嘘ゆえの微熱

 愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。


 ――アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupéry



「……以上、俺からの報告は終わりだ。この文化祭2日間であったことは、全て話した」


 文化祭2日目、新聞部の活動予定は全てつつがなく消化され、時刻は午後16時50分を回っている。

 新聞部員は、渡良瀬先輩の招集によって新聞部室に集められていた。夕闇に照らされ陰る東館3階、いつもの部室には、少し重苦しい空気が流れている。

 10分前に、17時台の新聞を早めに貼り終えた柿坂先輩が最後に部室に到着し、そこから簡単に、文化祭開始時から現在までで見聞きした『記者B』に関する事項、その他気になったことなどを報告しあった。

 渡良瀬先輩、下邨、空乃、キヨ、私、忍。最後に柿坂先輩の報告を以て、新聞部7名の文化祭での体験は、ほぼ全て他の部員に共有された。


「情報は出揃った……んですかね」

「どうだろうね。私もできるだけ行動は起こしたつもりだけど、記者Bを突き止める確信的な情報が、今出た話の中にあるのかどうか」

「そもそも、私も含めて、結局みんなの報告ってほとんど『気になった事』でしたもんね。記者Bに繋がりそうな情報といえば、私の手帳の件と、備後天音先輩の件と、着ぐるみの件と……ぐらい?」

「…………」


 そう。この文化祭ではいろいろなことが起こり、たくさんの人の人間関係に変化があったようだが、実際のところ、今回の『記者B』の事件に関係のありそうな事象は、それぐらいしかない。

 あと、ヒントとして使えそうな情報といえば……署名の法則などだろうか。


「空乃。署名のあった場所と時間、記録してたよな? ちょっと見せて欲しいんだけど」

「あ、うん。はいどうぞ」


 可愛らしいラクガキが散見されるルーズリーフには、小さい字で、記者Bが署名を行った新聞が何時台のものか、どこで署名が行われたのかが、詳細に記されていた。



〇1日目

9時台 新聞部室

10時台 西館3階

11時台 西館3階

12時台 東館4階

1時台 東館3階

2時台 西館3階

3時台 東館2階

4時台 西館4階

5時台 西館3階


〇2日目

9時台 東館4階

10時台 東館2階

11時台 西館4階

12時台 東館2階

1時台 西館1階

2時台 東館2階

3時台 西館1階

4時台 西館1階(逆)

5時台 東館1階(逆)



「何時に署名が書かれたかは、把握できてないものの方が多いから記録してないよ」

「それはいいんだけど空乃……この、2日目の最後2つの、『(逆)』っていうのは何なの?」


 忍がもっともな疑問をぶつけると、空乃は「あぁ、それね」と言い、自身もうんうんと首を傾げながら質問に答える。


「なんか、この2つだけ、逆さまに署名が書かれてたんだよ」

「記者Bの文字が、上下逆さまだったってこと?」

「うん。なんでだろうね」


 署名を残す新聞の掲示場所が統一されていないこと、全ての時間帯で漏れなく署名が行われたこと、逆転した署名が存在したこと。

 これらのことから、完全に無差別に行われた犯行だとは考えにくい。おそらく、何かの暗号というか、メッセージみたいなものが隠されているのだとは思うんだけど。誰に宛てられたものなのか、何を表しているのか……。

 記者B……『備後天音』先輩。彼女は関係しているのか。それとも、ただ単にこの学校の2、3年生に伝わる記号として使われただけなのか。

 頭の中に様々な情報が交錯する。無意識に自分の手が顎に触れていることに気付いた。窓から差し込むオレンジ色の西日が、柿坂先輩の肩を貫いて、私たちが向かい合っている長机の上に、幅の広いリボンのように落ちている。


「……誰か、何か……分かったことがある人はいないか?」


 柿坂先輩が、部員たちに語りかける。


「俺も、この2日目、色々と推理しようとしてみたけれど……犯人が誰なのか、なんでこんなことをしているのか、全く見当がつかない」

「明日は新聞の掲示もないし、犯人を突き止めるなら、チャンスは今日まで。なんかこのままじゃ、やられっぱなしみたいで悔しいし……もし何か思いついたことがある人がいたら、遠慮なく言ってほしい」


 先輩2人が、悔しそうに私たちに語りかける。

 私も、できることなら犯人を突き止めたい。先輩たちの、新聞部としての最後の事件が未解決のまま終わるのは、心苦しい。


 だが……いつものような閃きが起こらない。

 みんなの話が、思ったように繋がらないのだ。

 情報が足りていないのか、或いは、何か思い違いをしているのか。間違った情報が混じっているせいで、辻褄が合わなくなっているのか。膨大な点だけが宙を舞い、それらを繋ぐ線はいつまでも曖昧で、形を成さない。

 堂々巡りの思考から手を離したとき、こちらを心配そうに覗き込む空乃の視線に気付いた。


「咲……」

「……私もできるだけ考えてみましたが、全然分かりません」

「小池でも分かんねーのか……」


 私から視線を外した下邨が、キヨと忍の方に視線を移す。

 2人共、それぞれ机をじっと睨みつけて思考を巡らせている。だが、眉間に寄った皺の数が一向に減りそうにないのを見るに、私同様、どれだけ考えても推理が結論を結ばないのだろう。


「……あんまり関係ないかもしれないんですけど。記者B……備後先輩本人は、文化祭、来ているんでしょうか」

「どうだろーな。先輩たちの話を聞く限り、かなり人気者みたいだし、知り合いに見つかったら噂になってるんじゃないか?」

「備後先輩、変装上手かったからねぇ。もしかしたらホントに来てて、誰にも気付かれてないかもしれないね」

「……変装上手かったって、どんな高校生活送ってたらそんな評価をもらう機会があるんですか……?」


 忍の冷静なツッコミはともかく……備後先輩が今、この学校にいる可能性は十二分に考えられるだろう。

 問題は、だからといって備後先輩が今回の事件に容疑者という立場で関係しているとは思えないという点だが。


 さらに数秒。

 さらに数十秒の沈黙が過ぎる。


「……もう忘れましょ、この事件のこと」


 沈黙を破ったのは、渡良瀬先輩の諦めの言葉だった。

 誰よりも犯人の特定に躍起になっていたはずの渡良瀬先輩が、一番早く、諦めの言葉を口にした。それに対して何か物言いをつける人間は、この新聞部の中には、誰もいない。

 みんな、心のどこかでは分かっていたのだ。もう真実は突き止められない。これ以上は、何も出てこない。

 柿坂先輩が、風船から空気が抜けるように鋭い溜め息を吐き、天井を仰いだ。キヨが眉根をもむ。空乃が俯き、小さく、拳で膝を叩く。

 各々、何か、意味のあるようでない、そんなアクションを行った。おそらくみんな、同じ気持ちなのだろう。


「疲れたなぁ」


 忍が、そんなことを言った。

 勤勉な彼女には似合わない、力の抜けた言葉だった。


「結局、しょーもないイタズラだったのよ。言い出しっぺみたいな私が言うのもアレだけど、もう忘れよ。最後の文化祭、モヤったまま終わりたくないし」

「……そうですね。ただの、タチの悪いイタズラ……」

「記者B……イタズラ……か」


 私を含め、何人かはまだ割り切れず、魂が抜けたようにうわごとを口から漏らす。

 一度回してしまった思考の歯車は、解法を見つけられないまま、グルグルと中途半端なモーメントで回り続けている。


「あーもう、暗い、暗い! 明日、文化祭最終日終わったらさ。打ち上げしようよ! 焼肉とか食べよう。カッキーの奢りで」

「は!?」


 渡良瀬先輩が立ち上がり、いつもの元気な大声で宣言する。突然自分の財布に矢を突き立てられた柿坂先輩が、情けない声を出して続いて立ち上がる。


「あー、いいっすね! 行きます!」

「俺、4人前は食える自信ありますよ」

「がっつきすぎでしょ。私は特上のお肉をちょっとだけ食べられればそれでいいですよ」


 そこに下邨、キヨが悪ノリし、珍しく忍も、笑顔で悪い冗談を言って入った。

 ノリノリな後輩たちの姿を見て、柿坂先輩は少したじろいだかと思うと、諦めたようにかぶりを振った。


「……足りるかは分からないからね。みんな、ちょっとは財布に入れてきてくれよ」

『やったー!』


 部室が、歓喜と興奮に包まれる。

 さっきまでの重苦しい、曇天のような空気はどこへやら。というよりも、そんな空気をできるだけ吹き飛ばそうとするように、みんな全力で喜んでいる。

 私も、頭の奥で回り続ける歯車を無視して、とりあえず笑って喜ぶことにした。


 ふと、苦笑いを浮かべながら、こちらを心配そうに見つめる空乃と目が合う。

 空乃とは、一生涯の友達でいたい。

 この瞬間、不意にそんなことを思ったのだった。



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 ここまでが出題編となります。

 『1章 小池さんと小さな正円の謎』 ~ 本エピソード までの間に、結論を推理するために必要な手がかりは散りばめてあります。


 今回、皆様に推理して頂きたいのは大きくだけ。


 【署名が表していたのは何だったのか?】

 【署名を行っていた犯人は誰なのか?(単独犯? それとも複数犯?)】


 自分で推理したいという方は、ここで一旦ストップして、結論を出してから、これ以降のエピソードを読まれることを推奨します。


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