王都(約5万字)

王都へ

 孤児院に戻ったヴァリスは、鎧を身に着けようとするヘルカに手を貸していた。

 再び身体を覆った鎧のベルトを、一つ一つ閉じて行く。男たちに力で劣るヘルカのための、薄く軽い鎧。そして、ヴァリスの戦い方に合わせるために、可能な限り継ぎ目をなくし、血の侵入を防ぐことに特化した鎧だ。

 ヴァリスは二人で鎧を作っていた頃を思い返した。


「何回目だろうね、このベルトを繋ぐのは」

「さて。数えたこともないけど、結構な数だろうさ」


 ヘルカの声色にも、どこか懐かしさを感じているかのようだ。ヴァリスと同じように、サルヴェンの屯所の裏で、水を掛けながら調整していた頃のことを思い出していたのだろう。

 ガラス窓の付いた兜を作りはじめた頃は、よくイーロイの世話になった。

 ヴァリスが思うには、その頃からヘルカとイーロイは仲が良いようだった。しかし彼はここに残ると言い、ヘルカはあっさりとそれを受け容れている。

 ヴァリスには、どうにも理解しがたい関係に思えた。


「イーロイのこと、ほっといていいの? よろしくって言ってたけど」

「自分で言いに来ないってことは、そういうことなんだろうさ」

「言いに来てほしいんじゃないの?」


 ヘルカが背を反らすようにして、ヴァリスの顔を見上げた。

 その目は、心中を見透かすかのようだ。


「多分違うと思うけどね。なにより、女に来てもらうのを待つなんて、男のすることじゃないよ」

「そういうものなのかな」

「そう。私にとっちゃ、どうでもいいことさ」


 ヴァリスは鉄鎧の下からベルトを引き出し、わざと強く締め閉じた。皮と鉄が擦れ蛙の鳴き声に似た音がし、ヘルカが小さくうめいた。

 ヴァリスはベルトの上に革の覆いを被せ、ヘルカの背を軽く叩いた。


「できたよ」


 ヘルカは、抗議するかのように目を細め、じっとヴァリスを睨んだ。


「なにか言いたいことでも?」

「僕は、ちゃんとあいつと話してきたよ」

「前から言おうと思っちゃいたが、勘違いしてやしないかい?」

「なにが?」

「……なんでもないよ。それじゃ行こうか。急がないと、ネウが馬を逃がしちまうかもしれないしさ」

「ネウが王都まで足で歩くなんて、三日はかかっちゃいそうだ」


 二人は顔を見合わせ笑い合った。

 外に出ると、厩の方からネウの声がしていた。おそらく気を利かせて馬を引いて来ようとして、馬に遊ばれているのだろう。

 ヴァリスはヘルカの予想が的中したことに苦笑し、足早にネウの元へ行った。

 

 教会まで来たときと同じように馬にはネウが跨り、ヘルカが先頭を切って歩き出した。

 これから向かう場所は、ゼリが謀略を巡らせている場所だ。そう思うと、道の続く先から、微かに血の臭いが漂ってくるような気がした。

 ヴァリスは振り返り、小さくなりつつある教会に目を向けた。

 捨てたはずの地。ヘルカに言わせれば、故郷といって場所だ。守りたいと思うわけではない。しかし帰る場所ができたからか、足は軽くなっていた。

 王都に向かう道程の最初の夜。

 ネウは、いかにも不満そうに、スープに固いパンを浸し、かじっていた。教会で多少はマシな食事にありついたからだろう。忘れていた味を思い出せば、再び同じ質素な食事に戻るのは辛くなる。

 ヴァリスは苦笑し、スープを一匙、口に運んだ。


「マズそうだね」

「えっ?」


 ネウは突然話しかけられたことに驚いたのか、声を上ずり、器を取り落としかけた。

 赤らめた顔を伏せ、ヴァリスを、上目で覗いた。


「そ、そういうつもりじゃなくて、ちょっと、その」

「ゼリを討つとか言ってたのに、おどおどしすぎじゃない?」

「す、すみません」


 ヴァリスはいつまでも怯えているような様子のネウに呆れ、鼻を鳴らした。どうやら柔らかいベッドの感触というもののは、一度ついた決心すら鈍らせるものらしい。


「まぁ、いいけどさ。王都についてから、僕とヘルカはどうしたらいいの?」

「え、えぇと、私が大教会にお連れします。そこからは、教会の方で――」


 小さくなりつつある焚火に、ベルが枯れ枝を投げ込んだ。


「教会に顔が利くのかい?」

「は、はい! 私は、丘の教会でお手伝いをする前は、王都の教会にいましたから」

「それで美味しくなさそうに食べてたんだ」

「えっ? あの、それは」

「意地が悪い言い方になってるよ、ヴァリス。いまは仕事の話をしたいんだ」


 ヴァリスは、パチリ、と爆ぜた火の粉を目で追い、口を開いた。


「その話なんだけどさ、ヘルカは人と戦ったこと、ある?」

「……ないね。それらしいのは、出来の悪い人形相手に槍を振ったことくらいさ」

「だよね――」


 他人と剣を交えた経験など、ヴァリスにもない。

 これまで戦争などなかったし、人々の争いも武器を見せれば、大抵はそれで収まるのだ。また、例え訓練であったとしても、万が一にでも返り血を浴びれば、それだけで反逆者と化す可能性がある。

 当然、二人とも対人戦闘の訓練などしたことがない。

 兵士同士の戦闘は、孤児院で繰り返した喧嘩などとは、わけが違うはずだ。

 しかも相手は、剣の腕が立つと評判のゼリである。すでに一度、暗殺計画を退けてすらいる。言い換えれば、対人戦闘の経験は相手にしかないということだ。

 顔を強張らせたネウが、ヘルカの様子を窺うように目を向けた。

 視線を受けたヘルカは眉を寄せて、傍らに置かれた鐘槍を見つめた。


「槍と剣だ。いけないことはないだろうけどね」

「ゼリも槍を使って来たらどうするのさ?」

「そういう意味じゃ、短剣一本でどうやって槍や長剣を相手にする?」


 押し黙ったヴァリスは、短剣とそれを収める鞘とを革ひもで結び、立ち上がった。

 なにができるのか、試す必要があった。

 ヴァリスは静かに足を踏みなおし、鞘に覆われた剣先を、ヘルカに向けた。

 槍を逆手に持って立ちあがったヘルカは、石突をヴァリスに向けた。

 応じてヴァリスは間合いを半歩詰め、向けられた槍の柄に、短剣の腹を合わせた。まずは手首に力を込めて、払う。

 ヘルカが堪えたことで、槍はわずかに動いたものの、すぐにぴたりと止まった。

 難しい顔をしたヘルカは、槍先の鐘を脇腹に当てがい、外側から柄に腕を巻くようにして、短剣を払った。ヴァリスの握る短剣はあっさりと流される。

 よろめいたヴァリスは、体勢を崩した。


 ――ここで詰める!


 振られた勢いに合わせて、一歩、深く踏み込んだ。

 対し、ヘルカは素早く半身を引いた。すでに石突は、向けなおされている。

 ただそれだけで、元の間合いに戻った。

 短剣と槍では、距離に差がありすぎる。

 また、ヘルカの持つ槍には穂先に鐘があり、普段よりも槍を短く持っている。本来の間合いより、腕一本は短いだろう。仮にゼリが長剣を握っていたとしても、いまの間合いより半歩短くなるかどうか。

 これを超えない限り、ゼリの躰に短剣が届くことはない。

 構えを解いたヴァリスは、詰めていた息を吐きだした。


「やっぱり、払って、それから飛び込むしかないかな?」

「どうかな。私が握ってるのが剣なら、刃を返すね」

「あ、あの」


 二人が目を向けると、ネウが小さく手を挙げていた。


「盾を持てばいいのでは?」


 至極まっとうな意見である。そして全くもって無意味な提案でもあった。

 ヴァリスが盾を持たずに戦ってきたのは、盾を持つよりも片手を開ける方が利点が多かったからだ。

 体格が小さく、お世辞にも力が強いと言えないヴァリスは、盾を持つにしても躰を覆うほどのものは持てない。かといって軽く小さな盾など、反逆者の膂力の前には紙も同然となる。そして、それゆえに、ヴァリスは盾を扱う術をほとんど知らない。

 ヴァリスは深くため息をついた。


「僕がもう少し背が高くて、力が強ければ、そうしてたかもね」

「え、あ、ご、ごめんなさい!」


 がしゃり、と鎧を揺らしてヘルカが腰を下ろした。悔しそうに唇を浅く噛み、困り果てた、とばかりに息をついた。


「謝ることじゃないさ。私やヴァリスも、人間相手に戦ったことがない。多少は小突き合ったことだってあるけど、血を流す程じゃないからね」


 ヴァリスは自分の手を見つめた。長く々短剣を握りしめてきただけに、ところどころ皮膚が厚く盛り上がっている。

 反逆者相手には、数え切れないほど短剣を振るってきた。恐怖がないわけではなかった。しかし、たったいま感じたそれに比べれば、はるかに小さなものだ。

 ベルに向けられた槍の石突が、もしも穂先であったなら。

 その先の想像に、ヴァリスの小さな手は、微かに震えた。


「王都につくまで、あと二日もないよね。それまでに慣れないと」

「着いてすぐにやるって話なら、時間はないね。なら、あとは度胸くらいしかない」

「勇気を少し分けてほしいや」


 二人の笑い声を遮るように、ネウの震える声がした。


「私、すごい無理な話をヴァリスさんにしていたんですね」

「いまさら? 僕は最初に言ったよ。無理な話だって。まぁ、いまやってみるまで、ここまで難しいとは、思ってなかったけどね」

「たしかに。見てみなよ、ヴァリス」


 ヘルカはヴァリスとネウに見せるように、手を伸ばした。銀色の手甲に覆われた手の平は、小刻みに震えている。

 ヘルカは手を握りしめ、見つめた。顔が強張っている。


「すぐにやめてくれて、助かったよ。もう一歩踏み込まれたら、と思うと、こんな情けないことになってたんだ。こんな有様で、どうやってゼリを討とうかね?」

「僕に聞かないでよ。僕だって怖かったんだから」

「あの、反逆者と戦うときより、怖いんですか?」


 ネウの素朴すぎる疑問に、二人は、ほぼ同時に頷いた。

 たしかに恐怖を感じたこともある。しかし、反逆者よりも人の、ヘルカのもつ槍の長さの方が、理解できるだけに、より恐ろしい。

 なんと滑稽なことなのだろうか。

 知らなければ怖くなかったことが、知ったことで怖くなった。初めて返り血の意味を知ったときと同じように、知った途端に、手足が震える。

 ヴァリスは口元を緩めて、ネウを見た。

 ただ見ただけだというのに、彼女はおびえたように一瞬震え、視線を漂わせた。こんなにも小さく臆病な少女に、教えられてしまうとは。

 ヴァリスは両手を頭の後ろに組み、寝転がった。


「正直に言えば、怖かったよ。反逆者なんかよりもね。でも」

「はじめては誰でも怖いもんさ」「はじめては誰でも怖いのさ」


 ヘルカとヴァリスの声が、重なった。

 初めて反逆者と対峙したとき、立ちすくむヴァリスに、ヘルカが言った言葉だ。その後に、二人は、協力して作り上げた鎧や槍、窓付きの兜を信じた。ヘルカは、ヴァリスのもつ短剣と、返り血を恐れぬ心を信じたはずだ。ならば、今度も同じだと思えばいい。

 ヴァリスは、声を上げ、笑ってみせた。


「心配しなくていいよ、ネウ。僕もヘルカも、臆病なわけじゃないんだ。ただ、どちらがゼリを倒すなんて大手柄を立てるか、そっちが気になる」

「て、手柄?」


 ネウには意味が分からないのだろう。普通に考えれば、王の暗殺など栄誉や手柄などという代物ではない。それに、先ほどまで怖いと言っていたはずのヴァリスが、今は笑ってそんなことを言っているのだ。ヴァリスがしたのは恐怖に負けないための心構えのようなものだが、ネウには、到底考えられないやり方だろう。


 ――冗談なんだけどな。


 憮然とするヴァリスの顔を見やって、ヘルカが言った。


「こういうときには、冗談を言うのさ。怯えたら負け。だから、笑ってやる。自分の中の恐れを下らないと笑ってやるんだ。それで意外と、どうにかなるもんさ」


 その口ぶりは、ネウにも同じことを教えようかというものだった。

 きょとんとしていたネウが、むっと息を詰め、唸り始めた。

 ヴァリスは思わず吹き出してしまった。彼女は冗談を考え始めたのかもしれない。

 恐れを捨てなければならない。反逆者と立ち会うのとは、また異なる恐怖を超えなければない。

 どう乗り越えるべきか考えながら、ヴァリスは瞼を閉じた。

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