8:30~9:00 実行委員への予告状

★体育祭当日 8:30


 親しき中にも礼儀ありとは昔の人の美しきことわざで、つまりは、どんなに親しい間柄であっても、無礼講が過ぎると関係性を破壊してしまう、という戒めである。


 これは今風に言い換えてしまうと、『最低ライン』だ。

 世間一般の女子高生がどうかは知らんが、私はけっこう父親と仲がいい。ゴミみたいなおやじギャグを言われても、いちおうツッコんでやるくらいには。

 だが、仮にも異性である父親が、私の部屋をいろいろ探し回るようなことがあれば、これはもう間違いなく絶縁である。即座に私の全財産で呼べる範囲で最高の弁護士を呼んで、8桁の慰謝料を目指していざ家庭裁判所へ、だ。

 また、いくら仲良くしている友達でも、柿坂先輩の悪口を言う奴は許さない。相手が男子なら泣いて謝るまで殴り倒すし、女子なら逃げ道を塞いで延々罵り続けるだろう。

 どちらもその先に待っているのは『関係性の消滅』であり、今までどれだけの絆を築いていたとしても、1つの行動で、その関係性の一切が崩れ去る。


 どこまで許してやればいいのか、どこまでなら許してもらえるのか。

 お互いに深い関係性になるには、まず最初にそこを知った上で、その『最低ライン』という地雷へ飛び込まないように、かつ、強く踏み込んでゆく必要があるのだろう。


 だけど、子供の頃なら許せたことも、今になると許せないことが多い。

 まぁ逆に、子供の頃になんであんなことを許せなかったんだろう、っていう後悔もあるんだけどな。たかが1つの頼みを嫌がったばかりに、母親を怒らせて、別の家の子になっちゃいなさいとまで言われたことだってある。

 しかし子供の頃はいろんなことを許せた。怒って喧嘩しても次の日には忘れて、笑顔で喧嘩相手と遊んでいた。さっき言った母親との喧嘩も、1日寝れば仲直りできたし、そもそも、これをされたら絶対絶交、なんてタブーは、ほとんど無かったんじゃないかなと思う。


 今ではどうだろう。

 たかが1回嫌味を言われただけで、その人のことを嫌いになったり。ちょっと1回呼びかけを無視されただけで、嫌われてると思い込んで2度と話しかけることはなかったり。

 3つ子の魂百までと言うが、結局は、小さい頃にできた友達こそ、1番関係が長続きする相手なのかもしれないな。


 …………ふむふむ。


 空乃は私の言葉に、思慮深そうで浅そうな顔をして何度も頷くと、防御姿勢を取りながら言った。


「で。……私は昨日のプリン事件で、咲の最低ラインを踏み越えてしまったのかな」


 私は自転車を押しながら、ははは、と大きく笑った。柄ではない気がしたが、なんだか、空乃が本気で怖がっているのがちょっと面白かった。

 眉を下げた苦笑い顔で、いやいや、と手を左右に振る。


「あの件は、あのゲンコツ1発で終了。ネチネチ後腐れが残るのは嫌いなんだ」

「サバサバしてるねぇ。さすが、女の子にモテモテなだけのことはある」

「……あれは何かの間違いだ」


 つい昨日のこと。

 昼休み、早くも1年3組の中で、所謂『クラスのマドンナ的存在』となっていたカリスマ女子・前田小鳥まえだ ことりと話す機会があった。

 空乃とキヨ、そして他男女数名。この男女数名というのも、クラスの中ではひと際華やかな方々であり、ランチタイムの歓談は自然な流れで恋愛の話にシフトしていった。

 話の中で、「前田さんって、この中なら誰がタイプ?」的な質問をチャラ男の一人がした。前田さんは頬を赤くしながらこう答えたのだ。

 「この中なら…………咲ちゃんかな」と。

 一瞬場が凍り付いたが、それは男子と私の間だけ。女子は、こぞってその意見を肯定したのだ。

 「わかる、イケメンだよね」

 「いざってとき頼りがいがある」

 「サバサバしててカッコいい」

 「クール系女子って男子よりカッコいい」

 私は前田さん以上に頬を赤くしながらその賛辞を聞いていたのだが、気のせいだろうか、みんな冗談ではなく本気で言っていたように思う。

 ……何かの間違いだ、そう信じたい。


「咲はカッコいいからね。今日の部活対抗レースも期待してるよ」


 部活対抗レース……そんなのもあったな。

 プリンまみれの昨日の記憶を掘り返す。



★体育祭前日


 私のゲンコツにより幕を閉じたプリン事件。その後1時間ほどして、全員が部室に集まった。

 残った2人のうち、先に来たのは柿坂先輩。大量のコピー用紙を運んできて汗をびっしょりかいていても、その格好良さが失われることはない。

 もう1人は、下邨。水泳部のあとダッシュで来たらしく、まだ髪には塩素を含んだ水が滴っていた。ちゃんと拭いてから入りなさい、と言って渡良瀬先輩が真っ白なタオルを投げつけたのが印象的だった。

 部室を出て数分して、下邨はさっぱりした頭で席に着くと、渡良瀬先輩に「タオルは明日洗濯して返しますっス」と言って席に着いた。


 席に着いたみんなに、忍がプリンを配った。ひとつひとつ瓶に入ってる、高いやつだ。

 うひょー、とかそんな声を上げながら、普段ありつけない贅沢に飛びつく私たちとは対照的に、空乃は、忍のプリンをもらうのを辞退しようとしていた。


「咲のプリン食べちゃったし……悪いよ。私の分は咲にあげて」

「いいって。もう終わったことだし」

「でも……」

「いいから食え」

「は、はい」


 ちょっと私が威圧すると、空乃はさっきまでの遠慮はどこへやら、私よりも先に蓋を開けてプリンを口元へ運び、舌に一口乗せると、小声で「おいしい」と言った。

 全員がそれを微笑ましい目で見守る。あれだ、親戚の家で、ひとりだけ小っちゃい子がいるみたいな感覚。

 私も自分のぶんを食べてみると、これが舌がとろけそうなほどに美味い。滑らかな表面の舌触りと、ただ甘いと形容するには余りある、幸せの味覚が一口一口たまらない一品だった。

 あんな安物のプリンひとつで何を怒っていたのだろう、と思えてくるくらいだ。もしやゲンコツを受けるべきは私なのではないかと錯乱する。


 全員がプリンを食べ終えたころ、柿坂先輩が、さて、と話を区切る。


「えっと、まず、プリンすごくおいしかった。ありがとうと伝えておいてください」

「喜んでもらえてよかったです」


 感謝の意図を伝えることを忘れない。流石だ。


「明日は体育祭だってことは、みんな知ってると思う」


 その通り、明日は体育祭。新聞部は大会運営の一部を任された以外に、いろんな競技の途中に写真を撮影したり各クラスのリーダーにインタビューしなければならないので、大忙しなのだ。よく考えたら、プリンひとつであんな大袈裟な推理を披露している場合ではなかったのだ。

 厳粛な顔で、全員頷く。


「新聞部としての仕事を果たすのも勿論だけれど……いち生徒としては、競技への積極的な参加も、義務のひとつだ」

「それってつまり……」

「そう、部活動対抗レースだよ」


 部活動対抗レースとは、体育祭の実質上最後から2番目の競技であり、運動系部活の方々が普段の基礎練習の成果を見せるべく一生懸命走ったり、文化系部活の方々が普段の運動不足を見せつけるべく一生懸命ネタに走ったりする、体育祭の中でもひときわ異彩を放つ目玉競技だ。運動部第1レース、第2レース、文化部第1レース、第2レースの順番で行われる。男女混合。

 特徴としては、みんな、その部活に沿ったコスチュームを着て、その部活に沿ったアイテムをバトンにして走る。

 サッカー部はユニフォームを着て、サッカーボールをバトンにする。書道部は袴を履いて、部員が書いた書を巻物のようにして、バトンとして走る。テニス部はテニスウェアにラケットのバトン、化研は白衣にフラスコのバトン。

 新聞部は特に衣装がないので、普通の体操服姿で、号外をバラ撒きながら、新聞紙を丸めたバトンを持って走る。他の文化部はギターを抱えて走ったりするそうなので、一応頑張れば優勝が狙える位置ではある。


 だけど、柿坂先輩はあまり運動が得意な方ではなかったはず。それなのに、何故そんなにやる気になっているのか……。

 怪談話でもするかのように、柿坂先輩は下を向いて、低い声で話し始めた。


「……知ってるか。部活動対抗レースで優勝した部活には、極秘で、追加部費と、来年度の新入生勧誘の際に、様々な場面で優遇される権利が与えられるって話」

「『追加部費』と、『勧誘の戦利品』……でしたよね」


 その話なら、私も風の噂で聞いた。

 前者はそれほど必要ない。たしかにお金がもらえるなら、部のノートパソコンを1台増やして作業を効率化ってこともできるだろうけど、差し迫って必要なことはない。2台だけでもよく回っているのだから。

 問題は後者、新入生勧誘の優先権だ。勧誘の戦利品と呼ばれるくらいだから、なにか形のあるモノなのだろうが……。とにかく、先輩たちが卒業したら私たち2年生だけになってしまう。新入部員を入れる勧誘活動は、もはや死活問題だろう。


「追加部費はともかく、勧誘の戦利品は欲しいですね」

「俺もそう思う。俺たちは卒業だと言っても、こんな状態のまま後輩に部を残していくのは、ちょっと未練が残るし」

「私だって、次の代は賑やかになってほしいし。そういうわけでこれから行うのは、体育祭攻略会議です!」

「攻略会議……?」


 1年生全員、頭の上にハテナを浮かべる。

 攻略って、作戦を立てたところでどうにかなるものなのか。渡良瀬先輩は人差し指をぴんと立てて、私たちに方針を示す。


「リレーを走るのは4人って決められてるでしょ。その4人をこれから選抜して、走る順番を決めようってワケ。私の心理作戦と審美眼をお披露目するわ」

「渡良瀬は大袈裟に言ってるけど、そんな大したものじゃないよ。ただのメンバー決めと順番決めさ」


 渡良瀬先輩は調子を崩されてむくれた。

 ちなみに、と柿坂先輩が手を挙げる。


「俺は走らない。というか走れない」

「ここにいるみんな分かってますけど」


 キヨの辛辣な、だが事実を述べただけのツッコミに、柿坂先輩は机に突っ伏してしまった。こればっかりは仕方がない。

 柿坂先輩は、自他ともに認める運動音痴なのだ。

 とは言っても、テレビで芸人がやってるような、ヒザが伸び切った状態で走り幅跳びするようなレベルの運動音痴ではない。人から嘲笑われるようなレベルではないけど、単純に能力が低いのだ。

 ま、柿坂先輩は頭脳派だから仕方がない。あれだけ良い所ばっかりの人だ、ひとつくらい苦手なものが無くては。むしろその欠点すら愛おしい。


「渡良瀬先輩は、けっこう走り速かったですよね」

「あれ、なんで知ってんの?」

「俺が教えたんだよ。だいたい体育全般得意だろ?」

「まあね。男子の速い人には全然負けるけど……1年生の諸君は?」


 私たちの中で脚が速いといえば……。

 全員が私の方を向く。


「咲でしょ」

「咲よね」

「小池だろうな」

「小池ちゃんっしょ」

「………………」


 くそ、やっぱり体育は手を抜いておくんだった……とは言わない。これも新聞部の未来のため、ひいては柿坂先輩の安心のため、つまりは私の幸福のためだ。

 私はゆるゆるゆっくりと頷いた。


「……今年の50メートル走は7.16秒でした」

「おー、すごい!」

「小池さん、ぜひアンカーに!」

「先輩のお役に立てるなら、喜んで!」


 やった! 柿坂先輩に頼られた!

 心の中で小躍りしている私を置いて議論は進む。


「次点は誰?」

「……なんだかんだ言って、運動部は強いよな」


 キヨが目で指したのは下邨だった。

 下邨はすっとぼけるように天井を見上げて、椅子に座ったまま、足をぶらぶらさせた。


「いや、水泳と陸上ってやっぱ違うからさ。ちょっとアガるとすぐこけるくらいどんくさいし、ムリムリ」

「ま……たしかに翼は、水泳以外の体育はニガテっぽいよな」

「キヨくんは?」

「キヨは速いですよ! めっちゃ速い!」

「……やめろ、大したことない」

「何秒なの?」

「……7秒02」

「十分速いじゃん! はい採用!」


 キヨは悩まし気に頭を抱えた。人を寄せ付ける謎の魅力はあっても、自分から目立ちたがるタイプじゃないだろう。部活対抗レースは中学の時にもあったが、知り合いからヤジを飛ばされる格好の的だったし。

 相手のほとんどが上級生の中で走るのもプレッシャーだし、私だって柿坂先輩の頼みじゃなければ、もっと嫌な顔をしてやんわりと断っていただろう。

 さて、残り2人だが、1人ぐらい3年生が出ていないと恰好つかないという理由から、渡良瀬先輩は出場確定らしい。つまりあと1人、1年生の中から選出しなくてはならない。


「黒部ちゃんと源ちゃんはどうなの?」

「私は運動はからっきしですよー。忍とか、風紀委員で学校中走り回ってるから速そうじゃん」

「風紀委員、そんなに走ってるイメージあるの?」

「違反者を追いかけまわしてるイメージ」

「そんなことしないわよ、日曜のアニメじゃあるまいし……私は9,01。平均よりちょっと遅いくらいです」

「あ、私9,44です!」

「源ちゃんの方が若干速いね」


 う、と身をのけぞらせる忍。感情が表に出やすい子だ。

 でもでも、と反論を試みて、再び机に身を乗り出す。


「まだ柿坂先輩のタイムを聞いてません! 私より速いなら出てもらった方が……」

「忍、運動神経に自信のない人が、自分のタイムを言いたがると思うか?」

「あ……ご、ごめんなさい」

「はは、別にいいよ。……9秒55だから、俺の方がちょっと遅いな」

「う、ううう!」

「そういうことだよ忍、観念して走りな」


 がっくりと肩を落とした忍を尻目に、私たちはリレーの順番決めを始めた。


 これは意外にアッサリと決まった。

 スタートダッシュには自信があるというキヨが1番手。可もなく不可もなくと自称する渡良瀬先輩が2番手。忍は特に主張も要望もなかったので3番手。そして柿坂先輩から直々に勅命を受けた私は4番手、アンカーを務めることとなった。

 柿坂先輩は、よし、と勢いをつけて立ち上がると、ホワイトボードに大きく『必勝』と書き込んだ。渡良瀬先輩が茶々を入れる。


「カッキー、走らないのにそんな大層な」

「たまには部長らしいことさせてくれよ。……じゃあそういうわけで、部活対抗リレーは本気で取りに行くぞ!」

『おおーっ!』


 夕暮れの教室に、文化部による体育会系的な叫びが響いた。



★体育祭当日 8:34


 そう、今日は体育祭なのである。

 通学する私と空乃の服装も、学校指定の体操服の上に、これまた学校指定のジャージを着込んだ、なんとも芋臭い格好だ。うちの学校のジャージはほとんど紺一色で、それがよけいババ臭さを引き出している。

 しかし、普段の体育の時から思っていたが、ちょっと胸のあたりが苦しいな……。見栄を張ってSサイズなんか注文するんじゃなかった。空乃にイジられるから口には出さないけど、ちょっとした行動の節々でキツさを感じる。

 しきりに、ジャージの下の白い体操服を気にしながら歩いていると、気が付けば校門がすぐ目の前にあった。

 それをいつも通りに潜ったところで、ズボンの中のスマホがバイブする。どうやら新聞部のグループトークで発言があったらしい。


『渡良瀬先輩:学校に着いたら、グラウンドの

       実行委員テントまで来て!


 渡良瀬先輩:スタンプ(犬が両手を前に突き出して「至急!」と

       慌てている。犬はあんまり好きじゃないけど可愛い)』


 空乃と顔を見合わせ、気持ち足の回転を速めた。


「実行委員テント? ……なんだろう?」

「分からない。特ダネとかじゃないか?」

「あり得るね、それ。とにかく急ごっか」


 正門を潜って、東館の方へ進む。東館を回ると、その横にグラウンド。文化系部活も運動系部活も並みに盛んである東大正高校にはちょっと勿体ないくらい広いグラウンドだ。

 各クラスの待機場所にずらっと椅子が並べられているのと、4つだけ、テントのような屋根のついたブロックがある。

 1つには赤十字が描かれており、もちろん怪我を手当したりする保険用テントだ。小学校中学校の運動会でも見たけれど、1度だけ、軽い熱中症のような症状が出て、ああいうスペースで休んだことがある。

 真ん中の2つは、来賓・校長用テント。来賓なんかは最初の挨拶が終わったらすぐ帰っていくくせに、私たちにも日陰を用意してほしいモンよね、とは渡良瀬先輩の文句である。

 そして最後の1つが、実行委員用テント。実行委員が常に3人座っていて。そこにいない実行委員は忙しくグラウンド中を駆け回っているのだという。柿坂先輩の話では、あそこにいる人は役割で言うなら監視役だけど、実際は休憩みたいなものだよ、だとか。

 数段しかない階段を駆け下りて、グラウンドを囲む椅子をよいしょよいしょと越えてゆき、ザッザッと音を立てながら砂の上を走る。

 実行委員のテントの前にいた先輩たちはその音で気付いたらしく、こちらに手を振ってくれた。先輩たちというか、私たち以外全員揃ってるじゃないか。

 テントの下に置かれた長机を取り囲むようにして集まっている。


「何があったんですか?」


 新聞部の先輩方に向けて聞いたのだが、応答したのはそばにいた、見知らぬ男子生徒だった。


「君たちも新聞部?」

「そうですけど……」


 しょうゆ顔で真面目そうな生徒は、緊張したような硬い表情のままに、私に軽く会釈した。


「初めまして、体育祭実行委員長、2年の曽布川喜彰そぶかわ よしかげです。ちょっと相談したいことがあって、新聞部さんを呼んだんだ」

「はあ。相談したいことですか」

「見てもらった方が早い。これを」


 曽布川さんから手渡されたのは、1枚の藁半紙だった。

 そこにはこう書かれていた。


『この体育祭で、私はある人物に罪を告発させる』


 ……もっと色々な感想を持った方がいいのだろうが、ひとまず私が受けた第一印象は、やたら達筆だなという点だ。筆ペンで書いたのだろうか、とめもはねもしっかりしていて、書道のお手本みたいだ。

 肝心の内容についてだが……これは、所謂アレではないのか。空乃がぽつりと言う。


「……予告状?」


 曽布川さんはがっくり項垂れた。


「そう。今朝がた、俺がここに来てみたら、この机に張り付けられてたんだ」

「曽布川くん、差出人に目星は?」

「全くないですね。実行委員の誰かが、恨みを買うようなことでもしたんでしょうか……」


 自分の部下ぐらい信じてほしいものだが。

 そもそも、と渡良瀬先輩が人差し指を立てて、自分を指差す。


「なんで私たちを呼んだの?」


 曽布川さんは、少し困りながらも、やがて言いにくそうに答えた。


「……せっかくのイベントで、変な混乱を生みたくなかったからです。この件が公になったら、犯人探しが始まって……先輩方のせっかくの高校最後の文化祭を、雰囲気の悪いものにしたくはないですから」

「あははは、なるほど。まぁたしかに、体育祭の途中でこれを知ったら、私たち速攻で号外を作ってバラ撒いてたかもね」

「口止めってわけだ」

「口止め……も、あります」


 凛々しい表情を取り戻して、曽布川さんは胸に手を当てた。


「俺たち実行委員は、自分たちの競技以外で持ち場から離れられる時間があまり多くありません。なので、いろんな生徒にコンタクトを持つ新聞部さんに解決を依頼できれば、間違いがないかなと思って……。どうかご協力願えないでしょうか?」


 自分たちは解決に向けて動けないので、調べものが得意そうな新聞部に協力を仰ぎたいということか。

 ひゅうぅ、とこの時期には珍しい強めの風が、私の背後で砂を軽く巻き上げる。

 ……これは嫌な流れだ。なんだか嫌な予感がする。

 案の定というべきか、1年生全員がこっちを向いて、ニヤ、と笑った。背を向けてはいるが、渡良瀬先輩もきっと同じ顔をしているだろう。


「そういうことなら、条件付きで引き受けてもいいですよ。こちらにはもいることですし」

「ちょっと先輩!」

「ああ、助かります。それで、条件っていうのは?」

「無事に全プログラムを終えることができたら、部活動対抗レースで優勝できなくても、新聞部に例の『特権』をちょうだい」

「そういうことですか。はい、掛け合ってみます」

「掛け合って、じゃなくて絶対お願いよ。約束だから」

「は、はい」


 念入りに釘を刺されて、曽布川さんは1歩後ずさった。

 渡良瀬先輩がこちらに向けてウインクを飛ばす。「頼むわよ」ってことだろうか。

 下を向いて眉根を揉む私に、空乃が、ちょっと笑いながらも心配そうなトーンで声をかけてくれた。


「咲、いけそう?」

「……ちょっと、胃が痛いな」


 私以外の1年生は実行委員に駆り出されているため、実質的に動けるのは私だけになるだろう。柿坂先輩と渡良瀬先輩も動けるには動けるだろうが、2人には、高校最後の体育祭を楽しんでもらいたいし。

 ……信用されるのは悪いことではないけれど、もしこれが解決できなくて、体育祭中に『告発』事件が起こってしまったとしたら……。


 次第に、グラウンドに出てくる人の数が増えてきた。出席はそれぞれの教室で取ると言っていたし、そろそろ教室に向かった方がいいだろう。


 私はキリキリ痛む胃を押さえながら、ううん、と唸ることしかできなかった。

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