もう一度友達から始めませんか

まっすぐだった定規

第1話

 「合格したらもっと仲良くなろう、そのときまであだ名で呼ぶのは無しね」

 駅の改札口で約束した。

 

 高校三年の冬。私は大学入試を受けに行くため電車に乗っていた。何度か乗り換えて、とある駅で降りた。いつもと同じ短いスカートだったが、この日はあまり寒く感じなかった。


 駅から一歩外へ出ると、目の前に海が広がっていた。その向こうには島がある。手が届きそうなくらいだ。どこか懐かしさを感じる、映画に出てきそうな街だった。左手に見える山は、点々と建っている建物がまるで緑色のソフトクリームにトッピングされているようだった。先日教室で食べたレモン味のスナック菓子を思い浮かべながら、私は初めての瀬戸内海に感動していた。


 電車で凝り固まった体をほぐしていると、最後のツメが甘い私の性格がムクムクと顔を出した。ここから一度大学へ行って明日の試験会場を確認することと、今夜の宿へ向かい明日に備えて休むことが今一番のすべきことだ。しかし私は、駅から大学へ行くことをすっかり忘れていたのだった。ケータイはそれ程発達していない時代。歩くには少々遠い。ところが。この重大なミスに気付く前に、学業成就のお守りが効いたのかもしれない。


 「あの。すみません、明日試験の方ですか」

 後ろから声をかけられたのだ。驚きつつ振り返ると、自分と同じように制服を着て大きめの荷物を持った高校生ふたりがいた。話を聞くと、私が大学までどうやって行こうか悩んでいるように見えたらしい。タクシーを使うことに決めていたふたりは、どうせなら、と私に声をかけてくれたそうだ。


 ここで話しかけられなかったら、この場所が、この日がこんな思い出になることは無かっただろう。今でも覚えている。こげ茶色の床や、あちこちへこんだ灰色のロッカー。日常に溶け込んでしまう駅の一角だけど、私にとっては忘れられない思い出の場所だ。


 いくつもの坂道を越えて森を抜けると、木に囲まれた白いキャンパスが見えた。見上げると、葉っぱの間から漏れる光がなんとも穏やかだった。タクシーの運転手さんによると雪はあまり降らないらしい。

 春は桜がきれいだろう。夏は駅から見えた島に行こう。秋は紅葉。冬は何しよう。

短い時間だったけど、未来の話をたくさんした。ふと振り返って見下ろす街並みが、とてもきれいだった。この景色の一人になりたい。来たこともないし知り合いもいない場所に来ることは不安だったけど、もう友達ができたから、どんな街だろうと無敵な気がした。


 試験監督の声と共に、高校生活の全てを出し切って鉛筆を置いた。詰まっていた息が体中から抜けていった。

 しかしそれは、さよならの時間を意味していた。


 約束をしたらすぐに、それぞれ背を向けてホームへの階段を上った。自宅に着く頃には外は真っ暗だろう。本当はもっと話していたかったけど。それと同時に、悲しい顔を見られたくなかった。ただ強がっていただけ。合格するかどうか不安だけど、そんなときでも笑顔で乗り越えられる人になりたいという、大学生になった理想の自分を演じていた。


 外から見ると大きく見えた森は、ホームの屋根に隠されて少ししか見えなかった。

私たちは電車で隠されるまでずっとホーム越しに手を振っていた。恋人たちが別れを惜しんでいるような気がして少し恥ずかしくなりながら。私は電車が曲がって消えるまでずっとずっと見ていた。



 私はそれからもう一度その地に行くことは無かった。たくさん話した未来の中で、私だけが黒く塗りつぶされていくようだった。


 数年後、テレビ番組で度々紹介される有名な場所だと知った。でもそこには私だけの特別な思い出がある。大切にしまっておきたい、宝石のような。

 憧れていた青春小説の主人公になれたような気がして、何年も過ぎた今でも頭の本棚に大切にしまわれている。


 ふたりとも。元気ですか。今なにしてますか。

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