【生きているのは】
【生きているのは】
これは俺のじっちゃんが言っていた話。
『天国へ行くときはな乗り物に乗ってそうじゃ。だから棺桶に乗り物代を入れてやることが多いんじゃ』
煙草の煙を吐きながらきいたそれだけの話――言葉が俺の中では妙に記憶に残っている。
俺の名前は“ナルカタ セイ”。大して特徴があるわけじゃないけど、21歳の大学生で趣味は車。ちゃんと自分の愛車も持っている。
じっちゃんの話じゃないけど、俺は死ぬときはきっとこの車で死んであの世に行くんじゃないかって思っていた。車を気持ちよく走らせた後、運転席から離れる瞬間のフワリとした感覚はどこか現実離れしている気がして、あの世から現実に戻ってきたようなそんな気持を勝手に持っている。俺がそれを知ることはなかったけれど。
あの日は妙にじっちゃんの言葉を思い出していたせいか、それとも軽くではあっても独りで峠を流していたせいか、自分の耳の中に強くタイヤがすり減る音が残っていて、どこからが夢で現実だったのかを俺は未だに思い出せない。
実家の近くに借りている駐車場に帰ってきたときは大学帰りに軽く近くを走っただけだったので、夜の七時を過ぎたくらいで空もまだぼんやりと明るさが残っていた。
「ちょっと、セイ! 良いところに帰ってきたわ!」
車を降りてすぐに聞こえた女性の声に俺は全力で振り向きたくないと思ったと同時に、少しの違和感を感じる。この声の主は母親で、しかも頼みごとがあるパターンの口調。
「どうせ暇でしょー お小遣いあげるから、カドダのお爺ちゃんに“コレ”届けてきてよー」
そういう母親の手には紙袋が下げられてて、俺はお小遣いという言葉にめっぽう弱い。ちなみにカドダのお爺ちゃんというのは我が家から二駅先に家がある大が付くほどお酒好きの愉快な独り暮らしのお爺ちゃんで、何かと差し入れをしたり好意に付き合っている知人だ。
お小遣いに完全に釣られた俺は、紙袋と金を受け取って車に戻ろうとしていた。が、呼び止められる。
「あんた、お爺ちゃんにお酒勧められたら断れないんだから、電車で行きなさいな。その為のお小遣いなんだから」
仁王立ちをしながらの母親の説明に「そういうことか!」と心の中で舌打ちをする。けれど、ここで簡単に金を減らす俺ではない! と言うわけで俺は愛車の中からキックボードを取り出して絶妙なバランスでハンドルにかけて乗る。今回は紙袋の中身は花だった為、特に引っかけやすかった。もっさりというかどっさりと表現するべきか、俺はその袋の中身の花の名前を知っていた。マリーゴールドと百日草だ。母親が花好きというせいも一つだけれども、その昔に花言葉がどちらも≪友情≫ときいて、以前に一番の友達に渡したことがある。そして「男が気持ち悪い」と花弁を全部むしり取った茎だけを返された苦い記憶があるのでよく覚えているのだ。
「よくもまあ、小学校のときから壊れないものね。……電車に乗れば楽なのに」
溜息交じりの呆れと少し不安が混ざったような言葉に、片手をあげて別れを告げ地面を強く蹴る。二駅先と言っても徒歩で四十分くらいの距離なので、八時前には着けるだろう。近道もあるし。
俺の住んでいる街はどちらかといえば都会の為、駅前通りなんかに来ると近くに私鉄と地下鉄もあるためこの時間は沢山の人がいるし、騒がしくてとても明るい。加えてここは線路に並んで大きな道路も通るため車も多く、逆に幻を見ている様な妙な孤独感を覚えることもある。そんな人混みを避けながら俺は近道をするために四車線道路まで出てきた。その向こうには私鉄の線路が走っているダムの堤防かと思うような高架橋と呼べばいいのかビルにして高さ三階分ほどある壁というか山が見えている。その向こうが住宅地でこの高架橋を抜けてしまうと、いっきに人もいなくなり静かになる。
四車線道路を渡るための横断歩道は運悪く目の前で点滅が始まってしまった。車なら黄色信号で突っ込むところだが、今はキックボードなので大人しく待つことにした。同じような選択をした人や走っていく人もいたけれど、俺はこの徒歩などのときの信号待ちは嫌いじゃない。目の前を流れる様に車が過ぎていく様を見るのも面白いと思う。でも、面白さよりも先に違う感情というか悩みの様なものがこみあげてきた。
大体が車というものはいわずと知れたお金のかかる趣味の代表格だ。だからどんなに楽しく走っている人も上手い人も、長い間車に乗り続けて遊んでいる人は少ない。強制的に走れなくなる人もいるし、一番多いのは将来のことを考えて走るのを辞める人。そろそろ良い歳だからと辞めていく人もいる。
ふと、前を見慣れた車が通り過ぎていく。自然と顔ごとその車を折ってしまった。アイツの愛車。
「でも音が違う」
自然と口から言葉が漏れてしまった。アイツというのは俺が勝手に仲が一番良いと思っていた友達。“ゼンホウジ ミタカ”のこと。高校からの付き合いで同い年。俺に車の楽しさを教えてくれた大切な友達。
俺が車を見て普段とは違う苦いような感情が込み上げてくるのはこいつのせいだ。ミタカが一言の相談もなしに走るのを辞めると言ったからだ。いつもいつも助けてくれて、一番色んな話をしてきたと思うのに、そんな大事なことを何も言わずに決めてしまったから。何だって話していたと思っていたのに。勝手に拗ねているのは自分だってわかっているけれど、今は喧嘩状態で、というよりも俺が一方的に言いたいことを泣きわめくようにぶつけて、それ以来一度も話をしていない……
遠くに走り去る友達の愛車と同じ車を見送っていると、背後からの激しいブレーキ音――急ブレーキをかける音に目が丸くなった。後ろを振り向いても停止ラインを越えてる車もいないし、正面を見れば信号が青に変わっている。どれかの車が信号が変わるのを見て急停止させたんだろう。それくらいなら突っ切ればいいのに。タイヤもったいね。
なんてことを思いながら道路の向こうへ行くために地面を強く蹴ると、急に世界がぐるりと回った気がした。が、特に転ぶこともなく信号は渡りきれた。道のどこかが凹んでいたんだろう。トラックも多いからこの道では仕方ないことだ。すこし恨んだような気持も込めて振り返ると、俺は地面よりも気になるものに目がいった。地下鉄への入り口を降りようとしている人物。
「ミタカ……」
小さな声で名前を呼んだが気付かれる訳もなく、というか大体アイツがこんな場所にいるはずはないんだ。
『車以外の乗り物にはぜってぇ乗りたくねぇ! 歩くのも最低限にしたいし、とくに電車は嫌いだ! どこに連れて行かれるかもわからねぇし、降りたいと思ったところで降りれねぇ。だからあんなもん乗るときは死んだときくらいだろ』
口癖とまではいわなくても、ミタカがよく口にする言葉。だから、そんなミタカがこんな駅前、特に地下鉄に降りていこうなんてしているとは思えないし、本当に本人だとしたらそれは天変地異の前触れだ。アイツが一人で電車に乗るはずなんてない。他人のそら似だ。
納得したところで、俺は高架橋の上を走っていく電車の音をBGMに改めて目的地に向かうことにした。
この高架橋は車を使えば二、三分だけど、徒歩だと十分程歩き続けないと十字路になっているところがない。つまりは住宅地に行くことができないのだ。その為、駅前ということがあってだろう小さな抜け道がここには作ってある。
見ようによっては少し不気味なレンガ造りの小さなトンネル。一番高いところでも170センチメートル程度しかなく、LEDの蛍光灯が壁に一列に並んで配置されているのに、なんだかそれがよりトンネル内の暗闇と不気味さを増長させている気がしてならない。入り口には≪自転車・バイクに乗ったままの通り抜け禁止!≫と書かれた看板がど真ん中に配置されている。
俺はなんとなく看板の右側を通ってキックボードに乗ったままトンネルに入ったけれど、すぐに立ち止まることとなった。
「…………あれ?」
トンネルの出口側で人が待っている。それ自体はよくある話だ。この中はさっきもいったように一番高いところでも170センチメートル、それがドーム状になっている為に端によれば130センチメートルくらいになる。それに、壁にはどこからか漏れ出してきている水のせいで万年コケが生えている部分があり、それが腐ってヘドロのようになっている部分も多い。横幅も2.5メートルくらいなので、この中ですれ違いを嫌う人は多い。でも、俺が首をかしげたのはその点ではない。出口が三つあることだ。
もちろん正常に考えればそんなことがあるはずはないし、このトンネルは30メートル程度しかないはず。けれど、今は入り口は一つ、出口は三つに分かれている。後ろを振り返れば俺が行くのを待っているかのように後ろにも人がいて、頭の中で誰ともつかない声が『選べ』と選択を迫ってきた。
左の出口では少し酔っぱらっているかの様な不機嫌そうな顔をした中年男性が立ってこちらを見ている。右側の出口ではまだ若いけれど主婦といった感じの女性が無表情な顔で立っていて、正面の出口では小学生くらいの女の子が泣きそうな表情で立っている。俺はキックボードから一旦降りて、歩いて一歩ずつ奥に進んだ。
俺の選んだ選択は正面。泣きそうな女の子がいる出口だった。出口を抜けるとパッと明るくなり目がくらむような感覚に襲われたが、入り口と同じ≪自転車・バイクに乗ったままの通り抜け禁止!≫の看板がそのまま前に進むことを阻害した。春のように暖かな日差し。そして見慣れた住宅地。俺は青く広がる空を見上げて日差しに目を細めた。
「…………あれ?」
後ろを振り向けば、女の子もいなければトンネルもなくなっていた。ただ、女の子の立っていた場所には手のひらサイズくらいでキーホルダータイプのうさぎの人形が落ちている。俺はそれを拾い上げて、周りを見渡す。一番に思ったことは音がないということだった。
無くなった音の代わりというに頭の中でミタカの声が蘇る。
「お前は鈍い」
そう言われても、さすがの俺でもこれが異常な状況というよりも現実ではないのだろうということはわかっている。周りを見渡せば人がいないわけではなく、あちらこちらで幼稚園から中学生までくらいの子供達が遊んでいる様子が見える。まるでサイレント映画の中に投げ込まれたみたいだ。それから、出口というわけではないけれど、この状態を打破できる何かがないのかとキックボードに乗って走り回ったけれど、一つの町内が永遠とループしているようで、少し走るとみたような家や看板が繰り返される。けれど、あのトンネルがあった場所が中心となっているようで、結局そこに戻ってしまう。
だからといってまたトンネルがあるというわけではなく、あの看板があるからそこがトンネルのあった場所だとわかるだけで、結局は違う場所なのかもしれない。それでも最終的に俺はその看板に背を預けて道に座り込んだ。
ループしているからといってそこに同じ子供たちがいるわけでもなく、あっちこっちで昭和にでもしているような遊びをしている子供がいるのだ。ゴムひも遊びやケンパ、グリコ、だるまさんが転んだ。そんな遊びを無音で、無表情で。あと、印象的だったといえば、町の色んなところにフランス人形や日本人形なんかのある意味で夜中にそこに落ちていたら叫び声をあげそうなある程度精密にできた人形がぽつぽつと落ちていたことだ。まあ、ただのぬいぐるみもちらほら落ちていたけれど、フランス人形やビスクドールというようなものだろうか、そういった人形の方が多かった。
大きく溜息を吐くと、自分の声は聞こえることがよくわかる。持ち物もそのままなので、看板に立てかけて止めてあるキックボードはそのままだし、そこにぶら下げられている紙袋や中の花、ポケットの財布に携帯電話もそのまま。
俺は八つ当たりするように背もたれにしてる看板を小突いて「途中だったけど、ちゃんと乗り物降りたのに」とちょっとした愚痴を言ってみた。携帯電話をパカリと開けば俺の愛車とミタカの愛車が並んで写っている待ち受けが表示された。
「ミタカ――」
自然と口からこぼれてくる名前に涙までこぼれそうだった。こんな喧嘩別れしたような状況のまま、もうミタカと会えなかったとしたら……それはとても嫌だ。着発信履歴を開くとほとんどがミタカの名前で、色んな思い出が蘇る。電話で喋った話、一緒にいたときのこと、ミタカとはいつも心から笑いあえて、一番信頼していた。本当に大切な友達。
たぶんここに迷い込む前だったのだろ、母親からのメールが入っていた。
部分、部分で文字化けが起きていて上手く読むことができないけれど、この花はミタカが持ってきたのか、ミタカのところにも持っていけと言っているのか、そんな内容のメール。
紙袋の中をもう一度見ると、やはりマリーゴールドと百日草が入っている。
マリーゴールドには≪友情≫という花言葉がある。だから昔友達に渡したけれど、後から≪別れの悲しみ≫、≪絶望≫なんて花言葉もあると知って、絶望した。百日草には≪絆≫という花言葉があり、≪いつまでも変わらぬ心≫なんて意味もあるときいた、あともう一つくらい意味があった気がするが、今は思い出せない。
もう一度携帯をみると、また文字化けが進んでいる。けれどあることにも気が付いた。普通ならばこういう場合はお決まりの[圏外]と表示されている部分にしっかりと電波マークが立っており、今はまったく必要がないメルマガが送信され無事に受信はされた。つまり、これで現実に連絡が取れるかもしれない! そう思った瞬間に誰より早くミタカの顔が浮かび、ほぼ無意識に電話をかけようとしていた。けれど、そこで指が止まった。
あんな別れ方をしてもう何日も顔も見ていなければ、口もきいていないんだ。今更なんて電話をかければいい。しかもこんな状態で、助けてくれなんてどの面をさげて言えばいいんだ……もっと早く仲直りしておけばよかった。改めてうなだれた俺の袖を誰かが引っ張る。
驚いて飛びのいた目線の先に居たのは子供ではなく金髪のフランス人形。気が付けば俺は日本人形やビスクドールなどのあの町に点在していた人形に包囲されていた。
人形に表情などあるわけなく、フランス人形はカタカタと口を動かして『貴方も仲間になるのね! 地獄へようこそ!』と言葉を発する。それを初めに他の人形達も『地獄へようこそ!』『地獄へようこそ!』と口々に喋りだした。無音の中で響くその言葉に気がおかしくなってしまうのではないかという恐怖感が込み上げてくる。
『地獄へようこそ!』
『地獄へようこそ!』
どこに逃げればいいのかもわからない、けれど人形の不気味な合唱に耳を塞いで叫び声を上げようとした瞬間に音を立て背後を通り過ぎていく気配にすべての意識が持って行かれた。空を走るように、高架橋の上を電車が当たり前のように通り過ぎていく。
「天国に行くには乗り物に乗らなきゃ逝けない。でも、ここはまだ誰かが助けてくれれば抜け出せる」
小さな声、わめく人形達とは違う子供の声でそんな言葉が消えそうなくらい小さな声で聞こえた。声の主はたぶんここにきてすぐに拾ったあの人形だ。ポケットから取り出してどういう意味なのかを問いただそうとしたが、気が付けばそんな余裕が無いほどにフランス人形達が『地獄へようこそ』の合唱を続けながら絡み付いていた。
引き攣った悲鳴と共に俺は人形達を振り払い、蹴飛ばして走る。けれど、人形達は叫び声をあげながら追いかけてくる。頭が真っ白になりかけたこの感覚は車で事故を起こしたときに似ている気がした。そしてもう体は無意識に電話をかけていた。もちろん相手はアイツ――ミタカだ。
携帯を耳につけるとコール音が響いている、あまり体力があるわけではないのですぐに息切れしてしまう。
「助けて……助けて、ミタカ!」
祈るように形態を握り締めた瞬間、電話が繋がった音がして、俺は絶叫した。
「助けてミタカ! こないだは俺が悪かった! だからってわけじゃない、でもお前のことしか思い浮かばなかった! ごめんミタカ! ミタカ! 助けて!」
繰り返し、何度も何度も一番の友達の名前を呼ぶ。けれど、通話口からは何の反応もなく人形達の『地獄へようこそ!』の嬉しそうな声だけがすべての音のように感じる。絶望。その二文字に携帯さえ手放しそうになった瞬間――
「るっせえな、馬鹿」
短くも聴き慣れた声と罵声がすべての声を押しのけて耳に響く。
「ミタカ……」と名前をもう一度呼んだ頃には、様々な感情や言葉が涙になって零れ落ちる。自分ではあまり声が震えてはいなかったつもりだった、けれど「助けて」と言った僕の言葉にミタカは少し焦ったように返事をした。
「セイ? なんで泣いてんだよ?! 事故ったのか? 無事なのか? 何があった、今どこだ?!」
俺の中には喧嘩してしまった罪悪感のようなものがあったのにいつもと変わらず、心から心配してくれている声にまた涙が流れ、ミタカに伝えたいことがあふれ出した。でも人形達がそんな感傷に浸る余裕を許してくれるはずもなく、襲い掛かってくる。
「俺もよくわかんないんだけど、カドダのじいちゃんの家に行こうとして駅前のトンネルを抜けたら三方向に分かれてて、抜けたら音がない世界だったんだけど、地獄だとか言って人形達が襲ってきてて、トンネルもなくなってるし、出口もないし、ずっと同じところを繰り返してて、とにかく人形が!」
焦りながらも自分の中ではそれなりに整理して説明したつもりだったが、通話口からは「ふざけてんのか?」と不機嫌そうな声がこぼれてきた。まあ、自分でもわからないこの状況で理解してくれという方が難しいだろう。どう説明すればいいかを悩んでいるうちにも人形にまとわりつかれて派手に転んでしまった。もう駄目だと正直思った。が、そんな考えを吹き飛ばすような音が電話から響く。
“グォン!”ととても力強い音。ミタカの愛車が動き出したときの音。自分の愛車よりも好きで、まるで猛獣が雄たけびを上げるようなその音に、自分の心臓も大きく跳ねる。
「状況はわからない。でも、すぐに助けに行ってやるからそこで待ってろ」
力強いミタカの車の走る音と声に震えが止まった。
「うん。待ってる」
見えるはずもないのに力強く頷く。その間にも人形の数は増え、全身が押さえつけられる。それなのに、もう恐怖心はない。ここで待っていればいいんだ。
ゆっくりと感覚がなくなっていく気がした。それでも『もう大丈夫』という安堵感だけが膨らみ、ミタカとの思い出が思い浮かぶ、そんな中で不意にあのときのミタカが突然走るのを辞めると言ったときのアイツの言葉がよみがえった。あのときは感情的になってちゃんと聞いていなかった言葉――
「もう一緒には走れない。それでも友達なのに変わりはないから」
目を閉じてそう言っていたアイツの顔。俺は本当に感情的になっていて、ミタカの気持ちなんて一つも考えられてなかった。ただの子供だった。確かに、一緒に走れなくても友達なのに変わりはないし、ミタカはきっとどうやってもミタカだ。それに走っているミタカも好きだっただけで、俺はミタカと一緒にいるその時間が好きだったんだ。楽しかったんだ。だったら、なんだっていいじゃないか、まだミタカと話したいこともやりたいことも沢山ある。一緒の時間を過ごせて、うんん、生きていればそれでいいんじゃないか。お互いに生きてさえいれば、それだけで、俺達は何も変わらない。ミタカが俺の一番の友達なのに変わりはないんだ。
「早く会いたいよ、ミタカ」
最後に電話に向かってそれだけを伝えて、俺はすべての感覚を遮断するように目を閉じた。
人の声が聞こえる。人形でもミタカでもない声。ゆっくりと目を開くと典型的といえるような状況で白い天井と薬品臭さで、ここが病院であるということがわかる。人形達に抑えられていた様に体のあちこちが痛く、腕には数本のコードが繋がれている。
ピッピッピッピッという定期的な機械音にもう一度目を閉じようとした瞬間、聴き慣れた着信音が流れ、ビクリと体が跳ね上がった気分だった。
ほぼそれと同時に薄緑のカーテンが動いて「せんせー七番ベッドの患者さん意識戻りましたー」と叫んでから看護婦さんが苦笑気味に入ってきて名前や年齢をきいて、カルテの様なものに書き込んでいく。「何があったか覚えているか」という質問だけは答えることができなかったし、思い出せることはあの人形達の声しかなかった音のない世界のことだけで、あとは……ミタカ。ハッと思ったが体の痛みの方が先に走り、頭には靄がかかったような感覚だ。
看護婦さんは「すぐに先生が来るから」といって出ていこうとしたが「君、それどうやっても手放さなくて、取り上げることもできなかったのよ。電源切っておいてね」言葉と共に右手を指差され、痛む体を動かして右手を見ると携帯電話がそこにはあった。
右腕と右手はかろうじて動かすことができ、電源を切ろうとすると再び着信音が鳴り響き画面には≪ゼンホウジ ミタカ≫と表示される。どこまでが現実と繋がっていて、どこが夢だったのか、なんだったのかわからない、けれどその名前に俺は酷く安心してしまう。
「もしもし……」
恐る恐る電話に出たが、その途端に通話口から怒鳴り声が響く。
「オレ様に何回電話かけさせるつもりだ! 助けてだなんだって言葉だけ残しやがって! 今どこにいる!」
さっきのことが夢でも何でもこれが現実ならば、このいつもの罵声に少し笑いがこぼれてしまった。
「お前、なに笑ってんだよ。こっちは必至で迎えに行こうとしてたのに」
少し呆れた口調に「ごめんごめん」と謝る。
「こうやってまたミタカと喋れてるのが嬉しくてさ」
思ったままの言葉を口にすると溜息と共に「やっぱお前は鈍いな」と言われてまた笑ってしまう。でも今度はミタカも笑っている気がする。けれど、俺はその瞬間にそれ以上に気になることに気がついてしまった。
「なあ、ミタカ。お前、移動中なんだよな」
「……そうだけど」
少し歯切れの悪い返事により違和感を覚える。そう、聴こえないんだ。まったく。ミタカの愛車の音が。
「お前、どこにいるんだよ」
沈黙が流れ、中々返事がない。もう一度問いかけようとした瞬間にやっと返事が返ってきた。どこか困ったような口調で。
「どこって……“電車の中”」
その言葉を聞いた瞬間に、唐突に忘れていた百日草の最後の花言葉、≪不在の友を想う≫という言葉が頭を過ったのは何故だろうか。
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