謀略

 「お前らがやったんだろ? あいつは」


 イグニスのいう奇妙な反逆者とは、ヴァリスたちが倒したもののことだった。

 現場にはすでに浄化隊がおり、反逆者の死体を横目に、街路を汚す夥しい量の血を洗い流していた。

 その光景に、ヴァリスはすぐに違和感を覚えた。

 討伐からすでに十分な時間が経っている。

 しかし、死体は、まだ反逆者の姿を留めたままだ。

 いつもと同じなら、死んだ反逆者は人の姿を取り戻しているはず。しかし、そこにあるのは、巨大な蜘蛛のような姿形をした死体だけだ。


「なんでだと思う?」

「私に聞かれてもね。私だって初めて見るよ」


 ヘルカは、無造作に反逆者の死体に近づくイーロイを止めた。


「ちょいとイーロイ! やめな、まだ死んでないのかもしれないよ」

「大丈夫だよ。心配し過ぎなんだ、ヘルカは。俺は医者だぜ? どんな生きもの相手でも、生きてるか死んでるかくらいは、見りゃ分かるさ」

「ったく、あのバカめ。イーロイ! 待ちなって!」


 ヘルカは、イーロイの所へ駆けより、庇うように前を歩きだした。

 隣に立っていたイグニスが、ヴァリスの肩を叩き、冷やかすような目を向けた。


「取られちまったな、ヘルカを」

「イーロイといると、いつもあんな感じだよ。多分、好きなんじゃないかな?」


 イグニスはつまらなそうに舌打ちした。


「なんだよ、もっと悔しがるかと思ってたぜ、俺は」

「なんでさ。僕はヘルカとイーロイは似合ってると思うよ。二人とも世話焼きだし、無茶なことをするのが好きだ。良く似てると思う」

「なんだよ、しらねぇのか? ヘルカの奴、俺達の間じゃ血の雨降らしの女房あつかいなんだぜ? すげぇカカア天下だってな」

「ひどい言いようだね。ヘルカに聞かれたら殴られるかもしれないよ」

「おうよ、実際殴られた。籠手をつけたまんまの右手でな。痛ぇのなんのって」


 ヴァリスは思わず吹き出してしまった。まさか昨日あれだけ険悪だった相手に、冗談を言われるとは。

 笑っていたイグニスは、急にまじめな顔をした。


「謝ろうってんじゃねぇからな? 血をバラ撒かれて迷惑してるのはホントのことなんだからよ。出来りゃ、今度からは血を撒かずに始末してくれよ」

「できるならそうしてる。僕の持ってる短剣じゃ、ああいうデカい奴を相手にするには、短すぎるんだ。今日はそのせいで痛い思いもさせられた」


 反逆者の頭の方を覗きこんでいたイーロイとヘルカが、ヴァリス達を手招きした。ヴァリスとイグニスは顔を見合わせ、反逆者の元へと歩き出した。


 あらためて見てみると、死体は酷いありさまだった。

 体中にヴァリスがつけた傷が残り、落ちかけている首からは白く太い骨が露出している。腹側の肉は突き出た肋骨の隙間から腐臭すら漂わせている。


 ヘルカの突き刺した槍の跡が残る顔は、かすかに人のそれに戻りつつある。しかしそれも原形には程遠く、暗い穴のような目鼻口は変わらないのだが。

 イーロイは、元は口の辺りであろう穴をナイフで押し開き、皆に見せた。


「見えるか?」

「僕には、なんにもない、ただの穴にしか見えないけど?」

「そう。なんにもない。はらわたもそうだが、一部が完全にないんだよ。俺は何度か元の躰に戻った死体を腑分けしたことがある。どれも多少は変性の跡はあっても、歯や舌は残ってるもんなんだ。だがこいつは違う。溶けてなくなっちまってる」


 ヘルカは、忌々しげに顔をそむけた。


「それがなんだい? 死んでからも反逆者のまんまってのと、なんの関係が?」

「分からん。分からんが、普通の反逆者じゃない、ってことだけは分かる」


 普通の反逆者ではないと聞いて、ヴァリスは戦っている最中に感じていた違和感を思い出し、辺りを見回した。

 手桶とブラシを使い、浄化隊員が石畳を洗っている。彼らは新たに引いて来た空の荷車の上に、反逆者に殺された人々の死体を載せていた。回収して、洗ってやるのだろう。なぜ、そんなにたくさんの死体があるのだろうか。


「思い出した。何がおかしいのか」


 皆の視線が、ヴァリスに向いた。

 ヴァリスは居心地の悪さをこらえ、肩をすくめた。


「こいつ、僕とヘルカ以外には血を吐いてこなかった。それに、こんな大通りの真ん中だし、血を浴びるようなことが起きたんなら、みんなすぐ気づくはずだ。変だよ」


 イグニスは腕組みをして、睨むような目で辺りを見回した。


「たしかにそうだな。それに朝も早いうちだ。朝方のここらにゃ、結構人がいるぜ」

「と、なると、今朝ここで反逆者が出た時にいた連中から、聞いて回る必要があるねぇ。まず考えられそうな連中なら……イーロイ、あんたの診療所に来た患者達だね」

「そっちはお前らに頼むよ。問題は反逆者の腑分けだ、もし頼めるなら、ヴァリス。やってみてくれないか?」


 イーロイの目は、有無を言わせるつもりはない、というかのように輝いていた。

 ヴァリスは顔をしかめて、目を逸らした。


「なんで僕が? 医者はそっちでしょ?」

「いつまでも死体をここに置いとけないだろ? 俺がやるとなると、血抜きをしなきゃならない。となれば、誰か人をよんで、そこの浄化隊にも手伝ってもらって、ついでに俺の診療所から道具も持ってきてもらってだな――」


 イーロイは矢継ぎ早に捲し立て続けた。イグニスはうんざりとした顔をして空を仰ぎ見て、ヘルカは同情するかのような目を、ヴァリスに向けた。


「――分かった。分かったよ。イーロイ。僕がやるよ」

「本当か! やっぱりお前は話が分かるな! それでこそだ!」


 ヴァリスはため息をついた。


「分かったってば。でも、僕は解体バラすくらいしかできないよ?」

「もちろん、どこを切るのかは俺が教えてやるさ。その間に」


 イーロイはヘルカとイグニスに、手で払うような仕草をした。


「お前らは俺の診療所で話を聞いてみてくれ。ほら、行ってくれ」


 ヘルカは手を挙げて応じ、心配そうに言った。


「気を付けなよ。特にイーロイ。あんたはヴァリスと違うんだ。血を浴びたら一瞬で反逆者になっちまうかもしれないんだからね?」

「言われなくても分かってるっての。俺は鎧の医者だぜ?」


 イーロイは自慢げに胸を張った。

 ヘルカは強く目をつぶった。首を振り、ヴァリスに目配せをして、診療所へと歩きだした。よろしく頼む、ということだろう。

 なにやら後ろに続くイグニスの歩き方がぎこちない。緊張しているのだろうか。


 ――こういうときには、冗談を言う。

 

 ヴァリスはイグニスの背に声をかけた。


「あんた、イグニスって名前だったんだね。初めて知ったよ」

「……たしかに名乗った事はねぇけどな。同じ自警団なんだ仲間の名前くらい、覚える努力をしろ。クソガキめ」

「気が向いたらね。とりあえず、あんたの名前は覚えとくよ。今日の内くらいはね」


 イグニスは顔を真っ赤にしていたが、反論はしなかった。もしかしたら、イグニスは、あれで結構気にしていたのかもしれない。あるいは、となりで声を押し殺して笑うヘルカのせいなのか。


 ――どっちでもいいや。


 ヘルカの冗談が聞けなかったのが、少し残念だった。



 ヴァリスはイーロイの指示に従い、反逆者の膨れた人の躰部分、その腹の上に昇っていた。ぶよぶよとした肉の感触はとてつもなく不快で、早くも引き受けたことを後悔していた。

 やけに楽しそうに、イーロイは指示を続けた。


「そう、その胸骨の根元から下っ腹まで、縦にまっすぐ切り開いてくれ」

「分かった。離れてた方がいいよ。僕に向かって返り血が飛んだら、周りにはねるからね。噴き出したりしたら、イーロイが反逆者になっちゃう」

「もう死んでるから噴き出さなないよ。早くやってくれ」


 ヴァリスは血返しの短剣を引き抜き、イーロイをジト目で睨んだ。


「……でもまぁ、そうだな。俺はそこの家の中にでも隠れとくよ」


 イーロイは振り返り、壁の崩れた家を指さした。

 誰のものとも知れない家に無遠慮に入っていく姿は、どこまでも自由だ。


 ヴァリスは息を止め、短剣を胸骨の根元に差し込んだ。

 ぶつり、と肉が裂ける感触がして、黒い血がにじみだす。普通の反逆者の血よりもずっと黒い。まるで腐っているかのようだ。


 押し込んだ刃を滑らせ、腹を切り開いていく。何度やっても嫌な感触だ。

 ヴァリスは丘の教会にいた頃も、動物の解体をさせられていた。それも『お前はリモーヴァに愛されている』という下らない理由で。

 大抵は小動物が相手で、あまり気持ちのいいものではなかった。しかし、それなら出て行けと言われてしまうと、どうしようもない。忘れたい過去の記憶の一つだ。


 ヴァリスは首を左右に振り、呼び起こされた思い出を打ち消した。

 昔と同じように切り開いた腹に手を差し込み、肉を大きく割り開く。むせそうなほどの腐臭があふれ出てくる。思わず顔を背けると、遠巻きに見ていた浄化隊も、顔をしかめて目を逸らした

 ヴァリスは腹の奥からこみ上げるものをこらえて、イーロイの隠れる家に叫んだ。


「イーロイ! 開いたよ!」

「中に手を入れて探ってみてくれ! なにかないか!?」

「なか? このなかに手を入れろって?」


 そう呟き、目を落とした。腹の中には、赤や黒や黄土色の粘液が溜まっている。

 簡単に言わないで欲しい、とヴァリスは思った。

 この汚らしい液体の中に手を突っ込むのには、勇気がいる。しかも、いつものように深呼吸しようものなら、そのまま吐いてしまいそうだった。


 仕方なくヴァリスは息を止め、左手を反逆者の腹の中に沈めた。

 不快極まりない感触を予想していたが、意外にも手にはなんの感触もなかった。液体以外は何も入っていないのだろう。臓物が残っていれば、柔らかい肉の感触か、あるいは自分のものとは違う温かさを感じるはずだ。


 ヴァリスは腹の中をかき混ぜるように手を動かし、探った。気持ち悪いからといって遠慮していたら、いつまでも終わらなそうだった。

 指先が何かに触れた。丁度ヴァリスの手の平に収まる程の大きさの塊だ。

 

 掴み、引きずりだす。

 植物の種のような、薄気味の悪い塊だった。

 石にしては柔らかく、肉にしては固い。強く握れば破裂しそうな弾性があり、血管を巻いたように節くれだっている。


「イーロイ! 良く分からないけど、木の実みたいなものがあったよ!」

「そっちに行く!」

 壊れた壁の影から、勢いよくイーロイが駆け出てきた。そして、ヴァリスが手に持つそれに、手を伸ばした。

 ヴァリスは素早く手を引き、怒鳴りつけた。


「危ないってば! 反逆者になりたいの!?」


 一瞬驚いたような顔をしたイーロイは、口を固く結び、すぐに両手を上げた。


「すまん。慌てた。そいつを洗ってくれるか?」

「うん。イーロイはもう少し自分を大事にした方がいいよ。ヘルカが心配する」

「ヘルカが? まさか。あいつが心配してるのはお前の方だぜ、ヴァリス。あいつときたら、なにかにつけてお前の話ばかりするんだ」

「一緒にいることが多いから、話のタネにしやすいだけさ。多分、ヘルカはあんたの事が好きなんだよ。イーロイはヘルカのことが好きなんじゃないの?」

「冗談。おっかないよ、あいつは。そりゃ好きか嫌いかで言えば好きだって言うけどな。まぁ、いまはそんなこと、どうでもいい。そいつを俺に見せてくれよ」 


 ヴァリスは浄化隊から水を分けてもらい、塊を洗った。

 外見にはなんの変化もみられない。指で押すと僅かに凹むそれは、反逆者の心臓と言われても不思議ではない。見ているだけで不安をかきたてられる。

 イーロイはヴァリスに手を差し出した。


「それ、見せてくれ」

「でも、触って大丈夫なものなのか、分からないよ?」

「なに物は試しだ。ダメだったら、お前が俺の始末を付けてくれればいいだろ?」


 イーロイの相変わらずの調子に、ヴァリスは伸ばされた手を払いのけた。


「ダメ。僕はイーロイを殺したくない」 


 ヘルカが心配するのも無理はない、とヴァリスは思った。イーロイは、あまりにも自分の命や反逆者について、軽く見過ぎている。


「なんだかぶよぶよしてるから、中に血が溜まっているのかもしれない。だとしたら――」

「分かった。分かったよ、ヴァリス。お前、ヘルカに似てきてるぞ?」

「みんなそう言うよね。僕は真似することはあっても、似てると思ったことはないよ」


 イーロイの返答を待たずに、ヴァリスは診療所に向かって歩き出した。背後からは少し強い足音がついてきていた。塊を触らせもらえないのが不満なのだろう。

 診療所に戻ると、ヘルカが顔を険しくして待っていた。


「ヴァリス、まずいことになってきたみたいだよ」

「いきなりどうしたの? まずいことって?」

「反逆者は突然現れた、らしい。で、手には変な瓶を持ってたそうだ」


 イーロイがヴァリスを押しのけ、ヘルカの両肩を揺さぶった。


「その小瓶に反逆者の血を入れてたってことか!?」

「そこまでは私も知ったこっちゃないよ。落ち着きなね。いま、イグニスが屯所に行ったところさ。その小瓶を探すためにね」


 ヴァリスは、押しのけられたことでぶり返した肩の痛みに、顔をしかめた。


「何だって自分から反逆者になったりしたんだろうね」

「そこだね。しかも普通とは違って、仲間を増やそうとしない。ただ人を殺すだけの反逆者だ。それなら、目的はこの街の人間を殺すことってことなのかね?」


 ヘルカは迷惑そうにイーロイを押しやった。

 眉を寄せたイーロイは、すぐに顎に手を当て、誰ともなく言った。


「目的なんて大層なもんが反逆者にあるのか? だが、なり方からして普通とは違う。人と同じ考え方をしていても不思議じゃないか? しかし――」


 イーロイはそのまま小声でぶつぶつ呟き続ける。もはや声など聞こえないだろう。

 ヴァリスとヘルカは顔を見合わせ、揃って鼻で息をついた。

 理由があって反逆者になったのだから、反逆者と化しても目的をもっている。そんなことが、本当にありうるのだろうか。


 ヴァリスは診療所を埋める怪我人達に目を向けた。彼らを殺すにしても、他にいくらでも方法はあるはずだ。それこそ、普通の反逆者と同じように。


「まぁ、イーロイのバカはいいさ。ヴァリス、そっちは何があったんだい?」

「僕らの方は、この変なのを見つけたよ」

「なんだい、そりゃ」


 ヘルカは眉を寄せてヴァリスのつまむ塊を眺め、手を伸ばした。手甲の上からといっても、触らせるのはさすがにマズいかもしれない。

 ヴァリスは指先に少し力を入れ、塊を凹ませてみせた。

 さすがのヘルカも薄気味悪く思ったらしく、すぐに手を引っ込めた。そして両手を腰に当て、項垂れた。冗談を言う余裕もなくなってしまったらしい。


「まいったねぇ。やらなきゃいけない事が、一気に増えちまったよ」

「出来ることから順番に、でしょ? ヘルカ。それに僕らには、一人、手がかりになりそうな知り合いがいる」


 ヴァリスはヘルカに目を向けた。


「ネウだよ。ネウなら、なにか知ってるかもしれない」

「たしかに。その薄気味わるいもの持っていって、少し話を聞いてみようか」


 我に返ったイーロイは怪訝そうな顔をし、ヴァリスとヘルカを交互に見た。


「あー……誰なんだ。そのネウってのは」

「ヴァリスの故郷から来たっていう女の子さ」

「故郷じゃない。丘の教会だよ」


 ヴァリスは診療所の棚から小さな布の切れ端を取り、塊を包んで懐に入れた。


「ネウは屯所にいるんだよね? とにかく話を聞きに行こうよ」


 イーロイが何か言いたそうにしていたが、ヴァリスは無視して診療所を出た。後ろから聞こえてくる足音は、疲れの感じられるヘルカのものだけだった。

 とりあえずイーロイは、怪我人の手当てを優先することにしてくれたらしい。これでヘルカの心配が、少しは和らげばいいのだが。

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