蓬の日々

第一輪 私のはじまり

 【小学校入学式・楓野ふうや


 小学生の私。学校指定の茶色い高級なランドセルに、白いセーラーワンピースの制服。胸にはばあ様に買っていただいたかえでのブローチ。

 「さ、背をピンってして、楓野ふうや海湖みこ、お姉ちゃんのほうにもうちょっと寄って?ばあ様、あなた、笑顔ですよ!」

 母は緊張で固まる私の手を写真に写らない位置でこっそりと握って、笑顔を見せる。私も少し安心して、母ににかっと笑って返した。

「いきますよー?はい、チーズ!」

「ありがとうございます!」

 よそのお父さんにお願いしてとてもらった一枚。家族全員、幸せそうに笑っている。その写真はしっかりとアルバムに収められてある。

「あいさつは?わかってるわよね、いっぱい練習したもんね」

 母が私の両手を取りながらしゃがんだ。私は元気よく何回も練習した挨拶を母にして見せた。そうすると母は、よくできました、と、私の頭を撫でた。

「それじゃあ、入学式見守ってるからね。あなたの行く教室はあっち。お母さんたちはホールのほうに行くけど、背中ピンってして、元気よくね」

 真っ白な制服に映える漆黒のスカーフを整えながら母は言った。

 左手は弟と手をつなぎ、右手で手を振りながら、母は家族と教室とは反対のホールへと歩いて行った。私も背中をまっすぐにし、胸にある楓のブローチを輝かせながら今にも踊りだしそうなほどの足取りで教室に向かった。。

 

 

 


 あの時の私たち柿崎家は、大変ゆとりがあって幸せな家庭だった。




 入学式が終わり、自分のクラスでのミーティング。今日は自己紹介をしたら学校は終わりだ。

「かきざきふうやです。よっ、よろしくお願いします!」

 私の出席番号は一番。自己紹介はそれはもう、緊張した。何か間違えていないだろうか?緊張で声が裏返っていないか?お母さんがいつも言っているように背筋はピンっとなっているだろうか?

 私は深くお辞儀をする。

 

【母の教え】

・いつでも無邪気に笑顔でいること

・ありがとうを積極的に伝えること

・失敗なんて存在しない。自分を信じること。


 いつも愚痴一つなく家事をこなし、父と仲良く会話を交わし、笑顔で私のくだらない話を幸せそうに聞いてくれる母。私は小さなときからそんな母が大好きだった。小さいながらも、憧れの女性は母だった。

 母のようになりたい。私は、今母のように振舞えているだろうか?大きな声で、笑顔で明るく、柿崎家の子だということをみんなに知ってもらえただろうか。ばあ様はいつも言っていた。母、八重やえは柿崎家にふさわしい女性であることを。それを私にも求めているのは知っていた。柿崎家にふさわしい子であろうと思った。

 何も私はミスしていない。そう思って、お辞儀した頭を上げた。

 きっと、みんな笑顔に違いないと信じて。

「…男みたいなおなまえー」

 隣に座っていた男の子が言う。私は、笑顔ではないその男の子に少し恐怖を覚えた。教室がざわつく。

「おんなのこなのに、へんなの」

 あちらこちらから聞こえる声。

 私は入学して早々、教室が怖くなった。

「こーら、駄目ですよ、人の名前を笑っては。先生はとても素敵なお名前だと思いますよ、楓野さん」

 担任の先生は、焦ったように皆を制止させながら私の席までやってきて私に語り掛ける。今思えば、私が気の毒だったのではなく、保身のための行動だったのだろう。

 だって、私は柿崎家の子供というだけでちやほやされて可愛いと言われ、そうしてたくさんの大人達に甘やかされながら育ってきたのだから。

  

 1年4組は30名。全員の自己紹介が終わった。

 小学校に入ったら友達100人作りたいと、当時は本気で思っていた。初日にちょちょいと10人くらいはお友達なれるだろうと思っていた。この様子では難しいだろう。

 私は自分の名前を気にしたことなどなかったので、何をみんなにおかしいと言われたのか。私は出席番号2番以降の自己紹介をよく耳を澄ませて聞いた。私のほかに、"おとこのこみたい"と言われた女の子も、"おんなのこみたい"と言われた男の子もいなかった。


 そうして入学初日は終わった…かと思った。

「ねえねえ、ふうやちゃん、よろしくね」

 私の背中をつつく細く白い小さな指。振り向くと出席番号2番で私の後ろの席の冴木さえき愛弓あゆみが、照れくさそうに笑っていた。

「…愛弓ちゃん、私、おとこのこみたいだって」

「あゆはそんなことないと思うもん!かっこよくてかわいいなんてすごいと思うの!」

 彼女は私の手を取って笑った。私は彼女のその言葉が嬉しくて、ぎゅっと握り返した。

「ふうやって呼んでもいい?私のこともあゆでいいよ!」

「…うん!」

 私は入学初日にして、お友達ができたのだ。目標の100人へ第一歩を踏めたことが嬉しかった。

 私たち二人は廊下を横に並んで歩いた。

「ごきげんよう」

「「ごきげんよう!!」」

 私たちの担任が、ほっとした様子で私たちに挨拶をした。私たちも元気よく、挨拶をして返した。きっと、私に友達ができたことに大変安堵したことだろう。

「転ばないでくださいね、また明日お会いしましょう」

 担任はそう言いながら手を振って私たちを見送ってくれた。それもそうだ。この学校では先生が上の立場ではない。

 高級な校舎、高級な制服。高品質な教材に濃密な授業。転勤してきた先生にはまず、近所の権力者と品のある仕草と言葉遣いが教え込まれる。

 晴清水学園せいきよみずがくえんは、希望すれば大学院までエスカレーター方式で進学できる。就職も関連会社や団体に所属することが可能だ。この学園は庶民の憧れではとどまらず、いわゆる金持ちからも期待される。しかし、金がすべてではない。入試での面接を最重視している。それとともに学力も優れた者は、希望すれば学費免除の支援も受けられる。なので、裕福ではない家庭の子供も二割はいる。そんなところも全国規模で人気な理由の一つだ。

 濃密な授業を行うために1クラスは30名。それを5クラス。1年にたった150名しか入学できないのだ。倍率は25倍。たくさんの子供がふるいにかけられ、選ばれた者だけが入れるこの学園。金持ちの余裕からくる多額の寄付。面接で選んだ将来が有望な子供たち。この学園では選ばれた者、選ばれた子供のほうが、なんとなく転勤になった先生よりは偉いのだ。もちろん、ここに配属されることは先生にとっても憧れではあるのだが。


 外に出ると私の家から迎えの者が白い車で来ていた。両親は仕事が忙しくて最後までいれなかった。お嬢様・お坊ちゃん学校ならではというか、は心配性の親が多かったり、過保護すぎる。ものすごく遠いところからこの学園に通っている生徒もいる。高級車が学校の送迎専用駐車場に並んでいる。

「あ、私の迎え来てる。あゆは?もういる?」

「私は来てないかなー」

「家どっち?」

「ふうやと同じ方向」

 私の家に招待したことはないが…まあ、家の場所を知っていても不思議ではない。なんせ、柿崎家だからだ。

「お迎え遅いの?」

「んーん、私、歩いて帰るの」

「乗っていく?あぶないよ」

「だいじょうぶ」

 私は心配になった。学園帰りのお嬢様を狙った事件が最近多いのだ。私の家までは歩いて30分かかる。歩いて帰るとなると小学一年生になりたてでは少し危ないのではないかと思った。大丈夫とは言っても一人にするのは何となくしゃくだった。

「ちょっと待ってて」

 私はあゆをその場に残し、自分の車のところへ向かって、迎えの使用人に耳打ちをした。そうして私はあゆのところに戻った。

「一緒に帰ろう」

 私はあゆの右手を取る。

「お迎えは?」

「今日はいらないって言っちゃった!迷惑だった?」

「ううん、うれしい!」

 本当は後ろから車はついてきていて、安全を確認してくれるのだが。

 あゆと手をつないで家のほうへ歩き出す。他愛のない話をした。


「私、名前ヘンて言われたの初めて」

「ヘンじゃないと思うけどなあ。私も前ね、あゆって、お魚の"あゆ"

だってからかわれたことあるよ」

「…嫌じゃなかったの?」

「全然!だって、美味しいもん!」

 元気よく笑顔でお話をするあゆに、私はくすくすと笑った。

「あゆは強いね」

「そんなことないよ、あゆは自分の名前気に入ってるもん。愛を弓でパァーンってする意味なんだよ!あいゆみ愛弓あゆみって、すてきだと思わない??」

「うん、すてき」

「だからあゆは自分の名前大好き!ふうやにも、なんでなのかきっと理由があるはずなんだよ!」

 そうなのかな。私は嫌いになりかけた名前をそっと拾う。今まで意識してなかった名前にスポットライトを当てる。あゆがそんな話するから、気になってきたのだ。

「あ、あゆもうここ曲がるとすぐだから」

「そうなの。じゃあここでばいばい」

「また明日ねっ!」

「「ごきげんよう」」

 学校の決まりではあるが、ごきげんようなんて、子供が。何か面白くて二人してくすくすと笑った。ひとしきり笑ったあと、小さく手を振りながら、細道へ入っていったあゆの背中を見ていた。あゆがもう一つ角を曲がってあゆの姿が見えなくなった。私はすぐ後ろにいる送迎車に乗り込む。あと10分歩けば家に着くのだけれど。あゆが一緒じゃないなら歩く意味などない。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただいま、赤城さん」

「お友達ができたようで、私も安心いたしました。きっと奥様もお喜びになると思いますよ」

 柿崎家の使用人の一人、赤城あかぎ忠孝ただたか。父より歳のいった優しいおじ様だ。

「あゆみちゃんっていうの。かわいいでしょ?」

「ええ。もちろんお嬢様も」

 私は可愛い友人ができたことが嬉しくて、赤城さんや母に興奮気味に報告した。母は私の大好きなチョコレートケーキを焼いてくれていて、それを食べながら私は支離滅裂しりめつれつに母に話した。私の話をうん、うん、と相槌を打って笑顔で聞いてくれた。弟の海湖みこには小学生になったのよ、と、ランドセルを背負って見せつけて自慢した。もう、その日は名前でからかわれたことなど忘れていた。

 学生生活、たぶんまあまあのスタートだろう。

 明日もあゆに会うのが楽しみだ。





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