11:20~12:45 実行委員長への脅迫状
★体育祭午前の部 11:20
この東大正高校に、恨みを持つ元生徒が来ているかもしれない。
推理の域を出ない推測が、これまでにないリアリティで、私たちの恐怖を駆り立てる。
「……それで、私に校内中を見回れ、って話だったわね」
カミネが小さく首を横に振る。小さく頬を膨らませているような感じもする。
「……あなた、私をアンドロイドか何かだと思ってるでしょう」
「ど、どういうことだ?」
「私が『学校に恨みを持っている不良』と鉢合わせしたらどうするつもり。出会い頭に釘バットで殺されないって言いきれる?」
カミネの考える不良が昭和で止まっていることは理解できた。
にしたって、いきなり出会ったカミネを殴りつけるような真似をするとは思えないけど……。『学校全体に恨みを抱いているから、東大正高校の生徒は全員皆殺しだ!』なんてことを考えられてない限りは、退学騒動を知っているかどうかも怪しい新入生を殴るとは思えない。
希望的観測なのだろうか。だけどちょっとでも危険が伴う以上、任せることはできないな。
「そうだな。えっと、じゃあ……」
「私もこの事件を一緒に調べるわ」
「えっ?」
カミネの思ってもみない申し出に、私は思わず、間抜けに大きく口を開けて驚いた。
腕を組み、袖を固く握りしめて、私に言う。
「こんな私にでも、守りたい人の1人は、いるの。……どんな事情あっての復讐だとしても、その人の最後の思い出を壊すことはさせない」
「……私と同じ理由、か」
「それなら決定でいいでしょう? 一緒に調べてくれないとしても、私は独自に調べるわ」
「分かった、一緒に調べよう。ちょうど、手分けしたいと思ってたんだ」
「手分け?」
「……悪い、ちょっと整理させてくれ」
私はスマホを取り出して、今までの事件の流れを振り返る。
今日、体育祭の朝。実行委員の机に、『この体育祭で、私はある人物に罪を告発させる』と書かれた、予告状が張り付けられていた。
柿坂先輩からもらった助言の中で、実行委員に何かの罪があり、それを誰かに告発させるのではないか、という仮説が立った。これを『仮説1』とする。
渡良瀬先輩からもらった助言の中で、過去の部活対抗レースで、書道部が1着ゴール後のパフォーマンスとして、書道の巻物を広げたことを知った。巻物に告発内容を書いて公開するのではないか、という仮説が立った。これを『仮説2』とする。
現在、仮説1の調査は保留中だ。
仮説2に関しては、あまり書道部に怪しい点は見られない。
だが、仮説2の調査中に、新たな『仮説3』が立つことになる。
それは、1年前、不当に退学処分を受けた生徒が、学校側の罪を体育祭の場で告発するというものだ。
体育祭の日なら不良生徒も入校できるし、何より動機としてこれ以上ないほどに十分だろう。
現時点で有力なのは、仮説1と仮説3ということになる。
仮説3の調査はどちらも可能だが、仮説1の調査は私しかできない。私がカミネに予告状のことを話したということが曽布川さんにバレるとまずい。
私の信頼が無くなるだけならまだいいが、新聞部の信頼が無くなることにも繋がる上に、調査に協力を得られなくなる可能性がある。体育祭を管理する実行委員、その長である曽布川さんからの信頼は、今後の調査で必要になってくるかもしれない。
つまり、役割分担で、私とカミネがそれぞれ担うべき調べ先は……。
少し長く待たせてしまった。私はスマホをしまって、2分ほどの間嫌な顔ひとつせず待っていてくれたカミネに謝る。
「ごめん、ちょっと長くかかった」
「構わない。それより、手分けするってどうするの?」
「私が実行委員を、そしてカミネが1年前の退学事件を調べることにしよう。理由とかはトークアプリで送るから、IDを教えてほしい」
「分かった。何か手がかりを見つけたら、逐一アプリで報告するから」
「ああ、頼んだぞ」
ID交換を行い、お互いに頷きあうと、私たちは行動を開始した。
まずは実行委員の調査だ……!
#
★体育祭午前の部 11:30
実行委員の机には、曽布川さんの姿はなかった。
だが、今はそれを理由に調査を中断することはできない。なんとか話を通して、実行委員の罪があるのかないのか、あるとしたら、それを告発するのはどんな人物なのか……それを調べなければいけない。
私は一度新聞部の部室に寄り、あるものを持ち出していた。
新聞部の証である、腕章だ。
腕章を身に着け、腹を決めて、長机の前のパイプ椅子に座っている、実行委員の女子に話しかけた。太っているわけではないが、ほっぺたがまるまるとしていてピンクっぽい。
胸のワッペンを見るに、1年生だ。話しやすくていい。
「はい、何ですか?」
私は新聞部の腕章を示しながら言った。
「新聞部です。ちょっと聞きたいことがあって、実行委員長の曽布川さんと話がしたいんだけど……あれ、1人?」
「実行委員が1人休んでて、回らなくて。本当は最低2人常駐しないといけないんですけどね」
「そうなんだ。そんな忙しい所申し訳ないんだけど……いま、曽布川さん呼べないか?」
「ええっと、午前中はずっとああだから……」
ずっとああだから?
女子生徒は、グラウンドの方を指した。コーンの整理や次の競技への準備を、てきぱき忙しなく行っている曽布川さんがいた。
まずいな……。これじゃ話をすることもできない。
昼休みまで立ち往生なのかと表情を険しくしていると、女子生徒がおそるおそるといった様子で言った。
「あのー……そんなに急を要する用事なの?」
「うん、だいぶな。新聞部のことっていうより、学校全体のことで……私も黙ってるように言われたんだけど、曽布川さんから何も聞いてない?」
「うん、連絡受けてない……えっと、どうしよう」
嘘も方便だ。
女子生徒は簡単に慌ててくれて、どうしようどうしよう、と色々考えてくれた。全て終わったら謝って、菓子折りでも贈らないといけないレベルで悪いことをしている気がする。
それにしても……実行委員にこの話は行き渡っていないのか?
だとすると……。………………。
「ど、どうしよう……急がなきゃまずいんだよね、ごめんね」
「ごめん! 本当におねがい!」
「うん、分かってる! ……ううん、仕方がないか……!」
実行委員の女子生徒が立ち上がる。ようやく見えたワッペンから、ピンクのほっぺの彼女の名前が
桃沢さんは、自分がつけていた実行委員の腕章を私の胸に押し付けるようにして寄越すなり、一目散に駆け出した。
いきなりどうしたんだ! その背中に声をかける。
「なに!? どうしたの!?」
「曽布川さんの仕事代わってくる! 曽布川さんが来るまでそこで私の代わりやってて!」
「えええええ!?」
私、完全に部外者なんだけど!
ツッコむ暇もなく、桃沢さんは走って行ってしまった。
……こうなったら仕方がない。形式はおかしなことになってしまったが、いちおう曽布川さんとコンタクトを取るという目的は達成できそうだ。
私は溜め息を吐きながら、曽布川さんの到着まで実行委員の席で待つことにした。
「…………」
玉入れの悲鳴にも似た騒ぎ声が聞こえる中、私はぼうっと、どこへ焦点を合わせるでもなく、この学校全体を眺めていた。
グラウンドに出て、玉を落としたり入れたりして笑いあっている生徒たちが、いつも常に笑っているわけはない。彼らにだって怒るときや泣くときはあるし、もしかしたらあのキラキラした表情は偽りで、とんでもなく落ち込んでいる人もいるのかもしれない。
何故か、斜に構えたような考えばかりが浮かんでくる。予告状の調査で、妙に人のトラブルばかり探りまくっているせいだろうか。
……本当は嫌いな相手に、表面上だけ仲良く接する。そんなことってこの社会にごくありふれたものだと思うけど、その関係って、長続きすればするほど、関係が壊れた時のダメージが大きい気がする。
今回の予告状の一件で、私は、人間関係について考えた。
予告状を使ってまで『告発させる』なんて意志を表明するなんて、その犯人はいったい、どんな気持ちだったんだろう。精神面からアプローチしてみても、犯人像は全く見えてこない。
告発する人とされる人は、友人同士かもしれない。元恋人かもしれない。教師と生徒かもしれない。或いは、告発される側は全く相手のことを覚えていないが、告発する側は、過去にやられたことをずっと引きずっているのかもしれない。
……こう考えると、どんな人間関係でも、いさかいはつきものなのか。
人と人が仲良くなるのは簡単だと言う。それと同じように、人と人がいがみ合うのもごく簡単なことなのかもしれない。
小関さんが私を睨んだ、あの潤んだ目を思い出す。
最初に会話したときは、本当に仲良くなれる気がしたんだ。まだ全然、苗字で呼び合ったり遠慮したりする段階だったけど……。きっと他のみんなと同じように、私を咲って呼び捨てにしたり、イケメンだの男前だのといじったりするようになってくれるって、思ってたんだ。
……仲良くなる以前の問題で、たぶん私はもう嫌われてしまった。空乃の慰めもあったし、もう気に病んではいないけれど、でもやっぱり悲しい。
机の下でスマホを取り出して、写真を見る。
予告状の文面……『この体育祭で、私はある人物に罪を告発させる』。
この文面を見て、少し胸を締め付けられるような気持ちになった。
『告発をさせる』……この予告状の送り主は、『罪』を犯した人と、元は仲が良かったりしたんだろうか。その関係が壊れて、こじれと恨みだけが残ったのだろうか。
年齢的な意味でなく、人間として、私はまだ幼い。ヘンテコな事件に理屈をくっつけることはできても、知らない人の人間関係や気持ちが分かるほど成熟していない。
……この事件を調査することって、私が、他人の人間関係に割り込んでしまうことにならないだろうか……?
「ごめん遅くなって……えっと、小池さんだっけか」
「あ、はい。こちらこそお呼びたてしてすいません」
あれこれ思案していると、とうとう曽布川さんが来てくれた。
その手には……、いや、その体には、メガホンやらゴールテープやら、色々機材がはみ出したどでかいスポーツバッグやら、彼の多忙さをうかがわせるさまざまなアイテムが、体に張り付けられるようにぶら下がっていた。
私はもう一度頭を下げた。わざわざお忙しい中、容疑を向けるためなんかに呼んだのが申し訳ない。
「謝らなくていい、頼んだのはこっちだし。それで、何か聞きたいことが?」
「はい……2点ほど。ちょっと整理しながら話すので失礼します」
曽布川さんは私の隣に座った。もともと2人常駐するようにセッティングされてあるので、狭いということはない。
スマホを出して、メモ帳アプリに書かれた調査記録を確かめながら質問する。
「まず……失礼なことをお聞きしますが、実行委員に、何かトラブルはありませんでしたか?」
「……どういうことだ」
曽布川さんの顔が険しくなる。
私は愛想笑いでごまかしたりはせず、首を振って応じた。
「調べるからには、全員平等に疑います。それに、『実行委員の机に予告状が張り付けられていたのだから、予告状は実行委員の誰かに宛てられたものだ』……とは、ごく自然な考えではないでしょうか」
「つまり、どういう……?」
「実行委員の中に、告発されるべき『罪』を犯した人間はいませんか?」
「………………」
黙ると、グラウンドの歓声がよく耳に届く。
曽布川さんは少し考え込んだが、不安そうに、もしくはちょっと苛立ったように、足踏みをした。
「そう言われてもな。実行委員長とはいえ、実行委員全員のプライベートを把握してるわけじゃないし」
「いいえ。もしあなた以外のヒラ実行委員に宛てるのなら、わざわざ実行委員の机に置いて、話をややこしくする必要があるでしょうか?」
「……だから、何が言いたいんだ」
少しの疑惑。ちっぽけな根拠。
だけど、こういう聞き方でもしないと、多分この人は答えてくれない。
「曽布川さんが、『告発される人間』ではないかと疑っています」
私は向き合うのをやめて、グラウンドの方を向いた。実行委員が言い争っていると勘違いした誰かが来たら、私が実行委員でもないのにこの机を陣取っていることがバレてしまう。
曽布川さんの表情は見えないが、発せられた声は、細かった。
「……なんで、そんなだけで言える」
「そんなだけ……じゃありませんよ。曽布川さんが新聞部にこの件の調査を依頼したこともヘンなんですよ」
私はグラウンドで忙しく動き回る桃沢さんを指差した。
「桃沢さんに、『曽布川さんからの依頼で、学校全体に関わることを任されている』という内容のことを言ったんですが、彼女は全くピンときていない様子でした」
「…………」
「本当に何も後ろめたいことがなく、自分でもできる限り告発を阻止したいという気があるのなら、実行委員に予告状のことを連絡したり、警戒を強めたりすることだってできたはずでは?」
「忙しくて俺たちに調査する暇はないと言っただろう」
「予告状が発見されてから今の今まで、一度も実行委員で集まる機会がなかったというんですか? 会ったときに説明するぐらいのことも、集まりで連絡事項として言うこともできなかったと?」
「黙れ!」
声を尖らせてきた。隣の赤十字のテントまで届いていたようで、擦りむいた膝を治療してもらっていたらしい女子生徒が、何事かと顔を上げたのが見えた。
仕方がない。私は溜め息を吐いた。
「話してもらえないなら、話を変えます。質問2つ目」
「………………」
激昂したが、彼はいちおう実行委員。持ち場を離れることはできないようだ。
私は質問を拒否されなくて、内心ホッとした。
「これは、ちょっと曽布川さんにだけ聞きたい、ということではないんですが」
「……さっさと聞けばいい」
「曽布川さんは2年生ですよね」
「…………?」
「去年、外で問題を起こして退学処分になった生徒のことを教えてください」
突然肩を掴まれた。
驚いて横を向くと、顔を真っ赤にした曽布川さんが、私を殺さんとする勢いでガンガンと睨みつけ、凄まじい形相で下唇を噛んでいた。
やがて力が抜け、私の肩は解放された。曽布川さんは死んだように項垂れる。
「曽布川さん? どうしたんですか?」
「……話が変わってねぇんだよ」
「え?」
意味を理解するのに数秒を要した。そして、ようやく意味を理解してもなお、納得することができなかった。
曽布川さんは、頭を抱えながらも、口の端が異様に吊り上がっていた。私はその表情と動作の矛盾に、言い知れない恐怖を覚えた。
「……曽布川さん?」
「なんか、隠してるのも馬鹿らしくなってきたなぁ。話しちゃうか」
「………………」
「なぁ、どうだ? 予想つくか?」
今までにはなかった、奇妙な緊張が走る。
すみません、と謝って、私は目を泳がせながらスマホを操作して、またポケットに直した。
私は、なんとか曽布川さんから目を逸らさずに、自分の考えを述べた。
「……話の流れから考えるに、曽布川さんが、その……その生徒を退学させるきっかけを作った、とかですか」
自分でアホかと思った。そんなこと誰にだって分かるだろうが。
曽布川さんはそれを聞いて、笑うでもなく、へぇん、と間の抜けた返事をした。
そして、また変な笑顔を作った。
「きっかけというか、本当に俺がやめさせたんだよ」
「…………え?」
血の気が引いた。
……そこに、今朝のような真面目な感じや、誠実さは感じられなかった。
「退学にさせられた生徒の名前は一生忘れない。
「そんな……」
高頭さんから聞いた話と全然違う。
ほとんど暴力は振るわなかったと言っていたし、気さくでムードメーカーだったなんて言っていたのに。
曽布川さんの声に、ねっとりした、嫌な感覚が宿る。
「服装とか、教師への反抗とかで、何回か処罰を受けてた。それであいつが校長室を出てきたときに、偶然聞いたんだ。『今度何かやったら退学だからな』……」
「…………曽布川さん、あんた!」
「少年漫画みたいに、友達に手を出されたらキレる、しょーもない単細胞って話は聞いてたからさぁ。ちょっと他の仲間と協力して、暴力沙汰が起きるように差し向けてみたんだ」
今度は私が胸倉を掴む番だった。目の前が赤くなった。
「…………人の高校生活をなんだとっ」
「………………」
一瞬だけ、ぐいっと掴んだがいいが、ここは実行委員の机だったことを思い出して、慌てて身を引いた。
乱れた胸元を手で繕いながら、何も起きていないという風に、曽布川さんは続ける。
「いろいろ校長とかに口添えもして、脚色つけてチクったら、面白いぐらい上手くいったよ。弓原はイッパツで退学が決まった」
「そんなの……!」
「自業自得なんだよ。悪いことと犯罪しかできないくせに、真面目な俺たちを見下して、周りに同じ低能仲間はべらせてさぁ。不良ごっこしたいんなら原爆ドームのある県にでも行って思う存分やればいいんだよ、むしろ退学にしてくれて助かってるんじゃない?」
はははは、と曽布川さんは可笑しそうに笑った。……笑えない。
私は歯噛みして、机を拳で叩いた。曽布川さんは歪んだ笑みを崩さず、
「実行委員の中には2年生が多くてさ、事情知ってるヤツも多い。この予告状のことはあんまり言いたくなかったんだよね」
「……だから新聞部に依頼したんですか。保身のために!」
「まあ、もちろんね。……だけど君は、告発で体育祭を汚したくないんでしょ?」
「………………」
「俺がどうだろうと、君は調査して、食い止めないといけない。難儀な話だね」
曽布川さんは席を立った。
「もう少しで昼休みだからさ、桃沢さんが戻るまで座っててくれよ。……じゃあ調査頑張ってねぇ」
「…………あんただけは」
去っていく背中に、聞こえないだろう声で反抗の意志を示す。
青春の場を、身勝手な理由で奪われた弓原さんの思いは……どれほどだったのだろうか。
私は奥歯を噛みしめて、俯いた。
「あんただけは、許さない」
#
★体育祭昼休憩 12:00
「体育祭午前の部が終了しました。ただ今から1時まで、お昼休憩と致します。なお、お車などで来られている方は、近くのデパートシナハラ様には……」
私は新聞部部室で、昼休み開始のアナウンスを聞いていた。
眼下のグラウンドでは、父兄やPTA役員、教職員たちによるフォークダンスが執り行われていた。大人しくオクラホマミキサーを選曲していればいいものを、なんかよく分からないジャズっぽいものを採用している。
私はどうせ親は来ない、というか高校生にもなって恥ずかしいから来ないでねと言っておいた。こういうのは親には分からない子供の感情だが、さすがにしつこく来るな来るなと言い過ぎたかな、と、ちょっと罪悪感を感じている。
さて。昼休みといえども、私たちにあまり休息の時間はない。
「じゃあ、調査報告をしましょう」
「う、うん」
「食べてからね」
私はカミネと一緒に、新聞部室で向かい合ってお弁当を食べていた。
お重みたいにでかいお弁当箱を広げるカミネに面食らいながらも、私は至って普通なサイズの弁当箱を取り出して広げた。
カミネは箸を持つと、ばくばくと玉子焼きとかエビとか、ありとあらゆる食材を口の中に詰め込み始めた。それをまじまじと眺めていると、カミネが怪訝な目で見返してきた。
「……何。欲しいの」
「いや……それ1人で食べるのか?」
「悪い?」
「悪くはないけど……」
ううん、気にしない気にしない。
カミネは「食べてから」と言った。私も早く完食して、出来るだけ早く調査報告ができるようにしなければ。
「……………………」
「……………………」
カミネは食事中は喋らない子のようだ。私もそんなに食事中喋り倒すようなこともしないし、カミネに倣って、無言で箸を進める。
……しかし、唐揚げとかきんぴらごぼうとか、今どき冷凍食品で済ましがちなおかずも、ちゃんと1から調理してくれているお母さんには頭が上がらないなぁ。私もちょっとは料理できるけど、お嫁さんになるにはこれぐらいできなくちゃいけないのかな。
ごはんの最後の一口をきちんと食べ終わって、私は弁当箱に蓋をした。
「じゃあ始めましょうか」
カミネの弁当はあんなにあったのに、私より早く食べ終わっていた。
早食いはあんまりよくないと思うが……今はそんなことを言っている場合じゃなかったな。
「どっちから話す?」
「じゃあ、私から話そうか」
実行委員を調べようと思ったのに、主な収穫は、仮説3……告発は去年の退学と関係があるものだという説についての手がかりとなった。
カミネの話よりも先に話しておいた方が、混乱が少なくていいかもしれない。
「実行委員長の曽布川さんが、ちょっと態度がおかしかったからカマかけてみたんだ。そしたら、告発されるのは自分かもしれないと言って、根拠まで言ってきた」
「…………続けて」
「……曽布川さんはこう言ってた。
『去年、弓原大河が退学したのは自分がハメたからだ』……って」
「…………」
他にもぺちゃくちゃと喋っていたが、どれもこれもあの男の自己満足というか、不要なことだけだ。
私は結論を置く。
「結論。仮説1の『実行委員が怪しい』と、仮説3の『1年前の退学事件が怪しい』は、同じ話で、高確率で告発にはこの事件が関わってくる」
「…………なるほど。じゃあ、私の話をするわ」
む、あんまり驚いてくれないな。
カミネさんは、いきなり席を立つと、扉の前まで駆けて行った。
「どこ行くんだ」
「行かないよ。呼ぶだけ」
「え?」
「元先輩、もう入ってきていいですよ」
カミネに呼ばれて入ってきたのは、筋肉質で金髪、汚れの目立つ作業着の上に虎のスカジャンと、いかにも不良といったスタイルの男だった。
……え、嘘だろ?
元先輩。不良。
この状況で呼ぶ、そんな特徴を持った人間と言えば……。
「ご本人登場、って感じかしら」
男は、なんだそりゃ、と豪快に笑って言った。
「弓原大河。去年まんまと退学になった不良でーす」
「ええええ!!」
……おかしい。私はこんなオーバーリアクションをするたちではなかったはずだ。なんかすごく調子を狂わされている。
状況を整理しよう。
今回の告発には、十中八九、去年の退学事件が関わっている。
そして、その退学事件の被害者こそ、いま目の前にいる弓原さん。
状況を整理できてもやはり納得はできない。ていうか、まだ挨拶もできていない。
何て言えばいいんだ。
「よ、ようお参りくださいました……」
「ここは神社だったのか」
「……すいません、まさか本人に会えるとは思ってなくて混乱してて……」
「ははは、そんな有名人なのか俺」
「その……色々、先輩の退学についてこそこそ調べてました。ごめんなさい」
私が頭を下げると、弓原さんはいいっていいって、と苦笑いした。
しかし、すぐに真剣な表情になって、部屋をつかつかと歩いて椅子に座った。私たちも元の席に着席する。
「……謝るのはこっちだ。変なもめ事を、次の世代に持ち越してしまって、本当に悪ぃと思ってる」
「今日は、なんで体育祭に……?」
「退学になってから半年過ぎたとはいえ、やっぱりこの学校に未練があるから。こういう、一般の人でも入校できるようなイベントには、ちょっと顔を出そうかと思って来たんだけどよ……そこの子に捕まっちまって」
「捕まえました」
弓原さんは今日、仕事を午前で早上がりして、ついさっき学校に着いたばかりなのだという。
ちなみに外部の人が入校する場合、正門を入ってすぐの……アレなんて言うんだっけ? 管理人室? 受付? ……みたいなところで、入校時刻といっしょに署名しなくてはならない。
今のが嘘だとしても、その気になって調べればすぐに分かることだ。
弓原さんが入校した時間がアリバイ証明。少なくとも彼は予告状の送り主ではないだろう。
「俺の退学になったことが関わってる、って聞いたら、何もしねぇわけにはいかねーからよ」
「そうだったんですか……」
「こんな事件もなけりゃ、今頃テキトーな女子捕まえて、フォークダンスでも踊ってただろーな」
冗談が胸に痛い。弓原さんは、今年は生徒としてではなく、父兄や一般の人としての参加なのだ……。
せっかくの想いを無駄にしてはならない。何より、こんな人を退学まで追い込んだ曽布川さんを、私は許せない。
「……外で話、聞いてたぜ。俺をハメたのは曽布川なんだって」
「……ご存じでしたか?」
「ま、だいたい分かってた。俺の周りでコソコソして、何かやってんなとは思ってたんだが……まさか退学にさせられるとはな。はははは」
「笑えないです」
黙った時にふと見せる憂いたような表情が、胸を締め付けた。
予告状事件のことに関しては、カミネから大体の説明は受けているらしい。
「『告発』について、何か心当たりとかはありませんか?」
「……何人かは、曽布川がやったってことに勘づいてると思う。俺のためにこんな手の込んだことをするかって言われたら、自信ないけどよ」
「そうですか……」
「悪ぃな、何もできなくて」
「いえ、そんなことないです」
弓原さんが犯人でないという確証が取れて、一安心だ。
続いて、カミネが「あの……」と、らしくもなく遠慮がちに聞いた。
「ちょっと関係ない話になりますけど…………曽布川さんのこと、怒ってますか?」
「……悔しくは思ってるけど、怒ってはねぇな」
意外……というか、感心した。いや、それすら通り越して呆れすら感じた。
曽布川さんのせいで退学になったというのに、何故平気でいられるのか? 何故怒っていないなどと……。
弓原さんは脚を組んだ。ズボンのポケットから飴を出して、口の中に放り込んで、くぐもった声で話し始めた。
「ロクに話したことなかったけど、アイツは……俺が何か目立ったリしてる度に、すげぇ不快そうな顔をしてた。たぶんそういうのをずっと無視してたせいで、いつの間にか嫌われて、こんなことになったんだと思う」
「それにしたって……あの人は、全員見下したように、低能とか暴力ばっかりとか、散々に言っていました」
「俺だけじゃなく、俺の友達を巻き込んだのは許せなかった……けど、もう恨もうとしてもムリだ。学校の思い出、ゼンブ美化されちまってる」
「…………退学事件までもですか」
「ああ。あの時は楽しかったな、っていう思い出でひとくくりにされててよ。曽布川も、思い出の中ではすっげぇいいヤツなんだ」
はぁ、と溜め息を吐いて、弓原さんは天井を見上げた。
「……後悔してるんだよ。あいつとは、ちゃんと話してたら、いい友達になれたのかもな、ってさ」
「……………………」
後悔。
弓原さんは、自分が暴力事件を起こして退学になったことを悔やむのではなく、曽布川さんと関係を構築できなかったことを悔やんでいた。
私は自分の愚かさを思い知った。
……私は、曽布川さんが悪いと、ものごとの表面しか見ていなかった。
自分を攻撃してくる敵だからという理由で敵兵を殺す兵士みたいに、相手にどんな事情があるのかとか、そういうものを全く見ようともせずに、勝手に曽布川さんを嫌な人間だと思っていた。
…………彼の心は、どうなっているんだろう。
「……になりました、12時45分になりました。生徒諸君、観客の皆様に連絡します。この後1時ちょうどから、地元チアリーディングチーム『Phantom』様による応援パフォーマンスがございます。また、1時10分から午後の部が始まります。
お早めに、お席についてお待ちくださいませ。
繰り返します。12時45分になりました……」
放送がかかった。昼休み終了ももうすぐだ。
「お話、ありがとうございました」
「午後から、頑張ってくれよ」
「……はい」
「どっちも、頑張ります」
早足で、この部屋からというより、この校舎から出ていこうとする弓原さんの背中を、見つめて。
私は、せめて笑顔を向けた。
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