10:10~11:20 書道部員の紹介状

★体育祭午前の部 10:10


 とりあえず、プログラムを確認する。写真を開き、空乃に撮らせてもらっておいたプログラムを確認。


_____________________________

東大正高校第50回体育祭

プログラム


開会式

準備運動


午前の部


1年2年   50mハードル走

2年     パン食い競走

1年2年3年 100m走

1年     二人三脚

1年2年3年 玉入れ

3年     ピッタリ10メートル!


昼食・休憩

 PTAならびに保護者参加 フォークダンス

 地元チアリーディングチーム『Phantom』による応援合戦


午後の部


2年3年   綱引き

1年2年3年 200m走

1年2年3年 タイヤ引きレース

1年2年3年 騎馬戦

1年     借り物競走

各部活動   部活動対抗レース

1年     なかよしリレー

2年     からくちリレー

3年     ぜつぼうリレー


整理運動

閉会式

_____________________________


 ……アテが外れた。私はスマホを持っていない方の手で、髪をくしゃっと掴んだ。

 予告状の内容、『罪を告発させる』を満たせる競技が、ほとんど存在しないではないか。


「……強いて言うなら借り物競走くらいか……?」


 借り物競走、お題は『大きい紙』。

 告発者が、犯人から告発内容の書かれた紙を借り、それを持ったままゴールしてみんなの前に晒す、というのはどうだろうか。

 ないな。2秒で自己否定する。

 イカサマでもしなければ、そんな状況に適したお題を引くことも不可能だろう。そもそも『大きい紙』など、告発向きのお題が入っているかどうかすら怪しい。

 となると、他に怪しい競技は……見当たらない。


 告発する、というくらいだから、なんとなく大々的にやるイメージがあった。だから、どれかの競技中、みんなの視線を集めた中で告発するのかなと思ったのだが……やっぱり、この方向性は的外れなんだろうか。

 スマホをしまい、はぁっ、と短め強めの溜め息を吐く。

 憂鬱だ。さっきみたいに空乃を抱きしめて元気を取り戻したいけれど、ただでさえ怒らせてしまったのにまたそんなことしたら、今度こそ永久に絶交されかねない。

 こんなとき頼りになるのは……。


「あ、小池さん」


 当然、柿坂先輩だ。

 さっき、3年の待機場所を離れてジュースを買いに行くところを見かけたので、待機場所に戻ってしまう前に走って捕まえる。


「さっきのハードル走、すごかったね。1位おめでとう」

「えへへ、ありがとうございます」


 やった! 柿坂先輩に褒められた!

 ……という激しい喜びの感情をなんとか抑え、私は控えめに笑うと、こほん、と咳払いして仕切り直した。


「柿坂先輩、予告状のことで相談があります」

「調べてくれてるんだね、ありがとう。俺に分かることなら何でも話すよ」

「ありがとうございます。では……」


 再びスマホを開き、プログラム表を見せる。


「プログラムの中で、『告発』ができそうなものって、ありませんか?」

「…………?」


 柿坂先輩は、一瞬だけ、何を聞かれたのか分からないという風に首を傾げたが、すぐに「ああ、なるほど」と納得した。


「小池さんは、『告発』が、プログラム進行の中で、堂々と行われると思ってるんだね?」

「そうです。……うーん、やっぱり違うと思いますか?」

「まあ、俺のイメージとは違ったな」


 目線を右に逸らした。その方向を追うと、実行委員のテントが。

 柿坂先輩は、あくまで俺の偏見だけどね、と前置きして、腕組みしながら言った。


「予告状が張られてたのは、実行委員のテントだ。

 だから普通に、『犯人は体育祭中に、実行委員の罪を、教師たちにこっそりチクとうとしているんじゃないか?』……っていう考えに及んだんだけど」

「あっ!」


 そうか。盲点だった。

 曽布川さんが、あまりにも話すので、まんまと誘導されてしまっていたが……何も、告発が大々的に行われて、体育祭の空気を損ねるなんて、予告状に書かれているわけじゃないんだ。

 柿坂先輩が言うように、『コッソリとチクる』のも『告発』だ。だとしたら何故、曽布川さんは、そんな思い込みをしてしまったのだろう。

 その旨を質問すると、柿坂先輩はしばらく真面目に考え込んでいたが、しばらくして腕を組んでいるのを解いて、くしゃっと笑った。


「予告状なんて、いかにも怪盗みたいだからね。犯行も怪盗みたいに、堂々とやってのけるものだと思い込んだんじゃないかな……なんて」

「告発する側なのに怪盗だなんて、ちょっと可笑しいですね」

「……そうだね。『告発させる』……だったっけ」


 そうか、あの予告状の大事なポイント……『告発させる』。

 あれはあくまで、『する』ではなく『させる』なのだ。使役の意味を持つ助動詞が使われているのだ。


「下手したら、予告状を書いた犯人を突き止めても、告発の実行を止められない可能性がある……」

「そんな……」

「小池さん。もし失敗しても、気に病まないでね」


 いくら柿坂先輩でも、その言葉には少しムッとした。


「初めから無理だって考えてたら、出来ることも出来ないですよ」

「そ、そうだよね。ごめん」


 柿坂先輩は、慌てたように手を振った。

 その仕草が可愛らしくて、私も表情を緩めて笑う。


「冗談です。私を気遣ってくれて、ありがとうございます。でも、ちゃんと告発は未然に防いでみせますから」

「小池さん……。うん、ありがとう。俺もできる限りの助力はするから、何かあったら、連絡ちょうだい」

「はい、ありがとうございます!」


 ぺこりと頭を下げて、柿坂先輩の前を離れた。

 グラウンドでは、パン食い競走のセットが片づけられ、100m走の選手入場が始まったところだ。


 柿坂先輩のアドバイスは、かなり役に立った。当面で調べるべきは、『実行委員に告発されるような罪はあるか』……次点に、『何故曽布川さんは、告発が大々的に行われるものだと思い込んだのか』か。

 どちらにせよ、実行委員を調べる必要がある。

 実行委員のテントに目を向けて、思わず舌打ちした。曽布川さんがいない。

 事情が事情だし、曽布川さんも、この件は混乱を起こさないためにも内密にしておいてほしいと言っていた。いまテントに押しかけて、席に座って番をしている生徒たちに話を聞くことは難しいだろう。


 ……まだ調査の方向性を決めるには早いかもしれない。

 私はまた、今度は退場門の方へと移動する。


「あ、小池ちゃん」

「渡良瀬先輩、ちょっと新聞部のことで、相談したいことが……」


 パン食い競走の選手への取材が終わったところらしく、お友達らしき先輩たちと談笑しながら退場門の脇にいた渡良瀬先輩に、声をかける。

 新聞部のこと、というぼかした言い方で察してくれたようだ。「ちょっとごめんね、可愛い後輩が呼んでるから」と言葉を残して、お友達から離れてくれた。

 グラウンドの外側、体育祭に伴ってどかされた大型サッカーゴールにもたれて、話を始める。まず渡良瀬先輩は、手を合わせて「ゴメン」と謝った。


「本当にゴメン。私が安請け合いしちゃって」

「今更です。私も、柿坂先輩の一生の思い出が汚されるのは我慢ならないですし」

「あはは、一途だね。それで、私に聞きたいことって?」


 柿坂先輩に質問した時と同じように、スマホの画面を見せる。

 じぃっと覗き込んで、ふんふん、と頷くと、先輩は疑問符を浮かべた。


「プログラムがどうかした?」

「予告状の内容はこうでした」


 写真を切り替える。予告状を写メで撮ったものだ。


「『この体育祭で、私はある人物に罪を告発させる』。体育祭のプログラムの中で、『罪を告発させる』ことができそうなものってありますか?」

「ああ、なるほどね。そりゃ、先輩じゃないと分からないもんね」


 頷く。

 私はこの高校の体育祭を、まだ知らない。だからこういう相談をする場合、同学年の空乃や忍たちよりも、先輩方の方が有力な情報を得られると判断したのだ。

 うーん、と唸る渡良瀬先生の瞳が、スマホ画面を何度も上下に行ったり来たり。


「一昨年は、好きな言葉を大声で叫んでデシベル数をはかる『ビッグボイス』って競技があったんだけど……」

「確かにそれなら『告発』出来そうですけど……今年はないみたいですね」

「会場が騒がしくて、正確なデシベル数がはかれなかったからね。廃止されたの。でもけっこう盛り上がったんだよ、男子が女子に告白なんかしたりして」


 私もその競技を使って告白したかったなぁ。

 ……やっぱり無理。


「他には……うーん、ちょっと無理やりかもだけどいい?」

「はい。全然手がかりがないので、ちょっとの情報でもありがたいです」

「去年の部活動対抗レースで、書道部1年のアンカー・高頭さんが1着でゴールしたときに、巻物を開いて、中の書をみんなに見せたの」

「巻物?」

「書道部のバトンとして使われてるやつよ。さすが書道部って感じの達筆で、『廣部ひろべくん愛してる』って書かれてた」


 なんということだろう。今年は『告発』が行われようとしているのに対し、去年は『告白』が行われたのか。

 私は半分変顔みたいな微妙な表情になりながら、相槌を打った。


「ま、まぁ。その手段なら、条件が満たせるかもしれませんね。1着でゴールできればの話ですけど……」

「2着以下でも、見せようと思えば見せられるじゃん? ……まぁ、それだとなんかショボいし、あんまり注目されない気もするけど」

「それにしても、よくそんなに鮮明に覚えてますね? 走者の名前まで」

「ああ、去年取材したからね」


 それだけの大事件で、取材するなっていう方が難しいか。

 あのあと廣部くんとはどうなったんですか、ゴールインはいつですか、ハネムーンはどこへ行かれますか、と高頭さんに詰め寄る渡良瀬先輩の姿が容易に想像できて、ちょっと可笑しかった。


「そうだ。小池ちゃんにいいものをあげよう」


 にへへ、と笑って渡良瀬先輩がポケットから取り出したものは、なんと新聞部室の鍵だった。

 体育祭の間は、各部屋の鍵は職員室に一括管理されるため、持ち出し禁止だと聞いていたのだが……?


「新聞部の場合は、体育祭参加と同時に、体育祭の記事を書くための取材もやらなくちゃいけないからさ。いざって時に備品が取り出せないと困る、って言って書類を出したら、簡単に貸してくれたよ」

「そんなの、なおさら私が持ってていいんですか? なにか必要な時に手元に鍵が無いと困るんじゃ……」

「いいよいいよ。今日は実質、メモとカメラがありゃ十分取材できるし。ボイレコは今日は必要ないかと思って持ってきてないけど……いざとなったらスマホのボイレコ機能で何とかするからね」


 ……じゃあなんで鍵借りたんだよ、とはツッコまない。

 どうせ、なんとなく借りといただけだろう。


「はあ。分かりました、じゃあお借りしますよ?」

「うん。調査頑張ってね!」


 適当に会釈すると、渡良瀬先輩はそのままどこかへ行ってしまった。たぶん取材をしなければならないのだろう。

 忙しい中時間を取ってくれたことに心の中で感謝しつつ、私は思考を繋げる。


 2人のアドバイスから、とりあえずどこを探ればいいかは見えてきた。

 現時点で一番調べたいのは実行委員だが、それは曽布川さんが見えてからにするとして。いま渡良瀬先輩の話に出てきた、書道部について調べたい。

 私は最初、『予告状は達筆な字で書かれているから、書道部に関係があるのではないか?』と考えたが、短絡的すぎるとすぐに切り捨ててしまった。だがさっきの話を聞く限り、書道部には『告発』が可能だ。

 今日のリレーで使うバトン、『巻物』を使って告発が行われるとするなら……その巻物に書かれている文章は、どのようなものなんだろう? 書道部員を捕まえて聞いてみようか?


「……いや」


 多分無理だ。

 普通に、常識的に考えて。『リレーでゴールした後に大々的に発表するものを、いま、私にだけ見せてください』なんて言っても、見せてくれるワケないだろう。

 事情を説明すれば見せてくれそうではあるが……。駄目だ,どうしても、『この件は内密に』という制約が行動を縛る。


 ならばとにかく、巻物の内容が分からないのを前提として、書道部を調べよう。

 まだ書道部が告発に関係していると決まったワケじゃない。書道部の人から話を聞いて、その上で巻物の内容を知る必要が出てきたら……その時はその時だ。


「よし」


 だいたい考えはまとまった。

 書道部について調べるとなれば、書道部員のツテが必要になる。私はとりあえず1年3組の待機場所へと戻ることにした。


「3組が追い上げてきた! しかし2組圧倒的独走を保ち1着でゴールっ!」


 やたら熱の入った実況に、少し目をグラウンドの方へ向けてみれば、トラックを駆ける選手たちのチェイスが白熱していた。

 お、スタートラインにいるのは忍じゃないか。

 これだけ応援してから調査に移ろうか。


 私は気付いてもらえなくてもいいやと思いつつ、控えめに手を振って、その場で忍を応援した。



★体育祭午前の部 10:37


「なぁ、書道部に知り合いがいたりしないか?」


 戻ってきた1年3組の待機場所にて、私は何人かの友達に聞いてみた。

 突然走ってきてこいつは何が聞きたいのだろうか、というもっともな疑問を抱いたようだが、みんなとりあえずは答えてくれた。


「知らなーい」

「カミネって書道部だっけ。あれ、合唱部だっけ?」

「カミネは書道部だよー。音楽部みたいな名前だけど」


 別の場所から声が飛んできた。あまり親しくしたことはないが、鈴木さんという女子だ。

 カミネという人が書道部らしい。呼び方からして同学年だろう。

 鈴木さんはカミネという人と親しいらしい。鈴木さんに重ねて聞く。


「カミネってどんな子だ? 名前は?」

「1組の女子。海蔵寺神音かいぞうじ かみねちゃん。茶髪でパーマかけてるからすぐに分かると思うよー」

「……カミネ、ちょっと変わってるよね」

「不思議ちゃんって感じ。まぁ咲なら大丈夫、きっと口説けるよ!」

「しばくぞ」

「あはははは!」


 海蔵寺神音さん、か……会ったこともないのに失礼だが、上の名も下の名も珍しいな。

 私は2ブロック先の、1組の待機場所を見た。たしかに1人、明らかに茶髪で、明らかにパーマをかけてる女子生徒がいる。

 情報をくれたクラスメートたちに礼を言い、私は1組の海蔵寺さんの元へ。

 あまり休み時間などに他のクラスに行くたちではないので、少し緊張するが、行かないわけにもいくまい。私は海蔵寺さんと思われる人物の肩をちょんちょんと触った。

 ものすごい勢いで振り向かれ、その派手なリアクションの割には感情の伴わない目で、じーっと見つめられる。たっぷり5秒の沈黙のあと、


「何者?」

「…………」


 な、何者、ときたか。


「…………えっと」

「黙ってちゃ分からない」

「ご、ごめん。えっと、1年3組で、新聞部の、小池咲です」


 なぜか言葉が区切り区切りになる。なぜか文末が丁寧語になる。

 ふーん、と、呼気のついでに音を出してみたって感じの応答をよこして、海蔵寺さんは席を立った。

 そのまま黙ってどこかへ歩いていく。慌てて呼び止める。


「ちょっと、どこ行くんだ?」

「……こんな窮屈な場所で話す気になれない」


 椅子がずらっと敷き詰められて、1組の生徒たちがほとんどすし詰め状態で観戦している中だ。たしかに、と思い、海蔵寺さんについていく。

 しばらく歩くと、適当な位置で止まった。

 こちらを振り返って、まだまだ底知れぬ無表情を向ける。


「で、何なの」

「ああ。えっと。書道部のことで、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「そう」


 ……やりにくい。

 見れば海蔵寺さんは、びっくりするぐらい美人だった。

 鈴木さんが言ってたパーマを当てた茶髪は、さらさらで羨ましい。雪のように真っ白い肌、大きい瞳、小鼻、桃色の可愛らしい唇。

 大人っぽく、全部のパーツが美しい……が、それら全てのパーツが無表情に動かないので、ちょっと怖い。

 私は場の空気に耐えられず、下手くそな愛想笑いを浮かべて言う。


「えっと、答えてくれる、ってこと?」

「そう思ってくれて構わない」

「ありがとう。じゃあえっと……何か書道部で揉めてることとかって、ない?」


 海蔵寺さんは僅かに顔を曇らせた。


「……新聞部って、他人のいざこざまで記事にするの?」

「あ、違う違う。えっと、ちょっと体育祭で問題が起きてて、色んな人に調べて回ってるんだ。ほら、新聞部って実行委員の手伝いしなくちゃいけないから」

「へえ。……大変そうだけど」


 また元の無表情に戻った。心なしか、さっきより警戒は解かれている気がする。


「でも、その問題が何なのか分からないと、何も言えないわ」

「……そう、だよな」


 私は頭を掻いた。

 予告状のことを『内密に』保ったまま調査を続けるのには、無理があるのかもしれない。

 ちょっとぼかしてなら、いいですよね。私は心の中で曽布川さんに謝って、事件の内容を少しだけ説明することにした。


「初対面でこんなこと言っても困るかもしれないけど、今から話すこと、できるだけ内緒にしててくれるか」

「……分かった。マスコミに嫌われたら怖いしね」


 ほんの少しだけ目元が緩んだ気がする。

 ……いまのは冗談だったんだろうか。


「新聞部はそんな権力持ってないぞ」

「どうでしょうね」


 話が進まない。愛想笑いもほどほどに、仕切り直す。


「……こほん。えっと、さっき言った問題っていうのはな。誰かが近々、ある人に復讐しようとしてるみたいなんだ」

「復讐?」


 さすがに海蔵寺さんも目を丸くした。

 私も大袈裟に言いすぎたような気もするけれど、『この体育祭中に誰かが誰かに告発させる』という真意をぼかして、必要な情報は伝えられた気がする。


「うん、復讐。復讐っていうことは、先立つ『トラブル』があるはずだから、そういうのがないか調べてるんだけど」

「…………高校生のくせに復讐なんて、大袈裟ね」

「……まあそうだな」


 嘘だからしょうがない。


「それで? つまり、書道部にそういったトラブルがなかったか、聞きたいのね」

「話が早くて助かる」

「……お門違いね」

「え?」


 微妙に笑いながら、海蔵寺さんは、自分の体操服に縫い付けられた黄色いワッペンを指差した。

 『1-1 海蔵寺』。


「過去にトラブルがあったと考えるなら、2年生や3年生に聞くべきじゃない?」

「……実を言うと、」

「言わなくていいよ。私に先輩を『紹介』してほしいんでしょ?」

「…………話が早くて助かります」

「なんで丁寧語なのよ」


 海蔵寺さんは口元を隠して、初めて明確に笑った。やっぱり美人だなぁ、笑うともっと可愛い。


「分かった、じゃあ書道部の先輩に紹介する。3年生はちょっと話しにくいから、2年生でいい?」

「助かるよ」

「…………誰がいいかな」


 海蔵寺さんは上級生の待機場所ブロックへ向けて歩き始めた。私もついていく。

 ほんの少しだけ眉を寄せて、私を誰に紹介すべきか悩んでくれているようだ。最初は全然コミュニケーションが取れなくて困ったけど、よかった、いい人だ。

 何歩か歩いて上半身だけこちらを振り返った海蔵寺さんが聞く。


「……私以上に気難しい人と、優しい人。どっちがいい?」

「……海蔵寺さんのお好きな方で」

「どっちもあんまり好きじゃない」


 ……難儀な人だ。


「じゃあ……優しい人、かな」

「分かった、じゃあこっちかな」


 海蔵寺さんは歩く方向を変えた。2年の待機場所とは違う方面だが、別の場所にいるということだろうか?

 ……もたもたしてると午前の部が終わってしまう。次の瞬間に告発が行われないという保証はないし、案外放送部あたりが、実況の合間に告発を行ってしまうかもしれないのだ。

 早く調査を進めて確証を得なければ。私は少し焦る気持ちで、海蔵寺さんの背中を追いかけた。



 私はなぜか、校舎の中へ連れて来られていた。

 まさかと思い、聞いてみる。


「書道部も部室のカギを借りてるのか?」

「察しがいいわね」


 どうやら、その『優しい先輩』とやらは、書道部部室で作業をしているらしい。体育祭当日にまでご苦労なことだとも言えるが、ひょっとすると、告発の下準備を行っているのでは……?

 いや、会う前から疑り深くなってしまっては失礼だ。

 窓の外を見る。グラウンドは異様な盛り上がりを見せており、喧騒が窓ガラスを越えてこっちにまで伝わってくる。

 西館3階に書道部室はあった。ドアの小窓にはカーテンがかかっていて中の様子は見えないが、電気の明かりが漏れているし、人の気配がある。

 けふ、けふ、と細かい咳をして、海蔵寺さんがドアをノックする。


「海蔵寺です。先輩、いますか?」

「あ、入っていいよ」


 おっとりした、優しく落ち着いた声が届く。海蔵寺さんはドアを上げ、若干鬱陶しそうにカーテンをどけて入室する。

 私も次いで部室に入る。いちおう部外者なので、失礼します、と言ってから。

 書道部室というと、炭の匂いが漂っているのだろうか、と謎の偏見を抱いていたのだが、全然そんなことはなく、古本屋みたいな乾いた匂いがした。普段は普通に特別教室として使われているのだから、当然と言えば当然か。

 書道部室は我々新聞部の特別教室とあまり変わり映えしないつくりになっている。変わっているのは机の配置と、壁やいたるところに掛け軸がしてあるくらいか。

 隣接する備品室からひょこっと顔を覗かせたのは、三つ編みのおさげと暗い黄色のメガネが印象的な上級生だった。

 即座に頭を下げる。


「初めまして、新聞部の小池です。取材とは別にお伺いしたいことがあって……海蔵寺さんの紹介で参りました」

「ああ、いいよそんなかしこまらなくても。ちょっとかかるから、どこか座っといてくれる?」

「ありがとうございます」


 海蔵寺さんの言う通り、優しい人だ。表情も柔らかくて、包容力がある。

 お言葉に甘えて、手近な椅子を3つ(もちろん、私と海蔵寺さんとさっきの先輩のぶんだ)、机の近くまで寄せて座ることにした。

 椅子に腰かけると、今までグラウンド中を立ちっぱなしで走り回って溜まった疲労感が、少しだけ和らいだ気がした。

 海蔵寺さんが、部室のロッカーで私物をいくつか回収してから着席すると、すぐに三つ編みの先輩も備品室から出てきて座った。……なんか、3者面談の気分だ。


「ええと、新聞部の小池さん、だっけ。私は高頭万記子たかとう まきこ。神音ちゃんから聞いてるとは思うけど、書道部の2年生よ」


 高頭さん……さっき名前を聞いたばかりだ、この人が、リレーの最後に告白したっていう、あの?


「よろしくお願いします」

「それで、どんなことを聞きたいのかしら」

「はい。ええと、今から言うことは秘密にしてほしいんですが……」


 海蔵寺さんにしたような、ぼかした説明を高頭さんにも話す。

 嘘も方便、『書道部を疑っているわけではない』ということを言外に滲ませながら説明を行い、無事に信頼を得ることができた。

 ちょっと不安そうに、頬を撫でながら聞いてきた。


「それ、本当に大丈夫なの? なんだか怖いわね、復讐なんて……」

「未然に防ぐためにも、先輩に聞きたいんです。去年以前のことは私たちは知り得ないので、もし、誰かと誰かのトラブルに心当たりがあったらお願いします。小さなことでも」

「ううん……力になってあげたいけど、すぐには思いつかないわ……」


 何か人同士のいざこざがあったかどうか思い出せ、なんて言われても、そりゃ無理があるか。

 数秒、高頭さんは手元のボールペンを弄ぶと、何か思いついたらしく「あ」と短く声を上げた。心なしか、なんだか青い顔をしているような。


「いや、でも……」

「何かあるなら、少しのことでも話してください」


 ちょっと嫌そうな顔をしながらも、高頭さんは話してくれた。

 なぜか、両手で首を絞めるように揉んで、小出しにするように説明する。


「強いて言うなら、って程度なんだけれど……」

「聞かせてください」

「……去年の1年生、つまり私たちの学年で……ちょっと不良っぽい男子が、外で暴力事件を起こしたらしくて、退学処分になったの」

「退学処分……ですか」

「そんな不良、うちにいたんですか。すごい、見てみたい」


 海蔵寺さんがちょっと危ないことを言ってるが無視。

 退学なら、たしかに、トラブルが発生しそうではあるけど……。


「たしかに、着こなしとか遅刻とか、日頃の生活態度は悪かったけれど。関係ない人に手を上げたりはしない人だったし、気さくでムードメーカーだったわ。

 外で起こした問題っていうのも、友達を他校の生徒から守ったなんて言われているし……本来なら停学くらいで済むようなところを退学処分にされて、学校を憎んでいるっていうのは、ありそうな話じゃない?」

「……ありそうは、ありそうですけど」

「確かに、普通なら停学レベルですよね。なんで一発で退学なんかに……」

「教職員からの評価はすこぶる悪かったから、それが関係して、必要以上に重い罰が下された……って噂もあるわ。本当はどうなのか分からないけれどね」

「…………なるほど」


 私は下を向いて考え込んだ。

 その不良生徒がわざわざ学校に乗り込んできたとは考えにくい……?

 いや、待てよ。予告状がわざわざ体育祭の日を指定していたのは、もしかして、部外者が校内をうろついていても目につきにくいようにするためか?

 高校にもなって、わざわざ場所取りをしてまで子供の走る姿を見に来る親はいないけれど、いちおう場所取りのため、今日は保護者の早い来校が許されているはずだ。

 退学処分になった不良生徒が、部外者の自分も学校の中に入れる今日という日を狙って、予告状を送りつけてきた……。

 この上なく筋は通っている。


 私は内心、思いついた可能性に戦慄していたが、気を取り直して、質問を重ねる。

 いちおう、考えを纏めるのも兼ねて、持ってきておいたメモ帳にメモしておいた。


「有力な情報、ありがとうございます。他に思い当たることはありますか?」

「私が思いつくのはそれぐらいね。もしよかったら、アズサにも聞いてみたら?」

「アズサ……?」


 海蔵寺さんが耳打ちしてくる。


「さっき言った、気難しい方の先輩」


 ああ、なるほど……。


「ん、どうかしたの?」

「軸丸先輩は、ちょっと、話しにくいかなって」


 直接言っちゃった。耳打ちした意味ないじゃないか。

 くすくす、と上品そうに笑って、高頭さんは、


「ああ、たしかにね。知ってるトラブルを話せ、なんて言っても、答えてくれないでしょうね」

「そ、そうですか……」

「うん。でも、たぶん私が言ったら答えてくれると思うわ。数少ない親友、ってやつだから……」

「はあ。じゃあ、えっと、もしよければ、ついてきてもらったりは?」

「ごめん、ちょっと準備に手間取っちゃって、忙しいから」


 そう言うと、高頭さんは腰を浮かそうとした。

 このままでは、書道部から書道部の情報を得られずに終わってしまう……! 私はちょっと焦って、半ばしどろもどろになりながら、なんとか声を出した。


「しょ、紹介状をください!」

「ええ?」


 そりゃないだろう、という風に隣の海蔵寺さんが呆れた目で見てくる。

 一方高頭先輩はと言えば、数秒かけてやっと意味を理解したらしく、あははは、と軽快に笑って、机の中から藁半紙を取り出した。


「古風ね。でも、せっかくだし書いちゃおうかな」

「あ……ありがとうございます!」


 ……本当に優しい人だ。私は少し涙ぐんだ。

 高頭先輩は、可愛らしい(オブラートに包んだ言い方だ)丸文字で、さらさらとボールペンを走らせた。


 海蔵寺さんは先に出て、廊下の壁にもたれてスマホゲームをし始めた。

 書いてもらった紹介状をポケットに入れて、ドアの前で何度も頭を下げる。


「すいません、ありがとうございました!」

「こっちこそごめんね、あまり答えられなくて」

「いえ、そんなことは」

「他には聞いておくことない?」


 告発事件とは関係なさそうだが、雑談程度に聞いておくか。


「えっと、これは関係ない話なんですけど。去年、リレーで1位になって告白したって、本当ですか?」

「え……うわあ、1年にも知られちゃってるんだ」


 顔を赤らめ、苦い顔で答える。


「うん、まあ、ね。あんまり広めないでよ」

「分かってます。では、ありがとうございました」

「調べもの、頑張ってね」


 はい、と快活に答えて退出。

 ドアを閉め、ふっと小さく息を零す。

 ちょっとだけ時間取らせて、と言って、ドアから離れてエレベーターホールに。


「……海蔵寺さん、」

「面倒くさいからもうカミネでいいわ」

「じゃあ、カミネ。もしも暇があれば、できるだけ校舎近辺とか、いろんなところをうろついてくれないかな」

「………………。なんで?」


 沈黙してからの返事。話が早い彼女は、私の意図を、自分で推理しようとしたのだろう。

 私は、不良生徒がこの学校の中に来ている可能性を説明した。鉄面皮の海蔵寺さんもさすがに、顔を青くしてその話に聞き入った。

 このとき同時に、予告状についても説明しておいた。内密にしてほしいと言われたからぼかしていたことを謝罪し、ここまで来れば説明せざるを得ないとも言った。


「……つまり、何」

「予告状には告発と書いてあったけど、もしかしたら……」


 私は身震いした。

 基本的にものごとに動じる方ではないけれど……私の中で、『予告状』というぼんやりとした危機感は、『悪意』という明確な危険に変わっていた。


「学校に恨みを持っている不良生徒がこの学校に来ているんだとしたら、

 ……私たち全員、危ないかもしれない」

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