蝶の子供を拉致する

 赤い実を採集するつもりで山に入ると、人の大きさほどのさなぎが、どくんどくんと脈を打っていた。

 そのまま息を潜めて観察していると、さなぎが割れて中から少女がでてきた。

 虫の少女は衰弱していた。僕は慌ててその少女を抱き抱え、自分の家に連れて帰ったのだった。




 帰宅する。虫の少女は、僕が用意したコップの水を恐る恐る飲んだ。その横顔は、今まで見てきたどんな芸術品も敵わないだろう、というくらい美しかった。

 少女は水をゆっくり飲み終わると、僕をじっと見つめた。

「僕のことが気になるのかい?」

 少女は反応しなかった。言葉がわからないようだ。

「いいよ。これからゆっくりやっていこうね」

 僕がそう言うと、虫の少女は澄んだ目でまばたきをした。




 虫の少女との暮らしはゆるやかに過ぎていった。

 一緒のものを食べ、一緒の部屋で寝て、どこへ行くにも二人で行動した。

 彼女は何をしても美しかった。その様子は、僕の心を潤していった。

 ベッドで二人で寝る。虫の少女はいつものように、じっと僕を観察していた。僕はその頬に手を伸ばす。柔らかい頬の感触がした。

「ねえ」

 僕は語りかけた。

「このままずっと一緒にいよう。同じものを食べて、同じものを見て、同じ夢を見よう。それはきっと、美しいことだと思わないかい?」

「ウ……」

 虫の少女は初めて言葉を紡いだ。その時、べりべり、と何かが剥がれ落ちるような音がした。そこに目をやると、少女の背中の皮膚が剥がれ落ち、そこから何かが生えようとしていた。

 鈍く光る銀色のそれは、蝶の羽だった。

 羽が一面に広がると、少女の身体はふんわりと浮いた。少女の目線は、開け放していた窓のほうを向いていた。外に出ようとしているのか。

「っ……!」

 僕は手を伸ばす。しかし少女はその手を掴まなかった。そのまま飛びさろうとしていく。

「待って! 置いて行かないで!」

 僕はベッドの下に置いてあった拳銃を手に取り、そのまま彼女に発砲した。少女の羽に弾痕がひらき、ゆるりゆるりと少女は墜落していく。血。血。血。おびただしい虫の体液の臭いが立ち込める中、僕は蝶の少女の死体の前で立ちすくんだ。




 それから、蝶の少女の死体は、標本となって僕の部屋に飾ってある。防腐処理をしたので、永遠に腐ることはない。

 奇妙なことに、僕は少女を殺してしまった罪悪感より、永遠の美しさを手に入れたことの喜びのほうが勝っていた。それはもはや、人の道を外れているのかもしれない。しかし、この世に永遠の美しさより優先されるものなんてあるだろうか? 僕は今、それを確かに手に入れたのだ。

 時間が止まった蝶の少女の死体は、今も僕を虚空の目で見ている。それは喜びなのか怒りなのか、悲しみなのか哀れみなのかはわからない。静かに気が触れた男の姿を、そっととらえるように僕を見据えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る