5章 冬山くんと小説長者(2)

HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL

CHAPTER2.4 TITLE:

『わらしべ長者は現実味のない経済読本である』


〇視点:冬山清志

〇同行者:なし

〇文化祭1日目・12時31分


 ダリの時計の絵のように、どろりと溶けて長机の上に半身を放り出していた俺は、その放送が耳に入ってきた途端に姿勢を正した。

 海蔵寺とは、小鳥を通じて何度か喋ったことはあるけれど……まさか、備後天音の従妹だったなんて。言われてみれば、『カミネ』と『アマネ』で、なんとなく響きが似ているけど……共通の祖父母のどちらかから名前を取ったのかな。

 それにしても、このタイミングで記者Bの親戚を放送のゲストに呼ぶってことはもしかして、放送部はこの署名事件を、遅くとも数日前から感知してたってことか? もちろん記者Bは有名人のようだから、そんな意図はなく、ただの偶然なのかもしれないが。

 ともかく、放送に注意深く耳を傾けてみることにする。


『神音ちゃんって言うのね』

『こう言っちゃなんですけど。あんまり似てないよね? 天音さんと……』

『従妹同士なんて、それほど似るものでもないんじゃないですか? 自分で言うのも何ですけど』


 海蔵寺は淡々と会話をこなす。別にコミュ障って訳でもないだろうけど、会話が盛り上がらなさそうだな。バラエティ番組向きじゃない。


『ところで、いま記者Bといえばアレですよね! この文化祭で、新聞部の新聞が次々狙われている【記者B連続署名事件】!』


 ……やっぱり、もう話題になってんのか。

 騒ぎになる前に犯人を見つけ出すのがベストだったんだが、手がかりが少なすぎるし、頼みの綱の小池とカッキーさんは忙しくて推理どころじゃないし。昼は少し暇ができたみたいだが、小池は何かしらの推理を進めているんだろうか。

 電気ケトルが気さくな電子音を鳴らす。あらかじめ用意しておいた粉の入ったコップに湯を入れ、スプーンで混ぜてやると、もはや何杯目か分からないインスタントコーヒーが出来上がった。2杯前くらいから、味わうことも忘れている。


『ズバリお聞きします……これはホントに、備後先輩によって書かれたものなんでしょうか!?』

『違います』

『即答っ!』

『話が膨らまない!』


 ……なんかリアクションが昭和だな。

 海蔵寺は、途切れ途切れに言葉を選びながら、その理由を述べる。


『ええと……2、3年生の皆さんは知ってる通り、ねーね……うちの従妹は、卒業してすぐ、地球一周の旅に出ましたから。アホみたいに』

『あ、アホって……』

『普段は【ねーね】って呼んでらっしゃるんですか?』

『何ですか聞こえません』


 ちょっと早口になった。無表情なタイプだよなぁと思っていたけど、人並みに恥ずかしいものは恥ずかしいみたいだ。


『ただ……うーん。ちょっと思い当たるフシがないわけでもなくて』

『犯人にですか?』

『……犯人って言うのは、ちょっと大袈裟ですけど。署名を書いてる人に、です』


 なんだって?

 従妹の海蔵寺は……すでに核心に迫ってるってのか。俺はいつの間にか、身を乗り出して放送を聞いていた。


『ズバリズバリ! その人物とは?』

『その人は……』


 その人は誰なんだ?


 ガッチャ!!

 バァン!!


「ヨーソロー!!」


 ……え。


 突然、放送を遮るようにして、俺の全く知らない女子がひどく乱暴に新聞部室のドアを開けて入ってきた。

 キャップを被って、サングラスをかけて、小池同様の趣味の悪い真っ黒カーディガンを羽織って、その下にはうちの指定セーラー服を着ていて……。最後のは普通なんだけど、組み合わせが怪しすぎる。

 渡良瀬さんより陽気で、黒部よりぶっ壊れてて、源よりスタイルがよくて、……そんな感じの。印象。

 ぶっちゃけ、何が何だか。今の一瞬で何が起こったのか。


「どちら様ですか?」

「おろろ? 場所を間違えたかな……失礼だがキミ、ここは『鍋文化研究会』の部室であってるかな?」

「……そもそもそんな研究会、東大正にないと思いますけど」


 そもそもそんな研究会、東大正どころか、全国の高校を探しても存在するかどうか。偏見で言うが、なんとなく東北の高校ならワンチャンありそう。

 突然の来訪者は、俺の返答を聞いてから、腰に手を当てて爽やかな笑顔を浮かべた。


「なんて、嘘だよ。本当は私は新聞部に用があるし、ここが新聞部室だということも把握済みなのさ。私はこの学校の……いわゆる、OG! オールドガールなのだからね!」


 回りくどい! つか面倒くせぇ!


「は、はぁ。それで、質問の答えですけど」

「おっと、そうだね。『どちら様ですか?』だったかな。ではお答えしてあげるとしよう」


 キャップのつばをぐいっと引き上げて、不敵な笑みを浮かべると、彼女は俺に人差し指を突きつけた。


「どうも! 田中花子です!」

「………………」


 偽名くせぇ。


「あれ? ……山田花子だっけ。どっちだったかな」

「……………………」


 偽名確定じゃねーか。


 なんで今日は、こんな変な女子にばかり絡まれるんだ。黒部といい、この田中さん(仮)といい……。

 またも、俺は竦めた肩が戻らない。


「まぁいいや。それで、キミは?」

「……冬山清志、です。みんなからはキヨって呼ばれてます」

「ほう。定着するあだ名を持っているというのは良いことだ、大切にするといい。かくいう私も、在学中にはみんなからあだ名で呼ばれていたものなんだぜ」

「…………はあ」


 グイグイ来る人だな。田中さん(仮)はろくろを回すようなジェスチャーを胸の前でくるくるやりながら舌を回すのを止めない。


「ところで、私は黒髪パッツンの女の子にアイサツしようと思って訪ねてきたのだが、知らないかね?」

「小池ですか? ……今の時間は休憩だから、テキトーに文化祭回ってると思いますけど。用事あるなら呼びます?」

「いやいや。いちOBとしては、新入生が僅かな時間で文化祭を楽しんでいるのを邪魔してまで果たす用事などないと。そう思うわけだよ、キヨくん」


 よく喋るなぁ。喉とか乾かないのかな。

 ふと、俺が手で弄んでいた入浴剤もどきを目に留めると、田中さん(仮)は妙に興味を示した。


「おや、それはカケンの入浴剤もどきかな」

「あぁ……はい。押し付けられて」

「あっはっは! カケンの白衣くんたちは、まだ入浴できない入浴剤作ってるのかね」

「……例年なのか、コレ……」

「去年はたしか、同時に、『火気厳禁のアロマセット』のワークショップもやっていたと記憶している」

「産業廃棄物じゃねーか!」


 学校側は何を思ってそんなワークショップを許可したんだ……? もしかして、実行委員会に任せっきりなのか?

 自分は学校にいた頃、カケンの連中と日夜ベンゼン環の滲むようなたたかいを繰り広げていたんだぜ。そんな自分語りをしながら、田中さん(仮)はカーディガンのポケットから、500円玉よりちょっと大きいくらいの硬貨らしきものを取り出した。


「悪の白衣軍団に使えもしない入浴剤を押し付けられて、さぞ迷惑していることだろう。よければ、このと交換しないかい?」

「ハーフダラー? ……外貨ですか?」

「そうそう。旅行好きな友人からもらったお土産でね、暇つぶしには便利なんだよ。1枚あげよう」

「暇つぶしって……ただのコインですよね」


 机の上に置かれたそれを持ち上げて、表裏とくるくる回して眺めてみる。その銀の硬貨はまだ新しいのか、ぴかぴかしていて、人の横顔が描かれた面と、翼を広げた鳥が描かれた面とがある。

 くくく、と不気味な笑い声が聞こえてきたので顔を上げると、コインをひったくられた。田中さん(仮)は右手で握りこぶしをつくって、親指と人差し指でコインを挟んだ。

 握りこぶしを、親指が左側に来るようにこちらに向けて、田中さん(仮)は芝居っぽく肩をすくめる。


「やれやれキヨくん、発想力が乏しいなぁ。新聞部員の名折れだぜ?」

「折れるほどの名ですかね」

「見てなよ。コイン遊びは奥が深いのさ」


 田中さん(仮)の親指が人差し指から浮いて、コインが人差し指の第二関節と第三関節の間に乗る。

 目で追えたのはここまで。田中さん(仮)はゆらゆらずらずらと五指をなめらかに上下させながら、くるくるとコインを拳の上で回して見せた。薬指と小指の間に落ちたかと思えば、コインはまた親指と人差し指の間にまた出現し、くるくる回る。

 何度か繰り返したのちに、田中さん(仮)はコインを右のこぶしから左のこぶしに移した。これはマジで滑らかすぎて、どうやってるのか分からなかった。

 最後にまた右にコインを移し、親指でピーンと弾いて左手でキャッチ。なかなか見られない神業に、思わず「おおーっ」と声を上げ、拍手する。


「マジックにハマっていた時期があってね。これは『コインロール』といって、コインマジックの場繋ぎに欠かせないテクニックなのさ」

「たしかに、出来たらカッコイイっすね」

「トランプマジックと違って、硬貨があればいつでもできるからね。暇なら是非練習してみるといい」


 再び机の上にパチンとコインを置かれる。拾い上げて、猿真似でゆっくりコインをこぶしの上で動かしてみる。なんとか1周回りきったけど、小指から親指へ戻す動作が上手くいかず、机の上にコインが落ちて軽薄な音を立てる。


「初めてにしてはなかなかじゃないか」

「そうですかね?」

「まぁ私は初めてでも何周もできたがね」


 ムカつくドヤ顔に入浴剤もどきを投げつけてやりたい衝動に駆られるが、彼女は一応先輩らしいので、ニコヤカな笑顔を浮かべておく。

 右の手でコインロールにもう一度挑戦しつつ、左の手で入浴剤を差し出しながら尋ねる。


「でも、いいんですか? マジック用に使ってるとはいえお金を、こんな使い道のない入浴剤もどきなんかと交換して」

「入浴剤もどきも使いようだよ。私の後輩が今、食品バザーで制服のまんま焼き鳥なんか焼いてるんだけどね、そのあとにカレシと文化祭デート控えてるんだぜ」

「……それと入浴剤もどきに何の関係が?」


 田中さん(仮)は、おでこを人差し指でとんとんと指すと、その右肘を左手で支えた。その仕草は、いかにも『名探偵』然としている。


「たしかにこれは人体に使うには問題があるかもしれないが、使っているものといえば石鹸やらエッセンシャルオイルやら、安全性の高いものだ。まぁ、文化祭で一般客に配るものだから、当然とも言えるがね」

「そうですね。さすがに」

「なによりカケンの連中は上手いことハーブを配合してるらしくて、香りが抜群にいい」

「…………?」

「分からないかな? カケンの連中は、『水に溶かして遊んでください』とか言ってたろう」

「……あ。水に溶かして、霧吹きに入れて、香水として制服に吹き付ける……とかですか?」

「その通り! なかなか筋がいいね、流石は新聞部員と言ったところか」


 人体に使えない入浴剤に、そんな使い道があったとは。さっきからちゃらんぽらんな言動の人だが、変なところで鋭いっていうか、切れ者っていうか。

 ひとしきり話し終えて満足したのか、田中さん(仮)は、キャップをかぶり直して、すたすたと部室のドアへ歩いていった。

 最後にドアの前で振り返り、おでこの前でピースを作る。


「ありがとう、楽しかったよ。それじゃあ、私はせいぜいOGとして文化祭を満足してくるとしよう。……キヨくん」

「はい?」

「何やら、今年の文化祭はいつもと違う熱気が漂っている気がする。何か特別なイベントでもあるのかな?」

「ううん……強いて言うなら、うちの新聞に、いたずらで『記者B』って署名して回ってる奴がいるみたいで。ほんとに記者Bが来てるとか噂になってるみたいですね」

「ほう? ……なるほどね。暇つぶしにその事件を追ってみるのも悪くない」


 顎に手を当てて、田中さん(仮)はキリッとポーズをとる。さっきからこの人、名探偵でも目指してるんだろうか……。


「それでは御機嫌よう。ハーフダラーコインは如何様にしてくれても構わないからね」


 そんな台詞を残して、田中さん(仮)は静かに新聞部室を辞した。結局、最後まで本名を名乗ってくれなかったな。

 俺はコインをもう一度親指で挟み、コインロールに挑戦する。くるくる回して、小指からこぶしの中へ落とし、親指でまた最初の位置に滑らせる。

 2周目、3周目……6、7。おお、できる。できるもんじゃないか。

 調子づいてコインをくるくるやっていたが、ふと脳裏に浮かんだ違和感に、手の動きが止まる。


 ……あれ?


 なんか……忘れてないか?



HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL

CHAPTER2.5 TITLE:

『それは消えない名前である @1日目12時』


〇視点:下邨翼

〇同行者:進藤浅彦・源忍

〇文化祭1日目・12時47分


「……ちょっと仕事が遅いんじゃないの、犯人」


 源はペンギン姿のまま、ぷりぷり怒りながらそう言った。

 分厚くて手足の短い着ぐるみだからやりにくいだろうに、さっきから頑なに腕を組んでいる。今は頭を外しているだけマシだが、完全にペンギン姿の源と会話しているときは笑いを堪えるのに必死だった。

 そんなペンギンガールの源は、現在俺たちを子分のように引き連れて、東館4階の掲示板に貼られた新聞……そこに書かれた不躾な署名を睨みつけている。


「そんな言い方をされたら犯人もかたなしだろうね」

「署名の発見時間にこうもムラがあると、追う側としても対策も立てにくいし、なによりフェアじゃないと思うのよね」

「……別に犯人も、怪盗ごっこのつもりでやってねーだろうし。たぶんだけど」

「署名を残す時間がバラバラなのには、何か意図やサインがあるのかしら」


 今から20分ほど前、12時台の新聞を全て貼り終えたのを以て、俺は今日の仕事を終え、カッキー先輩に仕事をバトンタッチした。それからは、学校内の掲示板をできるだけ回り、犯人が犯行に及びそうな、人通りの少ない廊下の掲示板をチェックして回っていた。

 12時台の署名がまだ発見されていないことに、若干の違和感と焦りを覚えながら、ひとっ走り全ての廊下を回ってもう一度東館4階の新聞を確認したところ、この署名を発見。急いで見回り中の源を呼び出したところ、浅彦がくっついてきた。

 ……これが、現在までの大まかな流れだ。

 浅彦が差し出した焼き鳥串を1本もらって、ネギまだったことにちょっとガッカリしながら、俺はグループトークで新聞部員全員に署名発見を伝える。即座に既読2がついたけど、ヒマなキヨと黒部あたりか?


「ま、考えてても仕方ねーんじゃね?」

「……推理は咲に丸投げ、ってこと?」


 むすっとして、ペンギンの着ぐるみに顔の下半分を隠す源。


「俺はともかく、源もアタマいいんだから、丸投げとは言わねぇけど……どっちみちさー、今のワケわかんねー上に少なすぎる情報からスイリなんてムリだろ?」

「そうだね。忍ちゃんから、今回の件について、だいたいの情報は聞いたけれど……犯人について分かってることと言えば、去年卒業したOBである記者Bを名乗っていることと、9時から学校に来ている人間、つまり在校生だってことぐらいだ。あとは毎時間署名が書かれる新聞の場所くらいだけど……」

「…………いえ、まだ分かっていることはあるわ」


 ペンギンの頭を抱え直し、源は「いったん風紀委員本部に戻っていい?」と聞いてきた。特に断る理由もない。俺たちは頷いて、源のあとに続いて歩き始める。

 活気ある東大正高校の文化祭。ダンス部が今夜のパフォーマンスコンテストでダンスを披露するという宣伝のため、路上ではゲリラタップダンスライブが行われていおり、道幅は狭い。俺たち3人は、昔のRPGの勇者たちの如く1列に並んで路上演劇の群衆を控えめに掻き分け、推して参る、押して参る。


「……風紀委員さん的には、こういうのって、取り締まらなくていいわけ」

「いいのよ。勝手に店開いてるわけでもないし、長時間占領するわけでもないでしょうし……何より、お祭りなんだから」

「まぁ要するに、面倒臭いんだよねぇ」

「……アーサーと一緒にしないでほしいわね」

「僕たちはいつまでも一緒さ!」


 俺と話してる時の3倍は減らず口だな。そりゃ殴られるわけだ。

 こうやって3人並んで歩いて、前2人だけでわちゃわちゃイチャコラとされると、さすがに新聞部の愉快担当を自称する俺でも、不愉快な顔にならざるを得ない。

 普段使わない筋肉を懸命に駆使して眉間にシワを寄せると、俺は心をしゅうとめにして、近年のバカップルな若者に苦言を呈した。


「4人以上ならまだしも、3人いる中で2人でイチャつくの、俺はどーかと思うね」

「何よ下邨、寂しいの?」

「僻みは醜いぜ、翼。おまえも1人の健全な高校生として、恋する義務を果たすべきじゃないのか?」

「何が恋する義務だ」


 『僕は1人の〇〇として、〇〇する義務を果たしているだけ』。こいつの口癖でありスローガンであり自伝を出すならキャッチコピーになるであろう言葉であり、そして何よりの欠点だ。

 水泳部の相棒として、こんな言葉を使うべきではないかもしれないが。

 ……キモイ。


「彼女にかまけてタイム落としたら許さねぇからな」

「やれやれ、嫉妬かい? モテる男は辛いなぁ」

「ちげーよ気色悪い! 水泳部が、誰もやる気ないクソみたいな現状になった理由、知っててそんなこと言ってんのか?」

「……当たり前じゃないか」


 浅彦が、顔から笑みを消す。


 ウチの水泳部はもともと、1つのトロフィーも1枚の賞状も取れない弱小だったが……3年前、県大会にも出られるくらいの実力を持っていた、庵野あんのという1人の先輩がいた。

 しかし、庵野先輩は入学したての早い時期に、中学から一緒の彼女を当時の水泳部部長に奪われた。庵野先輩の味方をした部員がシメられたり、その部長が二股をかけていることが分かったり、SNSを交えた陰湿な冷戦の末に、失望した庵野先輩は水泳部をやめ、外部のスイミングスクールで活動をすることにした。

 この高校を卒業した庵野先輩は今、日体大に進学。第一線とはいかないまでも、何度か大会で表彰され地方紙で取り上げられるなどの活躍を見せている。同じ地元のスイマーとして、俺は密かに、彼に憧れている。

 もしも庵野先輩が最後までこの学校の水泳部にいてくれたら、今よりももっともっと活気のある、強豪水泳部として名を馳せていたんじゃないか。……俺のそんな妄想を打ち砕くほど、現在の水泳部はほとんどの部員が真面目に活動しておらず、毎日練習しているのは俺と浅彦、あとは2年生2人と1年生2人くらいだ。


「けど、あれは当時の部長がクズ野郎だったってだけさ。スポーツしてれば恋愛がダメとか、恋愛してればスポーツがダメとか、そんなことは絶対にないはずだ」

「……絶対に、か? 言い切れるか?」

「言い切れる。翼も、翔馬も、康介も、多賀谷先輩も、久遠寺先輩も、僕から忍ちゃんを取ろうとするような人間だとは思えない。思えないよな?」

「そりゃ、俺も…………そう思うけどさ」


 そりゃそうだ。浅彦の方が正論だ。

 俺は言いたいことを言葉にできない自分のアタマにイラついて、首の下あたりの背中をガシガシかいた。


「……俺は、ただ。そんなことを、この代で起こしたくないだけだ」


 見栄だった。

 建前だった。

 本音はシンプルで、いつか浅彦が恋愛を……源を水泳よりも優先してしまって、せっかく活気が少しずつ戻ってきたこの部活の勢いが、また墜落してしまうことが……怖い。それだけなんだ。

 だけど、源が現実にいる前で、そんなことは言えない。……いなくても言えない。


 どうしようもないほどの負い目と情けなさのせいで、ちょっと伏し目がちになるのを自覚しつつ、さっきもらった焼き鳥串を口に運ぶ。

 浅彦は、困ったように笑いながら、言った。


「それは、みんな思ってることだよ。勿論僕もね」


 齧ったネギは、やはり嫌いな味だった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る