8章 渡良瀬先輩と折れない翼(1)
HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL
CHAPTER5.1 TITLE:
『下邨翼は勝てない戦いに赴く』
〇視点:下邨翼
〇同行者:なし
〇文化祭2日目・15時12分
二年前、東大正高校第3学年在学時、未成年飲酒及び複数の軽犯罪の発覚により、退学処分を受ける。
昨年10月、当時交際していた男子に対し、肋骨が3本折れるほどの暴行を与える。逮捕され少年院に入り、今年11月1日付で出所。
こんな頭のネジが二本も三本も抜けたようなサイコ女の事なんて知りたくもないけれど、そんなヤバイ奴に目を付けられている以上、動向を気にしないわけにはいかない。
女子更衣室から証拠を持ち出したあの日から、今日のような日が来ることをずっと恐れ、水泳部の先輩から片桐たちの情報を逐一集めて、ビクビクしながら過ごしてきたが……そんな日々も、今日で終わりだ。
「あれぇ? 私、『お姫様連れてこい』って書いたよねぇ?」
俺を取り囲むように、片桐の仲間と思しき、絵に描いたようなガラの悪い男が4人ほど、へらへら笑って立っている。
同じ水泳部仲間の康介からラインが届いたのが、今から20分ほど前のこと。
『お久しぶりですカタギリです。お姫様の恥ずかしい写真、持ってます。例の証拠持って、お姫様と2人仲良く公園に来てください。』
それを見たから、俺は1人でここへ来た。
『お姫様』と2人で来い、なんて書かれている指示に従うわけがない。そんなことをしたら、この半年間が全て無駄になってしまう。
「写真を絶対返してもらえるって保証もねぇのに、あの人を危ない目に遭わせるわけねぇだろ。来てみたら、やっぱりこのザマじゃねぇか」
「キミの話とか聞いてないんだけど」
「康介に何した?」
「……耳悪いの? 聞いてないって」
「頭は悪ぃが耳は悪くねぇ。どんだけ凄まれても俺は口引っ込めねぇぞ」
キン。刃物と刃物がぶつかり合う金属音の幻聴が聞こえるほどに、空気が張り詰める。だるそうに俺を見下ろす片桐の目が、日本刀のように鋭く突き刺す。
正直、今にもチビりそうだし、少しでも気を抜いたら指が震えて止まらなくなりそうなのだが、ナメられたら終わりだ。立場が弱いぶん、態度で負けるわけにはいかない。
自分の眼光を精一杯、ナイフのように尖らせて、威嚇に威嚇を返す。
俺が片桐の眼光に臆さず、真っ向から睨み返したことがよっぽど意外だったのか、ヤツは表情を崩して「へぇ~」とニヤつくと、足を組み替えた。
「意外と度胸あるじゃん。そこの角刈りゴリラでも目ェ逸らしたのに」
角刈りゴリラと言われた男が、いたたまれなさそうにそっぽを向く。
この男……水泳部の3年だ。全く部活に出ないんで名前なんか覚えちゃいないが。
というかこの場にいる人間は、片桐と片桐の彼氏を含む数名を除いて、平井・里中・日並をはじめ……ほとんど東大正高校水泳部の関係者じゃないか。
腐り切った部活、そしてそんな奴らの言いなりになってきた自分自身に怒りが収まらず、キシキシと強く歯噛みする。
「私ねぇ。男の名前って、なんでか分からないけどぜんぜん覚えらんないの。
「……そいつはよかった。じゃあその代わりに、『お姫様』の名前は忘れてくれよ」
「それはムリ! たぶん一生忘れらんない!」
キャハハ、と笑う片桐。
なんだか子供と話しているみたいだ。猛烈に疲れる。
「渡良瀬秋華ちゃん。何度口に出しても飽きない名前」
何の恥ずかしげもなくポエットめいたセリフを吐けるところも。
「私ねぇ、大きくなったら秋華ちゃん飼うの」
何の躊躇いもなく無邪気な狂気を曝け出せるところも。
彼女は、それら全て含めて、本当に子供のようだった。
#
HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL
CHAPTER5.2 TITLE:
『下邨翼は勝てない戦いをする』
〇視点:下邨翼
〇同行者:なし
〇文化祭2日目・15時15分
私ね。初めは秋華ちゃんのこと、つまんないヤツだと思ってたの。
愛想笑いばっかしてるし、友達多いのがステータスだと思ってそうだし、気遣い上手いフリしてるし、優しくしてれば優しくしてもらえると思ってそうだし。
まぁ、だけど、カオはけっこう可愛かったから。合わないなーって思いながらも、遊んであげてたんだけど。
キミもあんなことしたぐらいなんだから、ハナシは聞いてるでしょ?
私がゲキ推ししてるアイドルの握手会に行きたかったから、秋華ちゃんも含めて友達20人くらいに抽選に応募してもらったんだよね。秋華ちゃんがチケット当ててくれたから、それで握手会に行ったんだけどさ。
で、本人確認をパスするために、学生証を貸してもらったの。
気分よく帰って、そのあとも楽しく日々を過ごしてたんだけどね。なんか急に、意味わかんないヒーロー気取りの勘違いオトコがしゃしゃってきて、「渡良瀬に学生証の偽造をさせたのはお前か?」みたいなこと言いだして。
ムカついたし面倒臭かったから、その場はソイツのみぞおち殴って逃げたの。
で、次の日。秋華ちゃんを呼び出して『お説教』したんだよね。
なんか、秋華ちゃん自身はチクったりしてなくて、勘違いオトコが突っ走ってただけらしいんだけど。でも、私がムカついたから、そんなことはどうでもいいし。
友達みんな集めて、水泳部の部室裏に呼び出して、まぁちょっと「なんで私をこんな面倒な目に遭わせたのかな?」って優しく諭してあげたの。ちょっとペチペチって撫でるくらいの力で叩いたりしながら。
でね、でね? ここからが面白いところなんだけど!
あの子、基本何されても愛想笑い浮かべてるだけなの。
にへ、って感じのうすら寒い笑顔を貼り付けて、「やめてよー」とか言ったりしてるだけなの。そういうところもホント嫌いだし、気持ち悪いんだけど。
でもさ、でもさ。
私、色々やったあとに、無理やり秋華ちゃんにタバコ吸わせて、それをスマホで写真に撮ってあげたんだけどさ。
その時の写真、ずっと保存してて、今もロック画面に設定してるんだけど。
私が、「家族に
もう二度と忘れられない!
たぶんどんなに才能のない画家でも、あの顔をモデルに絵を描けば数億の値段がつくんじゃないかって思う。どんなに才能のある女優でも、あの顔を演技で創り出すのはムリなんじゃないかって思う。
人間ってそんな顔ができるんだ、って顔!
その時だね。扉が開いちゃったの。
だから私、秋華ちゃんのことが大好き。
何度でもあの顔を見るために、次の日もいろいろとお喋りしたり、つついたり、撫でたりした。
でもしばらくイジめてるとねぇ、たった一日でも、だんだん反応が薄くなってくるの。私も経験あるから分かるんだけど、長い時間酷い目に合ってると、段々、『何も感じないようにすること』を覚え出すんだよね。
もう、目が虚ろっていうか。何されても、「うあ」とか「やめてぇ」とか呻いたりするだけで、リアクションらしいリアクションをしてくれなくなってくるの。
それはそれで可愛かったんだけどね。
でも、たった一日で学校来なくなっちゃった。秋華ちゃんの家ってイイトコだし、親が厳しかったはずだから、ズル休みとかするのはおかしいなーと思ったんだけど……まさかホントに胃を痛めてたなんてね! あはは! 悪いことしちゃったなぁ。
で……まぁ、あとはキミの知ってる通りだよ。天音ちゃんに、お酒飲んでた写真とか、オッサンからカツアゲしてた証拠とか掴まれて、退学にさせられちゃった。
てか、何者? って感じだよね。絶対証拠なんて残ってないと思ってたリンチの事とかまで暴かれちゃって、ビックリしちゃったよ。
あの子も可愛いけど、なんか一生勝てる気しないから、秋華ちゃんほど大好きじゃないかなぁ。ほら、私ってさ、好きな人に対しては優位に立ちたいみたいなところあるじゃん。
#
「で……えっと、何の話してたんだっけ?」
一通り、述懐とも回想とも妄想ともつかない鈍色の妄言を垂れ流した片桐が、わざとらしく頬に人差し指を当ててとぼける。
今までの話を聞いているだけで吐きそうだが、この女の自分語りはまだ終わらないらしい。
「あぁ、そうそう。秋華ちゃんを『飼いたい』ってハナシ」
「…………」
「君さ。今から30年くらい前に起きた、女子高生を監禁して死なせた事件のこと、知ってる?」
……背筋が凍る。
女子高生コンクリート詰め殺人事件。ネットで偶然知り、軽率にも興味本位で検索してしまい……事件の概要を読んだだけで、気分が悪くなって寝込んだ。
俺の背筋が凍ったのは、俺の歯がカチカチと鳴っているのは、そんな惨い事件の内容を思い出したからではない。
この女の言う、『飼いたい』の意味を、理解したからだ。
「その顔は知ってる顔だねぇ。馬鹿な男たちが、集団で女子高生を騙して、家に連れ込んで、監禁して、拷問して、強姦して、殺した事件だよ。
あの犯人たちは、力加減も分からずにボコボコ殴って女子高生を死なせたけど。私は違う。ちゃんとお世話するし、ちょっとイジめたくなっても、加減ミスらない!」
「……何言ってんだ」
ここにきて、気持ちが揺らぐ。
睨まれても絶対に退かなかった、この2本の足が、今、人生で初めて目にする『理不尽な存在』に怯えて、じりじりと後ろに下がった。
先輩を守りたい。真っ赤に燃えていたその心が、あまりにも気持ち悪い、理解できない邪悪に触れて、真っ黒に塗りつぶされてしまいそうになっていた。
そんな俺の顔を見て、片桐は「うひょお!」と声をあげる。
「キミ、男のくせにいい顔するじゃん! キミならホントに名前覚えてあげられるかも! ていうか付き合う?」
甲高い戯言も、耳に入らない。
「何食って生きてたらお前みたいな考え方になんだよ! 監禁したいって……あの事件のこと知って、真似したいとか、どうしてそんな感情が湧いてくるんだよ!」
「監禁したいじゃなくて、飼いたいだけだよぉ」
「同じだ、いずれにせよ狂ってる!」
「まぁ、けっこう病んでることは自覚してるけどさぁ」
片桐から目を逸らし、周りの人間の様子を窺う。
みんな、無表情か、ヘラヘラ笑いながら「また言ってるよ」みたいな反応だ。まるで自分だけがおかしいのか、自分の方が狂っているのかと、足元が揺らぐ。確かな倫理観が崩れ去る。
コワイ、オカシイ、クルッテル……。
ぐるぐるする頭の中で、俺はなんとか正気を保つために、ひとつの仮説を立てることにした。
汗が、口の中に入る。無理矢理、口角を上げて、笑みを作る。
「はん。飼いたいでも監禁でもなんでもいいけどよ。お前それ、絶対本気で言ってねぇだろ」
「は?」
本気で「こいつ、何言ってるんだ?」みたいな顔をされる。
「マンガのキャラみたいな……サイコパスっていうのか? ああいう狂ってる人間を演じてるんだろ。それがカッコイイと思ってんだろ? 友達が言ってたよ、お前みたいなヤツのこと、中二病って言うんだってな」
「……えぇ~、そんな風に思われちゃったか」
うーん、と唸って、首を捻りながら腕を何度も組み替える片桐。
「まずさ。キミ、考え改めた方がいいよ」
「え?」
「『マンガのキャラみたいな』って言うってことは、現実にそういう人間がいるってこと、信じてないんでしょ? いるよ、普通に」
『あ』の形で口が固まって動かなくなる。
ない、いない、そんなわけがない、物心ついてからずっと信じてきた常識とか世界観が、『いるよ』というその一言で崩れる。
いるよ、普通に。その『普通に』というワードに、こんなにも心臓が冷え切ってしまうのは、今まで生きてきた世界を真っ向から否定されたからなのか。
自分でも驚くほどに、片桐のその言葉をあっさりと信じ込んでしまったことに気が付いて、さらに心が冷え込む。心臓の表面がカサブタのようにめくれて、取れて、体の中に影を落とす。
狂った世界の住人の筆頭である片桐は、なおも続ける。
「私みたいに、そういうことをしてみたいって欲望を隠さず表に出してる人が少なすぎるだけだよぉ。こんな田舎町で15年ちょっとしか生きてないからしょうがないのかもしれないけど、いっぺん鑑別所とか少年院とか行ってみたら、そういうコっていっぱいいるモンだよ」
「それは……そういうところに集まる人間が、ヤバイ奴らってだけだろ」
「本当にそう思ってるぅ? 100%普通に真っ当に健全な精神で生きてる人間なんて、多分そんなに多くないよ。ハコに入る人間って言うのは、少数の健全な人たち以外のみんなが思ってる『やりたいコト』を、マジでやっちゃった人間っていうだけ」
「…………」
片桐が、滑り台の上から飛び降りる。
人間ひとりが、1メートル以上の高さから飛び降りたとは思えないほどに、布がはらりと落ちたかのような軽やかな着地だった。
「みんなが思い描いてる『常識人』の枠から逸れたらドロップアウト一直線でしょ。だから大抵の人は常識人の仮面つけて、内側の奥底にしまい込んでるってだけ。
隣の席の子も、先生も、先輩も、後輩も、今日すれ違った有象無象の人々も、キミの親も、キミの初恋の人も、キミの大嫌いなアイツも、キミ自身も……私のような、いや、もしかしたら私よりも拗らせた欲望を持っているかもね」
「………………」
「キミの人生の登場人物には、普通の人しかいないって思ってた? 頭おかしい、反社会的なヤツはマンガの中だけだって?
ざぁんねん。普通にいまぁす。
人が死なない話の登場人物にも殺人願望を持ってる人はいるの。悪い事言わないから、自分の周りにはまともな人しかいない、って見方は捨てた方がいいよ~?」
「…………」
「あ~、なんか説教臭いこと言っちゃったなぁ」
何も言葉を挟めないまま、聞いているこっちまで気が狂いそうな演説は続く。
「ま、キミがそんな価値観に縛られようがどうでもいいけどさぁ。とにかく私は秋華ちゃんを飼いたいの。秋華ちゃんの心を借りて、私の心を貸してあげたい。私なら、ちゃんと死なせたりせずに適度にやれるし。
私が彼ピの肋骨3本折って捕まったの知ってる? あれ、なんか警察とかには、私がブチギレて、我を忘れて殴りまくったみたいに思われてるみたいなんだけど。実際は違うの。
『3本くらい肋骨を折ろう』と思って、そうしたの。
どういうことか分かるぅ? 私、加減して暴力できるの! すごくない? だから絶対秋華ちゃんのこと飼っても死なせたりしないし、責任もって面倒見れるよ」
まるで、ちゃんと散歩するから、お世話するからと言って、ペット犬を購入することをせがむ子供のような主張だった。或いは、勉強もちゃんとするからと言ってゲーム機をねだるような。どちらにしろ、人を人と思わない主張。
この女と、これ以上の会話が成り立つ気がしない。
完全にヤツの世界に飲み込まれてしまう前に、俺は声を張り上げる。
「そんなこと聞く気はない! お前が渡良瀬先輩を酷い目に遭わせようとしているなら止めるだけだ!」
「ふぅん。どうやって止めるつもりなの?」
「…………」
汗が、つーっ、と首を伝った。
「え?」と、片桐が信じられないものを見たような目で俺を見る。
「……もしかしてノープランで来たの?」
「ブン殴って改心させる!」
「はあ、鬼のようにバカだねぇ」
「うっせぇ!」
「ま、説得するとか言い出すよりかはちょっとだけ現実的かな。どちらにせよ無理だけど」
ガン。
頭に、何カガ、振リ下ロサレタ。
痛イ……眠イ。
目の前が赤く発光して、すぐ後、真っ暗になった。
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