6章 源さんと着ぐるみ殺人事件(3)

HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL

CHAPTER3.7 TITLE:

『弓原大河はそれを認められない』


〇視点:曽布川喜彰

〇同行者:卯月一日・弓原大河

〇文化祭1日目・15時01分


 弓原大河ゆみはら たいが


 去年のちょうどこの時期に、俺が暴力事件を演出したことによってまんまと退学に追い込まれた、哀れな不良だ。


 まぁ、俺はその事件から逃げおおせることができなかったわけだが。

 今年の体育祭にて、未だ色恋沙汰に未練を捨てきれない色ボケ女が企んだ告発、及び俺の最も嫌う陽キャラパッツン女の名推理、及び俺のメンタルの弱さから出た自白により、二年生全体の知るところとなった。

 それから数ヶ月の間、馬鹿どもの『報復』と称した嫌がらせ行為を受け続け、最近ようやくそいつらの弱みを握ることによって報復から解放された……というのが、俺とこいつとの因縁だ。


 大柄で上級生顔負けのガタイには、高校をやめて土木の仕事に就いたことによりさらに磨きがかかっている。無駄に凝った赤と黒のライダースジャケットも、一年前に見たことがあるような気がするが、少し肩のあたりが膨れ上がっているような。

 正直俺は、かつての親友が元気にやっていることを確認できて、素直に嬉しかった。


「隣の女の子は? 彼女?」

「心にも思っていないことを言うな」

「…………」


 エイプリル女は黙ったままだ。

 真逆のことを言う代わりに、言ったことには過剰に責任を感じるヤツなので、こいつは本当に俺と弓原の話の間は黙っているつもりなんだろう。

 うざったくなくていい。


「……あの体育祭のあと、色々あってな。あちこち色々動いた時に、引っ付いてきた」

「色々色々って、分からん言い方すんなよ」


「分かるだろ? 俺への嫌がらせだよ」


「…………」


 今も変わらず顔面に張り付いて周りの人間を照らす、底知れない明るさ、底知れない爽やかさ。

 それは確かに弓原大河の本質である。けして偽りではない。本性であり、本心であり、本当に、弓原は

 問題は、その明るさに、光に、弓原の抱えるどす黒い何かが塗りつぶされて見えなくなってしまっているということだろう。


「……酷ぇな。俺はお前にハメられて、退学の落ち目に遭った被害者だぜ? クラスラインも抜けたし、学校に残ってる連中と連絡を取る手段なんて……」


「戸畑って女子いるだろぉ。今が本当に2017年なのかってカレンダーを疑ってしまうくらい時代遅れな、ガングロの、脳細胞まで日焼けしたみてーなヤリマン。

 あいつを脅すついでに、あいつのSNSアカウントを全て俺が勝手に動かせる状態にしたんだが」


「……しばらく見ねぇ間にえげつねーことするようになったな、曽布川」

「お前を退学させる以上にえげつないことはしていない」

「はははは! 違ぇねぇ」

「ともかく、戸畑の個人トーク履歴を見る限り、お前が遠回しに俺へのヘイトを扇動するような発言をしているのが多く見受けられる。

 その他数人との個人トークにおいても、お前はあくまで遠回しにぃ、さも自分は全く気にしていないという風を装って、俺へヘイトを集めていたな? 久しぶりにカラオケにでも行かないかとか、放課後にボウリングに行くんだがお前も来ないかとか、そういったどうでもいい話題でも俺の名前を出して、さりげなくヘイトを煽った」


 極めて陰湿に、執拗に、自分自身を『善い人』に保ったまま、弓原はこの1年間、俺への攻撃を続けたのだ。

 だからこそ、俺へ直接的な嫌がらせをした連中も、善い友人である弓原の敵討ちという、いかにも罪悪感を軽減させてくれそうな大義名分のもと、俺をクラスラインからハブったり、俺の持ち物を燃えカスにしたり、俺を殴ったりできた。

 まぁそんな連中も、今やSNSアカウントやら軽犯罪の証拠やらを俺に握られて、完全に俺の言いなりとなってしまっているわけだが……。


 弓原は少し真面目そうな顔で、声を重くした。


「……俺はそんな陰湿な手は使わねぇよ。仮にお前を恨んでいたとしても、自分の手で殴るだけだ」

「確かに、お前は陰湿な人間ではないんだろう。そして俺を恨んでもいない」

「あぁ、分かってんなら――」


「『恨む』なんてのは、のすることだからなぁ」


 実に約半年ぶりに、俺は声を張り上げた。

 この1年間、俺なりに弓原のことを考え、考察した。そして辿り着いた答えが、これだった。

 ……負け犬はどちらか。

 俺は普段ほとんど使わない表情筋を使って、『余裕の笑み』と呼ばれる表情を作ってみた。相対する弓原の顔から、余裕が消えることを願いながら。


「何が言いたい?」

「ずっと考えてたんだよ。お前っていう人間がどんな考えをして、どんな思想を持っているのかって」


 弓原との学校での記憶が、脳裏に蘇る。



 弓原と話すようになったきっかけは、暑さが増してきた5月の終わり頃、俺が委員の仕事、弓原が校則破りの罰則で、同じ日に河川敷の清掃ボランティアをすることになったことだった。

 当時の俺は、まぁ……今の俺ではなかった。今のような全方向にヘイトを振りまく陰キャラではなく、大人しい普通の陰キャラだった俺に、弓原は、自分とのカーストの違いなど関係なしに話しかけてきた。


「曽布川。お前、意外と話せるじゃん。みんなの前で声も張れるし、いい声してるしよ」

「え? はは……そうかな」

「文化祭で劇することになったらさ、お前、ナレーターで出てみろよ!」

「……いま、まだ5月だよ、弓原。気が早いってレベルじゃないって」

「ははははっ!」


 その後も、弓原との友好関係は続いた。ちょくちょくカラオケに誘われたり、帰る方向が一緒だから帰りに総菜屋で買い食いしたりした。


 あの日までは。



「それでは、次……ええっと。ナレーターやりたい人」


 文化祭の1ヶ月半前、忘れもしない、たぶん一生忘れられないホームルーム。


 劇の役決めが行われていた。

 主役、ヒロインという2つの重要ポジションは、両方とも単独立候補により速攻で決まった。それに続く3つ目の募集項目が、ナレーターだった。


 5月のあの日、弓原と話したことを覚えていた俺は、この瞬間をずっと待っていた。


 今まで出てきた役は陽キャラで埋まっているのに?

 俺のようなあまり友達もいない陰キャラが出張っていいのか?

 場違いじゃないか?

 みんなに白い目で見られはしないか?


 恥ずかしさや不安、最低な自己評価、それら全てを振り切って、俺は手を挙げた。

 俺と同時に手を挙げたのは……高頭万記子たかとう まきこ。弓原やその周りの人間のように強く目立っているというわけではないが、独自のコミュニティを築いている、『陽』寄りの人間だ。

 クラス委員が、少し戸惑いながら高頭と俺を順に指差す。


「えっと、マキちゃんと曽布川くん……?」


 クラス中が、俺を見ているような気がした。

 クスクスという笑い声は、俺を馬鹿にしたものなのか。なんとなく戸惑っているような雰囲気は、俺のような陰キャラが出張ってきたことに対する困惑なのか。ネガティブな思考が止まらない。

 だが、俺の脳内には、勇気を出して手を挙げることができた、自分の主張をクラス内で表明できた、という達成感も同時に流れていて、ポジとネガが奇妙な渦を描いていた。


「……ここにきて被ったの初めてだなー」

「オーディションとかする?」


 よし。俺は机の下で拳を握った。

 多数決なら、ほとんどただの人気投票になってしまうが、オーディションをするなら実力勝負、まだ俺にも勝機がある。


 しかし、芽生えたわずかな希望は、一瞬で摘み取られた。


「隣の教室、まだ授業してんだろ? うるさくしたらグチグチ言われてかったるいし、多数決でいいんじゃね」


 ……あろうことか、弓原によって。


「え」


 俺が発した、ほとんど呼気に近い困惑の声は、誰にも感知されることはなく。

 クラスの皆は頷き、弓原のカリスマに感嘆する。高頭も、多数決で友達のいない俺に負けることなど有り得ないというのが分かっているのだろう、何度も頷き、間延びした声で賛成を唱えた。そのまま流れが多数決に傾く。


 意見することもできないまま。

 抗議することもできないまま。


 何故? 何で? よりによってなんでお前が?

 弓原だけを捉えた視界が、暗転し、ぐるぐると回る。本気で気分が悪くなってきていた。

 吐きそうだ。

 何が勇気だ。

 何が主張だ。


 何が、ナレーターで出てみろよだ。


「じゃあ、多数決取っちゃうよ。曽布川にナレーターをやってほしい人」


 砂漠だった。


 1本たりとも腕が上がっていない。気まずい静寂に、ひそひそとした押し殺した笑い声がよく映える。

 弓原も。手を挙げていなかった。

 なんで俺から先に聞くんだよ。高頭から先に聞けば、たくさん手が挙がっているのを見て過半数を得ていることを確認すれば、こんな光景は見なくて済んだ。こんな惨めで、恥ずかしくて、死にたくて、死にたくて、死にたくて、弓原大河を殺したい思いはしなくて済んだ。


 下を向いて、ヘラヘラと笑ってみた。

 「やっぱ無理か」と自虐っぽいことを言ってみた。誰に聞かせるでもなく。誰に聞かせるでもあった。分かってたさ、という、遅すぎる予防線を張った。

 かまいたちの如く、深く深く肌を切り裂いていく最低な時間が過ぎるのを、ただひたすらに待った。1秒が1分にも、1時間にも、1びょうにも感じられた。

 熱があった。吐き気。けれども体は足の先から頭の頂点まで寒く、心臓は痛く、全ての臓器という臓器が音を立てて空気と血を吐き出して滅びていった。


「……え、あー。じゃあ高頭にやってほしいひとー……」


 花畑だった。


 小学校の授業参観のような、クラス全員が、綺麗に、教室一面、挙手している。律後者である高頭も挙げていた。もちろん俺も挙げていた。

 弓原も挙げていた。

 心がないのだと思った。畜生だと思った。鬼畜だと思った。悪魔だと思った。鬼だと思った。弓原大河よりも強い残酷性を持つ人間を、俺は見たことがなかったし、これからの人生のなかでも観ることはないだろうなと思った。



 このとき、人生で一番強く下唇を噛んで、口内に流れて喉の奥へと流れていった血の1滴と共に、今の俺は生まれたのだと思う。


 物腰柔らかで、引っ込み思案で、力の強い奴にヘラヘラと愛想笑いをしているだけでは、またこんな目に遭ってしまうだけだと分かった。

 もう二度とこんな思いはしないと心に誓った。

 もう二度と陽キャラに負けないと決めた。

 もう二度と弱い人間には戻らないと自分に言いつけた。


 弓原大河に、同じ苦しみを味わわせてやると決意した。

 俺と同じくらい、人格が歪むくらい、トラウマになるくらい、二度と忘れられなくなるくらい、死にたくなるくらいの苦痛を与えてやると決意した。



「あの時俺は、お前という人間が本当に分からなかった。俺をどん底に突き落とすためだけにあんなことを言って、そのためだけに仲良しごっこを続けていたのかって、そう考えると、本気で背筋が凍るようだった」

「…………」

「こんな人間がいるのかと。あそこまで無表情、無表情どころか明るい笑顔で、人の心を粉々に折り砕くような残酷なことができる人間がいるのかと。正直言って、考えれば考えるほど、怒りが薄れ恐怖が高まっていった」


 運動場の方でライブイベントのリハーサルが始まったらしい。チューニングがてら適当に伴奏を流す音と、笑い声が下から聞こえてくる。

 ……弓原と俺、どちらかが正常な人間であったならば、2人一緒にあの喧騒の中に入り混じることはできたのだろうか。弓原は普通に学生生活を続け、俺はただ弱い陰キャラのままだったとしても、同学年のほとんどから敵視されるようなこともなくいられたのだろうか。

 ……まぁ、何一つ後悔はないけれど。

 さっきから黙ったままのエイプリル女は、いつものニコニコ顔を消し、真顔になっていた。俺と弓原とのやり取りがそれはそれは面白いらしい。


「どういうつもりだったのか、素直に教えてくれる気はないか」


 弓原は腰に手を当て、下を向いた。まるで俺から表情を隠すように。


「……それに関しては、悪かったと思ってるよ。無責任だったよな、ごめん」

「お前らは長いこと、俺が陽キャラどもへの嫉妬から、お前の退学事件を起こしたと思っていたようだが……実際は俺は、このことからお前と高頭を恨んで、あの事件を起こしたんだ」

「俺を恨むのは最もだろうよ。だけど何故高頭を巻き込んだ?」

「……あー……それに関してはぁ、単純に気にくわない女だったからだなぁ……。

 計画上、誰か無関係な人間1人を巻き込まなければいけないとなった時、真っ先に思いついたのがアイツだった」


 ナレーターの椅子を奪い合う相手が人気のない俺だからと、多数決の提案を強く推進するような卑怯な根性。

 体育祭の時に、ゴーストライターという手段を使ってまで自分の字が下手くそなことを隠そうとした、下らない自尊心。

 その両方を持ち合わせ、それでもなお外面よく生きている様が、とても醜く、ヤツが友達に明るく話しかけているのを見るたび反吐が出るような気分だった。

 中身は俺と大差ない汚物なのに、それを着飾って取り繕って、必死に陽キャラを演じている様が。ただ気持ち悪かった。人間のドレスを召したドブネズミ様を下水道に突き落とすのはとても気分がよく、体育祭の裏で軸丸と高頭が絶交したと知った時、俺は久々に善行を成した気分になれた。


「……なぁ弓原ぁ」

「……………………」

「復讐もした。時間も経った。俺の中にはもう、正直、お前への怒りなんて残ってはいない。お前のせいで受けた傷はずっと残り続けるだろうが、少なくとも、お前のことをつもりでいる」

「…………許す?」


 ぴくり。

 弓原の肩が少し上がったのを、俺は見逃さなかった。


「……そうか。悪い、ありがとう」


 芝居口調で俺はまだ続ける。


「あぁそうだ。俺はお前を。俺は……俺はんだ、お前に。お前よりもに立つことができたんだ」

「…………」


 普段声に載せない抑揚というものを、めいっぱい込めて、力強く、胸に手を当て、腹に力を込めて。

 普段顔に出さない狂喜の感情を目元口元全体にまんべんなく塗りたくって。

 『』を表す言葉に傍点を振って。

 俺は必死に、普段下らないと吐き捨ててきた行為をする、マウントを取る。


「お前は俺をほんのちょっと、精神的に傷つけたに過ぎないが、俺はお前を退学させた! 具体的に人生に多大なダメージを与えた!

 お前が復讐のために仕向けた嫌がらせも、全て躱してみせた!

 お前の復讐は失敗したが、俺の復讐は成功したままだ!」

「………………」


「陰キャラ曽布川喜彰は、陽キャラ弓原大河に、した!」


「うああああああああああああああっ!!」


 痰が絡んだような濁りまくった声は、爽やかで、自由で、やんちゃで、明るくて、他校生に絡まれているクラスメートの女子を見かけたら助けずにはいられない、みんなのヒーローである弓原大河のものだとは、とても思えなかった。

 だが、今、涙目になって、顔に金剛力士像の如く皺を寄せまくって、醜く喚いて、俺の胸倉を掴んで引き寄せてきているのは……紛れもなく、弓原大河その人だ。

 誰よりもに、に、に拘った男。

 その拘りを爽やかな仮面にひた隠してきた男の、無様な顔。


「それがお前の本性だな」

「…………うるせぇ、黙れ!」

「相手が誰だろうと、自分の仲間に優しくするのは、それが気持ちいいからだ。気前のいい親分肌の自分を演じたかったから。みんなが自分をカリスマのように慕うのが最高に嬉しかったからだろう。

 裏を返せば、お前は誰よりも強く、とことん上で、全てに勝っていなければ気が済まないということだ」


 胸倉を掴み締め上げる弓原の拳に、今にも詰まって破裂しそうな血管が浮き出る。カッターシャツに致命的な皺がつきそうだった。

 弓原大河からこんな表情を、こんな余裕のなさを引き出したのは、俺が最初で最後だろう。そのことを、素直に誇りに思うし、これで俺は弓原大河に勝ち続けられる。

 ……こんな体勢になっているせいで周りが見えないけれど、エイプリル女は何をやっているのだろうか。スマホでもいじっているのか。


「陰キャラとかクラスカーストとかを気にしていないようなお前だったが、実際のところは、誰よりも上下を意識して生きていたんだろう? クラス40人くらい全員に順位を付けて常に比較しながら観察していたんだろう? まるで俺みたいにな」


「…………お前なんかに……!」


「お前は異常だよ。退学してから、周りの無自覚な奴隷を使って俺に対する嫌がらせをさせたのも、退学させられた恨みなんかじゃないんだろう?

 ただ、からなんだろう?」


「……蹴落とした……?」


 不意に胸倉を解放され、俺はちょっとバランスを崩して1歩2歩と後退する。

 殴られるかとも思ったが、弓原はそれから十秒ほど、ずっと歯を食いしばって棒立ちで震えていた。


「……何勘違いしてんだ、地味で友達一人もいないクソ陰キャのくせに……俺に勝ったって? 蹴落としたって?」

「勝った、蹴落とした。事実だ」

「ハハハハハハハ!! めでたいなお前! あいつらより馬鹿だよ!」


 あいつら……とは、弓原の周りにいた陽キャラどものことを言っているのだろうか。あんなに仲間が大切とか言っていたくせに、酷い豹変だ。

 弓原は目元を隠すように手を当て、上を向いて朗らかに笑う。上の歯が綺麗に光った。


「確かに俺を退学にさせた瞬間ではお前が勝ってたよ。だけど、今だ。今はどうだよ?

 俺は高校中退ですぐ仕事に就いて、すぐに職場にも馴染み、出世の打診もされた。女だって出来た、そしてその女と子供を作ったし今月中に小さい婚約パーティーもする。

 かたや田舎高校に残ってクラスメイトを脅してイキリ倒す陰キャ、かたや職場にも家庭にも確固たる地位を築こうとしている陽キャ。

 世間的に、一般的に、どっちが勝ってるって言えるんだろうなぁ!?」


「……本性表してくれて嬉しいよ、弓原」

「俺も、こんなに爽快な気分は久しぶりだ。嫌われようがどうでもいいお前の前でなら、本当の自分を出せるよ」


 ネチャネチャした、いやに温く、分厚く、触っただけで皮膚が爛れそうで、気持ち悪いものだけど。その瞬間、俺と弓原の間には、そんな不愉快な友情が芽生えていたように思う。

 この日本社会に生きるいったいどれぐらいの人間が、自分の醜い部分を見せ合える相手というものに出会えるのだろう。親にすら隠す本性を、本音を、遠慮なくぶつけられる相手に。


「……それで? 本題に入れや。まさかマウント取り合うためだけに呼び出したわけじゃねーだろ」

「当然だ。……そろそろ、お前との因縁にも決着を付けたいと思ってな」


 決着。

 揉め事に、争いごとに、因縁に、どちらかの勝利若しくは引き分けという形でピリオドを打つこと。

 この二年間に渡る歪んだ友情を。

 この一年間に渡る陰湿な喧嘩を。

 さっき芽生えた、確かな絆を。


 俺は『決着』させることにした。


 ポケットから、一枚の丸めたメモとUSBメモリーを取り出し、弓原に放り投げる。


「これは?」

「そっちのメモは地図、もう一個は空っぽのUSBだ。地図を見てもらえるか」


 弓原がしわくちゃの地図を広げる。数秒待って、俺は説明を再開する。


「この町の地図だ。ここからけっこう離れたとこに、バツ印が描いてあるだろ? その建物の中に、俺のノートパソコンがある」

「…………」

「何となく察したようだな。そのノーパソの中には、あの退学事件で俺がお前を貶めたことを証明する証拠が入っている。俺が高頭を襲わせた他校の馬鹿共とのやり取りを録音した音声データだ」


 そして。

 俺はすっかり置いてけぼりにされてニコニコと拗ねているエイプリル女に向かって顎をしゃくり、あらかじめ渡しておいたモノを出させる。

 ボイスレコーダーだ。弓原の顔が苦々しく歪む。


「チッ、相変わらず姑息だな」

「半年前、俺を嵌めたパッツン女の真似をしただけだ。……当然この中には、お前が本性を晒した声も入っている」

「力ずくで奪われるとは考えねーのか?」

「力ずくで奪っても無駄なようにしてある。このレコーダーはクラウドに繋がっていて、音声データは俺のパソコンに送信・保存されている。逆に、このレコーダーにはデータが残っていないがな」


 弓原にボイスレコーダーを放り投げる。弓原はそれを受け取りもせず、つまらなそうに足元に叩き落とすと、粉々に踏み潰してしまった。

 体育祭直後の自分を思い出して、俺は苦笑する。


「さて……これから俺は、スマホで自分のパソコンを遠隔操作する。その一時間半後、

 俺のパソコン上から『退学事件の証拠』が完全に消去されるのと同時に、お前の嫁のメアド宛に『さっきの録音データ』が送信される」


 つまり弓原は、タイムリミットである一時間半までの間に俺のパソコンを操作できれば、自分の醜い音声を嫁に聞かれる前に消去でき、俺を罪に問える証拠を手に入れられるということだ。

 逆に言えば、タイムリミットまでにパソコンを操作できなければ、弓原は俺の弱みを握る機会を失い、さらに婚約までした嫁に自分の汚い一面を晒されるハメになるのだが。

 弓原は卑屈なほどに笑みをひきつらせる。


「……中二病かよ。俺はスーパーハッカーなんだー、ってか? そんな手の込んだこと、たかが高校生のお前なんかに……」

「言っただろ? 俺はお前のお仲間ほとんどの弱みを握り、SNSアカウントまで乗っ取ったんだ。この程度造作もない」

「ふざけんな! 大体、退学事件の音声データがお前のパソコンに入ってるって証拠あんのか!? もしそれが嘘なら、お前だけノーリスクじゃねぇか!」


 スマホから自作アプリを起動。ピロリロリン、とふざけた音を鳴らしてスイッチを押した。


「信じるも信じないもお前の勝手だ。まぁどちらにせよ、今から一時間半後にはお前の恥ずかしい音声がお前の嫁に届くだけだが」

「……クッソが……!」

「これで最後だ……弓原。どっちが死ぬか、どっちが本当に上なのか、お前の大好きな勝ち負けを決めようぜ」


 俺の言葉を待たずして、弓原はバイクのキーを出しながら屋上を飛び出して行ってしまった。

 一人……いや、エイプリル女もいたんだったか。二人だけになった屋上の上で、俺は胸のポケットに入れておいたシガレット菓子の箱を出して、一本くわえた。

 エイプリル女がつまらなそうな顔で、つまり面白がって聞いてくる。


「パイセン、そんな子供っぽいことする人でしたっけ?」

「……タバコに見立ててくわえてるわけじゃない。たまにだが、これを舐めてると落ち着くんだ」


 粉っぽいココアの味が、あの頃を思い出させる。

 カリッ。無意識に歯を閉じてしまい、口からはみ出ていたシガレットの欠片が、屋上のカビた床に落ちて砕ける。


「最後にでかい花火咲かせようぜ、弓原ァ」


 俺はくだらない演出的なセリフを吐いた。

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