第43話蛮族の闘士カインと囚人5
ロストフの収容所は、壁の外側四方が堀で囲まれており、西側には森林が広がっていた。
逃げられぬように右足に嵌められた鉄球を引きずりながら、女囚達が森林にほど近い場所にある畑を耕し、
芋を掘っていく。
芋が一杯に詰まった籠を背負い、荷車まで運んでいく作業は、女の身では中々骨が折れる。
肌を焼く強い陽射し──額に滲む汗を拭いながら、リルダは空を見上げた。
陽はまだ高い。
無理に作業を続ければ、たちまち体力を奪われる。
だが、少しでも手を抜いたと見なされれば、看守の鞭が飛んでくる。
ろくな食事にもありつけず、栄養失調気味の身体で過酷な労働を課されるのは辛かった。
潰れる血豆に顔をしかめ、それでも黙々と木鍬(こくわ)を振るう。
開墾されたこの畑は、森の近くということもあって、時折モンスターや猛獣が降りてくることがあった。
飢えたモンスターにとって、目の前に餌が群がっているのだ。
言ってみれば羊の群れが、猛獣の前でうろついているようなものだ。
そして、モンスターに襲われるのは大抵が女囚だった。
ロクな武器も持たず、足枷の鉄球を嵌められているせいで、まともに逃げ出すこともできない非力な女囚など、
飢えたモンスター達からすれば格好の餌だ。
そして、モンスターが囚人を襲っている間に、他の女囚や看守はその場から逃げていく。
誰も助けようとする者はいない。
女囚──木製のスキやクワでは、モンスター相手にまともに戦うことなど出来ず、逃げ遅れた場合は、
自分が餌食になることを知っているからだ。
看守──自分の身を危険に晒してまで、囚人を助ける理由がない。
それ故にモンスターから目をつけられたら最後、その女囚は誰にも助けられることなく、食い殺される運命が待ち受けている。
(あるいは……そのまま食い殺されてしまったほうが幸せかも知れないわね……)
「こらっ、手を休まるんじゃないっ」
新入りの女囚が、看守の鞭の餌食にされる。
鞭は一度だけでは収まらず、立て続けに何度もその女囚の背中や手足を打った。
その時、どこかで激しい羽音が聞こえてきた。
ブウン、ブウンという昆虫の鳴らすような不愉快な羽音だ。
耳障りなその音にリルダは身を竦め、辺りを伺った。
と、次の瞬間、樹木の間から黒い影が飛び出してきた。
黒い影の正体──人食いスズメバチだ。
人の背丈ほどはあるだろう。
化物スズメバチが、単眼で獲物を見定め、その大顎をカチカチと鳴らしてみせる。
女囚も看守もその場から動こうとかしない。
下手に動けば襲われるからだ。
リルダの背筋に冷たい戦慄が走った。
モンスターを目の前にし、それまで渇望していた死の願望が、急速に霞んでいく。
(やっぱり嫌、いくらなんでもこんな化物に食い殺されるのは……)
その時、再び影が飛来した。
勢いをつけた影は、拳を振るいあげると、そのままスズメバチの頭部を思う存分に打ち砕いた。
破裂したスズメバチの外骨格の破片と体液が飛び散り、畑を濡らした。
二つ目の影の正体──蛮人カインだ。
「怪我はないか」
拳を人食いスズメバチの茶色い体液で汚したまま、カインはリルダに尋ねた。
「は、はい……」
声を絞り、リルダがなんとか答える。
「ならばひとまずは安心だな。さてと」
そう言うとカインが、巨大スズメバチの残骸を持ち上げる。
「コイツを馳走しようではないか。精がつくぞ」
と、カインがリルダを抱きかかえて、悠然と歩き出す。
「え、え、あの」
リルダは混乱した。
何が何なのか訳がわからない。
だが、そんなことは意に介さず、カインが話を進めていく。
「遠慮することはない。どうだ、他の女囚も食いたければついてくるが良い。食材はたっぷりとあるぞ」
カインの言葉に女囚達が顔を見合わせる。
看守の鞭は嫌だが、それ以上に皆が腹を空かしていた。
戸惑う女囚と看守を見やる蛮人。
「そこの看守もついてくるが良い。アレによく効く薬があるぞ。お主、早漏であろう」
ズバリ言い当てられ、看守は視線を泳がせた。
「アレは松脂を塗っても良いが、マムシの心臓も良く効くぞ。男の誇りを取り戻したいならば、俺について来るがよい」
スズメバチの殻を剥ぎ取り、塩と野生のハーブを混ぜて中身を肉団子にすると、森から採ってきた山菜も一緒にぶちこみ、
大鍋で煮立てていく。
野趣溢れる蛮人の手料理だ。
「さあ、もう出来たぞ。食うが良い」
カインが肉団子とスープを注いだ皿を女囚達に差し出す。
スープを受け取った女囚達は急いで食べ始めた。
「焦らずゆっくりと食えばいい。それでは俺はまだ仕事が残っているんでな。これで失礼する」
女囚達をその場に残すと、カインは礼拝堂へと向かった。
礼拝堂にある女神像の前に立ち、カインは問いただした。
「文明国の神よ、お主は何故、お主を信じる者達をこんな場所に閉じ込めているのだ。
その理由を俺に聞かせろ。さあ、さあ、さあ、聞かせろ、聞かせろ、聞かせろ、さあ、どうした」
だが、女神像は何も答えない。
「ふむ、だんまりを決め込むつもりか。俺がバーバリアンの未開人だから口も聞きたくはないか?
なるほど、なるほど。所で女神よ。こんな言葉を知っているか。
『宗教は民衆のアヘンである』これはな、カール・マルクスという異世界人の残した言葉だ」
カインが女神像に身振りかぶりで言葉を続ける。
「マルクスはこうも言うのだ。『人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない』とな。
あるいはニーチェという男はこう言っているぞ。
『人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか』。
お主はこの言葉をどう思う?」
それでも女神像は沈黙を守ったままだ。
「ふん、蛮人の挑発には乗らぬか、文明国の女神よ。まあ、よい、今日の所はこれで引き下がるとしよう」
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