4章 小池さんとパノラマ模型の謎

 人は自分で性格を選べるのだろうか。


 人格形成の過程にもいろいろある。親からきつく教えられたり、子供のとき受けたショックが色濃く心に残っていたり、無意識化で事象が変形して浮き出たり。

 とすれば、ここで問題が生じる。

 罪を犯した人間がいたとする。それは、本人が悪いと言えるだろうか。

 育てた親に責任があるという人もいる。育った環境が環境だからという人もいる。いやいや、ある程度の年になれば自分でものごとを判断すべきだという人もいる。

 しかし、生まれ持って与えられた善悪の物差しが狂っていたとして、そのせいで罪を犯した人間は……果たして、その人が100%で悪いと言えるのだろうか。

 親がいなくて、生活が苦しくて、申し訳ないと思いながらも盗みをはたらいた子供がいたとして。あなたは一切の迷いなく、一切情に流されることなく、その子供が悪いと責め立てることができるか?


 もしかすると、人が人を裁くという行為自体に矛盾があって、大多数の社会人間が持っている善悪の物差しとは、ただの『常識』『法律』であって、『善悪』を判断できる物差しではないのかもしれないな。


 …………ほら。


「ほら、咲もこう言ってることだし、ね?」

「……しょうがないわね」


 私の演説に空乃が同調し、忍をなだめると、ようやく忍は怖い顔を崩した。

 だが、あんまり冗談を言う顔でもなく、腕を組みながら、起立した男子2人を見上げて呟く。


「今度遅れてきたら何してもらいましょうか」

「…………えっと、お手柔らかにお願いします」

「おねがしゃっす」

「遅れてくる前提で話すな」

『はいっ!』

「いい返事。座っていいわよ」


 まるで女王様だ。忍の命に、やっとか、と胸を撫で下ろしながら、キヨと下邨は茶色のソファに着席して深く座り込んだ。

 まだ若い、口髭のマスターは、何事かと目を丸くしてこちらを見ている。見せもんちゃうぞワレ、と邪険に扱えるワケもなく、私はひらひらと手で曖昧なジェスチャーをして苦笑を飛ばした。マスターも微妙に笑みを作って、またキッチンでの仕事に戻る。


 ここまでの経緯はだいたい察せると思うが、まぁつまるところ、アホ男子2人が喫茶店への集合時刻午前10時を遅れてきたのである。それも大幅に。

 最初の方は忍も、やれやれと呆れ気味に、「しょうがないわね。先にコーヒー飲んで待ちましょう」と微笑んでいた。私と空乃と忍、それぞれ、カプチーノとカフェオレとアメリカンコーヒーを頼み、世間話をしながらコーヒータイムを楽しんでいたのだが。

 10時30分を超えたあたりの忍の形相は、それはもう何と言いますか、筆舌に尽くしがたいというか。目を瞑ってスカートを握り、苛立たし気にトントントントンと人差し指で机を叩く忍は実に威圧的で、もし店内にほかの客がいたらそそくさと帰っていっただろうと思う。

 そして男子2人が来るなり、ヤの人もかくやという鋭い眼光とドスの利いた静かな声で、「起立」とだけ言って、お説教を始めた。

 お上品な言葉で次々と罵る。

 幼稚園からやり直したらどう? 時計も読めないなんてチンパンジー以下なんじゃないかな。約束も守れないでよく15年間生きてこられたわね、逆に尊敬するわ。あなたたちの脳みそは私のカップに残ってる残り僅かなコーヒーに含まれているカカオ豆成分以下なんじゃないかしら。

 ……私が彼らの立場だったら、軽くノイローゼになってしまうと思う。


 たしかに男子たちが悪いのだが、お説教が5分以上続いては、ただでさえ男子を待っている間のタイムロスがあるのだから致命的だ。私と空乃でなんとかなだめて、ようやく今に至る。

 落ち着いたら恥ずかしくなってきたようで、忍はちょっと頬を紅潮させて咳払いした。


「えーと。今日集まったのはもちろん、『校舎のパノラマ模型に、なぜあるはずのない小屋が設置されているのか?』という謎を解いて、記事にするためよ。

 この2日間で手がかりを探してもらうことになってたけど……どうかしら?」


 忍はそう言いながら、花柄の可愛らしいクリアファイルを取り出した。みんなにもそれに倣ってほしいという合図だろう。

 各々、資料として持ってきたらしい本や書類、コピー紙などを出していく。私も自分のカバンから、金曜日にもらった文芸部文集を取り出す。ちらりとキヨの出しているブツを見てみれば、全く同じものだ。

 参ったな、ネタ被りにもほどがある……。

 いちおう、手持ちの手がかりから少しだけ考えてみたものはあるので、それを発表してお茶を濁そうか。喫茶店だけに!


「……咲、なにニヤニヤしてんの?」

「……なんでもない」


 言ってもいない駄洒落で恥ずかしい思いをするとは思わなかった。

 資料の出揃った机を鳥瞰して満足げに頷き、お説教を始める前から少しだけ残したままだったアメリカンコーヒーを飲み干すと、忍はぱんと手を叩いた。


「全員いけるみたいね。じゃあ、私から発表するわ」

「よっ、待ってました!」

「空乃黙って」

「…………はい」

「真面目ちゃんの本領発揮に期待してるぞー」

「ふふ、もう、咲。からかわないでよ」

「不公平だよ! 扱いが!」


 憤慨する空乃を軽く無視して、忍は学校史を机の真ん中に広げる。

 さすがに何十年と歴史ある高校、大小さまざまな記録が残されているのだろう。我が東大正高校の学校史はめちゃくちゃ分厚かった。


「さすがにコピーは取れなかったけれど、原本を貸し出してもらえたから、学校の図書館から借りて持ってきたの」

「重かったんじゃないか」

「思った。それこそ、そんな手提げカバンに入れてきて大丈夫だったの?」


 ああ、たしかに忍の今日のカバンも、あのとき女子生徒が持っていたものと同じくらい薄そうだ。朱色の地に菫が描かれた、なかなか凝ったデザインで、安っぽさは感じないのだが。

 ともかく男子には分からないネタだ、私は心の中だけで笑った。


「案外丈夫なのよ、これで。……とりあえず、この学校史から分かったことは、って事実よ」


 ……やっぱりか。

 つまりこれで、『東大正高校には昔小屋が設置されていて、作り手は今も小屋があると勘違いしたため、模型に小屋を置いてしまった』という逃げ道は完全に塞がれたわけだ。

 もっとも、そんなしょーもない結末じゃなくて安心したとも言えるけど。


 たまたま掃除か何かで前を通りかかったマスターに、キヨと下邨が、それぞれ「紅茶お願いします」「俺はマンゴーサンデーで!」と注文した。私もなくなったカプチーノをおかわり注文。空乃と忍は追加注文はしないようだ。

 忍は、重大そうに最初のセリフを言った割には、次に言葉を続けなかった。申し訳なさそうに俯いて、非常に慎ましやかな謝罪の言葉を零す。


「……ごめん。言い出しっぺの私がこんなので情けないんだけど、図書館にある学校関係の本で、模型の謎に関係あるのはこれ以外なかったの」

「気にしなくていいって。私も、キヨと一緒に調べたからネタ被りしてるし」

「そうそう。むしろ気がラクになったぜ。ってことで次、俺の出番な」


 下邨が自然な流れで番を引き継ぐ。普段通りの笑顔でこういう気遣いをしてくれるというのは、なかなか尊敬に値する一面だ。30分強の遅刻はどうやっても擁護できないが。

 てっきり机の上に置いてある資料を使って説明してくれるのかと思ったら、下邨はおもむろにスマホを取り出して、なにかぽちぽち操作した。すぐに私たち全員のスマホが震える。

 どうやら、トークアプリの『新聞部1年』グループに、写真を送信したらしい。

 下邨は自信満々に胸を張る。


「俺が見てもらいたいのは、この写真だ」


 どうやら見ないと話は始まらないらしい。アプリを開いて写真を見てやると、映っていたのは何かの壁だ。どこの壁かは分からないが、『マミりん』と『しーぽん』という名前がハートの相合傘で結ばれているラクガキが見える。

 上から必死に消された痕跡が見られるが、このような至近距離で写されると、さすがにハッキリ見えてしまっている。

 私はひたすら見下すように言う。見下す相手は下邨ではなく、『マミりん』『しーぽん』の2人。地獄に落ちるように願いを込めて。


「なんだこれ」

「パノラマで、小屋が置かれていた位置……中庭の端っこを、もっぺん近付いて調べてみたんだよ。そしたら、こんなラクガキが見つかったってワケ」

「中庭の隅……ってことは、校舎のカベにこんなもん書いた奴がいるのか」

「このラクガキが、なんか関係あるの?」

「当然大有りさ! パノラマの作成者……つまり犯人は、学校の校舎にこんなラクガキがあるのを知って、これを再現したくないがために、ないはずの小屋を置いて隠したんじゃないか!?」

「何が『つまり』だ。勝手に犯人にするな」


 とはいえ……なるほど、面白い視点だと思う。

 写真フォルダから、先日撮ったばかりのパノラマ模型の写真を表示する。どこを取っても作り込みがすごく、壁の塗装が剥がれたところまで完全再現している。

 そこまで忠実に再現したけれど、さすがにこんなラクガキを再現するのは気が引けた。だから、小屋で該当部分の壁を隠してしまった……と。

 本当に再現したけど、学校関係者に見つかったら「そんなところは再現しなくてよろしい」とか言われてしまうから小屋で隠した……というパターンと、そんなものを再現するくらいならば、と、空想の小屋を作ってラクガキの存在を闇に葬った……という2通りのパターンが考えられる。


「いや……ないね」


 だが、空乃が異を唱えた。

 即座に下邨が食いつく。


「なんでだ! ないねとかカッコつけてないで理由言え!」

「カッコつけてなんかないよ! ……じゃ、写真見てもらおうかな」


 空乃がトークアプリにアップした写真は衝撃的なものだった。

 なんと、例のパノラマ模型のガラス部分が外され、一部のパーツなんかは自由に取り外しできる状態になっている。


「これ、どうしたの?」

「調べたいことがあるので、ちょっとだけ模型を動かしたりできますか、って教頭先生に頼んだの。作った人から許可はもらってるって言ってたよ」

「なんで教頭先生に頼んだの?」

「ちゃんと仕事してる人の中で一番偉いからさ」


 なるほど。


 写真の1枚目には、しっかりと再現されたラクガキの壁が映っていた。脇には取り外されたらしい小屋が転がっている。

 2枚目と3枚目は、それぞれ校舎と模型で同じ部分を撮影したもののようだ。何の意図があるのか、コンクリの床らしき場所に、『GREAT』とスプレーでラクガキされてある。もちろん、模型にも同じように再現されている。


「これは、運動場に面した校舎の通路に、実際にあるラクガキね。ラクガキというか、去年の文化祭準備のときに、どこかのクラスが下に新聞紙をひき忘れたまま紙にスプレーしちゃって、裏移りしてるらしいんだけど」

「……そういうことかよぉ」


 下邨は残念そうに指を鳴らした。


「同じラクガキでも、こっちは小屋もなにもなく再現されてる。なのにこっちは、何の細工もごまかしも無くそのまま。ラクガキが目に余るから隠したっていうのは無理があるかな」

「参りました」

「はやっ」


 下邨はあっさりと自説を取り下げた。

 「いやいや、他人の名前が入ったスキャンダル的なラクガキは、さすがに隠さないとまずいと思ったんじゃないか」と言って食い下がることもできるが、どちらにせよ具合が悪いだろう。真剣に検討するほど可能性が高いわけではないと思う。

 下邨がしょんぼりと黙り込むと、マスターが「お待たせしました」と言って、盆に載せた紅茶とマンゴーサンデーとカプチーノを持ってきてくれた。出されたマンゴーサンデーの表面をすくって一口味わい、下邨は開き直ったように言う。


「ってことは、俺の証拠も俺の仮説も、割とゼンブ無駄だったな!」

「アプローチは悪くなかったと思うよ。キミの意志はきっと名探偵小池が引き継いでくれるさ」

「…………」


 何かリアクションするのも面倒くさい。

 私も出されたカプチーノを啜る。滑らかなクリームが唇に触れて、ほのかな苦味と甘味が広がる。


「じゃあ次のバトンは私が引き継ごうかな」


 空乃が机の上に置いている資料……いや、をそんな風に表現するのはよくないかな。

 テーブルの真ん中へと提出されたのは、32年前の卒業アルバムだった。

 まず、と前置きして、空乃は、私とキヨの前にそれぞれ置かれた文芸部文集を指差した。


「文芸部に手がかりがあるかもって言って、金曜日に2人がそれを調べに行ったのは知ってたからね。文集のことも一通り調べたけど、ネタ被りを避けようと思ってもっと広く調べた結果、この卒業アルバムを資料として持ってくることにしたんだ」


 32年前……。私たちが持ってきた文集・『虚構のパノラマ第3号』と同年度に発行されているようだ。

 口には出していないが、いわずもがな、空乃も例のコピー本は持っているらしい。


「文集についての解説は、メインで調べた2人に一任しますとして。ともかく、この32年前の文集はパノラマ模型のカギを握っているの。そして、その『32年前』に着目して、私は同じ年に発行された卒業アルバムを調べた」

「えーと、文集の内容は、知らなくても理解できるのよね?」

「うん。私の話で重要なのは、『模型・文集・アルバムの3つの関連性』だけ。じゃあとりあえず、最初から説明していくね」

「おお、なんか本格的だな……」


 空乃はアルバムを開く。ページは『クラブ別卒業生写真』。

 様々な部活動の生徒が、それぞれの部活らしいユニフォームや衣装などを身に纏って写真を撮っている。ひどいものでは、みんながバスケのユニフォームで写っているのに、1人だけ欠席したのだろうか、左上に証明写真の切り抜きのようなものが編集で加えられている、なんてものもある。他のみんなはユニフォーム姿なだけに、孤独さが際立つ。

 その中で、1つの画像を指差した。

 どこかの教室の中に、男女合わせて6名の姿がある。全員学ランとセーラー服で、他の部活と比べるとちょっと味気ない。これなら欠席者の写真も浮かないなと思ったが、文芸部は写真の撮影日には、ちゃんと全員出席していたようだ。

 画像の下には、手書きで『文芸部』と書かれていた。どうやら、この年に卒業した文芸部員の写真のようだ。ということは、32年前の時点で3年生の人たちってことかな。


「次に、このまとめを見てほしい」


 空乃は手元から、あんまりきっちりしていない紙を出して、みんなに見えるように置いた。全員分印刷するまでもないようなものなのだろう。

 紙には、米マークを頭に付けた注釈と、7つのペンネームが書かれている。


『文集のあとがきより、当時の文芸部には3年生だけしかいなかったということが分かった』

『蒼毛葉尊詩

 しおかぜ

 ギザギザハートの村井

 郷須斗婆素田亜図

 和菓子乃音

 青酸守永

 未来の聖子ちゃん』


 ……ははあ。いくつか、私でも分かる古臭いネタがあるなぁ。

 お行儀悪くも、ペンネームを見てクスクスと笑い始めた私たちに、空乃は苦笑いして紙を引っ込める。


「ま、名前に関しては、あとで2人からコピー本を借りるなりして楽しんで。

 ……ところで、いま出した2つの資料に対して、何か違和感がなかったかな」


 下邨以外全員が頷いた。

 きょろきょろと周りを見たあと、拗ねたようにサンデーを削る作業に戻った下邨に対して、微笑みかけるように空乃が説明する。


「3年生しかいないクラブ。なら当然、部員は写真に写っていた6人だと考えられるよね。だけど、文集に使われていたペンネームは7つあった」

「んな小っちゃいことかよ。誰かが欠席したとかじゃねぇの?」

「よく他の写真を見て。欠席ならこんな風に、小さい顔写真が加えられる仕様になってる。それがないってことは、文芸部に欠席者はいなかったってことだよ」


 こん、と可愛い子ぶった咳ばらいをして、空乃はマスターにカフェオレのお代わりを注文した。さすがにこれだけ舌を回せば喉も乾くだろう。

 かしこまりましたという返事に笑顔を返して、空乃はテーブルの下で脚を組み直した。


「続けるね。

 文集のペンネーム数によれば、10月末の文集発行時点で文芸部には7人がいたのに、卒業アルバムの写真が撮られた年度末時点では、6人しかいない。

 つまりどういうことか。10月から年度末までのおよそ4か月ほどの間に、部員が1人、辞めたことになる。3年生まで続けてきたクラブを、学園生活の最後の締めくくりに差し掛かったこの時期に、だ」

「……たしかに妙ね」

「黒部は、OBがパノラマ模型に関わっていると?」

「まあ、大方そんなところかな。部員が1人辞めているのも気になるし、もしかしたら文芸部のOBがあの模型を作って、その1人が辞めることになった事件を暗示しているのかもしれない……」


 神妙に言葉を途切れさせて、すっかり氷の解け切ったお冷を口に含むと、空乃はいつものように、にっと笑った。


「っていう、あんまり可能性の高くない妄想だね」

「案外悪くないんじゃないかな? いまの話が事実だったら、新聞のネタとしてはかなり面白いと思うけれど」

「私もそう思う」

「お、名探偵からのお墨付きを貰えた! こりゃ間違いないね!」

「そろそろ顔にいっていいか?」

「女子高生に顔面パンチ、ダメ絶対!」


 拳を上げて脅す私に、カタコトで慌てる空乃。

 恒例の茶番には目もくれず、忍は思いついたように学校史を広げた。


「32年前…………ううん」

「どうかしたか?」

「ああ、うん。……この学校史、その年にあった学校に関係することが、時期といっしょに書かれてるんだけどね。その中に……」


 忍が一点を指差す。


 『12月28日 県知事・本田氏が訪問』と『2月7日 大正高校で火事が発生したことを受け、臨時避難訓練を開催』に挟まれた項目……。

 『1月20日 3年・相原友治あいはら ともじ君が下校中の交通事故で死亡する。朝会で黙祷』


「……文芸部で抜けた1人って、まさか」

「………………」

「やめよう。それについて深追いするのはあとだ」


 顔面蒼白の忍を落ち着かせるように、キヨが文集を広げながら、じつに気だるそうに言った。さりげなく学校史を閉じてどける。


「そんじゃ、黒部のはにゃ、……話にも出たことだし、俺が文集の解説やっとくよ」

「うぇいうぇいー! 女子の前だからって噛むなよキヨ!」

「黙れ死ね翼。

 ……この文集がパノラマ模型と何の関係があるのか。もちろんそれは文集のタイトルなんかじゃなくて、文集収録作品の1つ、『和菓子乃音』が書いた『わたしたちのウサギ小屋』。これには、東大正高校をモデルにした学校が出てくるんだが、ひとつだけ現実と違う点がある。

 タイトルにもなっている、『ウサギ小屋』の有無だ」


 キヨは、文集を広げてみんなに見せ、蛍光ペンで印をつけた一節を朗読した。


「『僕は7時間目後、帰る用意もいい加減に済ませて、カバンをひっかけ、すぐにあの場所へと向かった。雑草生い茂る中庭の隅に開かれた、ウサギたちのバカンス。きょうは清美さんといっしょのウサギ小屋当番なのだ』……」

「清美……キヨ美……。キヨお前女装したいのか」

「くふっ」


 あんまりにくだらないボケに、忍は堪え切れずに笑った。空乃も妙にツボったらしく、声も出さずに肩を震わせて笑っている。

 私も、全く面白くないのが逆に面白くて、くくくっと変な笑い声が出た。

 下邨本人も愉快そうにげらげら笑っており、キヨだけが不満そうにむすっとして腕を組んでいる。


「クソしょうもない……続けるぞ」

「はいはい」

「『中庭の隅に開かれた』という文面からも分かる通り、あの模型と場所も一致している。……これが、文芸部とパノラマ模型を結びつける共通点だ」

「……お待たせしました、カフェオレでございます」


 空乃がカフェオレを受け取る。

 少し間をおいて、キヨは続けた。心なしか、仏頂面に笑みを含んでいる。


「そしてもうひとつ。重要なのは『表紙』と『あとがき』だ」


 キヨは、文集のページを大雑把にめくって、あとがきを開いた。

 例の、横書きの文章。蒼毛葉尊詩の書いた、『虚構のパノラマを支えるモノ』だ。1行ごとに改行されている。


___________________________

本文集を手に取っていただき、ありがとうございます。

我が文芸部は現在3年生だけ。来年、新入部員が

入ってこなければ廃部だと考えると、みんな虚ろな目

です(笑) はてさて、来年にも、どんなに小規模でも

いいから、文集が発構されればよいのですが。

これからは、もっと屋外で活動して、アピールするべき

でしょうか。ライブとか、パーティーとか。

うーん。今度堀田だとか秋下あたりに相談してみようか。

やはりノーマルな勧誘方法では、新入部員は獲得できない。

……気を張れ。このままでは廃部だ!

…それでは、来年の文集が発行されることを祈って。

___________________________


 ……初めてこれを読んだときは、「下手くそだなぁ」と思った。

 こんな不自然な文章だったら、誰だって分かってしまうじゃないか……。


「随分、回りくどいというか……変な文章ね。『発構』っていう誤字と正しい『発行』が混在してたり……」

「蒼毛葉尊詩とやらは、ずいぶんと下手くそらしい。

「暗号!?」

「暗号!?」


 忍が驚いて目を見開き、下邨がわくわくして目を輝かせる。


「簡単なことだ。表紙を見ろ、『虚構のパノラマ』という文字の下に、『したやじるし』が描かれてるだろ。つまり、『虚』『構』『の』『パ』『ノ』『ラ』『マ』、それぞれの下の文字を読めばいい」


「…………『小屋の下を掘れ』!」


 下邨が声を上げた。全員頷く。


「これが、何の意図で練られた暗号なのかは不明だ。結論は出せない。……だが、パノラマ模型の謎を解くにあたって、必要な情報だと思う」

「32年前の文集に仕掛けられた暗号……」

「誰も解かなかったのかな? ていうか、掘らなかったのかな」

「高校文芸部の文集のあとがきを、そんなに誰も熱心に読んでないんだろ」

「それに……暗号が解けたとしても、普通、中庭を掘り返そうとは思わないし」

「……とにかく、俺からは以上だ」


 キヨの発表が終わった。

 さてさて! 次の発表者は誰かな?

 すまし顔でカプチーノを飲んでいると、空乃がちょいちょいと肩を押してきた。


「ラスト、咲の番だよ」

「…………」


 私はカップを口に当てたまま、俯いて黙り、自分の文集を出した。

 いくつかのメモ書きや、結論である『暗号の答え→小屋の下を掘れ』などと赤ペンで書き込まれた、あとがきページを示して。

 本当に申し訳ない気持ちで、私は頭を下げた。


「……ネタが、被りました」


 しばらく、場に沈黙が舞い降りた。

 本当はほんの数秒程度だったのだろうが、肩身が狭すぎて、何分にも感じられる居心地の悪い時間だった。

 忍が苦笑してフォローする。


「しょうがないわよ。それに、ちゃんと調べてくれたみたいだし」

「はははは、キヨと一緒のこと思いついてるじゃん」

「悪い小池。一緒のことを調べたんだから、ネタ被りには考慮しとくべきだったな」

「こっちこそ……空乃みたいに気が回ればよかったんだけど」


 カプチーノを全て飲み干して、皿の上にカップを置く。

 カチャリ、と無駄に響く音を立てて。


「しょうがない。じゃあこの事実を踏まえて、また月曜までに考えてみましょうか」

「了解ー」

「……今度は遅れないでよ」

「わ、分かってるよ」

「次遅れたら、新聞部全員にオゴリだからね?」


「ただ……」


 場には、すでに解散の、和やかな空気が流れ始めていた。

 急に言葉を発した私に、みんなの視線が集まって、私は、ただでさえ言いにくかった言葉を完全に引っ込めそうになった。

 正直、おぼろげにしか見えていないし、自信もない。


 だけど、ここまでの話を聞いて…………。


 チロチロリンリン。

 喫茶店に、老夫婦の客が入ってきた。


 できれば、マスターの「いらっしゃいませ」の声にかき消されてくれないものだろうか。

 私は、静かに言った。


「私、大体分かった……かもしれない」

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