5章 冬山くんと小説長者(3)

HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL

CHAPTER2.6 TITLE:

『黒には白にない魅力がある』


〇視点:源忍

〇同行者:進藤浅彦・下邨翼

〇文化祭1日目・12時54分


「やぁっと開放されたぁぁ……」


 歩いたり階段を上ったりするのはおろか、息をすることすら私に難しくさせていたにっくきペンギンの着ぐるみを脱ぎ去り、いつものセーラー服姿に変身。

 着る前はカワイイと思ってたけど、もう二度とこんなもの着るもんか。


「ま、いやでも明日と明後日、あと2回着なくちゃいけないんだけどね」

「……心を読まないでくれるかしら」

「いやだな、忍ちゃんの読んでた本にも書いてたじゃない。コイビトどうしは、心が通じ合っていることがシアワセなんだって!」

「……私の本も読まないでくれるかしら」

「君の本じゃないよ。君が持ってたから自分で買って読んだのさ」

「…………行間を読んでくれるかしら」


 あと空気とか、ね。


 午前で任務を終えた私に対して、アーサーは、今から見回り業務開始だ。といっても、今日は2時から水泳部の有志によるシンクロパフォーマンスがあるから、本格的に見回りを始めるのは3時以降なんだけど。

 いま着ぐるみに着替えておいて、水泳部の宣伝がてら学校をぐるっと一周周り、水泳部室で着ぐるみを脱ぐ。パフォーマンスが終わったら、そのまま着ぐるみに着替えて見回り業務を再開……という算段らしい。効率的といえば効率的なんだけど、プールのすぐそばにある水泳部の部室なんかに置きっぱなしにして、着ぐるみに湿気がうつらなきゃいいけど。

 そのへんに脱ぎ捨てられた着ぐるみに足をつっこもうとする下邨をたしなめて、私はいったん1人で本部を出た。運動場に面した、今は使われていない運動部の部室(たしか、4、5年ほど前に廃部になった女子サッカー部のものだと聞いている)。それをキレイに改築して、現在は主に風紀委員の会合部屋として使用しているのだ。

 視界の隅に自動販売機が見えた。そういえばノド乾いたな。

 本部のドアを開け、顔だけだして声をかける。


「なんか飲み物いる?」

「おごり?」「おごり?」


 こうも当たり前のように、男子2人に声を揃えて言われると、さすがにゲンナリさせられる。


「なワケないでしょ。あとでお金はちゃんともらうわよ」

「ならいらねー」

「僕はジンジャーエールで」

「……紙コップのやつ? 持ち運びできるようにペットボトルのにすれば?」

「宵越しのジュースは持たない主義なんだ」


 また意味の分かるような分からないような造語を。

 はいはい、と、わざと生返事っぽく投げやりに言って、自販機へ向かう。財布から小銭を何枚かあらかじめ出しながら歩いていると、運動場の一角で行われている『飛び地食品バザー』の方から聞こえてきた破裂音にビックリして飛び上がる。

 ……ここからでは、木と人ごみが邪魔になってよく見えないけど。どこかの団体がポン菓子を作っていたはずだから、たぶんそれかな。

 そういえば、朝から何も食べてなかったような。急にお腹が空いてきた。どうせ今から暇になるんだし、アーサーのシンクロを見に行く時には、ポン菓子なんかを食べながらっていうのもいいかもしれないわ。


 左から、ガコン、といい音がしてペットボトルのお茶が落ちてくる。

 右では、カコ、ガシャガシャガシャ、ブー、……と、紙コップが落ち、その中に細かく砕けた氷が落ち、さらにその上からジンジャーエールの滝が落ちる。

 先にお茶を取り出して一口飲んでから、ランプが消えるのを待って、紙コップを自販機から取り出す。どうせアーサーのだし、ジンジャーエールを一口飲んでやろうかと思ったけれど、そもそもあんまり好みじゃないのでやめといた。


 本部への帰り際、強烈な香ばしい鶏と油の匂いによって、視線が屋台の方に吸い寄せられる。

 水泳部のからあげだ。いま、ちょうど揚げあがったらしい。

 隣を通り過ぎた男の子2人が、両手にいっぱい、からあげの入った紙コップを持ってはしゃいでいた。脂っこいものはあんまり好きじゃないけど、こういうお腹ペコペコな時でも、その油の匂いが魅力的に感じないと言えば嘘になる。

 ……ケンタッキーをオマージュした看板の下では、私よりも上級生……おそらく3年生であろう水泳部員が4人、それぞれ次の冷凍からあげを油の中に投入したり、揚がったからあげを紙コップに詰めてうち1つに爪楊枝を差したり、整列したり、販売したりしている。

 これでも相当忙しそうなのに、ほかの屋台は2人や3人で回しているところが多数のようだ。あっちのたこ焼き屋台では、左手でたこ焼き器の上のたこ焼きをクルクル回し、右手でお客さんからお金を受け取るという器用なことをしても手一杯みたいだし。


「源さん」


 じぃっと水泳部の屋台を見ていたら、あまり話したことのない男子生徒に声を掛けられた。話したことは殆どないけど、何度も見てはいる顔だ。


「ええと、水泳部員の……」

恒松康介つねまつ こうすけ。浅彦がいつも、康介って呼んでるでしょ」


 恒松くんは、優しそうな顔でへへっと笑った。童顔だが背は高く、もじゃもじゃの髪を何もいじらなくても眉毛が隠れ切るくらい伸ばしている。身体的特徴はほとんど真逆だけど、なんとなく醸し出している雰囲気は下邨と似ている。

 アーサーの練習を見に行ったとき、いつも平泳ぎの練習をしている人だ。少ない動きで、すいすいと水を切るように進む姿に驚かされた。


「ヒマだからこのへん歩いてたんだけど、ずっと水泳部の屋台の方見てたからさ。どうかした? 浅彦ならいないけど」

「ううん。ただ見てただけ」

「……なんで練習に出てきてもいない3年生が中心で屋台を回してるんだって、そう思う?」


 ……アーサーといい恒松くんといい、水泳部はサイキッカー集団なのだろうか。


「水泳部のパフォーマンスって、もしかしてそっちの意味?」

「え?」

「考えを読まれたみたい、ってこと」


 2人がシンクロ能力を持っているなら、下邨はどんなサイキック能力を持っているんだろう。サイコキネシスとかだろうか。アーサーから借りた少年マンガに影響された馬鹿な妄想を打ち切って、私は溜め息を吐く。


「3年生はほとんど練習にも参加してないし……そもそも、引退したんじゃなかったの? 少なくともアーサーと下邨はそう言ってたけど」

「いちおう籍は水泳部に置いてるんだよ。大会にはロクにやる気も出さないくせに、毎年、屋台の売り上げを伸ばすのだけは全力を注いでるみたい」

「…………」

「この予算は部費から出してる。俺たちも手伝うし、売上金の半分は部の予算として戻ってくることになってるけど……残り半分は、全部、3年生のモノだ。あの人たちは毎年、こうやって金を稼ぐことだけが、水泳部としての喜びみたいだよ」


 表情はにこやかなまま、トゲのある言い方。吐き捨てるような言葉尻。

 私は、特に何も言わずに話を聞いた。


「……あんまり話したこともないのに、愚痴っぽいこと言っちゃって悪いね。からあげ自体に罪はないから、よかったら買っていってね」

「……うん」


 去り行く恒松くんに、ペットボトルを持っている方の手で、手を振る。

 動かしていない、ジンジャーエールを握った方の手は、ひどく冷たかった。



HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL

CHAPTER2.45 TITLE:

『ラジオは誰かが聞いていた』


〇視点:なし

〇同行者:なし

〇文化祭1日目・12時32分


 以下は、東大正高校放送部の昼休み放送【CONTINUE TO AFTERNOON】・文化祭特別バージョン1日目の録音を、一部書き起こしたものである。

 海蔵寺神音が記者Bについて言及していた範囲を対象とする。

 また、便宜上、発音者が分かる発言に対しては、台詞のはじめに名前を表記する。



小松「ところで、いま記者Bといえばアレですよね! この文化祭で、新聞部の新聞が次々狙われている【記者B連続署名事件】!」

優木「ズバリお聞きします……これはホントに、備後先輩によって書かれたものなんでしょうか!?」


海蔵寺「違います」

優木「即答っ!」

小松「話が膨らまない!」


海蔵寺「ええと……2、3年生の皆さんは知ってる通り、ねーね……うちの従妹は、卒業してすぐ、地球一周の旅に出ましたから。アホみたいに」


優木「あ、アホって……」

小松「普段は【ねーね】って呼んでらっしゃるんですか?」

海蔵寺「何ですか聞こえません」


※複数人の笑い声。小松と優木、スタッフによるものと思われる。


海蔵寺「ただ……うーん。ちょっと思い当たるフシがないわけでもなくて」


小松「犯人にですか?」

海蔵寺「……犯人って言うのは、ちょっと大袈裟ですけど。署名を書いてる人に、です」

小松「なんと!」

優木「これスゴイですよ!? 番組内で事件解決ですかね!」


優木「ズバリズバリ! その人物とは?」


海蔵寺「その人は……備後花音びんご かのん。記者Bの、妹さんです」


優木「妹?」

小松「記者Bの妹さんって、ここに在学してるんですか!?」

海蔵寺「いえ。そもそもいま高校生じゃありません。ねーねの双子の妹なので、現在医大生……だったと思います」


小松「またねーねって……」

海蔵寺「何ですか聞こえません」


優木「でもー、記者Bの妹とはいえ、東大正に縁もゆかりも無い花音さんが、何故こんなことをしてるんでしょう?」

海蔵寺「おそらくですけど、天音さんにお願いされたんだと思います。2人とも怖いくらい仲が良くて、花音さんは、天音さんのお願いならなんでも大体聞いてましたから」

優木「なるほど。でも、それなら天音さんはなぜそんなことをお願いしたんでしょうか?」

海藏寺「それは知りません。思いつきとか気まぐれの多い人だし」

小松「あはは」


小松「しかし、なんで花音さんが犯人だと考えているの?」

海藏寺「……今日、セーラー服を着た花音さんの姿を見たからです」


優木「セーラー服を?」

海藏寺「はい。さっきも言いましたけど……花音さんは大学生ですし、東大正生でもないから、ウチの指定セーラーなんか持ってないはずなんです」

小松「ああ、そっか。天音さんのを借りたのかな?」

海藏寺「多分そうです。天音さんから今回の件を頼まれた時に、使うように言われたんでしょう」


小松「でもわざわざセーラー服で来る必要もなかったんじゃあ……」

海藏寺「いえ。9時に署名を残すためにはセーラー服が必要です」

小松「9時に署名、ですか?」

優木「一般客の来場は10時からですからね」

海藏寺「はい。今朝9時前、新聞部室にて1つめの署名が発見されています。花音さんは一般客としてではなく、生徒として学校に入り、天音さんの持っていた新聞部室の合鍵を使って部室に侵入し、署名を残したのではないでしょうか?」


優木「なるほど! そんなトリックが……」

小松「さすが記者Bの従妹さんだけあって、名推理ですねー!」

海藏寺「いえ、そんな。ねーねには遠く及びません」


小松「……呼びやすい名前で呼んでくれて結構なんですよ?」

海藏寺「なんですか聞こえません」


#


HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL

CHAPTER2.4(裏) TITLE:

『ラジオは黒部空乃が聞いていた』


〇視点:黒部空乃

〇同行者:小池咲

〇文化祭1日目・12時32分


 しばらく耳を傾けていたお昼のラジオが終わり、運動場のステージの方から、スピーカーを通した微妙に割れた女性のハスキーな声が聞こえてくる。軽音楽部のライブだ。

 とりあえず立ち見していくことにする。ギターボーカルとベースとキーボードとドラムの4人バンドだ。全員あまり顔を知らないあたり、上級生どうしで組んでいるのかな。


『……次の曲はね、けっこう最近なんだけど、みんなもCMとかで知ってるんじゃないかな。よかったら前まで来て一緒に盛り上がってください! …………』


「あれ、この曲なんだっけ」

「あれだ。……今年の紅白出るとか言ってた、あの……えーと」


 咲が曲名を思い出している間、私はさっきまでかかっていた放送を思い返す。

 ……咲の友達、つまり私の友達であるカミネちゃんが、現在進行形で私たち新聞部の悩みの種である記者Bもとい備後天音さんの親戚であることが判明した、けっこう衝撃的な放送。

 まぁ、記者Bの話が終わった途端に話題が右往左往し、パーソナリティとゲストにより数々の論争が繰り広げられ、なんだかドタバタしたまま放送は終わったのだけれど。


 ラジオを聞いているあいだ、咲はラジオ内でカミネちゃんによって明かされた記者Bの驚くべき情報について何か考えるでもなく、スマホにメモをまとめるでもなく、ただぼうっとしていた。

 検討に値すべき情報ではない、ということだろうか? それとも、推理をするのは情報が揃ってから、とか?

 あるいは……。


「ねぇ、咲」

「ん?」


 親友の、一世一代の初恋と告白。

 私は何をするべきで、何ができるのか。


「咲は……今回の事件、どう思ってる?」

「…………」

「私はね、咲に、『記者Bなんか自分には関係ない』と思っててほしいな」


 えっ? という顔で、咲は私に振り向く。

 単に聞き返してるのか、このデカいロックサウンドのせいで聞き取れなかったのか分からないけれど。私は馬鹿みたいにオリジナル手話を交えてもう一度言う。


「記者Bなんか咲には関係ない。そう思っててほしいの」

「……それは……柿坂先輩とのことに集中してほしいってこと?」

「それもあるけど。咲、最近みんなから頼りにされすぎてるところがあるし。もともと探偵役なんて嫌だって態度だったのに、最近はそういうことも全く言わなくなったじゃない?」

「そうかな」

「しょせんラクガキだよ? 誰もひどい被害なんか受けてないんだよ。犯人なんか突き止めなくてもいいじゃん。咲には今回、探偵をお休みしてほしい」


 長い間奏、ギターソロが終わると共に観客たちはまばらな拍手をする。ステージ前まで行って跳ねてるのは明らかにサクラやステージに上がってる人たちの友達ばかりだし、しょせん文化祭の軽音ライブなんてこんなもんだとは思うけど、ちょっと物哀しいな。


 咲は、ゆっくりと静かに、私の隣から離れて行った。

 私の言葉が、咲にどう響いたのかは分からない。だが、私から離れて行く咲を、今は呼び止めるべきではないと、そう思った。


 一人で座席に座り、4人バンドのそこそこ盛り上がったライブを最後まで聞き終わった頃、スマホがバイブする。


 『記者Bは私には関係ない』。

 『ありがとう』。


 咲からの、いつもの手短なメッセージだった。



HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL

CHAPTER2.7 TITLE:

『柿坂十三郎は認められていない部長である』


〇視点:柿坂十三郎

〇同行者:渡良瀬秋華

〇文化祭1日目・13時10分


「もう!?」

「うん。東館3階の掲示板に」


 午後1時台の新聞。西館1階の掲示板に、最後の1枚を貼り終えた矢先飛び込んできたその報せに、俺は閉口した。

 またも、『記者Bによる署名』が騒がれている。

 12時台の署名発見はかなり遅い時間だったから、油断していたのだろう。

 画鋲入れをポケットにしまいながら、俺は報せを直接伝えに来てくれた相手、渡良瀬に向き直る。渡良瀬には、午前は取材に撮影にと、あっちこっち東奔西走してもらった。今日は午後からの仕事がほとんどないから、比較的ゆっくり学園祭を楽しんでもらえそうだ。

 もっとも、本人の様子からして、ゆっくりする気は毛頭なさそうだ。食品バザーの焼きそばパックを小脇に抱えて、左手にパンフレット、右手には彼女がいつもつけている『調査メモ』。

 ……記者Bの事件に、かなり躍起になっていると見える。


「生徒には、これを新聞部のパフォーマンスだと思ってる人も少なくないみたいよ。変な騒ぎになる前に、止めないといけないんじゃない?」

「現段階で犯人の特定はできないよ」

「またそれ? 犯人の特定なんてしなくても、他に署名をやめさせる手段を考えるべきなんじゃないの?」

「……うぅん、困ったな」


 俺の曖昧な返事に、渡良瀬は眉の角度をキッと鋭くする。


「困ったな、じゃ困るんですけど。仮にも部長なんだからしっかりしてよ」

「……仮にも、って。まだそんなこと言ってるのかお前。明後日引退なのに、俺はまだ部長として認められてないのか?」


 女子相手にみっともなくイラつく自分に気づき、即座に恥じる。気持ちを落ち着かせるために、胸元からペンを出して、出来る限り高速のペン回しをした。

 ちなみにこのペンは、ゴム製のペン尻などでこすると摩擦熱で消える、特殊なインクが使われた『フリクション』という製品だ。クラスの買い出しに参加したとき、ついでにと経費で落とした。

 そんな俺の態度にさらに苛立ったのか、渡良瀬は語気を強めて非難する。


「甘いのよ、カッキーは。さっきも言ったけど、こんな署名、犯人を特定しなくてもやめさせる方法はいくらでもあるじゃない!」

「それは……そうだ」


 新聞部がいつも印刷に使っているコピー用紙の在庫は、十分にある。今からでも、新聞を見せる方法を、掲示方式ではなく配布方式にすればいい。顧問を頼れば、2時間あれば文化祭で掲示する予定の全ての新聞を、100部ずつくらい刷れるはずだ。実際、昔の新聞部は文化祭で号外を配り歩いていたらしいし。

 今回、『記者B』の署名が注目を集めているのは、掲示された新聞に堂々とそれが書かれたからだ。さすがに犯人も、配布する全ての新聞に署名を残すのは無理だろうし……配布方式に切り替えるだけで、今後の犯行を防ぐのは可能そうだ。

 俺の貧弱な発想では、こんな案しか思いつかないけれど、新聞部のみんなならもっといい案を思いつくかもしれない。


「なのに、なんでその方法に踏み切らないわけ?」

「時期尚早だろ。具体的に何か被害が起きてるわけじゃない。みんながアトラクション感覚で楽しんでくれてるなら、次の代の新聞部の宣伝にもなるさ」

「……また備後先輩に会える、とか思ってるんじゃないの?」


 回していたペンが、手から零れ落ちた。

 拾わなければ。そう思うけれど、俺の膝は、腰は、姿勢は曲がらないまま、ただ突っ立って正面の渡良瀬に向き合っていた。


「渡良瀬。その件は去年終わってる」

「……どうだか。先輩たちの卒業式のあと、未練たらたらで泣いてたじゃない」

「お前な……いい加減にしろ」

「なら、いい加減にこの署名騒動を終わらせるために動いて。忙しいなら、私にでも他の部員にでも指示を出して?」


 息が苦しくなるのを感じる。

 先輩たちが卒業してからの約7ヶ月、受験勉強したり新聞部の仕事に没頭したりして必死に隠していた感情が、目の前に引きずり出されて捌かれようとしていた。

 たっぷりと間を溜めて、渡良瀬は皮肉るように言う。


「部長らしく、さ」



 ……後輩ができた今でこそ、キヨや翼たちの前では腐れ縁の仲良し先輩コンビを装っているけれど、去年まで……俺と渡良瀬は、非常に仲が悪かった。

 性格が合わないとかではなかった。1年生の時は、普通に今くらい仲が良かった。

 ただ、渡良瀬が俺に悪感情を抱くに十分な出来事がひとつあった。俺たちが2年生のときに起きた、ある事件だ。

 その頃の俺は、有名で、みんなから慕われ、友達も多く明るい天音先輩に……憧れていた。その時は「好き」ではなく、「こんな人になりたい」という憧れだったんだけど。

 『天音先輩みたいに名声を浴びたい』という一心で、俺はある生徒間の諍いに割って入り、探偵の真似事をしてそれを解決した。いや、解決ではなく……俺のしたことは、勝手に真実を明らかにして、よけいに事態を引っ掻き回すことだったんだ。

 先輩たちが引退した日、その拗れた人間関係に巻き込まれた渡良瀬は、俺に、口元だけが最高の笑顔でこう言った。



「私は、カッキーを部長だとは認めない。あの日も言ったよね」

「はは……最近は憎まれ口も無くなったから、認められたんだと勝手に思ってたよ」

「今からでも、ちゃんと部長らしい判断でみんなを導いてくれるなら、認めてあげてもいいんですけどねー」


 渡良瀬からの、久しぶりの棘のある言葉に、俺は情けなくも泣きそうになっていた。まさか引退直前にここまで言われるなんて。

 ようやくボールペンを拾い直して、俺は神妙にポケットにしまった。泣く子も黙る渡良瀬の貼り付けたような笑顔を前に、俺はイタズラがバレた子供のように笑って空気をごまかすしかない。


「じゃあ、そろそろ次の仕事があるから行くね」

「……はい」

「犯人を探すんだっけ? 頑張ってね」

「…………はい」

「私は他の方法で署名をやめさせるから。頑張ってください、柿坂部長(仮)かっこかり

「か、かっこかり……!?」


 俺の心に、(仮)という強烈な言葉のナイフを突き刺して、優雅に立ち去っていく渡良瀬。

 俺はその背中を、ただ呪うように見つめてペンを回すしかなかった。

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