決意
ヴァリスは痛いほど強く拍動する胸に手をあて、頭を振った。
脳裏に残るヘルカの半裸は、そんなことでは消えやしなかった。
ヴァリスはかろうじて形を残すベッドに腰を下ろし、深く息を吐きだした。
ネウがサルヴェンに訪れてからというもの、いままで忘れていたことを、次々に思い出させられる。ヘルカの様子も、いつもと少し違うように思える。
ついさきほどまでは、ヘルカを相棒としか見ていなかった。
しかしネウへの接し方に気を回してきたことで、知らず知らずの内に、相棒ではなく一人の女性として扱おうとしていたらしい。
街に辿りついた当初は、憧れていた兄弟にも似た感覚、姉のように思えていた。
それが、変わり始めていた。
新たにできてしまった違和感に、ヴァリスは誰に言うでもなく呟いた。
「どうすればいいんだろう……」。
「なにがだい?」
背後で聞こえたヘルカの声に、ヴァリスは肩を震わせた。湿った靴音が、床をにじり近づいてくる。淑やかな気配に、収まりかけていた動悸が、また揺り戻されていく。
いましがた見た姿ばかりが、思い出される。
ヘルカの手が、ヴァリスの肩に触れた。
「も、もういいの?」
「うん。なかなか気持ち良かったよ。少し、躰が冷えてしまったけどね」
「そ、そう……」
ごくり、と、ヴァリスは喉を鳴らした。音の大きさに、気付かれたのではないかとう思いが無性に恥ずかしく、顔を赤らめた。
窓にはすでに天幕を引いている。稲光が部屋に入ることはない。部屋を橙色に浮き上がらせる蝋燭の光は心もとなく、部屋は薄暗いままだ。
ヴァリスは生唾を飲んだことを誤魔化そうと、すぐさまに声を出した。
「と、とりあえず、僕、寝床の準備をしたから――」
「一緒に寝ようって?」
「ち、違うよ!」
ヴァリスはしどろもどろになって、顔を向けた。ヘルカの気持ちのいい笑顔はともかく、躰の方に、どうしても視線が滑る。服を着替えたところで、ただ乾いて透けていないというだけだ。しかも着丈の長いシャツの下は、下着以外つけていない。生白く肉感的な足が、惜しげもなく晒されている。
ヘルカは、目を細め、口の端を、にやり、と上げた。どうやら脚は見られても恥ずかしくないらしい。
「残念だったね、ヴァリス。もう、服は着てるよ?」
「ヘルカ!」
ヴァリスは恥ずかしさのあまり、叫んでいた。顔は火照って赤くなり、躰の熱に
ヘルカは、安堵とも取れる息をついた。
「良かった。少し安心したよ」
「安心って、なにが?}
「さっきの話さ。ゼリの話をしようとしないから、怒ってるのかと思ったよ」
「……それはこっちの台詞だよ。さっきのヘルカは、ちょっと怖かった」
「……悪いね。ちょっと、どうしてもね」
ヘルカは、自分の鞄が置かれたベッドに腰を下ろし、胡坐を組んだ。湿り気を帯びた髪が額の前に垂れ、影を作った。
聞くべきだとは思っても、聞いていいものなのかが分からない。蝋燭の灯りが作り出す影は、ヘルカの肌の上に、迷いを浮かび上がらせていた。
ヴァリスは床に置かれたままのブーツに目を落とし、小声で言った。
「弟がどうとか、そんなこと言ってたよね」
「うん。言った。」
「僕に話したことはないよね?」
「うん。ない。話そうと思ったことすらないね」
「いまなら、どう?」
ヘルカは、組んだ足首の上に両手をつき、俯いた。時がじっくりと流れていく。雷鳴が遠くなっていた。屋根を打ちつける雨音も、気付けば小さくなりつつある。
焦れたヴァリスは、口を開いていた。
「今日で会えなくなるなら、僕は聞きたい」
ヘルカの肩が、怯えるように、幽かに跳ねた。しかし口を開くことなく、ゆらゆらと、前後に躰を揺らしている。まだ迷っているらしい。
「ヘルカの聞きたいことがあるなら、僕は、全部話すよ」
常々、疑問を持っていた。なぜ、なんの役にも立ちそうにない少年を拾ったのか。なぜ、生活の全てを世話し、手助けしてくれたのか。
この機会を逃せば、本当に聞けなくなってしまう、とヴァリスは思った。
「僕はもう、ヘルカに隠すようなことはないよ。聞きたいことがあるなら、全部聞いてほしい。だから、なんで僕を助けてくれたのか、教えて?」
「まいったね」
ヘルカは、小声でそう言い、顔をあげた。笑顔を浮かべている。いまにも泣き出しそうな、苦しそうな顔に、薄い笑いを張り付けている。
「もう黙ってるわけにはいかないだろうね。悪いけど、聞いてもらうよ」
「悪くないよ。全然。僕が聞きたいって言ったんだ」
「違うよ」
ヘルカは口角を引きげて、ベッドの上に横になった。
「身体が冷えてるって言ったろう? 一緒に毛布にくるまろう。それが、話す条件だ」
「……えっ? えぇ!?」
ヴァリスは、頓狂な声をあげていた。一緒のベッドで寝るというのは、完全に想像の外の展開で、どうしていいのかすら分からない。
片肘をついて寝転んでいたヘルカが、空いた手で、毛布をめくり上げてみせた。
「さぁ。こっちに来て、毛布に入りなね。そっちが言ったんだよ? なに、変なことはしないさ。ただ、少しだけ、寒いんだよ。だから、こっちにおいで?」
先ほどまでの空気も相まって、胸が痛いほど強く打っていた。これまでは、その手のことに、まったく興味がなかった。ヘルカを女性として見ていなかったからだ。
しかし、いまは違う。なにかよからぬことまで、少しだけ期待してしまうのだ。
――なにを考えてるんだ僕は!
心中で叫んだヴァリスは、手で、両頬を思い切り叩いた。
「いま行く」
「……っ!」
ヘルカは顔を伏せ、こみ上げる笑いをこらえているようだった。
――ヘルカのせいなのに!
憮然としながらも、ヴァリスは濡れた革鎧を脱ぎ、蝋燭を吹き消した。
真っ暗になった部屋に、ヘルカの笑い声が響いた。
せめてもの抵抗にと、ヴァリスは背中を向けてベッドに滑り込んだ。しかしその努力も虚しく、首に回されたヘルカの腕のせいで、息が止まりそうになった。
「それで、なんで、ネウを助ける気になったんだい?」
「いきなり? まぁいいけど」
高鳴る鼓動に気付かれまいと、必死に冷静を装い、語調を整えた。
「言ったでしょ。僕はヘルカにそうしてもらったから、ネウにもそうしてあげようと思った。それだけだよ」
「ネウのため? 本当にそれだけかい?」
「本当だよ。ネウのためだよ。それに、僕のためでもある。多分ね」
「多分、ね。まったく、本当によく育ってくれちゃったもんだよ」
ヴァリスの首に巻かれたヘルカの腕が力を強め、躰をぴったりと寄り添わせた。
ヴァリスは、背中越しに感じる体温と予想外の柔らかさに、思わずヘルカの腕を掴んだ。
せめて背中に感じるふくらみから逃れようとしたヴァリスは、あっさりとヘルカに躰を引き寄せられた。先ほどよりも腕の力が強くなっている。
まるで、どこにも行かせないとでもいうかのように、ヘルカは、愛おしそうに、ヴァリスの頭に頬を擦り寄せた。
「それじゃあ、私の話をしようか」
「うん。聞かせてよ」
「私が生まれたのは、実は王都だった、って言ったら――」
「えっ!?」
初めて聞いたヘルカの出生地に、ヴァリスはヘルカの腕の中で振り向いた。
薄明りの下で、してやったりといった顔をしている。
「私の全身から、気品ってもんが漂ってるだろう?」
「なにそれ。冗談はやめてよ」
ふてくされ、ヴァリスは再び背を向けようとし、抱き寄せられた。胸元に抱きかかえられて動けなくなった。
頭上から、ヘルカの落ち着いた声がした。
「生まれは王都だけどね。私の最初の思い出は、サルヴェンの家からはじまるのさ。だから私の故郷はサルヴェンだ」
声と柔らかさと微かに漂う香油の香りで、気がおかしくなりそうだった。気を抜けば手を伸ばして抱き着いてしまいそうになる。話を聞きたかっただけなのに、余計なことが気になりすぎる。
ヴァリスは心を落ち着けようと、自分が今寝ているベッドの記憶をたどった。
「僕がここで覚えているのは、嫌な思い出ばっかりだよ」
「嫌な思い出にしたいんだよ、ヴァリス。そうじゃないと、家を出たことに納得できない。私が一度サルヴェンを出たときもそうさ。嫌な思い出しかない、と思おうとした」
「出たことがあるの? いまみたいに?」
「家族が死んだときに、王都の叔父の家に一時だけね。そのときは、もう戻るものかと思ってたよ。なんだって人同士で殺しあったのか。なんで私の家族が、そんな連中の巻き添えにならなきゃいけないのか。こんな街は消えてしまえばいい、と思った」
ヘルカの声は落ち着いたものだった。語られ始めた彼女の過子は、怒りが混じってもなんらおかしくはないはずである。にも拘わらず、その声には、昔を懐かしむような気配すらある。なぜそうも他人事のように話せるのか、不思議だった。
「だったら、なんでサルヴェンに戻ったのさ」
「そこで故郷だよ。嫌いな街のはずなのに、気になって仕方がない。特に親しい人たちがいたわけじゃないのにねぇ。なのに、なぜか戻りたくなることがある。戻る気なんかなかったはずなのに、王都を出るとき、期待している自分に気づいたよ」
「何に期待していたの?」
「その頃はわからなかった。今ならわかるけどね。それが思い出だよ」
「嫌な思い出じゃなかったの?」
「言ったろう? 嫌な思い出にしたかったんだよ。街を離れたからね。だから、なんでそういうことにしようと思ったのか、考えた」
「それで?」
ヴァリスは、次々と語られるヘルカの過去に、恥ずかしさなど吹き飛んでいた。見
上げるとすぐにヘルカと目が合い、彼女は優しく微笑んだ。
「離れたくなかったからじゃないかと思った」
「なにそれ?」
「理由が必要だったのさ。離れたくない土地から離れるために。どんなに嫌な思い出ばかりだと思おうとしても、王都を出るときは足が軽かった。不思議なもんさ」
――同じだ。
ヴァリスはサルヴェンを旅立ったときのことを、思い返した。
かつて使ったバッグを手に取り、昔教会から盗みだしたものを中に入れ、外にでた。戻りたいと思ったことは一度もなかった。しかし、ヘルカがそうだったというように、ヴァリスの足も軽かった。
道中で感じた足の重みは、もしかしたら、故郷を捨てたことに対する後悔だったのかもしれない。病に苦しむ司祭の姿を見たときに感じた怒りは、自分に向けられたものだったのかもしれない。
それはつまり、ヴァリス自身、常に教会を気にしていたからに他ならない。
「嫌いなはずだったのに、ここが僕の故郷なのか……」
「ん?」
「ロクな思い出がないのに、なんで気になるのかな」
「さてね。私は、大事な思い出だったからだと思ってるよ。それで? そのロクなもんじゃない思い出ってのは、どんなものなんだい?」
ヴァリスはを瞼を閉じ、孤児院の記憶をたどった。
そして、思わず笑いだしてしまった。不快な記憶だったものが、ヘルカの声と同じように、とても懐かしく思える。
「大して面白い話でもないけどね。僕の名前。一度、司祭様に文句を言ったことがあるんだ。他の子にはちゃんとした名前があるんだから、僕も欲しいってね」
「結果は?」
「『じゃあ、籠に短剣も入っていたから、ダガーにするか?』」
「そりゃ酷いな。ヴァリスの短剣は、片刃なのに」
ヴァリスはヘルカの冗談に、声をあげて笑った。たしかに、酷い。
いまも枕元に置いてある短剣は、ダガーとは違う。奇妙な形の短剣だ。もらえるのなら、多少変わった名前でもいい。どこにでもある物や、忌み嫌われる鳥の名前ではなく、特別な名前が欲しかった。
ヴァリスは手を伸ばし、ヘルカの背に回した。普段は鎧を着て走り回っているというのに、イグニスたちとは違い、想像以上に細く、しなやかな感触があった。
首に回されたヘルカの手が滑り、ヴァリスの髪の毛を指先で梳いた。
「それで、血吸鳥と同じ名前の少年の、その後は?」
「大したことも無いよ。次から次に別の子どもが入ってきて、出ていって。その間に他の子たちに随分やられたけど、ある時からそれもなくなった」
「短剣があるから?」
「武器を使ったことはなかったけど、まぁ、大体そうだよね。僕は短剣のおかげで血を怖いと思ったこと、なかったから」
思いだされる少年時代の喧嘩では、相手の鼻柱を一発殴れば大体カタがついていた。他の子供たちにとっては、人を殴ることすら反逆者となる恐怖を孕むのだから当然だ。しかしヴァリスは短剣を身につけている限り、血を恐れることは無い。
一度短剣を隠されたこともあったが、それまでヴァリスは返り血を恐れたことがなかったゆえに、怯んだことすらない。短剣があろうがなかろうが、他人に血を流させることにためらいがないなど、それだけで恐怖の対象となる。
思い返す度に、あの頃は相当な無茶をしたものだ、と思い、ヴァリスは息をついた。
「でもまぁ、そんな子供は、売れ残るよね。他の子供はすぐに売れていったけど、毎回僕は売れ残って、毎日司祭さまの言う事を聞かされてたよ」
「悪いことはしなかったのかい?」
「したよ。火打ち箱と紙を盗んで、教会を飛び出した」
「それ以前の話さ」
「ほんとに話すほどのことはないんだよ。僕は司祭さまに怒られたくはなかったし、せいぜいが、こっそり行商人の人から光る物をもらった程度だよ」
「光るもの?」
「よくわからない光る石とかさ。最初に街にきたとき持ってた中にも、入ってたでしょ?」
「つまりヴァリス少年は、鳥と同じように、手くせも悪かったわけだ」
「大体そんなとこ。否定はしないよ。そのかわり、鳥と同じで、普通の子よりは頭がいいし、強かった」
ヘルカは声を抑えてくすりと笑った。
「まぁ、話したくないなら、これ以上は聞かないさ」
「本当に大したことがないだけだよ。僕はこれでも、まじめに司祭さまの言うことに従って生きてきたんだよ」
「それがなんで、この教会を出ようと思ったんだい?」
「なんでだろうね。あるときから、グルーズの像を磨くのが凄く嫌になったからかも」
「父親に反抗したくなったわけだ」
「父親なんかじゃないよ」
ヴァリスは、ヘルカの背に回した腕に、力を込めた。
「あいつは僕の父親なんかじゃない。そういうんじゃ、ないんだよ」
「ロクな奴じゃない、とは私も思うよ。だけどね、言うことを聞いて、怒られないように気をつけて、そしてたまに反発して。なにより家出できるようになるまで育ててくれたんだ。それはつまり、父親だよ。私は、少しうらやましい。嫌いだろうし弱っちゃいるけど、まだ生きてる」
すべてが、ヘルカの言う通りのように思えた。
ヴァリスの脳裏によぎるのは、ベッドに力なく横たわる司祭の顔。まだ小さいころは何度も怒鳴りつけられ、強い大人に見えた。それが今では、ただの老人でしかない。
――手紙の一つでもくれればよかったのに。
そう思ったとき、ヴァリスは、ようやくにして、自分が司祭を気にかけていることに気づいた。
そしてヘルカは、父親を気に掛けることすらできないことにも。
「ごめん」
「……私が最後に父親とした会話は、『父様、いってらっしゃい』でね」
「可愛い、って言っていいのかな?」
「これは冗談じゃなくてね。悲しい話なんだ。それに、聞きたがってた、弟の話さ」
部屋に響くヘルカの声は小さく、暗くなっていく。それだけでも珍しいというのに、彼女の躰は、幽かに震えてすらいる。
ヴァリスは、首に回された腕を撫でさすった。
外から聞こえる雨音は、随分と小さくなっている。気づけば、天幕の向こうから月明かりも差し込んでいる。
ヘルカは小さく鼻をすすり、ヴァリスの頭を掻き抱いた。
「なんでもない静かな日でね。弟をつれて、両親が家をでるときだった。見送りに出た私に弟が手を振って、『ねえさま、いってきます』って。私はあの子に手を振りはしたよ。だけど、父にしか声をかけなかった」
「それが『父さま、いってっらっしゃい』?」
「そう。父は父で、私に何も言わなかった」
ヘルカは声を震わせ、言葉を継いだ。
「分かるかい? 最後に別れたとき、私は私の家族と、話さなかったんだ。声はかけたけど、話をしていなかったんだ。私は、私はそれが酷く辛くてね。特に弟さ。返事をしない私を、じっと睨んでたんだ。私は、あの目が忘れられない」
ヴァリスはどう返せばいいのか分からなくなった。
司祭がヴァリスの父なら、最後に見たのは、ヘルカと同じように自分を睨む目だ。もし会えなくなれば、ヘルカと同じように忘れられなくなるのだろうか。
ヘルカは目元をぬぐい、手の平で、ヴァリスの頬を撫でた。
「ヴァリス。お前のことが、弟みたいに思えたんだ。街の通りで座り込んでいたヴァリスの目は、あのときの弟そっくりだった。私は、二度と睨まれたくないし、悲しんでいてほしくない、そう思ったんだよ」
「……僕は、ヘルカの弟じゃないよ?」
「そう。違う。我儘だ。私の我儘で、お前のことを自分の好きにしようとしてたのさ」
ヘルカの声が落ち着いていくのに対し、ヴァリスは身体が重くなるのを感じた。
分厚い鉄鎧を着こむのとは違う、肩が落ちるような重さだ。ヘルカは自ら傷を抉り出してみせた。いまも疼く矢傷より強く、いつまでも痛む傷を、見せてくれた。
ヴァリスは傷を抱えてきたヘルカを、強い人だと思った。
「ヘルカみたいになれるなら、僕は別にいいと思うよ」
「私は、私みたいになってほしくないけどね」
「強さの話、だよ」
「二人で鎧を作ったのを忘れたかい? ヴァリスがいてくれたから、私は自警団に居れた」
「……明日、どうするの?」
「分からない。どうしたらいいのか。出来れば止めたい。だけど――」
「うん。僕は行くよ。絶対に、ネウを王都まで送り届ける。それに、僕がやる」
「ヴァリス。私は、どうしたらいいと思う?」
そう尋ねるヘルカの声は、いままでに聞いたことがない、まるで怯える子犬のような声だった。
だからヴァリスは、
「僕は、なにも言わないよ。ヘルカは、自分で決めるべきだ」
初めてヘルカを、突き放した。
ヘルカが細く、長く息を吐いた。
「キツいね。キツいことを言ってくれるよ」
「ヘルカ……僕はもう寝るよ。明日はアイツに、帰ってきたら、ちゃんとした名前をつけろって、言わないといけないしね」
ヘルカが、ヴァリスを強く抱きしめた。
「……おやすみ。ヴァリス」
「うん。良い夢を見て」
ヴァリスは、ヘルカが家族の話をしてくれたことに、心の内で感謝した。
ヴァリスが教会の外に出てから、一番知りたかったのは家族の話だった。家族というものを持ったことがなく、周りの人はすべて敵に見えた。たとえ話を聞いてくれる人がいたとしても、それは全て利害関係の中にある人だけだ。
孤児院に居た頃、本を読まされていたとき、家族という文言を見つけた。ヴァリスはその意味が分からず、司祭に聞いたのを覚えている。答えは、『それは家族と言って、普通の人はみんなもっているものだ』。
当然、司祭さまの家族は誰か、と聞いた。答えは『神に仕える者は人が全てが家族だ。お前もそうだ』だったはずだ。
実際は違った。子供たちは商品と同然で、ヴァリスは売れ残りだった。
だからヴァリスは、本物の家族を探すつもりで、教会を出たのだ。そして、ヘルカと会った。ヘルカはこの二年の間、決して家族の話をしなかったし、同時にヴァリスに家族の話を聞かなかった。
それがいま、変わった。
先ほどヘルカが言っていたことが事実なら、ヴァリスにとって、ヘルカは家族となるだろう。サルヴェンに着いてから、ずっと一緒にいて、いろいろなことを教わった。反発したこともある。ならば、家族以外のなにものでもない。
そして、なによりも守りたい人は、ヘルカだ。
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