第2話野生児カイン2
ワラギアの首都ザンボラはその日に限って小降りの雨だった。だから都全体が湿気に覆われて、黴臭く感じられた。
カインは物珍しげにザンボラにある通りの道を見回した。まず、カインの目を引いたのが綺麗に舗装された石畳だった。
なんせムスペルヘイムのこの野生児は、生まれてこの方舗装された石畳の上を歩いたことがなかったからだ。
それにこの都の広さと言ったら、荒野に点在する氏族、部族の村とは比べ物にならない。
ビジョンクエストで見たあの世界の都と比較しても遜色がないほどだった。
街路をせわしなく行き交う人々の服装もまた、ムスペルヘイムに住まう者たちとは大違いだった。
ワラギア人達は染料したチェニックに麻のズボン、そして短靴という身なりをしていた。
一方、カインの姿といえば灰色狼の腰巻きをつけ、ウィンディゴのなめし革をその裸体に羽織るという
およそ文明人とはかけ離れた格好をしていた。
道を行き交うワラギア人達はそんなカインの姿を認めると、一瞬、ギョッとした表情を浮かべた。
長身で屈強な肉体を持つこの未開人の若者は、良くも悪くもザンボラでは目立つ存在だった。
カインは路上に並ぶ屋台から肉を一串買うと店の男に尋ねた。
訛りながら「何か面白い所はないか?」と。
男はカインを無遠慮にジロジロ眺めると突然、二カッと口を三日月に曲げて笑った。
「それだったら、グランシャンの裏通りにある<黒ヤギ亭>がおすすめだぜ。
あそこは酒が安く飲めるし、良い女も買えるからな。それに拳闘賭博も楽しめる。
あんたは強そうだから、その拳に物を言わせればたんまりと稼げるんじゃないのか?」
言い終わると男は下卑たような目の色を浮かべた。
男の目の色にカインは何となく違和感を覚えたが、とりあえず男が教えてくれたグランシャンの裏通りへと向かった。
グランシャンの裏通りは表通りにある街路とは違い、道は無舗装でぬかるんでいた。
雑多な汚物が道の隅で山盛りになるまで捨てられていた。
その横で擦り切れたぼろ服を纏う浮浪者がゴザを敷いた地面に座り、酒を飲んでいる。
腰に短剣を吊るした男達は、この界隈にたむろするゴロツキ連中で徒党を組んでは、
かどわかしや押し込み強盗といった盗賊働きをして食っていた。
気だるげに壁に背を持たれさせ、客待ちをしているけばけばしい化粧の女達は売春婦だ。
掃き溜めと呼ぶに相応しい場所だ。この裏通り界隈はザンボラにあるスラムの一角だった。
黒ヤギ亭を訪れたカインは銅貨と引き換えに給仕から麦酒の注がれた杯を受け取った。
酒でシミが浮き出たテーブル席に座り、カインが酒場内を眺める。
革鎧に身を包み、長剣を腰帯に佩いだ傭兵風の男達が若い女の乳房や尻を撫で回しては、下品な冗談を飛ばして大笑いしていた。
彼らは流れ者の傭兵であり、ひと稼ぎしようとこのザンボラにやってきたのだ。
そんな彼らの興味は透けるほど薄い布を身体に巻きつけ、曲に合わせて卑猥なダンスを披露する踊り子たちに注がれていた。
しなやかに引き締まった腰をくねらせ、乳房を男の鼻先で揺らすこの踊り子達は南方生まれのゾンギ族の女達だ。
この女達もザンボラに出稼ぎでやってきた女達だった。
カインが二杯目の麦酒に口をつけていると、酔漢の一人が肩をぶつけてきた。
男は傭兵達の仲間のひとりで、酒と仲間の数で気を大きくしていた。
それでこの未開の地からやってきたバーバリアンの若者に目をつけたというわけだ。
熟練の傭兵や冒険者であれば、こんな真似は絶対にしなかっただろう。
ムスペルヘイムのバーバリアンに喧嘩を売るなど、飢えた虎に首を差し出すのと同じだからだ。
「おいっ、こんな所に蛮族がいるぞっ、いっちょまえに酒なんぞ飲んでやがるぜっ」
そう言うと男がカインの持っていた麦酒の杯を手で払い落とした。
その次の瞬間、男の身体は宙に浮いていた。
カインが男の横顎を拳で殴りつけたのだ。
男の身体は酒場の壁へと叩きつけられた。
客のひとりが床に投げ出され、身動きしない男の顔を覗き込み、呟いた。「死んでいる」と。
カインの繰り出した強烈な拳の一撃を喰らい、男の顎は砕け散り、頚椎は枯れ枝のようにへし折れていたのだ。
それからすぐに酒場では大乱闘騒ぎが起こった。
仲間の傭兵達が各々の武器を構え、仲間の仇だとばかりにカインに襲いかかってきたからだ。
傭兵達は全部で十人ほどを数えた。
カインは傭兵のひとりが繰り出してきた鉄槍を避けると逆に奪い、相手の太股に突き刺してやった。
次にカインは右側にいた傭兵の頭を鉄の兜ごと殴りつけて倒すと、片手でその足首を掴んで軽々と振り回した。
その怪力ぶりに酒場の一同は目を見張った。
カインは傭兵達を残らず叩きのめすと酒場の主に訊いた。
これがこの店でやっている拳闘なのかと。主はカインに違うと答えた。
「それは残念だ。儲かったと思ったんだがな。所で俺の拳闘相手を見繕ってくれないか。
ひと稼ぎしたいんだが」
「流石にそんな命知らずな奴はこの酒場にゃいないな。悪いが他を当たってくれ。代わりに酒を一杯奢ろう。
ワラギア名物の蒸留酒だ」
そう言うと主は酒瓶をカインに差し出した。
それは食道が灼けるほどの強い酒だったが、とても美味だった。
カインは酒を飲み終えると蒸留酒をもう一瓶頼んだ。次はきちんと金を払ってだ。
それからカインはエンリケの待つ城へ戻るとその日は寝室で身体を休めた。
さて、カインが殺した傭兵の亡骸についてだが、これはその日の内に近くの川底に沈んだ。
ここ、グランシャン界隈ではそれが当たり前だった。誰も衛兵を呼ぶ者はいないのだ。
エンリケはカインを大層気に入っていた。
カインは護衛としてはこれ以上ないほどに頼もしい存在であり、
長身でたくましいこのバーバリアンは連れて歩くのにもうってつけだった。
位の高い者であれば護衛も従者も見てくれが良くなければならない。
その点、カインは美丈夫だ。
この荒野育ちの若者は強いだけではなく、その容貌は端麗といっても差し支えなかった。
エンリケから見ればカインは野生の猛虎そのものだ。
あの恐ろしいウィンディゴ共を音もなく仕留めたその手腕、
それ以前にもエンリケは何度もこのバーバリアンの戦士の噂を聞き及んでいた。
ワーウルフを素手で引き裂き、たった一人で大勢の兵隊や魔物に果敢に挑み、峻険たる山々を渡り歩くというバーバリアンの男達。
エンリケにとって、カインは吟遊詩人が奏でる数々の冒険譚に登場する勇ましい戦士の一人だった。
エンリケはすぐに小間使いを呼び寄せるとカインを連れてくるように命じた。
それからしばらくして居間に現れたカインの姿は、とても堂々として立派な身なりへと変貌していた。
カインは金糸刺繍をあしらったマントに銀の胸当てや篭手を身につけていたのだ。
それでもバーバリアン特有の荒々しい雰囲気は消えることはなかった。
いや、だからこそ良かったのかもしれない。
もしもカインが俺はバーバリアンの貴族だと告げれば、文明人の殆どは信じるだろう。
その出で立ちはさしずめ高貴なる蛮人といったところか。
「エンリケよ、今日はどこに行くのだ?」
「今日はザンボラ国立大学に行く。そこでは様々な知識を学ぶことができる。カインも見ておいて損はないはずだ。
大学内には自由に出入りできるようにしておくよ。興味のある事柄を学べるように」
「ほう、それはありがたいな。エンリケよ、礼を言おう」
それから二人は大学に着くまでの一時間余りを馬車で雑談を交わしながら過ごした。
貴族の娘であるマリアンもここで学んでいた。
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