エピローグ 小池さんと新しい青春
阿良々木教頭は、あのあと、わざとらしく晴れ晴れと言った。
「パノラマに置いたあの小屋は、折り鶴のための墓だ」。
人は、
病気と闘う人のために、医者でもない自分ができることは、せいぜい鶴を折ることであり。
実力ではどうしても回避できないハプニングを避けるためにできることは、せいぜいお守りを買ったり、願うことであり。
だけど、例えば受験なんかは、そもそも事前にしっかり十分な勉強をして、問題が解ければ合格するものであり、合格祈願のお守りに頼るのはあまりよくないことだ。ましてや、落ちたからと言ってお守りのせいにするなんて、なおさら。
願いを込めただけで、努力した気になってしまう。
だから、願いが叶わなければ、努力が無駄になった気がしてしまう。
あの折り鶴は、もしかしたら、ちゃんと相原さんを病気からは守っていたのかもしれない。飲酒運転の車からは守り切れなかったけれど、2度の発作を相原さんが生き延びられたのは、折り鶴の願いが本当に届いていたのかもしれない。
阿良々木教頭は、そう思って、あの鶴のための墓を用意してあげたんじゃないだろうか。
ありがとう。そして、八つ当たりしてごめん。
そんな気持ちを込めて……そして、相原さんに対する気持ちも織り交ぜて、言葉にできない想いを乗せた小屋のミニチュアは、いまも学校エントランスのパノラマ模型に置かれている。
願いに頼りすぎるのは愚かだ。
だけど、願いは全く無意味なものではないのかもしれないな。
…………へっくしゅ!
「夏風邪?」
「まだそんな季節でもなくない?」
「大丈夫ー、小池ちゃん?」
「辛いなら無理せず帰った方がいいよ」
「いえ、大丈夫です! 元気が出ました!」
やった! 柿坂先輩に心配された!
新聞部の部室には現在、7人のフルメンバーと2台のノートパソコンが在席。
1台は渡良瀬先輩が使っている。私に声をかけてくれると、すぐに画面に目を戻して、指で画面を触りながらうーんうーんと唸っている。再来週号のレイアウトを考えているのだ。
もう1台は私が使っている。というのも……。
昨日解かれた謎は、下邨によって『虚構のパノラマ事件』と名付けられた。
阿良々木教頭は、記事にしてくれて構わないと言ってくれた。いま私たちは、その特集記事作成に取り掛かっている。
ボリュームがボリュームなので、5回連載の記事にすることが決まった。5人で5回を分けて執筆……となればよかったのだが、同じコーナーなのに、回ごとに文章力が変わるなんてダメだろうというキヨの冷静なツッコミが入った。
となれば、ここは事件を解き明かした名探偵である小池さんが相応しいと思いまーす。……という空乃のいらんセリフによって、めでたく私が全5回を執筆することになった。
「柿坂先輩、ここは改行した方がいいですか?」
「うん、話の構成的に、ここは重要だからね。なんなら傍点を振ってもいいかもしれない」
「分かりました!」
まあ、柿坂先輩に指導してもらいながら書けるという最上の役得があるからいいんだけどな。ああ先輩、そんなに画面を覗き込んでくると、顔が、顔が近い!
赤くなる私を遠めに見てニヤける1年生一同は、何の仕事もしていないかといえばそうでもない。記事執筆が私に一任された代わりに、残りの4人は、体育祭への派遣人員となったのだ。いまは、段取りの確認を念入りに行っているようだ。
体育祭で競技の実況を行うのは放送部だが、結果の張り出しなどを行う役目は新聞部だ。
実行委員がやればいいのにとも思うが、実行委員の仕事は、入場門の作成・競技ごとのルールを明確に作る・生徒会や教師への連絡・機材の運搬……など多岐に渡る。
ちょっと可哀想になってくるぐらい多忙だ。結果の張り出しぐらい、助け合ってあげようというものだ。
「……それにしても」
隣の柿坂先輩が、両手を首のうしろにやって、椅子に深くもたれこんだ。
「親友と折り鶴のための、虚構の墓……か。考えさせられるな」
「……阿良々木教頭、いまでも後悔してるんでしょうか」
どうあがいても、過去はやり直せない。
だからこそ、後悔はなによりも辛い感情だと思う。
歌の歌詞みたいに、前だけ向いて進むことはできない。いつか何かに足を止められて、後ろに置いてきたものに気付く……。
柿坂先輩は、そのまま窓の外を見た。つられて私も見る。
どれくらい部室にいたのだろうか。すっかり夕焼けの景色が広がって、オレンジ色の空が、真昼の青との間にグラデーションを作っていた。
「高校3年の身としては、考えさせられるな。俺も、ああしとけばよかったな、っていう小さい後悔はいくつもあるけど……教頭先生は、こんな大きな後悔を、32年間もの間引き摺って生きてきたんだな」
「……ちょっと、怖いですね」
「高校生のときにしかできないことって、まだまだ俺、全然やれてないしさ」
「例えば……れ、恋愛……とか?」
「ああ、まあ、それもあるかな。彼女できたことないしね」
内心ガッツポーズした。
それに対して、渡良瀬先輩も一緒に、何か憂鬱な空気が流れ始めた。
「……いつまでもは、続かないんだろうね」
「……高校生活も、こういう部活も」
「先輩……」
……後悔。
そう、後悔だ。
柿坂先輩には、今はまだ彼女がいないのかもしれないが、こんなカッコいい人だ、本気で作ろうと思えばすぐに作れてしまうだろう。
明日にでもできるかもしれない。明後日にでも? 1週間後にでも?
手遅れになってからでは遅いのだ。
……告白するなら、早い方が……。
キーンコーンカーンコーン……。
「うわ、もうちょいで下校時刻じゃん!」
「保存してシャットダウンして。先生に注意されたら面倒だ」
「あ、はい!」
下校時間間近を知らせるチャイムに急かされて、私たちは帰り支度を始める。
言われた通りファイルを保存して、USBメモリを抜き、筆箱のポケットに入れておく。パソコンを閉じて、専用のケースに入れて棚に直すと、すぐに5分が経って、仰げば尊しが流れ始めた。下校時間の合図だ。
「あおーげばー、とーおーとしー、わがーしーのー、おーんー……」
無意識に口ずさんだ。
教頭先生も……この歌詞を、毎日のように聞いているんだろうか。
「みんな忘れ物ない? 閉めるよ?」
渡良瀬先輩が鍵を閉める。
「じゃ、おつかれ」
「お疲れ様です!」
「下邨くん、そろそろ午前の部の流れくらいは覚えてね……お姉さん心配だわ」
「う、うっす。全力で頑張ります!」
「結果で示せ」
全員そろって校門までを歩く。帰りはみんな割とコースがばらばらで、すぐに分かれてしまう。とくに柿坂先輩は、私の帰り道とは真反対の、かなり先にあるバス停まで行かなくてはいけないので、悲しいが部室から校門までしかご一緒できない。
今日はちょっとゲーセンに寄り道するから、と、帰るコースが同じのキヨが下邨と一緒に外れていった。
もう少し進めば、忍とも道が分かれる。じゃあね、と手を振って別れた。
結局、空乃と2人の帰り道。私の家を通りすぎて随分先に空乃の家はあるらしい。
一緒のトロトロしたペースでタイヤを回しながら、私は言った。
「告白できなかった……」
「……いやいや、おかしいでしょ。なんで今日いきなり告白することがあるの」
らしくもなく冷静な空乃のツッコミに、私は唇を尖らせた。
「だって、後悔後悔って何度も聞いたらさ。明日にでも柿坂先輩がどこかへ行ってしまう気がして……」
「恋する乙女すぎるでしょ……。大丈夫、考えすぎだって」
「そうか。……先輩カッコいいから、すぐ誰かに告られる気がするんだよ」
「ま、たしかにそうだけど…………ふふっ」
突然笑われて、ムッとする。
「何がおかしい」
空乃は、これ以上ないくらい爽やかに笑った。
標識の向きに左折。
ひとしきり笑うと、空乃はしみじみと言った。
「いや、さ。いつの日か、屋上で説得した時には、部活なんてとか、青春なんてとか、散々言ってたけど。
……部活に、恋。咲、私なんかよりもずっと青春してるよ」
「…………」
たしかに、いままでちょっと斜に構えていた部分があったかもしれない。
部活も恋も、両方柿坂先輩のおかげだ。だけど、虚構のパノラマ事件をみんなで一緒に調べていた時のそれは……。
とても、楽しかった。前向きだった。
「いつまでも、卑屈なこと言ってられないからな」
「へえ?」
「ちょっと前まで私の価値観は、古かったんだ。いまは、こういうハードワークな部活動も、悪くないって思える」
みんなと一緒なら。
口には出さなかったが、耳が赤くなるのを自覚した。
中学の時に顧問のことで嫌な思いをしたけれど、仲間はみんな、とてもいい子たちだった。練習も、みんなと一緒なら乗り越えられた。
顧問が嫌いだったのが……いつの間にか、部活全てが嫌いに、すり替わっていた。
あそこにはたしかに青春も、輝きもあった。それに対して、つまらないと吐き捨ててしまっていたのは……とても、後悔すべきことだ。
女子バレー部。彼女たちは、元気にしているだろうか。
「ありがとう」
空乃に伝えたいのに、つい恥ずかしくて、空乃に聞こえないように言ってしまう。
価値観を変えてくれて、ありがとう。
新聞部へ誘ってくれて、ありがとう。
「え? なんか言った?」
「いいや……」
私は今、古い価値観を捨てて、新しい青春を前向きに歩いている。
いまは、今だけは。後悔なんて、忘れていたい。あとでそれを後悔するとしても。
「あ、お地蔵様だ」
空乃の言葉に、自転車の回転を止めて足をつく。
道の端っこに、小さな石造りの祭壇に入った、お地蔵様が立っていた。
「こんなのあったのか……なんか願っとくか?」
「うーん。……お金がほしいです!」
「不純だなぁ」
そうだ。たまには、願うのだって悪くない。
……柿坂先輩と、うまくいきますように。
そして何より、明日も明後日も、みんなで過ごせますように。
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