第41話蛮族の闘士カインと囚人3
ハーフエルフのリルダが、ロストフの収容所に送られた原因は、妾になれと言い募ってきた貴族の誘いを断ったせいだ。
リルダには婚約者がいた。
相手は幼馴染の若者で、香水職人の弟子だった。
だから貴族の申し出など受け入れられるはずもなく、必死で懇願し、断った。
愛する若者の為に。
その若者も、もうこの世にはいない。
貴族に陥れられ、命を奪われたからだ。
挙句はその濡れ衣を着せられ、リルダは収容所送りとなった。
もう、一生、外界には戻れない。
生涯をこの強制収容所で過ごす事になる。
慢性的な栄養失調と過酷な労働に苦しみながら、看守達の慰み者として生きていかなければならない。
正直に言えば、死んだほうがよほどマシな状態だ。
死んでしまえば飢えや渇きに悩まされることもなく、プライドを傷つけられることもないからだ。
鼻につく汚臭にリルダが顔をしかめる。
寝床に敷いた藁は、汗の湿気と腐敗のせいで異臭を放ち、囚人用の便所壺が、狭い牢獄内に饐えた臭気を充満させた。
他の囚人が寝返りを打つ。その音にリルダは、ビクリと体を震わせた。
獄舎という場所は、常に人々に緊張を強いる。
冷たい石壁と鉄格子で出来たこの檻の中に閉じ込められれば、並の人間であれば激しい悲しみと無力感に襲われるだろう。
ここでは何が起こっても不思議ではない。
看守も牢番も恐ろしいが、同じように他の囚人達も危険な存在だ。
むしろ、下手な看守よりも囚人間同士での虐待、リンチのほうが苛烈とも言える。
看守、牢番に虐げられた囚人は、更に弱い囚人を見つけて溜め込んでいる鬱憤を晴らす。
収容所では力が全てだ。
弱ければ甚振られ、嬲り者にされる。
リルダは小柄な老人が、同房の囚人達から散々殴られ、蹴られ、罵倒され、食事を横取りされて衰弱していく姿を見た。
その老人は、最後は便槽の中に顔を突っ込んで自殺した。
この惨めな境遇と苦痛を味わい続けるよりはマシだと、老人はし尿溜まりの中で窒息死することを選んだのだ。
それがこの収容所の全てを物語っている。
肉体と心が激しい苦痛と屈辱に晒された時、人間であれ、デミヒューマンであれ、誰もが死を望むのだ。
そんな収容所内にひとつの噂が囁かれ始めている。
それはどこからともなく現れた一人のバーバリアンの男の話だ。
看守、囚人問わず、そのバーバリアンの噂話が昇らない日はなかった。
ある者は救世主だと言い、またある者は怪物だと囁いた。
その男の目的は目下不明であり、この獄舎内に居座っているという。
それもまるで、この収容所の主のような顔をして。
それに対して、収容所の所長も看守長も手出しができない有様だという。
怒り狂った蛮人が暴れだすと、誰も手がつけられず、看守もゴーレムもみんな返り討ちにされるせいだ。
少なくとも武力でどうこう出来る相手ではないので、所長も看守も何とかなだめ、もてなし、男を懐柔しようとしているようだ。
囚人達からすれば、これほど痛快な話はない。
リルダもまた、心の中でそのバーバリアンに喝采を贈った。
葉巻から立ち上る紫煙──艶っぽい柳腰のようにクネクネと揺れては消えていく。
「旨い葉巻だな」
「三年ばかし、ヒュミドールで熟成させてるからな」
「なるほど。道理でうまいわけだ」
熟成された葉巻の醸し出す、フルーティーで芳醇な香りを楽しみつつ、カインは所長を見下ろした。
「それでこの収容所に潜り込んだ理由はなんだ?」
「本当に旨い葉巻だな」
所長──ビレーガが鼻先と弛んだ二重顎をヒクつかせる。
カインに話をはぐらかされ、少々苛立っている様子だ。短気な男なのだろう。
「なあ、理由を話してくれれば、こっちだって色々と協力できるかもしれないんだぞ、カイン。
悪いようにはしない。できるだけの便宜は取り計らうつもりだ」
苛立ちつつも猫撫で声でカインを諭すビレーガ──葉巻の煙をくゆらせながら、カインがゆっくりと切り出した。
「私腹を肥やすのは良いが、バレれば首が飛ぶぞ。所長よ。採掘した貴金属、囚人の食事代に薪代、随分と着服しているようだがな」
「……何の事だ?」
何度か瞬きをする所長、忙しなく自分の手の甲を触り始める。
これでは嘘はバレる。どうやら腹芸も不得手の手合いのようだ。
「所長よ、嘘をつくのが下手ならば、なまじっか、悪事になど手を出さんほうがいいぞ。俺からの忠告だ。
そんなに瞬きをしたり、自分の身体をベタベタと触るものではない」
「……ふん、カマを掛けたってわけか」
「いいや、それだけではない。俺は地獄耳でな。色々と話は聞き及んでいる。ほれ、読んでみろ」
そう言うと、カインが書き付けた用紙を所長に差し出す。
用紙を受け取り、読み始めると所長の顔色が徐々に退色していった。
カインは感じた。やはり異世界の知識は役に立つと。
財務と会計の知識は異世界だろうが、この世界だろうが、とても大切なのだ。
「勘違いするなよ。俺は別に正義の味方でもなんでもないんでな」
ビレーガが用紙に火を点け、にこやかな笑みをカインに向ける。
まるで御用聞きのような表情だ。
「ふふふ、カインさん、あんたもお人が悪いね。そうか、そういうことか」
そう言いながら親指と人差し指を丸め、ビレーガが金のジェスチャーを作る。
「一枚噛みたいっていうなら、そう言ってくれればいいんだよ。カインさん。こんなまどろっこしい真似なんてやめてね」
「旨い葉巻を吸っていたら、酒が欲しくなってきたな」
所長が手を叩いて看守を呼びつけると、上等なブランデーを運んでくるように命じる。
荒野生まれの野生児は、そんなビレーガに不敵な笑みを浮かべた。
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