第3話野生児カイン3

カインはエンリケと並んで校内を見て回った。赤煉瓦作りの校舎は中々厳めしい雰囲気を漂わせている。

この日は講義室や書物庫、研究室を一通り見てからふたりは切り上げた。

それから一週間ほどが過ぎると、カインは一人で大学を出入りするようになっていた。


食堂で食事を取り、講義を覗き、校舎内をうろつきまわるのだ。

大学では講師や学生から常に奇異の視線を向けられたが、この野生児はそんなものなどどこ吹く風で、

相変わらず好き勝手に振舞っていた。


そんなカインに眉をひそめる者も少なからずいた。

確かに格式を重んじるタイプから見れば、カインの立ち振る舞いは決して愉快なものであるとは言い難かった。

テーブルにナイフとフォークを並べられても、そんな食器には目もくれずにカインは素手で肉や野菜を掴んでは頬張っていった。


そして脂やソースでベトついた指をこれ見よがしに舐めしゃぶり、スープの器を掴んでは音を立てて啜った。

だからカインが食事を取るとテーブルの周りは汚れ、その不潔感に神経質な生徒などはそれだけで食欲を失くすほどだった。

勿論、カインには悪気などはない。ただ、文明国の食事作法を知らないだけだ。知っていても変わらないだろうが。


そして大学内にいる人物で、この未開人の若者に注意しようとする度胸のある者もまた皆無だった。

その日の午後になるとカインは中央通路の一番右端にある研究室に顔を出していた。

とは言っても研究室は無人であり、カインが勝手に部屋に入り込んだだけなのだが。


カインが壁に貼られた羊皮紙をマジマジと眺めていると、背後から嗄れた声が飛び込んできた。

「なんじゃ、お前は。どこから来た?」

カインは振り返ると声をかけてきた老人に言った。あんたこそ誰だと。


「ふん、わしを知らんとはこの大学の学生ではないなっ、さては盗みに入った不逞の輩かっ」

「そういうあんたこそどうやら俺を知らんようだな。俺はエンリケからここの出入りの自由を許されているのだ。

それよりもあの皮に描かれているのは元素の周期表か?」


そう言いながらカインが壁に貼られた羊皮紙を指差した。

「ほう、お前、あれがわかるか?」

それまでのうろんげな表情を変え、老人がカインを見上げながら尋ねた。


「わかるとも。ヨナスから教わったからな」

「おお……ヨナス、お前は隠者ヨナスの弟子かっ!?」

コロコロと表情を忙しく様変わりさせる老人を無表情で見下ろしながらカインは頷いた。


「というよりもヨナスは俺の育ての親だ。ムスペルヘイムの荒野に捨てられていた赤ん坊の俺を拾い、育ててくれたからな」

「そうか……達者に暮らしているようで何よりじゃ……」


「老人よ、あんたはヨナスの知り合いか?」

「うむ、昔は彼と一緒に錬金術の研究をしておった」

「ほう……それなら一つ、ヨナスの話を聞かせようではないか」


それから二人は葡萄酒の盃を掲げ、飲み交わしながら一晩中話に花を咲かせた。

そしてカインはこの老人の研究室に顔を出すようになり、ふたりは親交を深めていった。

老人は名をグリニーといい、ザンボラでは高名な魔導師と知られていて、大学では学長の代理を務めるほどの地位にあった。


もっとも本人は講義などはそっちのけで研究室に閉じこもり、自分のしたいようにしている様子だった。

あるいは探求者とは、本来であればグリニーのような者を指す言葉なのかもしれない。

カインもまた、この研究室を利用していた。ここには様々な実験用の器具が置いてあるからだ。


それらの道具を使い、カインは物質の分離と精製の技術を覚えていくことにした。

例えばジギタリスを単離して強心薬を作ってみたり、ベラドンナやヒヨスからアトロピン、スコポラミンを抽出してみたりと、

気の向くままにカインもこの学び舎で錬金術というものを学んでいったのだった。


だが、錬金術に打ち込むこのバーバリアンの若者を良く思わない者達が現れた。

そこにはある種の嫉妬も含まれていた。高名なる魔導師グリニーと肩を並べて錬金術の研究をしているからだ。

それもこともあろうに学生ではなく、荒野育ちの未開人がだ。そしてマリアンもそんな学生達の一人だった。


ある日のこと、グリニーは未完成の透明になるローブをカインに見せた。

このローブの原理は光を反射させず、屈折させることで周りの景色に溶け込むというものだ。

古代の遺跡に残された文献からグリニーはこのローブを作り上げたのだった。


だが、あと一歩という所で、透明になるローブの開発は頓挫していた。

このローブを完成させるには水色のサラマンダーの鱗が必要なのだ。

そこでカインはグリニーに申し出た。俺がその鱗を採ってきてやろうと。


この頃になるとカインはグリニーに対して、親しみや友情を覚えていた。

だからカインはこの愛すべき偏屈な老人の為に鱗を採ってきてやろうと考えたのだ。

「しかし、カインよ……お主の申し出は嬉しいが危険な旅路になるぞ……」


「安心しろ、グリニー、この俺に倒せぬ者はなく、また、越えられぬ山もたどり着けぬ遺跡もない」

それは酷く傲慢な物言いではあったが、しかし、グリニーは怒りや不快を感じることはなかった。

それはこのバーバリアンの若者が持つ素朴さ、純粋さ、そして荒々しさを知っていたからだ。


「ふむ……それならば念入りに準備をせねばなるまいな。カインよ、お主が必要とする道具を持っていくが良い」

「それならば俺は火の矢を持っていくとしよう」

そんな会話を続けていると、突然カインが立ち上がり、研究室のドアを開け放った。


そこに転がり込んできたのがマリアンだったのだ。

ふたりの会話を盗み聞きしていたマリアンは是非自分にも手伝わせて欲しいと頼んだ。

カインではなく、グリニーにだったが。


そんなマリアンにグリニーは諭すように言い聞かせた。

駆け出しの魔術師の身では余りにも無謀すぎると。カインもまた、マリアンを同行させるのを渋った。

こちらは単純に足手まといになりそうだという理由だったが。


それでもグリニーの説得にマリアンは決して首を縦に振らず、同行させてもらえないのであれば、

自分だけでも行くと言い出す始末だった。

マリアン一人では自殺行為でしかなく、仕方なしにカインはこの少女を連れて行くことにした。

そして三日後の早朝、旅支度を整えた二人はザンボラから出立したのだった。




馬の歩みはゆったりとしたものだった。空には陽光が輝いている。

マリアンには昨晩のワーウルフとの戦いがまるで嘘のように感じられた。

南北に縦貫する街道をふたりは進んだ。このまま行けば夕方には町に着くはずだ。


マリアンはカインの背中にもたれ掛かり、しばし休むことにした。

村でも充分に休息は取ったのだが、それでも慣れぬ旅と昨夜の出来事に疲労感が溜まっていた。

そのままマリアンは寝息を立て始め、町に着くまで眠り込んでしまった。


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