2章 小池さんと手提げカバンの謎

 同じ学校に入学してたかが3週間ちょっとで「小池咲とはこういう人間だ」などと断じてしまうのは甚だ傲慢な話であり、猛省すべきだと私は主張する。

 責任をあんたらに全部押し付けるつもりはない。たしかに、私のことをやる気がなくて怠け者な朴念仁だと思ってもしょうがないような行動を取ってきたことは認める。ものぐさだったり横着をしたり、付き合いが悪かったり、たしかに客観的に見ればやる気のない嫌な奴だよ。


 だけど、それと『恋愛をしない』をニアリーイコールで結ぶのには、私は大いに異論を唱えたいね。


 華の女子高生だ、人並みに恋もする。一目ぼれだってするし、再会してロマンチックを感じたりもする。

 だから敢えて言わせてもらう。

 私に本質などはない。あったとするならそれは、『怠け者な小池咲も小池咲であるし、空乃に暴力を振るう小池咲も小池咲であるし、恋をする小池咲も小池咲である』という、至極当たり前で最もなペルソナ心理学のものだ、と。


 …………ふふっ。


 2017年4月28日、金曜日。まだ先輩の来ていない部室で私の演説が終わってしまうと、しばしの沈黙ののち、そんな笑い声が聞こえた。

 私の熱弁を「ふふっ」と笑った不届き者は、この女子2人のうちどちらか。考えるまでもなく両者だと分かる。次の瞬間にはアハハと笑い出したから。

 空乃と忍は、ムスッとする私を尻目にまだまだ笑う。


「何がそんなにおかしい」

「いやいやいや……リッパよね、立派」

「昔一目惚れした部長さんに再会して、即入部を決めるだなんて、素敵じゃない。咲さん、いつも無表情で淡白な顔してるのに、部長の前でだけは別人のような笑顔だし」


 口元に小さく手を当て、忍はお上品に笑った。ここ一週間ほど新聞部で過ごしてきて、彼女は思ったほど堅物ではないと分かった。

 分かりにくい冗談は通じないだろう、と考えた私の予想は的中していたが、思ったよりも気さくで、お洒落なジョークを使うこともあった。

 規則を遵守する真面目さんではあるけど、そもそも規則を守っていればそういう人を疎く思うこともないわけで、結果として私たちは程なくして仲良くなった。

 恥ずかしがり屋、お茶目、真面目。下世話なことだが、多分モテるだろうなーとか考えている。

 しばらくの談笑ののち、急に、空乃が不思議そうにぱちぱち瞬きして言った。


「先輩、遅いね」


 部室には先輩二人の姿はなく、一年女子三人だけ。もともと五人では扱い余るこの部屋に三人でいると、心なしか声が虚空に溶けていくような虚しささえも感じる。


 入部して約1週間。壁新聞の更新日である木曜日を抜いて毎日が活動日の新聞部で、『他部活動によるアピールインタビュー』記事の作成を通じて、あれやこれやと新聞作成のイロハを叩きこまれた私たち。だが当然、まだ自分たちだけで記事を書くという段階には達していない。

 指示待ち世代とかそういうのじゃなく、まぁ、こればっかりは指示がないとどうしようもないだろう。読んでもらえているかはともかくとして、全校生徒に発表するものを作るのだから、まだシステムを把握することすらできていない新入りが勝手に動くべきではない。

 しかし何もせず話しているだけというのも非生産的だな……。

 などと考えて、あくびをしようとした時だった。


「顔出せなくてゴメン! 今日は私もカッキーも忙しいから、悪いけど自分たちでなんかネタ探しといて! 次の次のぶんで使うヤツね! 男子たちにはすでに声かけてるから、彼らはもうネタ探してくれてる。んじゃーね! ラ・ヨダソウ・スティアーナ!」


 …………。


 突然バタバタした足音が近付いてきたかと思ったら、渡良瀬先輩は乱暴にドアを開けて上記の文句を5秒ほどで言い終え、またドアを乱暴に閉めて、そのままフォーミュラ1カーもかくやというスピードで走り去っていった。

 ……嵐。嵐と言うしかない。

 呆気に取られた様子で、忍が呟く。


「……何なの、あれ」

「『廊下は走るな』って次元じゃないな」

「こりゃ、部活動対抗リレーは期待できそうね」

「次の次の土曜日だったわね」

「……そうだったっけ咲?」

「直近の行事くらい把握しとけ」


 部活動対抗リレー……そんなのもあった。

 『次の次の土曜日』に迫る体育祭、他の文化部は上級生勢ぞろいで挑んでくる中、私たちは3年生2人だけしかいないので、必然的に私たち1年生も走ることになるのだが……。

 憂鬱だ、なまじ運動できるために走らされるハメにならないか憂鬱だ。入学してから体育祭まで、体育は手を抜いておくべきだったか。いや待てよ、私が頑張る姿に柿坂先輩が魅力を感じてくれる可能性も……。

 ……馬鹿らしい、空乃の軽口を真剣に考えてどうする。私は机に置いてあった鞄から、百均品質のメモ帳とシャーペン、そして柿坂先輩が私のために直々に作ってくれた、新聞部記者腕章を装備し、二人に声をかけた。


「じゃあ、ネタ探しに行きますか」

「そうね。確認しとくけど、新聞のネタにできそうなものは……」


 ご丁寧にも、先輩のご指導を逐一メモしていたらしい。さすが真面目ちゃん。

 忍は高価そうな手帳を取り出し、そのページを2回繰ると、もともとその文を暗記しているかのようにスラスラ読み上げた。


「1つ、最優先は直近のイベントごと。

 2つ、その次に『校内の不思議な出来事』・他部活のインタビュー。

 3つ、大正市のイベントやキャンペーン、市団体の取材。

 『それでもないならねつ造しろ!』……という文は却下として。優先事項に従って考えると、体育祭について調べるのが良さそうかしら」

「いや、『校内の不思議な出来事』……じゃないか」


 2人が首を傾げる。

 ……ううん。手帳を持っている忍なら、分かりそうなものだが。


「なんでよ、咲? 体育祭なんて一大イベント……」

「イベントの規模は問題じゃない。忍、手帳のカレンダーを開いてみな」

「え? うん」


 口元に手を当てて考え込みながら、忍は私と空乃の前に、4月のページを開いて手帳を置く。

 私はそれを指でなぞって説明する。


「渡良瀬先輩が私たちに命じたのは、『次の次の新聞に載せるネタを探せ』。新聞の更新日は木曜日だから……」


 1ページめくる。5月11日を指差したところで、忍が声を上げた。


「ああ!」

「え? なに、なに?」


 忍は体育祭の開催日を把握していたが、空乃が体育祭の開催日を知ったのはさっきのこと。しかも、忍が随分と回りくどい言い方をしてしまったので、誤解しているかもしれない。


「忍は気付いたみたいだな。そう、次の次の新聞は、体育祭が終わった後だ」

「なんでよ? 体育祭はでしょ?」

「わ、私の言い方が悪かったね……」

「直前に、渡良瀬先輩が『次の次の新聞』なんて表現をしたせいで、つられちゃったんだろうな。空乃、忍が言ったのは、だ」

「次の次……? ああ!」


 そう。今日は金曜日、木曜日と土曜日に挟まれた日だ。

 空乃は、『次の次の新聞』というワードを聞いて、『2週先』の新聞だと把握する。これは間違っていない。

 しかし、『次の次の土曜日』というワードも、空乃は『2週間後の土曜日』だと把握してしまったのだ。具体的には5月13日を。

 今日は4月28日、金曜日。次の土曜日は明日で、その次の土曜日、すなわち正しい体育祭の開催日は……。


「5月6日だ」

「ははあ……さすが名探偵」


 わき腹を右手のドリルで刺す。


「こんな程度の勘違いに探偵も何もない。とっととネタ探しに行くぞ」

「へいへい……」

「それにしても……」


 部室を出て鍵を閉めながら、忍が腕を組んで唸る。


「……『校内の謎』って、そうそう転がってるものかしら」

「……さあな」


 たぶんそれは、先日解いた『廃材祠の謎』みたいなものだろう。いわゆる日常の謎的な、アレ。うまく本質は言い表せない、ちっぽけな謎。

 一両日中に、学校という限られた空間内で、そういったちょっとしたミステリーのネタが見つかるようならば、推理作家は苦労しないだろう。渡良瀬先輩も、ネタを探して来いと言いながら、あまり期待はしてないんじゃなかろうか。

 とは考えたが、言わない。やる前から2人のやる気を削いでも仕方ない。

 それに……。


 やるからには成果を上げて、柿坂先輩を喜ばせたいからな。



 東棟3階の新聞部室を出て階段の方へ歩くと、しばらく文化部の部室が続く。

 美術部、放送部。ちなみに放送部には、放送を行う用の部室と、普段の活動を行うための部室、2つを持っていて、こちらにあるのは前者だそうだ。あとは化学実験室と化学講義室の連なりをそのまままるっと部室として使っている化学研究会、通称『カケン』がある。

 ちらほらと真面目な声が聞こえてくる3つの部室を、まだこんな風に活気ある活動はできないなぁ、と罪悪感を感じながら越えて、階段を下る。ちなみに上った場合、同じような文化部の部室がいくつかある。

 東棟2階。ここは、3年生の教室棟になっているのだが……。


「……できれば通りたくない」

「よね。やめとこう」

「?」


 忍はそうでもなさそうだが……私と空乃の感覚からすると、やはり、新入生が上級生がまだまだ残っている廊下を渡るのは、けっこう勇気のいることだ。

 きょとんとする忍を尻目に、私たちはそそくさと1階へ降りる。なんでか名残惜しそうにしながらも、忍もちゃんとついてきてくれた。

 薄暗い階段に、3人の新入生の足音が軽快に響く。途中ですれ違った女子の先輩たちが、私たちを見て、何か小動物でも愛でるようにうふふと笑っていたのが、妙にこっ恥ずかしかった。


 東館1階には、職員室や生徒指導室、校長室、管理室、進路指導室、生徒会室エトセトラエトセトラ。小学校中学校とあまり真面目な方ではなかった私にとっては、正直好んでは近付きたくない部屋ばかりだ。指導室には馴染みがあるけど。

 腕章をいじりながら、この区画を行き来する人の流れを観察する。黙っていても謎が向こうから寄ってくるだろう……という考えがなかったとは言わない。

 誰から言い始めたわけでもないが、私たち3人はそれぞれに人間観察を始めた。


 新聞部ではなく生徒会の腕章を付けた、たぶん生徒会役員の、鬼瓦のような顔をした上級生。忙しなく生徒会室を行き来しては、仲間と思われる人が通るたびに運搬物を手渡している。

 よく見ると、生徒会の腕章を付けた人や付けていない人が、頻繁に生徒会室を訪れては、何かを持ってどこかへと消えてゆく。体育祭の準備で、みんな忙しいのだろうか?

 次に通ったのは、右腕から提げた手提げカバンに、サイズの大きなテキストを入れようと悪戦苦闘している先生。

 また次に廊下を行くのは、あまり中身はなさそうな、薄くて小さい(文庫本数冊が入るぐらいだ)手提げカバンを両手で抱えて歩く、腕章を付けていない女子生徒。生徒会室の前を足早に通り過ぎると、生徒会室の向こう、たしか放送部の部室と思われる教室に入った。


「ん?」


 女子生徒に違和感を覚える。空乃も気付いたようで、声を上げた。


「どうかした?」

「いや……なんか、さっき通った女子、ちょっと変だったなって」


 ……そうだな。偶然関心を向けていなければ、違和感の正体には気付けていなかっただろう。

 セーラー服の上から着たカーディガン、その袖口を呼吸器みたいに口に当てる。


「あの女子は……何故、いたのか」

「そう、それ!」


 先に通って行った先生は、右腕の肘関節を曲げて、そこから手提げカバンを提げていた。女子生徒の持っているカバンも手提げのものなのだから、なにもわざわざ抱えるようにして持たなくてもいいだろう。

 新聞部でネタ探しでもしていなければ気にも留めなかったちっぽけな違和感。いまは、それと真剣に向き合わなくてはならない。忙しく動き回る生徒会役員たちの邪魔にならないよう、階段踊り場の壁にもたれて話し合う。


「手提げカバンを本来の用途で使用しなかった理由……なんだろう?」

「エコバッグって感じの……いかにも薄い素材だったわよね。もしかして、何か重いものを入れていたからじゃないかしら?」


 ……ふむ。

 忍の考えはこうだ。

 あまり膨らんでいる様子はなかったが、コンパクトで重量のあるものがあの手提げカバンには入っていた。手提げカバン本来の、『持ち手を握って持つ』持ち方をした場合、どうなるか……?

 少し想像すれば分かる。あの素材の軟弱さでは、持ち手がちぎれてしまうことが懸念されるだろう。

 もともとあのカバンは、重いものを入れられるようには作ってなくて、女子生徒は今回、やむを得ずあのカバンに重いものを入れるハメになってしまった。カバンが壊れることを防ごうと、女子生徒はカバンに負担がかからないよう、カバンの底を抱えるようにして持ったのだ、と……。


 私はスマホを開いて、メモ帳アプリに気付いたことを書き留める。2人は特に私を気にする様子もなく、忍の推理についての評論を始めた。


「否定する材料はないけれど……ちょっと不自然だね」

「ええ? どうして?」

「うーん、特に確たる証拠はないんだけどね。カバンがあまり膨らんでいなかったってことは、その中に入っている重いものはコンパクトだよね」

「うん、そう言った」

「でも、あんな小さいものに入るんなら、それこそカバンなんか最初から使わないで、中のものを片手で持てばいいと思わない?」

「……中に入ってるものは複数個あって、袋に入れないと片手に余った」

「そうなんだよね。いくらでも説明がつく」


 まあ、私も大方、そんなところだろうと思う。……考えるまでもなかったかな。あんまり面白いネタでもなさそうだ。

 と、そのとき。いよいよ生徒会サマも切迫してきたのか、何やら荒々しい声でのやり取りがよく聞こえるようになってきた。


「そこの! 手が空いてるんなら行ってくれよ!」

「は? 俺の仕事終わったし、今から野球の部室帰るんで」

「人が足りてないんだ、手伝ってくれてもいいだろ!?」

「ふざけんな、無駄に1回往復させやがって! 他のやつに頼めよ!」

「あ、待て! くそっ……、それじゃあお前!」

「あ、はい。手伝いに来た茶道部です」

「じゃあ、この備品、和室まで運んでくれ!」


 そんなに舌を巻いて喋るようなセリフでもないだろうに。


「忙しそうだねぇ」

「乱暴な物言い……あんなんじゃ、言うこと聞いてくれる人も聞いてくれなくなるわよ」


 忍の言葉に頷く。ああいうリーダーの下には就きたくないものだ。

 ていうか……何か、今のやり取りは、とても重要だった気がする。


「『手が空いている』っていうのが、比喩表現でなかったとしたらどうだろう」

「……?」

「どういう意味?」


 空乃の問いには答えず、黙って考えを進める。

 自問自答しながら、メモ帳に考えをまとめていく。

 ひょっとしたら、あのカバンの中には……。


 スマホを閉じて、期待の眼差しを向けてくる2人に、口の端だけで微笑む。


「大体分かった。あんまり面白い話でもないけどな」

「本当!?」

「聞かせて、聞かせて!」


 面白い話でもないと言ってるのに。私は苦笑いして続けた。


「そうだな……まず、あのカバンの中に入っているものは、重かろうと小さかろうと、それこそ何も入ってなかろうと、関係ないんだ」

「えっ?」

「関係ない?」


 2人のリアクションに、私は何か嬉しいものを感じていた。

 探偵気取りになったわけではないけど、やはり、他の人よりも先に答えに辿り着いたというのは、気持ちのいいものだ。


「空乃。街頭のティッシュ配りってあるだろ。あれを受け取りたくない時、いつもどうしてる?」

「全速力で目の前を横切るか、ホールドアップする」

「あんたのような常識のない女に聞いた私が馬鹿だった。日本から出ていけ」

「ちょっとひどくない!」

「忍ならどうする?」

「ううん、できるだけ目を合わせないようにするか……あ!」


 気付いたらしい。内心ニヤリとする。

 忍は、、満面の笑みで答える。


「受け取れないように、荷物か何かで両手をふさぐ!」

「正解」


 ここまで来ればあとは簡単だ。

 さっきの乱暴な声でのやり取りを思い出しながら、話を進める。


「次。生徒会室に出入りしていた人の中には、腕章をつけていない外部の人間もいた。彼らの派遣先はどこだと思う?」


 この問いには、2人とも即答できた。


「外部の人間といっても、各部活の代表者みたいね。それぞれ自分たちの部室に備品を運ばされていた、または部室から備品を持ってこさせられていた」

「野球部の人は、『無駄に1回往復させやがって』って言ってたよね。あの人はもともと部室に直行するつもりだったのに、生徒会に頼まれたから、部室と生徒会室を往復する『無駄な1往復』をしてしまった……ってところかな」

「茶道部の人に、和室に運んでくれって言ったのもそれね。たしか茶道部は、和室を活動場所として使っていたはずだから」

「私はこの学校に和室なんてものがあるのを初めて知ったけどな」

「むしろ全部の教室が畳に低い机になればいいんだよ。お座敷教室!」

「あ、いいかもそれ」

「……正座は苦手だ」


 こほん。話を戻そう。


「結論。あの女子生徒は放送部員で、生徒会からお遣いを仰せつかっていた。仕事が終わって部室へ帰ろうとしたが、生徒会室の前を突破する必要がある。前を通るときに手が空いていると、すぐに仕事を押し付けられてしまうだろう。不必要な仕事を面倒がった女子生徒は、手提げカバンを重そうに持ち運ぶことによって、追加の仕事を回避した」

「あれ? ……まだ何かおかしくない?」

「ああ、これでは不十分だ」


 そう、この説明にはまだ抜けている部分がある。


「備品を『持ってくる』にしても『持っていく』にしても、矛盾が生じる。

 『持ってくる』だった場合、逆に手提げカバンが仇になってしまう。備品を運び終えて空になったカバンを見て、「ついでにこの備品もカバンに入れて持っていってくれ」ぐらい言うだろうからな、あの上級生は。

 つまり、彼女がやっていた仕事はおそらく『持っていく』だ。

 だが『持っていく』だった場合もおかしい。そのまま部室に行きたいのなら、運び先が部室なんだから、わざわざ生徒会室前まで戻らずに、そのまま部室にいればいいだろう」

「そう! それが言いたかった!」

「報告の義務があったとかじゃないの? 備品を部室へ運び終えたあと、いったん生徒会室に戻ってきて、完了報告をしなくてはならなかった」

「あり得るけど、ちょっと……な。仕事が終わった野球部員に対して他の仕事もやれと言うようないい加減な態勢で、個別の完了確認をしているとは思えない」


 何故、女子生徒は放送部室から、生徒会室を挟んだ向こう側にいたのか?

 女子生徒が放送部だったからこそ、この問題が生じたのだ。


「たぶん、女子生徒に課せられた仕事はこうだ。『放送部室へ、備品を運んでください』……」


『ああーっ!』


 少し間を置いて、2人の感嘆が重なる。

 例のめんどくさそうな生徒会役員に存在を知られては。私たちまで巻き込まれかねない。しーっ、と人差し指を口元に当てて、まとめを話す。


「生徒会から命を受けて、備品を、放送部室へ運び込んだ女子生徒は、仕事を終えて……おそらく今日はそっちへ集合なのだろう、部室へ行こうと思った。

 ガミガミうるさい役員によって仕事を押し付けられては困る。たまたま持っていたのか、この事態を見越して向こうの部室から持ってきていたのかは分からないが、手提げカバンによって彼女は主張したんだ。

 『私の手はふさがっています。とてもじゃないですが仕事は受け取れません』」


 ……ふう。


「推理終了。どう思う?」

「うん、私も絶対そうだと思うよ!」

「ええ。今ので間違ってないと思う。だけど……」


 忍は、にわかに顔を曇らせた。


「どうした?」

「……『真面目な人』が嫌われるのって、みんなああいう人だと思われてるから、なのかなって」


 私と空乃は、何故だか同時に口をすぼめた。

 毅然として、人の目を気にしないタイプかなと思っていたのだが。ひょっとしたら忍は、私たち以上に、ちょっとしたことでも傷付いてしまう子なのかもしれない。

 悪いことを言っているわけでもないけれど、なんだかばつが悪くって、私は頬をかきながら答える。


「ま、偏見はあるかもな。『学校のためだから』とか、そういう公的な理由をつけられたら、その仕事は断り辛い。……中学校のときに、入ってもない委員会のやつに仕事を頼まれて断ったら、不真面目だとか散々になじられた」

「あはは。……たまにいるんだよね。自分から率先して仕事を引き受けといて、仕事してない人を勝手に見下すタイプの人」

「みんながみんなそうじゃないと、今は思ってるよ」

「うーん……なにか誤解を解く方法はないのかな」


 忍は根っからのリーダー体質だ。それも、さっき私が回想した嫌なヤツとか、空乃が挙げた嫌なヤツでなく、リーダーシップがあって頼れる人。1年の時点でこんなことを言うのも無責任だけど、多分先輩たちが卒業したら、新聞部のリーダーを任されるのは彼女だと思う。

 彼女は素晴らしいリーダーだ。だけど、今までの人生で、としか出会えなかった人たちは……果たして忍に、好意的な感情を抱いてくれるだろうか。

 渡良瀬先輩は自己紹介の時、忍に対して、冗談めかして「うげ、風紀委員」なんて言っていた。

 だけど、冗談ではなく、心からそんなリアクションをする人にも、忍は少なからず出会ってきたのではないだろうか。


「『人にも真面目さを求める人』と言うと聞こえはいいが、あの不細工な生徒会みたいに、真面目さを押し付けるどころか仕事を押し付けるヤツもいるからな」

「助け合えたらそれが一番いいと思うんだけどな……あ、そうだ!」

「どうしたの?」

「授業の一環として、みんなに一日生徒会長を代わりばんこでやってもらうっていうのはどうかな?」


 …………。

 それはちょっとだけ危険思想かもよ、とだけ言っておいた。



 東大正高校は、上空から見たらコの字型だ。

 ……いや、Uの字型か? まぁとにかく、1辺だけ欠けた長方形みたいな形。

 東館と西館を結ぶエリアを、担任が『渡り廊下棟』なんて呼んでいた。それに倣うならば、我が校の玄関エントランスは、渡り廊下棟の1階にある。Uの字の底から校舎に入って、右に左に分かれていくのだ。

 ちなみに東館と西館に挟まれた区画は中庭となっており、文化祭の時なんかはそこに運動系部活動らの屋台が軒を連ねることになる。


 一通り校内を歩き終わって、収穫は『手提げカバンを抱える人の謎』1本のみ。ていうか、新聞記事で書いても伝わりにくいネタだし、収穫はゼロと言っていいかもしれない。空乃が「しょっぱい」と愚痴を零すのもむべなるかな。

 西館の調査を切り上げて、もう一度だけ東館をぐるりと廻ったら終わりにしようと思い、玄関ホールを通りがかった時だった。


「お、女子組」

「はかどってるー?」


 エントランスに設置されている、学校パノラマの展示から目線を上げてきた。私たちより先にネタ探し行脚に出ていた、キヨと下邨だ。余談だが、学校の違う女子2人も、この1週間で無事にキヨをキヨと呼ぶようになった。冬山君とか言うとなんか気持ち悪いからな。

 はかどってるかーの問いに、空乃がアメリカンに肩をすくめて見せる。全然ですがなというニュアンスか、ぼちぼちでんなというニュアンスか。

 どうやら後者っぽい。


「謎をひとつ見つけて、ウチらの名探偵が解明してくれたんだけど。でも、記事にしにくそうで困ってるのねー」

「ふうん……小池って、やっぱそうなんだ」

「やっぱそうなんだ、って何だ。含みを感じるんだけど」

「いや、黒部が、小池は名探偵なんだって言いふらしてるからさ。本当なのかなって疑ってたから」


 自分でも引くぐらいものすごい勢いで首を回して、空乃に無言の圧力をかける。ガタガタと震えだす空乃を見て、下邨がけらけら笑った。


「いいじゃん、名探偵。俺は憧れるぜ」

「勝手に憧れとけ」

「小池、中学の時は物騒で近寄りにくかったけど、そんな特技があったなんてな」


 物騒? ……私が?


吹部すいぶだっけ、バレー部だっけ」

「バレー部だけど」

「そそ。バレー部顧問の木崎に唯一歯向かった、『鉄の女』・小池咲だって」

「体罰で有名な木崎に、逆に股間を蹴り上げてやったって、有名だよ」

「翌日、木崎は学校を無断欠勤したくらいだし。木崎の体罰問題があっただけに、学校側は小池を呼び出したり吊し上げたりできなかったけれど、噂は速攻で学校中に広まった。男子はみんな震えあがって、女子はみんなイケメン小池に釘付け!」


 誰がイケメンだ。私は女子だっつの。

 というより、こんな通行量の多いところで、そんな話をしないでほしい。1年の知り合いが聞いてたりしたらどうしてくれるんだと文句を言おうとしたとき、不意に忍がある一点を指差した。


「さっきそれ見てたみたいだけど……模型?」

「パノラマだ。東大正を完全に再現してる」


 不愛想に答えるキヨに、へぇ、と感嘆の吐息を漏らして、忍は身を乗り出してパノラマ模型を観察し始めた。そんなに珍しいものだろうか。

 私と空乃も、なんとなく好奇心の誘うままにパノラマに近付く。

 なるほど、完全再現とは。教室の窓も、ちょっとした排気管も、東棟横のグラウンドのトラックも……この学校をそのまま縮ませたような、ほぼ完ぺきな完成度である。

 模型に詳しいわけではないが、私も、おお、と小さい声が出た。


「うわ、これすごいね。誰が作ったんだろ?」

「取材記事、これで組んでもいいかもな。……ひとつだけ、謎もあるし」

「ああ」

「謎?」


 謎なんてどこにあるのか、と女子2人が腕を組む。それこそ穴が開くほどパノラマのガラスケースを見つめていたが、そんなに気合いを入れるまでもなく、すぐに違和感は見つかったらしい。


「ここ、中庭の端っこ!」

「なんだろう、これ……小屋? こんなの、うちにあったかしら?」

「いいや。さっきひとっ走りして確かめまでしたけど、やっぱりねぇよなー、って言いながら帰ってきたわけ」

完全再現。ここだけが、欠陥品なんだ」


 現実にはない、小屋。……たしかに謎だ。

 男子二人は、スマホでパノラマの写真を撮り始めた。私もつられて、色々な角度からパノラマ模型を撮影する。


「俺らは、これをネタにしようと思ってんだ。そっちも、それ以上収穫が無さそうなら、一緒に調べね?」

「そうね。……『あるはずのものがない』なら、作者のミスとして片づけられるかもしれない。だけど、『ないはずのものがある』っていうことは、たぶんこの模型の作者は、わざとこれを置いた」

「となれば話は簡単だ。職員室で、このパノラマ模型の作者が誰なのかを聞いて、その人から話を聞けばいい」

「残念。名探偵の名推理が見られる事件ではなさそうね」

「あんまり調子に乗るなよ空乃」


 みぞおちに、かるーく肘を入れて、微笑んでおいた。空乃はまたがたがたと震えだした。

 キヨはスマホで撮った写真を無気力に眺めながら言った。


「職員室はすぐそこだ、行こう」

「うん」


 職員室の近くには生徒会室もあるし、さっきの不細工な生徒会に絡まれたら面倒だなぁとも思ったが、まぁ職員室に用があるという相手に仕事を押し付けてくるほどあの人も馬鹿じゃないだろう。

 人が次々通っていく廊下を、5人控えめに1列に並んで歩く。

 職員室までの道すがら、壁に無造作に張られた色んな部活の勧誘ポスターを見ながら、そういえば新入生の部費受付期間はまだ終わっていなかったかと思い出す。新聞部は去年誰も入部しなくて、2年生は0人らしいが、今年は私たち5人が入った。部費は果たしてどのぐらい貰えたんだろうか、今度柿坂先輩に聞いてみよう。

 職員室の前に立つと、忙しい喧騒が一瞬だけ止んだような気がした。たぶん気のせいだろうけれど、もしかしたら、生徒会に比べて教師陣はあんまり忙しくなさそうなのが関係しているのかもしれないなぁと適当なことを考えた。

 下邨がノックして、扉を開ける。


「新聞部です。……えーと、パノラマ模型の作者を知ってる方、いませんか?」


 職員室に入るときは、要件のある相手を名指しで呼ぶのが基本だ。

 パノラマの作者を聞くとは言っても、誰に聞けばいいか分からなくて、下邨は一瞬だけ言葉を詰まらせたように見えた。

 誰が使っているのか不明瞭なノートパソコンや、分厚いだけであんまり書類が入って無さそうなファイルがばらばらに机に置かれた職員室。中にいる先生の数を数えてみたところ、2人、3人……4、えーと、合計5人程度だった。

 御年63にもなる物理の布津ふつ先生、今日の授業でマウンテンバイクが趣味だと熱く語っていた日本史の多井中たいなか先生……あとは分からない、上級生担当とかだろうか?

 5人中4人が、わざとらしく思い出すフリをしたりして首を振る。言葉を以て応対してくれたのは、職員室の一番端っこ、大きいデスクに深く腰掛けた、阿良々木あららぎ教頭だった。……この人か? タバコの不始末で雑草を燃やしたのって。

 口髭が立派で優しげな目元をした初老の紳士は、眉を下げて苦笑いすると、腰を浮かして座り直して私たちの問いに答えた。


「すまないね。うちの教職員が作った、ってことだけ教えとくよ。本人たっての希望で、作者名は隠してくれと言っているからね」

「そうですか……分かりました、失礼します」

「……新聞部はいつも熱心だね。私の時代からここの新聞部は意欲的だったけれど、なにかいい伝統でもあるのかもしれない」

「へえ……」


 しみじみと語る教頭には悪いが、話が長くなると面倒だ、適当に会釈をして、がらがらと扉を閉める。

 すると、ちょっと思いついたような声が上がった。


「ああ、文芸部もそんなこと聞きに来たっけ……」


 5人とも、なんとも微妙な顔をしていた。全員笑顔だが、屈託なく笑っている者はいない。キヨが、真理を突くようなことを言う。


「……謎が深まったことを喜ぶべきなのか、肩透かしを食らった気分になるべきなのか……」

「まぁ……ね」

「そ、そうだぜ! 『外注で作らせました、小屋を置いたのはお茶目です』なんて書いてもつまらねーしさ!」

「そんなオチ最悪だよね」



 なんとなく、いったん部室に帰る流れになった。

 無駄に雑談が弾むのは、どうにも中途半端でやりきれない、もやもやしたものを振り切りたかったからなのかもしれない。

 先輩はやはり来ていない。部室の机に着席して、流れでお誕生日席に陣取ることになった私が、考えを話す。


「玄関エントランスに置かれたパノラマ模型、そこには、ないはずの小屋があった。これって、たぶん全校生徒みんな、一度は目にしたことがあるものだし、そこそこ興味も惹けるネタなんじゃないかと思う」

「問題は……」

「手掛かりがひとつもないこと、だよね」

「あれ? 聞こえなかった?」

「え?」


 聞こえなかった、というのがなんのことか分かっているのは、どうやらあのとき扉の近くにいた私とキヨだけのようだ。


「閉まり際にさ、教頭が『文芸部も同じことを聞きに来た』とかなんとか」

「へえ、そんなこと言ってたのか」

「じゃあいちおう、文芸部が手掛かりね」


 お誕生日席に座ったと言っても、私に議長を務めるようなスキルはない。腕を組んで押し黙ったのを見計らってか、忍はぱん、と手を合わせた。


「それじゃあ、今日と土曜日にできるだけ調べて、日曜日に会議を開くことにしましょう。初めての新聞記事、できるだけいいものに仕上げたいしね」

「賛成! んじゃ、それで行こうか」

「……休日出勤か」

「異論なーし。咲は?」

「土曜日はちょっと用事があるから、今日のうちに調べられるだけ調べておく。それより、日曜日の会議はどこに集まるんだ」


 キヨを除いて概ね全会一致。ちなみに土曜日の用事とは、中学の友達と遊ぶ約束があるというだけだ。

 会議の場所か、と忍は復唱したが、最初からアテはあったようだ、すぐに答えた。

 手招きして、私たちを窓の方へ呼び寄せる。


「ここからだと見えにくいかな……でも目立つでしょ。あの、黄色い屋根のお店」

「ああ、『カフェ・ド・ルーラー』だっけ」

「あそこならまだ気が進むな」


 下邨とキヨがすぐに反応する。

 ……ああ思い出した、そこなら私も知っている。中学のマセてるとき、2、3回くらい友達と来て、ブレンドは変に酸っぱくてあんまり好きじゃないけど、カプチーノがおいしかった記憶がある。


「じゃあ、そこに朝10時集合ね。空乃は分かる?」

「ま、いざとなったら地図アプリでどーにか!」

「決まりね。それじゃあ、調査頑張りましょう」


 忍が立つのに合わせて、全員立ち上がる。

 下邨が拳を突きあげて叫んだ。


「新聞部1年、ファイト・オー!!」


 ………………。


「……お、おー!」

「……忍は優しいな」


 かくして、我々新聞部1年の初めての記事……『虚構のパノラマ事件』は、静かにスタートしたのだった。

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