3章 小池さんとウサギ小屋
動機の純粋さと行動の成果は必ずしも比例しない。
ITに関わる仕事をしているらしい叔父が、子供のころはまだ辛うじて可愛かったであろう私に対して、得意げに語っていたのを覚えている。
この場合はどうだろう。
普段の私なら、パノラマ模型の小屋1つ2つくらい、「誤差の範囲じゃないか」だとか「おもちゃでも混じったんじゃないか」とか言って、興味も示していなかっただろう。というか、新聞部の活動全般、私はまだあまり興味を持てていない。
私がこの事件に……事件と言うのも大袈裟だ、この不可解案件に頑張って取り組もうという意欲を示しているのは、その動機は。ひとえに、『柿坂先輩にいいところを見せたい』という一点に限るのだ。
なんという不純な動機!
だが、自惚れるわけではないが、この頃の私はちょっとばかり冴えている。廃材祠の謎、トートバッグの謎。このまま調子に乗って謎解きできれば、かなり貢献できると思う。
成果主義バンザイ。私はこの不純な動機で謎を解く。
…………ひひ。
思考回路がじつにあほらしくて、口元を隠して笑った。
夕暮れ、隣だって廊下を歩くキヨにバレていないか横目で振り向くが、呑気に欠伸しているだけで安心する。
「キヨもついてくるのか」
「せっかくの休みに調べものなんて気が進まないからな。やるなら今日のうち」
キヨの『動機』に、私は「ふうん」と曖昧に返事をする。なるほど。
休みに仕事をしたくないから、今日のうちにやっておく。これもひとつの動機であり、その優劣はつけられない。もっとも、私の動機よりは純粋な気もするけど。
本日の新聞部は解散の運びとなり、空乃と下邨は土曜日に調べるからと、今日は帰宅した。忍は、「もしかしたら昔は小屋があって、撤去されたのかも」と考え、学校史を求めて図書館に赴いた。ついでに鍵を返してくれるというあたり、もう惚れそうになる。
たまたま気まぐれで持っていた生徒手帳でマップを確認すると、文芸部部室は、西館4階の奥の奥、最奥だった。キヨがあからさまに嫌そうな顔をする。
「まるっきり逆側じゃん……失敗した」
「なにが。いいから行くぞ、とろとろしてたら文芸部員も帰っちゃうかもしれない」
私はカーディガンのポケットに、キヨはズボンのポケットに手を突っ込んで、ちょっと日が傾いてきた窓の外を眺めながら校舎を進む。
私がスマホを取り出したのを見てかどうか、キヨもおもむろに懐からスマホを取り出した。普段そんなところに入れているのかと、内心ちょっとびっくりした。
「文芸部か。そんな行くだけでダルいところで何やってるんだろうな」
「本でも読んでるんだろ」
「教室とか家とかで読めばよくね」
「着いたら聞いてみたら」
「なんで初対面の相手に喧嘩売らなくちゃいけないんだよ」
「ふーん」
両者もはや考えて喋っていない。キヨはスマホを横持ちして、何かのゲームで遊んでるし、私もネットショップで掘り出し物のスニーカーが無いか漁っている。
思考はスマホに奪われていて、さっきまでわりかしちゃんと応対していたはずなのに、気付けばどんな話をしていたか思い出せない。うーん、なんだろう。読書の話をしていたんだっけ?
階段を上がる。
体育館で活動しているはずのラグビー部が、いまさら校舎に何の用があるのだろうか。ピッチピチのスパッツと筋肉ではち切れんばかりのスポーツウェア、その上に控えめな防寒着を羽織った3人組が、私たちの真横を駆け上がって行った。
……最近、ふとしたことで、あまり関連性のないことを思い出す。手提げカバンの謎を解いたときには忘れていたのだが、そういえば、備品を運ぶ雑務は先輩たちがやっておいてくれたんだろうか。
入りたての私たちに任せるのは逆に面倒だと思ったのだろうか。おのれ、柿坂先輩のお手を煩わせることになってしまうとは。自分が不甲斐ない。
いくつかの雑談、いくつかの妄想をしながら淡々と階段を上って、ようやく西館4階の床を踏む。ゆっくり上ったし、段差もけして高くはないからキツイはずはないのだが、キヨは大きく溜め息を吐いた。
まぁ、分からなくはない。体は疲れてないけれど、学校の階段を1階から4階まで上るのは、精神的にしんどい。教室は2階だし部室は3階だから、普段は上ったとしても1階分か2階分だしな。
「奥だっけ」
「奥」
「いちばん奥?」
「奥」
「いったんスマホやめろ」
「あ、悪い。こっち、一番奥だよ」
悪い癖が出た。見れば残りバッテリー表示が赤い、あまりむやみに触らないでおこうと、スカートのポケットにスマホをしまう。
階段を登り切って左、頼りない私の目算によると35メートルはあるかという廊下の先、突き当りの教室を指差すと、キヨは先行して歩き始めた。どうやら本当にさっさと済ましたいらしい。道さえ分かっているのなら私が先行する理由もない。大人しく数歩後ろに付き従うことにする。
さて、西館最上階奥部屋という辺境もいいとこの文芸部、こんなところまで体験入部に来る新入生はほぼ皆無だろうと思うのだが、横開きドアに張られているポスターによれば、『
とりあえずドクダンにしてもドクジョにしても、その『ドク』はどう考えても『独身』のドクにしか聞こえないんだけど。リケジョとかたまに聞くけど、なんでもかんでも略せばいいというものではないと思う。
そんなことはどうでもいい、キヨは気持ち強めにドアをノックした。
コンコンコンコン、と小気味よく4回鳴らす。
「ん? はーい」
存外ドアの近くにいたらしい。すぐに派手な色の眼鏡をかけた上級生が出てくる。
中を覗き見るが、あと3.4人程度の女子がババ抜きしてるだけで、特に『大人気!』な様子は見受けられない。
キヨは、精一杯の作り笑顔で自分と私を交互に指差す。
「新聞部の冬山と?」
「……小池です」
何が「冬山と?」だ。コンビ芸人か。
ちょんちょん、と背中をつついて合図し、あとの要件説明は私が引き受ける。
「新聞部の取材で来ました。いまお時間よろしいですか」
「いいよ、あたしもうアガったし」
見れば、彼女は手札を持っていない。後ろの4人が必死の形相で残り少ない手札を見つめているあたり、何か賭けでもしてるんだろうか。
「ありがとうございます先輩」
「あ、名前言ってなかった。
「安田先輩」
「……なんか嫌なのよね、それ。宇三美先輩って呼んで。なんならうさちゃんとかでいいわよ」
「うさちゃんパイセン」
「あははははははは!」
キヨのわき腹を殴る。
しょうもないところで脱線させるな。先輩がやたらウケてるからいいけど。
「えっと、宇三美先輩。私たち、玄関エントランスに置いてるパノラマ模型について調べてるんです。その件を教頭先生に尋ねたら、文芸部さんも同じことを質問しに来た、と教えてくれて……」
「あー、アレね。『虚構のパノラマ』」
「虚構の…………」
……さすが文芸部。いちいちカッコいい修飾語を付けてくる。
私の誤解を読み取ったのか、宇三美先輩はまた愉快に笑う。
「あはははは! そんなポエミーな表現とかじゃないわよ。虚構のパノラマってのは文集の名前なの」
「文集……文芸部のですか?」
「そうそう。34,5年前くらいに第一号発行、んで今に至るまでタイトル変更は無し。ま、面倒くさかったんだわね。自分の書いたモノさえ載れば、あとはどうでもいいってスタンスだし。8年前のやつとか、挿絵がゴミレベルだったけどね」
「ゴミレベル……」
「それは……そんなレベルでも気にしないとは……」
「あはは。……あれ? ていうか君たち、『虚構のパノラマ』のこと知らないで、よくあのパノラマの欠陥に気付けたね?」
「え? どういうことですか?」
「文集の第3号に、それを明示するものが書かれてるのよ。あたしたちは偶然それを読んでたから、あのパノラマの小屋に気付けたんだけど……でもまぁ、注意深く見ればすぐ分かるかもね。あんなの、注意深く見る人なんていないと思ってたから」
虚構のパノラマ第3号を読めば、あのパノラマ模型に潜んだ『あるはずのない小屋の謎』に気付きやすくなるというのか。
それなら、かなりのヒントになるかもしれない。
私とキヨは顔を見合わせると、大きく頷いた。宇三美先輩に向き直って、頭を下げる。
「その第1号、見せてください!」
「お、いいよいいよ。3号はウチの歴代文集の中でもトップで面白くてさ、見学者配布用に20冊くらいコピー本作ったから、君らに1冊ずつあげちゃうよ」
「いいんですか?」
「いいんですかとか聞かないでよね。こんな部、新入部員の部費受付最終日に、どこの部活にも入ってない暇人がきまぐれに1人入って来ればいい方なのよ」
要するに、どうせ全部はけないからやるよ、ってことだろう。
部室の奥から「イェーイ! あがりーっ!」と幸福の叫びが聞こえてきた。この時期に活動時間中堂々とトランプゲームに興じているとは、体験入部しに新入生がやって来たらどうするんだろうか。新入生もトランプに誘うとか?
宇三美先輩は足早に部室の奥へと消えていき、またすぐに戻ってきた。宣言通り、2冊のコピー本を抱えている。
その表紙には、中心を飾る『虚構のパノラマ』の文字と、ポップなようなゴシックなような、とりあえずとてもシンプルで美麗なイラスト。コーヒーカップやウサギ、トランプが描かれているあたり、アリスでも意識したんだろうか。
『虚構のパノラマ』の文字の下に、デザイン化された下矢印が表されているのも、アリス冒頭の穴に落ちるシーンを意識したものだろうか。個人的には、アリスのイメージでよく出てくるオシャレな懐中時計とかも入れてほしかった。
でも、うん。こういうデザイン、かわいくて好きだ。
「はい、どーぞ」
「ありがとうございます」
手渡された本は、意外と厚みがあった。といっても、多分100ページあるかないか、ってぐらいか?
「あたしたちも、まだあんまり深く研究はしてないんだけどね。
1本目の『わたしたちのウサギ小屋』っていうのは注目しといた方がいいよ。その話の舞台はこの学校をモデルにしたみたいなんだけど、その中で、中庭の隅にウサギ小屋があるっていうのを、わざわざ挿絵を使って示してるんだ」
「中庭の隅ですか。本当にあのパノラマ模型と同じですね」
「そう。だから多分、この文集はその謎と関係あると思うわ」
「…………ん」
「どうかした? ページ抜け落ちでもあった?」
「いや……」
渡されるなり、ぱらぱらとページを繰っていたキヨが、首を傾げながら私たちの方へページを開いて見せてくる。
あとがき・『虚構のパノラマを支えるモノ』。筆者・蒼毛葉尊詩。
……筆者名が難解なわりにフリガナを振ってないなと思ったら、なんだ。しょーもないダジャレか。相方の名前はせいぜい『和菓子之音』ってところか?
……いや、それよりパッと目につく違和感がある。
「ああ、そういえばそうだね」。宇三美先輩は今まで特に気にしていなかったようだ。
「あとがきだけ横書きじゃん」
「……なんか意味あるのかな?」
「知らね。それも含めて、日曜日に検討しようぜ。俺は家でこれ読んで考えとく」
部室の奥から、キャアーとかそんな感じの悲鳴が。何事かと一瞬焦ったが、どうせ賭けトランプの決着がついたとかだろう。
それに反応して、宇三美先輩は実に愉快そうに部室の奥へ歩き出す。
私たちを振り返って、手を振ってくれた。
「じゃ、頑張ってねー」
「はい、ありがとうございました!」
「あざっした。失礼します」
ガラガラとドアを閉めても聞こえてくる、トランプゲームの歓声。
「私コーラね」「んじゃ私タピオカミルク」「あたしレジに売ってるコーヒーでいいや。部長どうします?」「私あれでいいや、翼授けるやーつー」「あはは何それ」「ちょっと、それ高いやつじゃないすか!」
……どうやらジュースを賭けていたらしい。コンビニにでも寄るんだろう。
盗み聞きする趣味はない。私たちは足早にその場を去った。
廊下を歩いている途中に中庭が見える。
2本ほど細くて小さい木があって、あとは全て土色。当然、ウサギ小屋なんてものはない。
「…………あれ?」
キヨにも気付かれないくらい小さく、疑問符が浮かび出た。
なんか、違和感があるような……。なんだろう。
数秒そこで立ち止まっていると、後ろからついてくる足音が途絶えたのを不審に思ってか、キヨが振り返って聞いた。
「どうした?」
「あ、いや。文集では、あそこに小屋があったんだなって思って」
「『わたしたちのウサギ小屋』か」
2人でしばらく、思案気に中庭を眺めた。
まだ情報が少なすぎるせいか、違和感は推理に成長してくれない。わざとらしく溜め息を吐いて諦め、とりあえず出来ることを、と、写真を撮影しておいた。
図書館をちらっと覗いてみたが、忍の姿は見当たらなかった。もういい時間だ、調べものを切り上げて帰ったのだろうか。声をかけようかと思ったが、いないのでは仕方がない、帰宅することにする。
校門を出て、同じ方角へ漕ぎ出す。
親しくないとはいえ小学校中学校が一緒なので、行ったことは当然ないが、キヨの家はだいたい知ってる。だからある程度コースも分かる、道が分かれるのはもっと、もうちょっと先だ。
「日曜日、遅れるなよ」
「ああ」
「多少遅れてもいいや、ちゃんと来いよ」
「分かってるよ……そんなサボりそうか」
「まあな。1人だけ、あんまりやる気が感じられないし」
「お前も大概、普段はやる気なさそうなのに。なんで新聞部が絡むと妙に張り切るんだよ」
「柿坂先輩にアピールするため」
「……歪みなく歪んでるな」
苦笑いされた。
街を彩る街路樹からは、そろそろ桜色が完全に消えようとしている。そんな自然に趣を感じるタチでもないだろうに、キヨは足を止めてタイヤを自転させ、呟いた。
「寂しいものがあるな」
「緑色も好きだから、別に」
「こんなんが?」
「日が当たってるときだよ」
そろそろ暗くなってきている。街路樹の緑から風情を感じるには、ちょっと光量が足りないというものだ。
「そういえば、俺まだクラスの女子とあんまり話してないんだけど。誰か可愛い子いる?」
「空乃とか?」
「……あいつはマスコット的というか、友達的というか……」
「冗談。んー、でもキヨに教えるくらいなら下邨に教えるよ」
「は? なんで?」
「だってあんた、相手には困らないだろ。私が紹介なんかしなくても」
「まぁそうだけど」
「うっざ……」
「いや、そもそも彼女作る気とかないんだけどさ。でも早いうちにコミュニケーション取っとかないと、どんどん女子と喋るキッカケ失うし」
「そういうもんなのか? 別に嫌われたらそれまでなんだし、話しかけたかったら話しかけたらいいじゃん」
「お前みたいにサバサバしたオトコ女ばっかじゃねーからなー」
「あんた嫌い」
緩い下り坂に差し掛かる。会話が少しの間だけ止んだ。
たわいもない、どうでもいい話を幾つかしているうち、来週の体育祭が終わったらいよいよテストが間近に迫ってくるな、という嫌な話になった。こればっかりはたわいもないでは片づけられない。
「中学の時は、多少点数悪くてもあんまり言われなかったけどな」
「高校もなったらそうはいかないでしょうな」
「よく言い訳でスケープゴートを使うんだが、どうも上手くいかん」
「スケープゴート? なにそれ?」
「おや、名探偵コイケともあろうものが、スケープゴートも知らない?」
「本当嫌い」
「冗談だって」
キヨは、くくく、と喉を鳴らすように笑う。
いつもの無表情をちょっとだけ楽しい方向にベクトルを変えて、眠そうな声で説明してくる。
「キリスト教だったかな? 宗教で、人間の罪を償うために、ヤギを身代わりにするんだよ。要するに、スケープゴートってのは『身代わり』って意味だ」
「……? 言い訳で身代わりってどういうことだ」
「『あの成績優秀な木谷も今回ばかりは点を落としたんだ。それぐらい難しかったから、俺が悪い点を取るのもしょうがないだろ』ってな」
「うわ、最低。実名出すところが腐ってる」
「木谷あいつ賢かったよな」
「県内模試69位って言ってたよな」
「つまりそういうことだよ、生贄を捧げるんだ。無病息災を願って、自分に降りかかる災厄を置物とかに受けてもらったりするっていう考えは、日本でも『
「へえ……やけに詳しいな」
「本に書いてたんだよ。面白かったけど、変に難しい言葉だらけのミステリー。もう一度読む気にはなれないな」
スケープゴートか。
父親は普段通り何も言ってこないとして……うちの母親に通じるだろうか。
しばらくシミュレーションしてみたが、やがて私はがっくりと肩を落とした。キヨもうんざりした顔だ。
「……無理だろうな」
「真面目に勉強しろってことか」
はあ、と溜め息を吐いて、2人でゆっくりと自転車を漕いで帰っていった。
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