第3話王の声

灰色の空から白い筋が降りた。

その筋は増え続け、世界をしとどに濡らしてゆく。

屋根を打つ水滴の音楽を聴きながらコニールは天井をぼうっと見ていた。

「ちわーっす」

天井が絶世の美女の顔に化けた。

「まだ生きてるっすね」

顔を覗かれた彼は自分の胸に手を当てる。

「そうらしいね」

心臓はまだ動いている。しかし、止まるのは時間の問題だった。

二人が出会ってからそれほど月日は経っていないが、以前は1日に1度か2度だった発作の回数が今では10倍以上に増えていた。発作が続く時間も長くなっている。まるで神々がナザリックと彼の結託を許さぬと言うかのように、彼の病気は急激に悪化していた。

それに対抗すべく彼女たちも手を打っている。

大回復ヒールっと」

ルプスレギナが治癒魔法をかける。

少しは緩和するかもしれないという考えからだ。治癒魔法ではナザリック最高位といえるペストーニャにも魔法を試してもらった。ナザリックから特別な効果のある料理も運んでいる。しかし、どれも効果は現れない。神々との戦いは時間と共にナザリック地下大墳墓の敗色が濃くなっている。

「どうっすか?」

「少し良くなったかも」

はあ、と彼女はため息をつく。

嘘が見え見えだ。

「あれ、考えてくれたっすか?」

ルプスレギナは単刀直入に尋ねる。

「後任のために実験を書き残す?すまないが、興味ないよ」

彼はつまらなそうに言った。

「僕は治療されたら協力すると約束した。今は少し後悔してるけど、約束は約束だ。君たちのいう手術とやらも準備ができたら受けよう。でも、その約束はしてない。そもそも僕を治そうとしてるのに死んだ時の事を考えてるっておかしくないかい?」

「いやあ、それを言われるとつらいっす」

知らね。さっさと書かないといろんな骨を折るっすよ。

そう言えたら楽なのに、とルプスレギナは思う。

手術を任せようとしてる人間には必要な道具と薬を与え、不眠不休で研究できるようマジックアイテムも貸している。しかし、技術はそう簡単に進歩しない。間に合わない場合も考慮してこの男の頭脳にある情報をすべて書き残させたいとアインズは希望した。

普通なら強制的にやらせるが、負荷を与えるといつ死ぬかわからない人間を相手に荒っぽい事はできない。魅了や支配の魔法も時間制限がある。身体を治せれば強制できるが、そもそもそれができたら強制させる必要がない。

ルプスレギナは「面倒っす!」と叫びたくなった。

「歴史に名を残そうとか思わないんすか?」

彼女は名誉欲を突いてみる。

「いや、外部には公表しないんだろう?名前は残らないじゃないか」

「魔導国には残るっすよ。アインズ様のお役に立てた錬金術師として名が残るなんてこれ以上の名誉はないっす」

これに対して彼は首をかしげるだけだ。

「前に言ってたじゃないっすか。空気じゃなくて金属を伝った信号装置……だっけ?それなら完成させられるって」

「言ったよ」

彼曰く、頭の中でもう完成しているらしい。あとは材料を用意して装置を組み立てるだけだと。大きな費用をかければ他の都市まで信号を送ることができるという。しかし、そちらの実験は興味がないと彼は言った。今やっているほうが難しく、そして面白そうだからだと。

「簡単な方の装置だけでも完成させる気はないっすか?」

「ない」

彼は即答した。

「今、考えてる方がもっと便利になる。金属線を敷く必要がないんだから。今のままでは強力な電力が必要になるが、改良する方法があるんだ」

「だから、このままだと死ぬかもしれないんすよ?生きた証しを立てたいとか思わないんすか?」

「正直に言えば、立てたいかな」

「じゃあ……」

「君たちが善い目的のために使うとわかればすぐに協力するよ」

結局これか、とルプスレギナは思う。

この人間は自分たちを信じていない。

それは正解であるのだが、面と向かって信用できないといわれると心穏やかではない。かといって、ここで怒っては今までの苦労が水の泡だ。

彼女は別の手を打つ。

「どんな報酬なら協力する気になるんすか?美味しいもの?綺麗な女の子?あっ、まさか私っすか?」

ルプスレギナは最後を冗談で言ったが背中の武器を意識する。本当にそう言ってきたら至高の御方に言われたとおり殴る気だ。

「いや、君だってそこまでしたくないだろう?」

「当然っす。いや、ご命令があれば自害でもなんでもやるっすよ?でもねー」

彼女はアインズからかけられた暖かい言葉を思い出し、頬が緩む。あの御方から自分たちの身を案じる言葉をかけられた。その事実は抗い難い歓喜を生む。

「偉大にして慈悲深き至高の御方……」

コニールはその顔をじっと見た。

「あっ、なんでもないっす」

彼女は笑顔で煙に撒く。

その時、ルプスレギナは急に立ち上がり、背筋を伸ばした。

「はい、アインズ様!」

彼女は天井に向かって答える。

伝言の魔法だと目の前の男もすぐ理解した。

「…………よろしいのですか?……はい、畏まりました」

彼女はそう言うと今まで見たこともない真剣な顔になった。

「今から尊き御方がここへ来られるわ。絶対に無礼のないように」

彼が何かを言う前に空間が歪み、闇が現れた。

黒ではなく闇だ。

闇のオーラとこれもまた闇色の外套をまとった存在。

闇の中には白と赤があった。

蝋よりも白い骨。そして眼窩に灯る赤い光だ。

「平伏し――」

「構わん」

圧倒的な力を持った声がルプスレギナの言葉を止めた。

「そこで横になったままでよい。お前が病人であることは知っているし、ここはお前の家だ。私は客人の分をわきまえよう」

強大な存在は部屋を見回すと魔法で玉座を創り出し、そこへ座った。

「貴方が……」

「そうだ。お前が信用に足りぬと考えている魔導国が王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王だ」

アインズは皮肉そうに言った。

「といっても、これは公的な訪問ではなく、私的な訪問ですらない。お前が見た夢幻の出来事と思え。では、話してもらえるか?なにゆえ私が信用に足りぬと考える?私が自らの国民に虐殺を行っているとでも聞いたか?」

「……いいえ」

緊張に満ちた声が答えた。

「私が理由もなくどこかへ戦争をしかけたか?王国軍と戦争はしたが、あれは我々が無抵抗のまま蹂躙されるべきだったと思うのか?」

「……いいえ」

「では、なぜだ?」

赤い光が彼を見つめる。

「……ある偉人がこう言い残しています」

声は不安に満たされながらも強い意志を持っていた。

「悪用できる力を得た者はいずれ悪用する。善良な者はその力を辞退する、と」

「ほう。では、お前もまた自分の力を悪用するのではないか?」

「仰るとおりです、魔導王陛下。私もまた悪用しうるでしょう。私が権力を持っていれば被害はさらに大きくなります」

「お前は無政府主義者なのか?」

王は諧謔気味に聞いた。

「いいえ、王が国を統べる事も幾らかの犠牲が出ることも現実では仕方がないと考えております。しかし、王が権力と武力だけでなく知識まで独占すれば誰がその過ちを止めるのでしょうか?もちろん――」

最後の言葉が顎門を開いた王の反論を止めた。

「もちろん全員が同じ知識を持った場合もまた過ちは起きるでしょうが、権力と武力を持つ王が数人の過ちによって斃されることはないはずです。王が斃されるのは民衆の多くが王に対する信頼を喪失した場合のみです」

「ほほう、これはなかなか聡明な男だ」

王は嬉しそうに言った。

「お前が言っていることは正しい。しかし、同時に間違っている」

「それはつまり……?」

強い意志を持った声に困惑が加わった。

「前提だ。権力と武力を持つ王が数人の過ちによって斃されることはないという前提が事実ならば正しい。そしてそれは全くの誤りなのだ」

「そんなことが……」

「可能なのだよ」

王は力強く言った。

「たった一人でも可能なのだ。知識。技術。道具。それらも要は力の一種だ。たった一人で、短時間で、容易に、都市や国家を滅ぼす力は存在するのだ。私もいくつか所有している。一つの魔法で王国軍を壊滅させたという噂は事実だ」

その言葉に彼の目が大きく見開かれた。

「私はそれらの存在も使用法も秘匿してきた。自らと民全てを守るためだ。無論、私がそれらを悪用する可能性はゼロではないだろう。だが、私は数百年間そんな考えを持ったことはない。お前の言うように全ての民とそれらを共有した場合、世界はどれだけ平和でいられる?」

彼は言葉を返せなかった。

「お前が想像している力は非常に低次元のものだ。伝言の魔法を皆が使えるようになる程度に考えているのだろう?だからこそ知識を皆で共有すべきだと?それなら私も独占しようなどと思わん。だが、お前の知識は別の知識と組み合わせることで極めて危険なものになる」

「別の知識……ですか?」

彼はそれを想像しようと試みているようだ。

しかし、王はそれを待たない。

「詳しくは言えん。だが、大量の種族を殺せる武器がいくつも誕生すると断言する。その武器を皆が所有する世界がお前の望みか?」

神々が警告するかのように雷が鳴った。

雨音も彼の返答を遮ろうとするかのように激しく鳴る。

「人間は……」

彼はか細い声で言った。

「人間は知恵の実を持つ資格がないということでしょうか?」

「そうは思わん。今はまだ幼いというだけだ」

王の声が少し穏やかになった。

「奴隷制度を撤廃したように人間も少しずつ理性を獲得している。いずれは武力による争いなど完全にやめるかもしれないが、今はまだ時期尚早だ」

「……百年、いえ、千年経てば人間は理性的になるでしょうか?」

「かもしれん。私が確認しよう」

彼は王が不死であることを思い出した。

「若い錬金術師よ、私は戦いを一切起こさないなどと約束しない。自分の民に危険が迫れば兵を動かすだろう。誰かが強力な武器を生み出せば、使用しないという可能性にかけて民の生殺与奪の権利を渡すことはしない。その武器を防ぐ方法を見つけるか、それができないなら奪取または破壊する。善でも悪でもなく、王の務めとして。しかし……」

王は少しの間を空ける。

「お前が協力してくれるなら危険な武器を防ぐ方法を編み出せるかもしれん。繰り返すが、私はすでに人間を滅ぼせる手段をいくつか所有している。お前に兵器開発をしてほしいのではない。戦いを回避する手段を得るために協力してほしいのだ」

「陛下、私は……」

流石はアインズ様、と傍に控えたルプスレギナは思った。英知と力を兼ね備えた絶対支配者にかかれば愚かな人間の信条を変えるなど容易いことだと。

しかし、神々はどうしてもこの結託を止めたいらしい。

コニールは再び発作を起こした。

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