1章 小池さんと入部動機

 よくも考えてみろ、部活動というのは部活動なんかじゃない。勝手な時間制約やプライベートへの干渉、根性論によるパワハラ、涙や汗どころか血や暴力までもを青春の1ページだと考える狂った熱血思想。本当は休みたくて仕方がなかったのにも関わらず、顧問の前ではそのスポーツが大好きだと言わなくてはならないという、戦時中のようなマインドコントロール。

 こんな奴隷のような扱いがまかり通るのが世に言う部活動なんだぞ。いいや部活動などと言うのもおこがましい、あんなもん懲役刑もしくは拷問か何かだ。

 うちの中学なんかは酷かった、入ったら退部届を出しても意地でもやめさせてもらえないバレー部とかな。私は顧問の股間蹴って生徒指導室に呼び出されてでも、意地でもやめてやったけど。


 ……私だって、もともとは青春に憧れたさ。かけがえのない仲間とか、キラキラした世界に憧れた。だけど現実は理想に比べて70度ぐらいズレてた。スポ根漫画の辛い部分を2倍、青春部分を0.4倍したぐらいの配分だ。

 だからもうこりごりなんだよ。新聞部などと、一見文化系で気軽そうな看板を掲げておきながら、実際はブラックだったりするんじゃなかろうか。そうそう、ブラック、ブラック部活。それが言いたかった。

 たしかに青春もキラキラも、そこにあるんだろう。はたから見ればどろどろした黒色でも、感じられる人が感じれば、その中にはたしかに他には変えがたい青春の色があるのだろう。

 私にはそれが感じられる気がしない。「帰りたいなら帰れ」と言われて帰らない気持ちが分からないし、殴られて怒鳴りつけられて、それでも顧問のことを「素晴らしい人だ」などと崇める気持ちが分からない。だが、そういうものを感じられる人はたしかにいて、そういう人が部活動を素晴らしいと、かけがえない青春の1ページだと言うんだろうさ。


 …………はぁ。


「ご高説は結構なことだけどね……ジャンケンに負けたんだから、早くノックしてくれないかな」

「………………」


 背中側の窓から、鳥がさえずる声がした。

 空乃から目を逸らしてスマホを取り出し、意味もなくツイッターを開く。なにやらどこかで起きた事故とそれに関する警察の対応へのバッシングが話題に上がっているようだ。

 物騒なことだ、だが興味はない。スマホをしまって、手持無沙汰な指は前髪をいじり始める。


 昼休みに、成り行き、というか暇つぶしぐらいのモチベーションで廃材祠の謎を解いたその日の放課後。私は空乃に連れられて新聞部室の前に来ていた。

 まぁ、一回きり体験入部に付き合うぐらいなら、今日は帰っても暇だからいいよ。と、合意の上で新聞部室、もとい東棟三階特別教室2の前まで足を運んだのはよかった。

 だが、このヘタレ野郎の空乃は、言い出しっぺのくせに、新聞部室の前で立ち止まりこう言った。「なんか緊張するから、咲がノックしてほしいな」と、むかつく猫なで声で。

 私だって嫌だよ、じゃあジャンケンで決めよう、なんでだよ言い出しっぺが行けよ、お願いお願いジャンケンで決めよ、と、流されるままにジャンケンしてしまい、私の石は紙に包まれ敗北した。

 私は空乃を改めて睨む。


「そもそもは空乃、あんたが来たいって言ったから来たんだぞ」

「いやはやお恥ずかしいことで」

「……はぁ、まぁいいけど」


 別に私は人見知りするタチでもないし、ノックするぐらい何でもない。ただ、私がノックすると、空乃よりも私の方が入部希望者であるという印象を与えかねないと思っただけだ。

 部室の扉に目を戻す。扉の前には『新たなる伝説記者★誕生求む!』とかいう無駄に派手な立て看板。「とりあえず飾っとけ!」って感じに、季節外れのクリスマスリースやら漫画のパロディイラストやらが扉に雑に貼り付けられている。

 活気があるのはいいことだが、どう見ても用意がそれに追いついてない……。

 空乃にも聞こえないくらいのため息を小さくこぼして、私は扉をノックした。


「おおーっ! 入部希望者だよ入部希望者」

「ラッシュだな」

「私出よっか?」

「あー、うん。いまちょっと手が離せない。悪いけど出てあげて」

「了解!」


 ただの日常会話で何故そこまで声を絞り出すんだという感じのハキハキした女性の声と、落ち着いた男性の低い声が返ってくる。

 私は迎えの人が出るまでに、空乃がノックしたように見えるよう、立ち位置を入れ替える。話が違うよと文句を言う空乃に、ノックしてやると言っただけだと言い返したところで、横開きの扉は勢いよくスライドされ、壁に当たって鈍い音を立てた。

 お隣の美術部の方々が怒って来なければいいのだが……。

 栗毛を肩甲骨の辺りまで伸ばしてカールさせた、可愛らしいお顔の先輩は、私たちの姿を見るなり、ニヤリと笑った。扉を開けてすぐそばにいた空乃に、フレンドリー……とかそういうレベルでない距離感で抱きつくと、朗らかに言った。


「ようこそ、東大正高校新聞部へ!」

「は、ははあ」


 水戸黄門のモブみたいな声を出す空乃が面白くてちょっと吹き出すと、空乃が小さく振り返って、目で助けを求めてきた。……無視。

 とりあえず控えめな愛想笑いを浮かべておく。


「入部希望かな? やっぱり入部希望だよね!」

「ああいえ、私はこの小っちゃいのの付き添いです」

「失礼だね、誰が小っちゃいのよ!」

「あはは、面白い後輩ができて満足満足! んじゃ、説明会してるから中入って」


 というのが、部活の後輩を指すのか学年的序列での後輩を指すのか分からない。前者のニュアンスなら、いえいえ私はこの部活に入るつもりはないですよと断りを入れて牽制した方がいいかもしれないが。

 早とちりだったらヘンにこじれて面倒だし、ここは言わないでおいた。やっと解放された空乃と連れ立って中へ入る。

 部室に入ってさらに奥、半開きになっているドアへ向かって、先輩が叫ぶ。形容するなら、実際に入ったことはないけれど、居酒屋の注文取りみたいに。


「部長殿! 入部希望者5人お連れしました!」



 特別教室2は、新聞部室として以外ほとんど使われている様子がなかった。

 一般教室を面積3等分に切り分け、2ブロックが特別教室、1ブロックが、薄いベニヤ板と表面の塗装が剥がれかかってるドアの向こう側、倉庫扱いの準備室。

 ちょっと細長の教室は中机とホワイトボード、さらに本棚を2つひっつけて置いても十二分に動線が確保できるくらいの広さがある。窓から差し込む陽の光も暖かく、こんな教室を占領して昼寝でもできたら最高だろうな、などと不真面目な考えが一瞬だけ浮かんだ。

 準備室には予備の黒板消しや白線の粉とか、学校の備品がいくつか置いてあるが、基本的にはここも新聞部だけの使うスペース。準備室にも2台の本棚が置いてあり、実に過去16年分もの『週刊タイセイ』が保存してある。

 本当は40年以上続いているらしいが、さすがに古すぎて、一部を残して処分されたそうだ。


 と熱弁して、先ほど私たちを出迎えた栗毛カールの渡良瀬秋華わたらせ しゅうか先輩は、両手を大きく横に広げて天を仰いだ。

 しばしの沈黙。

 耐えられないといった感じで掠れた声を出したのは、私の2つ隣に座って講義を聞いていた女子だった。


「……あの、先輩」

「なぁに?」

「…………終わりですか」

「そーよ?」

「なんていうか……部活内容について一切触れてませんよね。ていうか、ただの部室紹介でしたけど」

「あ、ほんとだ。ま、それはまたおいおいってことで」


 大雑把な人だなぁ。気は合いそうだけど。


「そんなことより、自己紹介しましょ! これからせっかく新聞部の仲間になるんだもん、円滑なコミュニケーションに何より先立つものは相手のプロフィールだわ」


 新聞部の仲間になるだって?

 しまった、これでここにいる新入生は全員入部希望だという空気が出来上がってしまったじゃないか。

 見たところ新入生は私と空乃を含め5人、そのうち私を除いた4人は特に動揺するそぶりもない。私以外みんな入部希望だとでもいうのか!

 円滑なコミュニケーションだなんて冗談じゃない、このままでは私だけ「いや、私は別に入部する気ないんで……」と答えて、雰囲気を壊してしまうことになる。望まない部活に入らないためにはやむを得ないことだが、できるなら、そんな胃の痛い思いはしたくない。


 だがしかし……。ううん、覚悟を決めるしかないのか?

 私が気まずさに俯き始めるのにも気付かず、私の逆側……教室入口から見て一番左側の椅子に座る男子が、自己紹介を始めた。


「1の3、冬山清志ふゆやま きよしです。……えーと、特にこれといった特徴はありません、仲良くしてやってください」

「なんだそりゃ」

「うっせ。……あー、あと、みんなからはキヨって呼ばれることが多いです」


 短くまとまった実に標準的な男子の髪形を、毛先だけ若干遊ばせている感じ。冬山は、その隣に座る男子にちょっかいを出されながら、己の自己紹介を終えて速やかに着席した。

 無愛想だが、どこか人懐っこいというか、なんとなくサッカー部のエースっぽい雰囲気だ。たぶんモテる。

 ていうかキヨはモテてた。なんせ中学が同じだからよく知ってる。そんなに活発なわけでもないのに、クラスの中心人物だったのをよく覚えている。たしかに私も、知らないうちにキヨって呼んでたっけ。


「1年5組の下邨翼しもむら つばさっす。こいつ、冬山と同じ襟根えりね中学出身です。志望動機は……まぁ単純すけど、いっぺん取材とかインタビューとかしてみたくてです」

「受ける側にはなれても、する側にはなかなかなれないかんね。ナイス動機!」

「あざっす。あと言うことは、水泳部との掛け持ちなことと…………あ。俺、実はきのこ派っす」

「きのこ派ぁ? はん! 高校に入れるなんて、頭のいい犬もいたもんね!」

「先輩たけのこ派っすか……いずれサシでやり合うことになりそうっすね」

「初対面の先輩に喧嘩売るな翼、はよ座れ」


 冬山に窘められながら座った下邨。中学校から水泳をやり続けたせいで色素が抜けた赤茶けた髪、それを後ろへ上げることによって大きく露出したおでこが印象的な男子だ。もちろんこいつとも中学が同じ。

 下邨と言えば、中学の頃から冬山とはよくつるんでいた印象だ。

 目つきも悪いしその頃から髪をバックにしてたし、不良系かなと思っていたのだが、実際は気さくなムードメーカーだった。すぐさまクラスの中心人物になって、文化祭やら何やら、イベントごとを仕切るカリスマ性があった。

 すぐさま渡良瀬先輩の性格を考えて冗談を発し、周りの笑いを誘うあたり、やっぱりこういうヤツだなぁと感心する。


「1年1組、源忍みなもと しのぶです。吹寄地区の鉄蘭中学出身、風紀委員との掛け持ちで入部希望です」

「うげ、出たよ風紀委員! うちの部でなんかあっても大目に見てね」

「……風紀委員に見られたら困ることでもしてるんですか?」

「い、いやぁ、どうかなー……」

「まぁそれは置いといて。好きな食べ物は桃、好きな言葉は『質実剛健』……」

「分かった、キミ、自己紹介慣れてないでしょ」

「え? そ、そんなことは……ないと思うんですけど……」

「まぁ今日日きょうび、あんまり好きな食べ物とか言葉は言わないよね、自己紹介で」

「……い、以上です」


 顔を真っ赤にして着席した、ミディアムの藍色髪に真っ赤なカチューシャがよく似合う女の子。源忍さんは、これでメガネでもかけていれば、ザ・漫画の委員長キャラという感じだった。

 真面目そうだが、天然なんだろうか。なんとなしに彼女の顔を眺めていると、ふと目が合って、はにかむような笑いかけるような睨むような、くしゃっとした顔をされた。……さっきのがよほど恥ずかしいらしい。

 「なんかあっても多めに見てね」と冗談で言った先輩に対して、「何か後ろ暗いことでもあるのか」と本当に疑いの眼差しを向けていたのが、ちょっと気になるか。悪い子ではなさそうだが、分かりにくい冗談は通じなさそうだ。

 私はあまり冗談を言わないが……まぁ、誤解を生むようなことは言わないよう、空乃には釘を刺しておこう。


「どうも、えーと、1年3組の黒部空乃です! 好きな食べ物はお寿司です!」

「やめとけ」


 釘を刺そうと思った瞬間これかよ。

 隣を見もせずにチョップを入れて静止する。一同がどっと沸く中、視界の隅で藍色の髪が小刻みに揺れるのを確認して、内心溜め息を吐く。

 これが後々の不和を生むことにならなければいいが……。私の懸念には気付いていない、いや気付いていたとしても何の配慮もしてくれないだろうけど。この2週間でそれほど決定的なエピソードがあったわけではないが、私の印象の中での空乃はそういうヤツだ。

 空乃が右に左にごめんねと謝って、自己紹介が再開される。ちらりと見ると、源さんは眉を下げて笑っていた。……いい人でよかったなぁ。


「えーと、特に掛け持ちする予定はありません。志望動機は、知り合いの先輩からこれまでのバックナンバーとか見せてもらって、面白そうだと思ったからです」

「おおー、嬉しいこと言ってくれるじゃん!」

「『廃材祠の謎』とか、『ハッピーバースデー事件』とかは傑作でした。ああそうそう、廃材祠の謎を、タネを隠して隣のコイツに話したんですけど、ものの見事に謎を解いちゃったんです!」

「空乃っ」

「へー、すごいじゃん! こりゃ新たな『記者B』の誕生かな?」

「私の自己紹介は以上で、次は『記者K』さんにバトンタッチしようかな」


 うわぁ…………。空乃のヤツ、余計なことを。

 ここまで回ってくるまでの間に、やっと『まだ入るつもりはないんですけどね』と言う覚悟が固まりつつあったのに……そんな将来有望興味津々な目で見られて、とてもじゃないけどそんなこと言えない!

 何より腹が立つのが、多分、空乃は計算でやっていない。外堀を埋めて、なんとしてでも私をこの部活に入れてやるとか、そういう魂胆ではない。

 ただ単に、話のタイミングがよかったから、自慢の友達の腕前を披露したに過ぎないのだ。ニコニコ笑顔でこちらへ「どうぞ」と平手を差し出してくる空乃に、一片の悪意も陰謀も感じないのだ。


「じゃー、黒部さんの隣のパッツン美人ちゃん、自己紹介よろしく」


 胃が痛い。だけれど、このまま黙っている方が胃が痛い。この場は当り障りのないことを言ってやり過ごせばいいだろうと、とりあえず口を開く。


「キヨ……じゃなくて冬山くん、下邨くんと同じ襟根中学出身の、1年3組、小池咲です。えーと、今日はこいつ、空乃の付き添いで来ました」

「ん? 付き添い?」


 ……いらないことは言うもんじゃないな、と思った。

 入らないという意向は、この場では言わずに先延ばしにする腹積もりだったのに。渡良瀬先輩は、「うん~?」と唇を尖らせて、重ねる。


「付き添い……。んじゃ、別に入部希望じゃないの?」

「まあ……はい。そうです。誘われない限り、どこにも体験入部に行くつもりなかったぐらいだし……ていうか、部室に入ってくるときに言ったような……」

「ええええー……そっかぁー」

「…………えっと、はい……」

「……うーん、まぁ、4人確保できただけでも上出来で、これ以上は贅沢ってもんかなぁ……うーん」


 渡良瀬先輩が黙ると、本格的な沈黙が訪れる。

 1年生4人の視線が左頬に突き刺さる。やめてくれ、どんな顔でこっちを見てるか知らないがやめてくれ、私は何にも悪くないだろう。引きつったスマイルもそろそろ限界だ、誰か流れを変えてくれ……。


「部長ー、カッキー! ごめん、入部希望者やっぱ4人ー!」

「えー? なんて?」

「入部希望者、やっぱり、4人!」


 部長、もとい『カッキー』と呼ばれて、奥の準備室から男子生徒が出てくる。


「…………えっ……」


 その姿顔立ちを見て、私は思わず、口を手で覆った。

 こんなところで会えるなんて、思っていなかった。いや……まさかもう一度会えるだなんて、思ってもみなかった。


「えー、4人? せっかく人数分の腕章作ったのにな」


 ソフトモヒカンの髪を揺らし、ちょっと太めの眉によく締った男前な顔立ち。外している男子が多い中、キッチリと襟を止め、凛として立っている。

 真面目さ以外に、誠実ささえも外見から感じ取れる。間違いない、あの日の彼が、いま、私と同じこの部屋にいて、この部活に入っていて、さらに部長まで勤めているなんて。

 私はこの奇跡を、神様に感謝した。


「うーん、まだ入るかも分からないのにはしゃぎすぎたな」


「入ります」


「えっ?」

「え!」


 突然の私の心変わりに、その場にいた全員が短く声を発した。

 彼も、きょとんとしていたが、やがて柔和な笑みを取り戻して挨拶してくれた。私も、椅子を鳴らして立ち上がり、応じる。


「ええと、何か分からないけどとりあえずよろしく。部長の柿坂十三郎かきさか とうさぶろうです」

「1年3組の小池咲……いえ、です、覚えていませんか?」

「猫……ああ、あの時の!」


 2年前のちょうど今頃。満開だった桜が、突然の春の嵐によって散ってしまうのではないかと懸念されたある日の朝。

 私はある心配事があって、中学校への登校を遅らせてまで、ある大事な……小さな友達を探して、不安に押しつぶされそうになりながら町を徘徊していた。

 とっくに学校に行っていてもおかしくない時間、制服でうろつく私に声をかけてきてくれた、学ラン姿の王子様。それが……


「お久しぶりです、柿坂先輩!」


 私は、今まで親にも見せたことのないような笑顔で言った。

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