第40話蛮族の闘士カインと囚人2

ロストフの収容所は地獄だ。


ここに送られてくる囚人の多くは、生きて再びシャバへと戻ることはない。


囚人の死因──重労働と慢性的な飢え、怪我と疫病、看守と牢番からの虐待。


この収容所に送られてくる人々は、罪人、放浪者、あるいは奴隷や誘拐された者と多岐に渡る。


囚人は人間以外にも、デミヒューマン──ゴブリンやオーク、エルフにドワーフ、理性を持つ獣人といった者達の姿も見受けられた。


他の囚人とともに鉱山に送られたカインは、初日以外は今のところ問題を起こすこともなく、作業に従事していた。


むしろ、初日の暴れっぷりは、それはもう酷いものだった。


看守の被っていた鉄兜を片手で握り潰し、労働用のストーンゴーレムを叩き壊し、警備用の新型アイアンゴーレムの右腕をもぎ取ると、

それを棍棒代わりに振り回し、石片の詰まったトロッコを投げ飛ばしと、やりたい放題だ。


こうして収容所の看守達は、死にたくなければ、この蛮人を絶対に怒らせてはいけないことを学んだ。


重さ二十トンほどの岩石を抱きあげ、カインが悠々とした足取りで運んでいく。


看守達もこの荒野の野生児に対しては、何かと配慮し、気を使っていた。


他の囚人同様の扱いをして、鞭や棍棒を振るった日には、その場で挽肉にされて食われかねないからだ。


怒らせてはいけない相手──人間というよりも、人語を解する魔獣の如き存在と言える。


この地区にいる看守だけでは、束になって掛かった所で、まともに太刀打ちなどは出来ないだろう。


何よりもあの化物じみた膂力で、そこらにある岩をぶん投げられ、採掘場を荒らされては目も当てられない。


この蛮人に関しては、怒りを買わないようになだめすかし、気持ちよく仕事をしてもらうのが一番だ。


それにこの蛮人は酒と食物さえ与えていれば、暴れることなく真面目に仕事をこなす。


それこそカイン一人で、並の囚人百五十人分の働きをするのだ。


扱い方さえ間違わなければ、これほど有益な労働力は他にはない。


それだったら、うまく使いこなした方がいい。


実際のところ、この地区はカインのおかげで一番ノルマを達成していた。


手を休めたカインが、近くの岩場に腰を下ろし、喉が渇いたと呟く。


すると近くにいた看守が、急いで葡萄酒を詰めた革袋を差し出す。


看守に礼を述べ、革袋を受け取ったカインは、喉を鳴らして葡萄酒を飲み干していった。


「少し休んだほうがいいんじゃないのかい、あんまり無理しちゃいけねえぜ」


ゴマをすりながらカインに御機嫌伺いをするスーラ──この地区の看守の一人だ。


ちょび髭を生やした太鼓腹の中年男である。


「安心しろ。別に疲れてはいないからな。ただ、少しばかり喉を潤したかっただけだ。

それによく言うではないか。働かざる者食うべからずとな」


葡萄酒で喉を湿らせたカインが、岩場から立ち上がると労働を再開する。


武装しているはずの看守が、無腰の囚人相手にここまでへりくだって見せるのだから、

他の囚人からすれば、これほど溜飲が下がる見世物もない。


だが、ここで忍び笑いの一つでも漏らせば、たちまちスーラの鞭の餌食にされるだろう。


だからこそ囚人達は、必死で笑いを堪えるのだ。


スーラは囚人達を睨みつけ、鞭を高らかに鳴らしてみせた。


(全く、やりにくいったらありゃしない。それもこれもあのバーバリアンのせいだ……)


心の内で愚痴をこぼすスーラ──それを口に出していうほどの度胸は、この男は持ち合わせてはいなかった。


看守にとって、何の前触れもなく現れたカインは、全く得体の知れない怪物めいた存在だ。


いつの間にか、他の囚人達に紛れ込んで、カインはこの収容所にやって来た。


そして勝手に居座っている。


その気になれば正門から出て行けるのだが、今のところ、カインはこの収容所から立ち去るつもりはない。


看守からすれば化物が突然やってきて、収容所に住み着き始めたようなものだ。


だが、その件の化物は厄介なだけではなく、有用であり、利益をもたらす者でもある。


だからこそ面倒で、タチが悪いとも言えた。




鼻翼を広げ、カインは通路内の匂いを嗅いだ。匂いを嗅ぐのは、この野生児の本能だ。


カインは好きな時に行きたい場所へと行く。


牢獄など、この蛮人に取っては何の意味も持たない。だから看守も牢番もカインの行動は見て見ぬふりをしている。


下手にちょっかいをかけて、頭を叩き割られてもつまらないからだ。


黒ずんだ石壁に掲げられたランプの灯りが、カインの横顔を照らす。


「それにしても異世界の知識も中々役に立つではないか。

この収容所の状況は、まるで『スタンフォードの監獄実験』そっくりだ。

あるいは『権力者の堕落実験』にも当てはまるかな。はは、異世界もこの世界も人間のやることは変わらんな」


と、カインが独り言を喋りながら、廊下を突き進んでいく。


『スタンフォードの監獄実験』とは、心理学者であるフィリップ・ジンバルドーの行った実験の名称だ。


まずは、集めた参加者から看守役と囚人役を選び、役割を演じさせる。


すると看守役は支配的に振る舞い、囚人は受動的な態度を取るようになった。


『権力者の堕落実験』もデヴィット・キプニスの行なった実験だが、人間は強い権力を持つと横暴になる傾向が高いという。


「人間は自分が思っているよりも立場や状況に流されやすいのかもな。横暴な看守も家族のいる家に帰れば、ただの男だろう」


そうしている内に食料の貯蔵庫に着いた。


カインは中に入ると早速、酒と食料を漁り始めた。

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