きっと、夕陽は塗り潰す
約束の場所に、彼女はいるだろうか。
さっき降りたばかりの階段を、もう一度駆け上がる。
夕陽。
気にしたくもないのに、夕陽のオレンジ色は、暴力的なほどに印象的に壁や床に跳ね返り、網膜を突き刺して透き通る。
きっと未来、今日の日を思い出す時。その記憶は、オレンジ色に塗り潰されている。
細やかな心情の変化だとか、微細な景色の美しさだとか、愛する人の表情の動きでさえも、オレンジ色が塗り潰す。全ての感動が、夕陽の美しさに上書きされる。
今感じているこの心臓の高鳴りは、単に階段を駆け上っているのだけが理由じゃないことも。
きっと、夕陽は塗り潰す。
「……着いた」
思わず、声に出た。
祭りが一段落し、ほとんど誰もいない廊下を、早足で歩く。
世界が、自分を中心に回っているような気さえしてくる。奇妙な感情の昂りさえ、夕陽のせいに思えた。
僕も彼女も、夕陽が嫌いだった。
……約束の場所の前に、辿り着く。
やるべきことはやった。色んな人を騙して、迷惑をかけて、それでもやった。全部意味のあることだった。
呼吸を整える。
瞼を閉じて、オレンジ色に染まった視界を、目の表面に溜まった涙で洗い流す。
『美術室』。
それが、彼女との約束の場所。
18個の署名が指し示す、この文化祭の謎の『答え』だ。
「…………」
これ以上の能書きはいらないだろう。
頭の中で、どれほど恥ずかしい詩的なことを考えたところで、それら全ては夕陽に塗りつぶされてしまうのだから。決意や勇気やおまじないを反芻したところで、そんなものは、結局意味を持たないのだから。
深呼吸。
僕は、覚悟を決めて引き戸を引いた。
#
入室してきた男子が、私の顔を見て、一瞬大きく目を見開く。
予想通りだった。彼がここに入ってくるのも、驚いた表情を浮かべるのも。
予想通りと言うよりかは、推理通り。私はいつものように推理をして、いつものようにそれを的中させた。そしていつものように、その結果はろくでもない。面白い話じゃ、ない。
私は、これから始まるであろう茶番に心底うんざりしながら、びっくり顔をやめて真顔に復帰した彼の目を見て、静かに、その名前を呼んだ。
「ここに備後先輩は来ませんよ。……柿坂先輩」
「…………」
否。微笑みを浮かべたというよりかは、微笑みの仮面を着けた。
「小池さん。どうしてこんなところに?」
「ここで待っていれば先輩が来るかと思ったんです。私からも聞きたいんですけど、先輩は何故ここに来たんですか?」
「俺? 俺は、美術部の友達を探してて。ここにいないかな、って」
「……嘘ばっかり」
にっこり笑った。
心情的には過去最高に不愉快で、柿坂先輩に出会ってから、柿坂先輩を好きになってから今に至るまで、こんなどす黒い気持ちにさせられるなんて思いもしなかったというほどなのだが。私は、にっこり笑った。口角が自然に上がった。
冷え切った私の声を聞いて、柿坂先輩は、とぼけたように首を傾げる。
あぁ、やめてください。イライラさせないでください。
――殺したくなる。
「嘘、嘘、嘘……嘘ばっかり。もうウンザリなんですよ。この文化祭で先輩が吐いた下らない嘘。今から全部暴いてあげます」
美術室の中央、太陽の彫刻に向けられているはずの向日葵の絵が、今この瞬間だけは、みんな私たちの方を向いている気がした。
解決編を始めよう。
『名探偵』小池咲は、これで終わりだ。
〇視点:小池咲
〇同行者:柿坂十三郎
〇文化祭2日目・16時59分
次章 解決編
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