ヘルカの腕から籠手が抜け落ちた。朦朧と視線を漂わせている。


「ヴァリス、どこかに行くなら、私も……」


 意識が混濁しているのか、駄々をこねる子供のような口調だった。

 ヘルカを動かすことはできないだろう。

 いざとなればヘルカもネウも、僕が守ればいい。そう思い、ヴァリスは鎧を脱がし始めた。


 ほどなくして、男たちが真新しい包帯をいくつかと澄んだ水を木桶に汲んできた。

 ヴァリスは受け取った水を銀のボウルに注ぎ布を浸した

 少し疑い深くなりすぎているのかもしれない。想像以上に、今日までヘルカに頼ってきていたのだろう。彼女以外の人を信じることが、難しくなっていた。

 ヴァリスはネウの手も借りてヘルカの躰についた血を丁寧にふき取り、ベッドに寝かせた。額に浮かんでいる汗の玉を拭い、水で濡らした布をあてがう。

 握った掌の冷たさに、ヴァリスは身も凍る思いだった。


「ヘルカ、頑張ってね」


 うなづき返す力すら残っていないらしい。しかし、あとは彼女の体力を信じるしかない。誰かがついていなければいけないだろう。


「大丈夫かな?」


 聞く意味などないというのに、そう口にせずにはいられなかった。

 ヴァリスは、ヘルカの手を強く握った。その上に、ネウが手を重ねた。


「強い人ですから、大丈夫ですよ。それに、ヴァリスさんを置いていく人じゃありません。一番わかってるのは、ヴァリスさんでしょう?」

「……たしかに。その通りだね。絶対、大丈夫だ。絶対に」


 立ち上がったヴァリスは、ヘルカの顔にかかっていた前髪を指で後ろに流した。ネウの言葉に根拠などないのだろう。しかしそれでも、立ち上がる力にはなってくれた。すでに戦いは始まったのだ。あとは、早く終わらせるしかない。

 ヴァリスは短剣の柄を撫で、男たちに顔を向けた。


「それで? どういう状況なの?」

「それが、正直に言って、あまりいい状況では……」


 この期に及んで言葉を濁そうとする男たちを、苛立ち紛れに睨みつける。ここにくるまでの惨状を見れば、言われるまでもないことだ。問題は苦境自体ではない。この期に及んで隠そうとする、危機感のなさにある。

 言外の意図に気付いたか、男の一人が固く口を結び、首を左右に振った。


「申し訳ない。たしかに迷う暇などありませんね。実のところ、サルヴェンを救うことも考えれば、我々に残された時間はもうほとんどありません」

「どういうこと?」

「城に潜ませている仲間からですが、ゼリは民を集めて、サルヴェンに攻め入る準備に入っているとか。民を反逆者に変え、内側から叩く腹積もりのようです」


 そこまで話した男は、またしても言葉を切った。

 ヴァリスがさらに聞きたてるよりも早く、隣に立つもう一人の男が言葉を継ぐ。


「ネウから、門前の一件について聞きました。より近々の問題は、そちらの方でしょう。明日には、いえ、今晩にもゼリの手の者が、お二人を探しにくるはずです。そうなれば、ここには傷病者ばかりで、抗う力はありません。かといって……」

「ヘルカを動かすこともできない」


 みなの視線の先には、荒い息をつくヘルカの、青白い顔があった。傷の方はともかく、血が足らない。いま動かそうものなら、助かるものも助からない。かといって漫然とここで待ち続けていても、事態は悪化するだけ――。

 ならば。

 ヴァリスは痛ましい相棒の姿から目線を切って、息を吐きだした。


「それこそ、今晩にでも、こっちから打って出る覚悟がいるね」

「あるいは神に祈り、ゼリが出兵するタイミングを待つか」


 神に祈るとは。

 なんと間の抜けたことを言うのだろうか、と思い、ヴァリスは鼻で笑った。あまりに滑稽にすぎる。神に祈ってどうこうなるものなら、すでにこんな惨状に至ってはいないだろうに。

 生き残っている男たちの間では、絶望が広がっているのだろう。でなければ、たったいま会ったばかりのヴァリスに、儚い期待を抱くはずがない。しかし同時に、期待に応えやらねば、ヘルカだけではなく、サルヴェンまで危ういのだ。

 ヴァリスは目を瞑り、細く、長く息を吐きだした。


「城に入る手立てはあるの?」

「いえ。残念ながら。大司教さまの計画は、謁見の際に、付き人としてあなたを連れていく、というものでした。外部から侵入する方法については、私たちが知るものはありません」

「真正面からぶつかるって言って、何人ついてこれそう?」

「少なくとも、我らは。他に十人程度なら、満足に湛える人員が集められます」

「少ないね。はっきりいって、全然足りないと思う」


 厳然たる現実に、男は悔しそうに項垂れた。嫌味たらしかったかもしれない。苛立たしく思っているのもある。言葉尻がどうにも相手を傷つけようとしてしまう。

 怒りは熱に変えるべきだ。さっきと同じように。

 ヴァリスは、左肩を撫でた。


「実は僕も左肩の矢傷が治ってないんだ。だから、みんな怪我人ってことだね」


 男たちは、どう答えていいのか分からないといった様子で、顔を見合わせた。


「ただの冗談だよ。怪我人でも戦えるって意味で言ったんじゃない」


 男たちは引きつったような顔をして笑った。少しだけ安堵の色も乗っている。どうやら王都の人間には、キツイときに笑う習慣はないらしい。

 ヴァリスは構わず笑ってみせた。ヘルカの真似をして、掴みかかってくる恐怖を振り払う。そうして次は、危険の中に飛び込んでいく。


「簡単に城に入れそうな、いい案を思いついたんだけど」

「なんです?」

「簡単だよ。僕を捕まえたことにして、城までつれていくんだ」

「そんな!」


 目を丸くした男達より早く、ネウが叫んだ。ヴァリスの肩を掴み、揺さぶる。


「無茶です! 城に入る前に殺されてしまうかもしれませんよ!?」

「ほかにゼリに近づく方法がないなら、仕方ないさ。最終手段だけど、時間もない」


 ヴァリスの提案に、男は頷いた。


「たしかに、まず城の中に入れなければ話にならない。そして、ここでゼリの兵士を待ち受けて戦うのは得策とは思えません。ならば、こちらから打って出るのは正しい」

「で、でも!」

「大丈夫だよ。自警団を見たでしょ? ちゃんとした兵士なんて大した数はいないし、さっきみたいに、人と戦えるヤツはもっと少ない。中に入っちゃえば、どうとでもなるよ。問題は、ゼリだけさ。それに――」


 ヴァリスは、ネウの手を取り、まっすぐ目を見つめた。


「忘れたらだめだよ。ネウだって、僕がゼリと戦えるから、探しにきたんでしょ?」

「そうですけど……そうですけど、でも、そんな無茶な形では!」

「ネウに心配してほしいのは、僕じゃない。ヘルカのことだけだ。いい?」


 ヴァリスは、わざと強い調子で、ネウに言い聞かせた。これ以上、余計な議論で時間を使うわけにはいかない。一刻も早く準備を終える必要がある。

 ネウは不服そうではあったが、首を縦に振った。


「……わかりました。ヘルカさんのことは任せてください。それと、絶対に……」

「死なないよ。帰るところも、守らなきゃいけない人もいる。死ぬわけにいかないよ」


 ヴァリスは男たちに向き直った。


「それじゃあ、まずは戦える人を集めて。それと、城の中、分かる範囲でいいから僕に教えて。ゼリがいそうな場所もね」

「わかりました」


 一人は慌てて外に飛び出していき、残った一人は、テーブルの上の物を使って大まかな城の見取り図を描きつつ、説明をはじめた。

 ヴァリスはそれを聞きながら、心の奥底で神に祈った。滑稽で無駄な行いだと思いはしても、心が落ち着いていく。

 神に祈るというのも、冗談を言う位には、ヴァリスにとって役に立つらしかった。

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