神話と伝承

 二人を連れて戻ってきたヴァリスも加わり、尋常ではない量の資料にあたった。もっとも、字を読むこと自体が不得手なヴァリスと、文字自体を嫌うイグニスは、早々に整理を手伝うばかりになっていたが。

 一体どれほどの時間が経っただろう。

 ヴァリスが司祭の古い日記を見つけ、眺めようか、というときだった。

 嬉々として机の前に陣取り、紙片をめくり続けていたイーロイが、声をあげた。


「大体わかってきたぞ」


 イーロイは大きく伸びをし、椅子の背もたれを軋ませた。。


「俺は神なんてものを信じちゃいないが、ここに書かれていることが真実なら、反逆の種は、人の世界を変えるな。今じゃ誰もやらない戦争ってやつが、また起きるぞ」

「どういうことだい? イーロイ」


 ヘルカが顎をしゃくり、続きを促した。


「簡単に言うとだな、本来の反逆の種は、人の躰に植えることで、人を返り血から守るそうだ。その目的は至って単純だ」

「戦争ってやつ?」


 ヴァリスは司祭の日記を閉じ、そう聞いた。

 イーロイは指先で空気をつまんだ。


「惜しい。だが違うよ、ヴァリス。神を殺すためだ」

「神を!?」


 叫んだのはネウだった。ゆっくりと後ずさり、目眩でも起こしたのか、ふらふらとよろめいた。とっさに、ヴァリスは躰を支えた。


「神さまを殺すなんて、僕にはさっぱりだよ」

「そりゃ、お前も神さまを信じちゃいないからだよ。まぁとにかく、グルーズを殺すためには、まず制約を超えなきゃならん。で、その方法ってのが、反逆の種を、人の躰に植えること。つまり反逆ってのは、人による神への反逆、ってわけだ」


 イーロイは指先で書簡をつまみ、遊ばせていた。その目には、疲れと呆れ、そして僅かな希望が込められているようにもみえた。

 ヴァリスは、すっかり元気をなくしたネウを、近くにあった踏み台に座らせた。


「なんだか、嬉しそうにも見えるね、イーロイ」

「実をいうと、半分はうれしい。種を植えさえすれば返り血が平気になるんだぞ? 怪我人も死人も、いまよりずっと、減らせるかもしれない」

「そう上手くいくわきゃねぇだろ」


 それまで黙っていたイグニスが、イーロイを睨んだ。


「いまだって殺し合いをやりはじめるバカがいるんだ。それが増えるんだぞ?」

「分かってるさ。だから半分だ。大体にして、ゼリが人の手で作ろうとしてるってことは、奴は大量に作って、戦争で優位に立つつもりなんだろうしな」


 イーロイの傍らにいたヘルカが、その手から書簡を奪い取った。


「作ろうとしてる? 作ったのではなくて?」

「本物じゃないってことだ。本物だったら、植えられていた肉体は反逆者にならないはずなんだよ。だが俺達が見つけたのは、反逆者の躰の中からだ。つまり、失敗作なのか、模造品だったりするのか……」

「あるいは、別の目的で作られた、よく似た何か、ってことかい?」

「その可能性も、まぁ否定はできないな」


 イーロイは飄々としてそう答え、すでに他の書簡に手を伸ばしていた。

 腕組みをしたイグニスが、鼻で深い息をついた。


「サルヴェンで反逆者になった野郎は、小瓶を持ってたな」

「どういう原理なのかは、まだよく分からん。書いてないしな。ただ、種ってくらいなんだから、返り血を吸い込むとか、そういうことなんだろう。試してみなきゃいけないが、容易じゃないよな。一歩間違えたら反逆者なんだぜ? つまり――」


 ヘルカが眉を寄せて、言葉を継いだ。


「つまり、だまして血を飲ませたってことかい?」


 イーロイは、無言でうなづいた。

 弾かれたように、ネウが顔をあげた。


「そ、そんな! そんな、酷いこと……」


 それ以上、言葉は続かなかった。ネウは潤んだ目を伏せ、自分の躰を抱きしめた。

 その姿を見て、ヴァリスは、はっきりと、街の片隅で震えていた頃の自分を重ねた。

 ヴァリスはネウの傍に屈みこみ、丸められた小さな背を、優しく撫でた。

 ヘルカは目を強く瞑り、やるせないといった様子で、髪を掻き上げた。


「本当に反逆の種が血を被っても平気になるのかは知らないけど、失敗作でも多少は平気になる、とか、そんなことを言われて、信じるもんかね?」

「僕は、難しいと思うよ。子供だって、返り血を見たら逃げるように教わるし」


 思い出されるのは、かつてヴァリスが教会で他の子供とした喧嘩の思い出だ。ちょっとした出血だったとしても、手を差し伸べたりはしない。むしろ、可能な限り避けるものだ。だからこそ返り血を恐れぬヴァリスは、怖がられたのだ。

 顎に手を当て考え込んでいたヘルカが、ふいに顔をあげた。


「なるほどねぇ。それで盃一杯の血か」

「あん? 盃一杯? どう言う意味だよ」


 話が見えないといった様子のイグニスに、ヘルカは諭すように言った。


「ゼリが作った反逆の種は、盃一杯の血を受け容れられるようにする、ってことさ。失敗作でも、効果がないわけでもないとしたら? 何人かに植えて、血を飲ませる。反逆者にならなかった奴は、選ばれた人間だ、とかなんとか、言ってやればいい」

「……あとはサルヴェンに送りこんで、血を飲ませるってか? なんのために」

「街を奪うとかじゃないのかね。反逆の種を植え付けて、街に送り込む。そして反逆者へと姿を返させ、街を襲わせるのさ。何度もやれば、私ら自警団の数を減らせる」


 出てきた結論に、イーロイは頭を掻いた。


「たまらないな。真相はともかく、筋は通っちまう。街に住んでる人間を兵士以上に強力な戦士に変えられるわけだ。唯一の問題は、街が壊滅的被害に遭った場合ってことになるが……」


 イグニスが頭をぼりぼりと搔き乱し、イーロイの言葉を継いだ。


「戦争をしようってんなら、街を襲うのは、イーロイ、お前お得意の、実験みてぇなもんなのかもな。何人送り込めば、街の防衛力を落とせるのか、とかな。どのみち人同士で戦う度胸のある奴なんて、数えるほどしかいねぇだろ」


「じゃあ、止めないと、ってことになるねぇ」

「おい、ヘルカ。冗談じゃねぇぞ? どうやって止めるってんだ。精々が街で対策を――」

「ゼリを止める方法が、一つだけあります」


 ネウの震える声が、部屋に響いた。


「ゼリを討ちます。王が倒れれば、全てが止まるはず」

「おいおい。お嬢ちゃん、物騒なことを言うもんじゃねぇよ」


 イグニスは、王の暗殺という提案を、一笑に付した。部屋の中で、ただ一人ゼリの暗殺依頼を知らないからだろう。

 彼は、黙りつづける皆を見まわし、声を荒げた。


「おいおい!? 本気かよ、お前ら! どう考えたって、逃げる方法を考えるべきだろ!? まさか自警団をいまから呼びに行って、みんなで王都を落とそうってか!?」


 深くため息をついたヴァリスは、重い口をあえて開いた。


「ネウが僕のところにきたのは、時間がないから、らしいんだ。それに、僕は返り血を防ぐ剣を持ってるしね」

「おいおいおいおい! そういうことはもっと早く、団長に言えよ!」

「イグニス、落ち着けよ。ヴァリスにしてみりゃ、運命みたいなもんだぜ?」

「運命だぁ!? なにわけわらねぇこと言ってんだ?」

「大声出すのはよしなって。ネウが怖がるだろう?」


 ヘルカはそう言ってイグニスを制し、イーロイに尋ねた。


「それより、運命ってのは? さっきの、リモーヴァの子ってやつかい?」

「そう。そいつだよ。こいつに書いてある」


 イーロイはそう言って、崩れ落ちそうなほど古ぼけた本の、頁をめくった。


「『リモーヴァはグルーズの手から短剣をかすめ取り、自らの子に持たせて人の世界に隠した』そうだ。つまりこれは、ヴァリス、お前のことだろ?」

「それは神話だろう? なにをバカなことを言ってるのさ」


 ヘルカは苛立たしげにそう言い、イーロイの座る椅子の足を蹴った。

 イーロイは苦笑し、椅子に座りなおした。


「俺やお前がどう思うかは関係ないんだよ。少なくとも、あの司祭様はそれを信じてる。だからリモーヴァの使いの名をつけたんだろ。多分さ」

「違うよ。そんな理由じゃない」


 ヴァリスは深く息を吐きだし、顎をあげた。あまりいい思い出ではなく、恥ずかしい話だ。喋るには、間が必要だった。


「あいつは自分で言ってた。『外でやけに血吸鳥がうるさく鳴くから、追い払おうと思って外に出た。そしたら、お前と短剣が入った籠が、置いてあったんだ。しかも籠の上には、血吸い鳥が止まってる。呪われた子供だ。だからお前は、ヴァリスだ』」


 ヴァリスは、いつものヘルカを真似て、司祭の声色を模した。ヘルカのように和ませることはできなかった。しかし、少なくとも、ヴァリス自身は、ただ話すよりかは幾分かマシに思えた。


「気に入らないね。まったく、気に入らない」


 ヘルカは呟くように言い、天井を――おそらくはその先の司祭を、睨みつけた。

 イーロイは、欠片も気にしていないかのように、本の続きを見ながら言った。


「ま、名づけの理由はどうでもいいさ。名前に意味なんかないからな。問題はここにある資料の山だ。こんなものがあるんだぜ? 司祭様は、ヴァリス、お前を拾ってから今日までの間に、考えを変えたんだろうよ。ま、単にお前には嘘をついていただけかもしれないけどな」


 イーロイは読んでいた本を、ヴァリスに見せた。


「ほら。少なくとも、お前の持ってる短剣は、リモーヴァが盗んだとかいう剣にそっくりだぜ? ついでに、持っていれば血を浴びずに済むとも書いてある」


 イーロイが示した挿絵には、ヴァリスが持つ短剣と同じ形の、黒い短剣が描かれていた。刀身の中程から屈曲して、前方へ向かって緩い曲線を持つ、奇妙な剣だ。刀身の根元の鉤型の刻みも同じ、そして柄の模様も同じだ。

 ヴァリスは、腰に差した短剣の柄を撫でた。いまは滑りを防ぐために巻いた布の下に隠れているが、挿絵と全く同じ、羽ばたく鳥が描かれている。


「この剣は、僕以外が持っても血を防いだりはしないけど?」

「俺には見た分しか分からねぇって。ただ、見つけた反逆の種がゼリの作ったまがい物の類なら、その短剣もグルーズの短剣のコピーなのかもしれない。まぁ、いずれにしても、お前がリモーヴァの子って奴なら、本当なら神に反逆するのはお前ってことなんだけどな。どうも状況が違う」

「イーロイ。よしてくれ。ヴァリスを、私の相棒を、そんな下らない話に巻き込まないでくれないかい? しまいには、私だって――」


 ヴァリスは、ヘルカが怒り出す前にと、とっさに口をはさんだ。


「ヘルカ、大丈夫だよ。それより、一旦、上に戻ろう。ネウの具合が悪そうだ」


 ヴァリスの傍らで、ネウは真っ青な顔をして、震えていた。

 うわ言のように、


「許されない。戦争なんて、そんな酷いこと、グルーズ様がお許しになるはずが……」


 と、呟きを繰り返していた。

 イーロイは素早く立ち上がり、本を数冊、手に取った。


「うん、そうだな。そうしよう。ここは空気が悪い。どうするにしても、一度、冷静にならないとダメだ」

「どうするもこうするも、サルヴェンに戻る以外の選択があるのかよ?」


 イグニスが、茶化すように言った。

 ヘルカは腰に手を当て、俯いた。


「私もそう思うね。けど、その話の続きは上でしよう。ネウが辛そうだ」


 ヘルカは、ヴァリスに視線を送った。ネウを立たせてくれ、という合図だ。

 ヴァリスは、ネウの背を撫でた。


「ネウ、大丈夫? 立てる?」


 彼女は、小さく頷いた。両手で躰を掻き抱き震える姿は、ヴァリスが街にたどり着いた頃よりもひどくなっている。この教会に一人ぼっちでいた頃と同じだ。

 ヴァリスは、ネウの肩を抱えて支え、立ち上がらせた。

 かつて、ヘルカに、そうしてもらったように。

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