第4話 ユニコーンと町民

 額にひんやりとした感触があり、俺は目をそっと開けた。


「――気付いたか?」


 俺の視界にレキが入る。心配げな表情。


「……ここは?」


 額に当てられたタオルを片手で支えると、俺はゆっくりと上体を起こす。見覚えのある部屋だ。


「自宅。ミレイの部屋だ」


 レキはほっとした様子でベッドに腰を下ろした。


 後頭部の痛みは完全に消えている。そっと手を当てると傷の気配はなかった。ユニコーン辺りが治療してくれたのだろうか。


「戻ってくることにしたんだな」


「まぁな。――君が倒れたときのミレイの反応を見せてやりたいくらいだったよ。殺すつもりで君に攻撃を仕掛けたのだろうに、いざ命の危機に瀕していると知ったら慌てふためいてさ。ユニコーンに治療を命じたんだぜ。――ところで身体の調子はどうだ?」


 レキがくすくす笑いながら言うので、よほど珍しい様子だったのだろう。俺は死にかけたんだけどな。


 とはいえ、ユニコーンが治してくれたのなら傷はふさがっているのだろう。ミレイが慌てふためく様子を俺も見たかったものだ。


「ちょっと気分が悪いけど、大したことはない」


「そうか。なら良かった。――悪かったな、俺がもっと注意を払っていればこんなことにならなかっただろうに」


「いや、本人も気付いてなかったし」


 肩を竦める。ぶっ倒れるまで頭の怪我に気付かなかった自分も悪い。周りに気を取られ過ぎて自分にまで気が回らなかったと言うべきか。


「……ものすごく心配した」


「!」


 ふいにレキが俺を抱き締める。そっと優しく。


「おい、こら! 心配してくれたことに対しては素直に嬉しいが、俺が男だってこと忘れてないか!」


 動かせる手足をばたつかせると、ようやくレキは俺から離れた。心臓がドキドキいっているぞ、まったく……。


「だけど今は女なんだろ? 生物学的には」


「気持ちは男だっ! 馬鹿ヤロウ!」


 そんな当たり前のことをしれっと言うなよなっ! これでもショックを受けるんだよ、その現実に対しては!


「なぁ、そのまま女でいるってのはどうだ?」


「はぁっ!?」


 修也と似たようなことを言うんじゃない、レキ。お前はまともだと思っていたのに……。


 俺が無言のまま睨んでいるとレキは続ける。


「心配するな。俺が嫁にもらってやる」


「断る」


 俺の男運は未だ健在のようで。


「それにいつまでもここにいるつもりはないしな。俺には俺のいるべき世界がある。ここでのごたごたが収束したらそっちに帰らないと」


 そう告げると同時に、俺の頭には姉貴の姿が過ぎっていった。――俺の無断外泊について、姉貴はどんな物語をこしらえてくれるんだろうか。想像するだけでも憂鬱だが、だからといって帰らないわけにはいかない。ここは俺の世界じゃないんだ。ちょっと現実逃避しかけたけどな。


「そっかぁ。残念だ。結構相性が良いんじゃないかと思ったんだが」


「それはそうと、ユニコーンはどうした? 町に戻ってきたならいろいろやることが残っているだろう?」


 俺は濡れタオルをレキに押しつけるとベッドから出る。辺りは静かだ。


「――ユニコーンの乙女なら町民に尋問を受けているところさ。神殿が崩れてしまったんだもんな」


 どこか投げやりにレキが答える。


「なぁ、レキ? ユニコーンの乙女って何する人なんだ? 任期もあるみたいだし」


 俺は部屋から出る前に立ち止まり、振り返って訊ねる。


 レキはミレイのベッドに腰を下ろしたまま顔を上げる。


「ユニコーンの乙女っていうのは神殿の管理者のことだ。仕事としては、町で解決不可能な出来事をユニコーンに相談することが主だな。基本的に町の少女の中から選ばれ、十七歳になると資格を失う。また、婚約しても同じだ。乙女を選ぶのはユニコーンで、ユニコーンの乙女が次の代の少女にそのことを告げることになっている。――トキヤの恋人も元はユニコーンの乙女で、亡くなったあの年の乙女はたまたま資格が失効していてね。それで代わりに彼女が行くことになったのさ。『ユニコーンの乙女』って仕事は俺たちにとってあんまり良い思い出のない職業だな」


「そっか。……で、あんたらはこれからどうするつもりなんだ?」


 聞くつもりのなかった告白もしっかりと聞いて心に留める。ここまで巻き込まれるとは思ってなかったぞ。


「トキヤはミレイの決定に従うつもりらしい。ミレイがここにいるのが辛いというなら、出て行くのが一番だろうって」


「レキは?」


 そういえば、レキって自分の意見を真っ先に言わないんだよな。いまさら気が付いた。


 レキの瞳が揺れる。迷いのある瞳。


「レキはどうしたいんだ?」


「俺は……できるものなら今まで通りに生活したいよ。この町は嫌いじゃないし。それに、もっとこの町の人間に外のことを知ってもらいたいからね」


 微かに笑む。悩みに悩んで出した結論だろうか。


「それで……良いんだな?」


「最良の結論かどうかはわからんけどな」


「わかった」


 俺は頷いてドアを開けた。続く部屋にはミキがいた。


「ミノルさん!」


 ミキと目が合うなり彼女は立ち上がり、俺のそばに寄る。


「もう大丈夫なの? もっと眠っていた方が……」


 心配げな顔をされると申し訳ない気持ちになる。ミキの気持ちも素直に嬉しい。


「いえ、もう問題ないですよ。――ところでユニコーンはどこにいます?」


「ユニコーン? ――さあ、どこに行ったのかしら? ミノルさんの怪我を治したらどっかにいなくなっちゃって」


 無責任なヤツだ。とんずらしたっていうのか? 俺はまだあいつの顔を殴っていないんだぞ。――じゃなくて、俺がどうすべきなのか助言をもらいたいところなんだけど。いないなら仕方ない。


「そうですか……。――ところで、ミキさんは町を出るのは諦めたんですか?」


 俺の質問に対し、ミキは表情を曇らせた。戸惑いの表情。


「えぇ。ひとまず保留、かな。――でも、ミノルさんが倒れたからってだけじゃないのよ。まだいろいろ整理しなくちゃいけないことはあるし、神殿の件についてもきちんと説明しなきゃいけないし……」


 問題は山積みのようだ。ところで、トキヤの姿が見えないのだが。


「そう。……あの、トキヤさんは?」


「トキヤ兄さん? トキヤ兄さんならミレイと共におばば様のところにいるはずよ」


 ――うわ、なんて面倒くさいところにいるんだ、あの二人は。


 思わず顔がひきつる。


「何か用事? ここで待っていれば直に帰ってくると思うけど?」


 待っている余裕があるかどうかはた疑問だな。気が乗らないけどおばば様のところに行くしかないか。


「えぇ。緊急の用事です。ちょっと参考意見を、ね。――おばば様のところって、今朝行ったあそこですか?」


「うん。そうだけど」


 俺の台詞を怪訝そうな顔をして聞いているミキ。まぁ、俺も整理できてない状態で行動しようとしているからうまく説明ができないんだが。


「わかりました。迎えに行ってきます」


 とことこと階段の方へ。


「迎えに?」


「ミキさんとレキさんはここで待っていてください。私一人で行ってきますから」


 ドアノブに手を掛けてゆっくり回す。


「ちょっと待って。……その格好で?」


 言われて自分の格好を確かめる。白かったドレスは血と埃とでかなりひどい状態である。


「あ……ごめんなさい、ミキさん! このドレス……!」


「あぁ、それはいいのよ。着ていたおかげで命拾いしたんでしょ? それなら気にしてないから」


 首を大きく横に振ってミキはにっこり微笑む。なんていい子なんだ。


「そんなことより、ちゃんと着替えた方がいいわ。外を歩くならなおさら。ただでさえ目立つのよ?」


「そ、それもそうですね」


 ミキの意見はもっともなような気がして頷く。それを見るなりミキは俺の手を引いて自分の部屋に引っ張り込んだ。そこには俺の服が置かれていたからだ。





 ミキに手伝ってもらってさっさと着替えを済ませると、俺は気を取り直して家を出た。


 陽は大分傾いていた。このままでは今晩もこの世界で寝ることになりかねない。今日中に帰宅したいものだが、うまくいくだろうか。


 大通りをとことこ歩いていくと、ある場所に人集りができていた。


 ――あの場所はおばば様がいる家の前じゃないか!


 俺は走っていき、集団の一番外側を作っている人間に声を掛けることにする。


「何かあったんですか?」


「あんたは知らないのか? なんでも神殿が壊れたっていうじゃないか。ユニコーンの乙女が外の人間だからこんなことになるんだって。そんで今、おばば様のところに関係者を集めてだな……って」


 声を掛けたおっさんは、振り向いて俺を見るなり絶句した。それに気付いた隣のおばさんも俺を見て目を丸くする。


『御姉様!』


 二人は声を合わせて大声でその名を呼ぶ。この息の合った様子だと、この二人は夫婦のようだ……って、そうじゃなかった。


 その声を合図にやいやい言っていた集団が一斉にこちらを見て黙り込む。注目を集めるというのはあんまりいい気分じゃないね。


「ユニコーンの乙女に用事があるんです。道を開けて下さいませんか?」


 穏やかに微笑んで告げる。若干殺気立ったモノを感じさせていた集団であったが、それがだんだんと救いを求めるような空気を生じさせ始めた。


 な、なんだよ、その視線は。


 集団は道を開けてはくれなかった。代わりにすがるような表情でじっとこちらを見つめてくる。


「あの……道を開けて下さいませんか?」


 言葉、通じているよな? さっきのおっさんにも話が通じたんだし。


 集団の中から一人の偉そうなおじさんがこちらについと出てきた。暗く、切羽詰まった表情をしている。


「御姉様……」


「はい?」


 嫌な予感。


「我々はどうしたらよいのでしょうか……」


 その声も暗い。気分が沈んでいることが見て取れた。


「いやぁ、別に、そのままでいいんじゃないですか?」


 俺にそんなことを聞かれてもねぇ。


 その台詞に対し、おじさんはますます辛そうな表情を浮かべた。


「神殿が壊されてしまった……。きっとユニコーン様はお怒りになる。このままでは我々は生きてゆけなくなるでしょう。どうか御姉様、ユニコーン様の怒りを静めて下さいませ」


 おじさんは言って深々と頭を下げる。それに合わせて周りの住人たちも各々頭を下げた。


「えっと、ンなこと言われましても……。そもそもユニコーン、怒っちゃいないし」


「表面ではそのように見えたとしても、きっと怒っていらっしゃる。この町の泉は再び枯れ、飢饉が起こることでしょう。疫病が流行り、この町の住人は一人ずつ消えていくことでしょう。やがて町はなくなるに違いない……」


 大袈裟な。


 しかしそう思うものの彼らの表情はいたって真剣で、その言葉には説得力さえ合った。危機に瀕している人間の表情とはこういう表情を言うのだろうか。


「…………」


 そんな彼らに何と言葉を返したらよいのか分からない。どんな言葉も気休めにしかならないだろう。


 この町にはそういう言い伝えがあるのかも知れなかった。ゆえにユニコーンを敬い、もてなし、この町の安全を保障してもらっているのかも知れなかった。この町の仕来りというものは、まずユニコーンありきであるらしいから。


「お願いします。どうか我々をお救い下さいませ」


 その繰り返される台詞に、俺は小さな溜息をつく。面倒だが仕方がない。どっちにしろやらなきゃいけないことなのだろう。つまり、町の人間の前でユニコーンに俺が説明し、この町の安全と発展を保障させるってことが。


「……わかりました。私がユニコーンと掛け合いましょう」


 だからそこを早くどいて欲しいんだけど。


 俺の台詞にほっとした様子の住人たちはそれぞれ喜びの台詞を口走っていたが、その中で気になる台詞があった。


「今年のユニコーンの乙女があんなんだから頼りにならないのよ」


「御姉様が来てくれていなかったら今頃は……」


「乙女があの子だからユニコーンが暴れるんだよ」


「外の人間が乙女に選ばれたりしたものだから、御姉様が必要になるんだわ」


 ――なんだよ、好き勝手言いやがって……。


 町の住人がこれでは、さぞかしミレイも辛かったに違いない。


 そんなことを考えていたからだろうか。俺は叫んでいた。


「てめぇらに、ミレイの何がわかるって言うんだよ!」


 集団のざわめきが一気に消えた。驚きで見開かれた目がこちらを見ている。


「今年のユニコーンの乙女はしっかり仕事を果たしていたぞ! それを寄ってたかって文句ばかり言いやがって! 彼女がどれだけ頑張ってきたのか、てめぇらはきちんと評価していたか? ねぎらいの言葉をきちんと掛けてやっていたか? 何のためにユニコーンが彼女を選んだのかわかってんのか! ……ちっとはまわりのことを見ろよ! 外の世界に目を向けろよ!」


 言いたいことを言い切って俺は少しだけすっきりした。そして、御姉様の本当の役割に気が付いた。


 『御姉様』はこの町にとって究極的に外部の人間である。町の人間であるはずがないし、町の外の人間どころか異世界の人間である。見た目からまったく違うので、その人間が『御姉様』であることは一目でわかる。そんな究極的な外部の人間である『御姉様』は特別扱いで、町の住人は『御姉様』を神聖視する。この町の住人にとって外部の人間は排除すべき者のはずなのに、『御姉様』だけは排除してはならない存在なのだ。ゆえに、ユニコーンと同等に扱われる……。


 住人たちは俺の台詞を聞いて一斉に恐怖の表情を浮かべた。俺がこの町を見放したのだと思ったのかも知れない。今年のユニコーンの乙女は排除すべき存在なのに、御姉様がその肩を持つとなっては。


 おーい、ユニコーンよ。この町は末期かもしれんぞ。


「反論があるならどうぞ。ないなら道を開けて下さい。今年のユニコーンの乙女に用事があるんです」


 俺はにっこりと微笑んで問う。住人たちはそれぞれ顔を見合わせるも、何も言わずに黙っていた。


「……道を開けて下さい」


 動かない集団。じっとこちらを悲しげな目で見つめてくる。


 だからその目、やめて下さい。


「どいてくれないなら自分で行きます」


 しぶしぶ自分から動くことにする。二、三十人はいるだろう集団に向かって歩いていく。おじさん、おばさん、じいさん、ばあさん……不思議とその集団を構成している人間に若い人間の姿はなかった。


 半ば呆然と立ち尽くして動けなくなっていたらしい人間の間を抜けるのはそう難しいことではなかった。なんとか建物の入口にやってくることができた。しかし中にも町の住人らしき人間はかなりいた。切迫した空気に満ちている。


「すみません……おばば様のところに行きたいのですが」


「あぁ、御姉様か。良く来てくれた」


 中にいる人間たちは外を囲っていた人間よりも若かった。周りのどの顔も若者ばかりである。これは一体……。


「どこにいますか?」


「案内しましょう」


 階段のそばにいた青年が進み出る。彼もまたこの町の住人らしく金髪碧眼の男前だった。


「ありがとう」


 青年の申し出にまわりの人間が道を開ける。建物の外を囲っていた人間とは違う対応に少し戸惑っていたが、その理由に思い当たるものがあって理解した。若い世代の中には外の町に興味を持っている人がいる。それがきっと彼らなのだろう。


 朝来た場所とは違う部屋の前までやってくる。青年はそのドアをノックした。


「御姉様が会いたいとおっしゃっていますが」


「……入りなさい」


 その声はおばば様のものだった。青年はドアを開けて俺を中に通すと、彼は中に入らずにドアを閉めた。


 部屋の中は長机が四角にならんでおり、その一辺に二人ずつ、俺のいる入口から近い場所から右回りにミレイ、トキヤ、偉そうな爺さん、おばば様、見知らぬ青年が座っていた。彼らの視線は全て俺に向けられている。


「お話中すみません」


 取り敢えず頭を下げる。空気がとても重い。


「どうぞこちらへ」


 おばば様の隣に座っていた青年がさっと立ち上がり、俺に偉そうな爺さんの正面にあたる場所を勧める。


「はい」


 俺は頷くと勧められた席におとなしく座る。突っ立っているわけにもいかないからね。


「……気が付いたようだな。さっきは悪かった。身体は大丈夫なのか?」


 斜め隣に座っているミレイが不安げに俺の顔を見つめる。俺が座るなり声を掛けてきたところを見ると、結構心配してくれたようだ。このくらい気を揉んでもらわないと割に合わないと思っていたから、ちょっとだけ嬉しいね。


「ユニコーンの治療が適切であったってことだろうよ」


 小声で俺は返答する。その返事に安心したのか、ミレイはいつもの仏頂面になった。この表情が不機嫌から来るものではなく、デフォルトがこうらしいと理解した俺にはその反応が正常であるとわかるのでほっとする。今のところ、ここでとやかく責められているわけではないのだろう。


「ならいい」


 短く答えると、ミレイは視線をおばば様に向けた。


 おばば様はミレイに視線を固定して黙っていたが、俺たちのやりとりが一段落ついたのを見てやがて口を開いた。


「御姉様がわざわざこちらに足を運んで下さるとは思っていなかったよ」


 ゆっくりと、どこか含みのある言い方に俺は緊張する。


「私には知る権利があると思いまして」


 余裕のあるように振る舞ったつもりだが、どうにも自分がここにいる正当性を主張できているようには思えない。ここの空気が馴染みのないもので、俺にはどうしたらいいのかよく分からない。勢いでやって来てしまったのも手伝って、ここでうまく立ち回ることができるのか甚だ疑問である。だけどここに乗り込んだからには、『御姉様』として世話になったトキヤたちきょうだいが救われるように、また町の住人が納得する形で決着をつけることができるようにしたい。それがきっとユニコーンの願いであるはずだ。俺をここに呼んだ一番の理由であるはずなのだ。ならば。


「知る権利、か……」


 正面の爺さんが呟く。頭がすっかり禿げていて、そうでありながら髭はたっぷりとある爺さんは細い目をさらに細めた。顔に刻まれた皺がさらに増える。


「まさか本当に伝説通りの人間が現れるとはね」


 爺さんはしゃがれた声でさらに続けると、机の上に用意された木製のカップを口に運んだ。


「かっかっかっ。ユニコーン信者にしては愉快な発言じゃな、町長殿」


 からかうようにおばば様が爺さんに向かって言う。なるほど、偉そうな爺さんは町長なのか。となると、下にいた偉そうなおっさんは何者だったんだろうか。


「伝説はこの町の言い伝えとは違う。伝説はあくまでもこの世界に伝わるものだ」


「なら、この町の内だけが世界じゃないということは理解していることじゃろう?」


「…………」


 おばば様が笑いながら町長に言うと、彼は黙ってしまう。飲み物を飲んでいる振りをしていると思ったのはその喉が動いていなかったからだ。おそらく中身はすでに空になっているのだろう。


 おばば様と町長ではどちらの意見が優位に立っているのだろうか、なんてことをふと思う。


「――おおよその話はトキヤと今年のユニコーンの乙女であるミレイから聞いたよ、御姉様」


「ならば、ユニコーンがどんな目的で町の少女をさらっていたのかご存じなのですね」


 おばば様の視線が再びこちらに向けられると俺は返事をする。ミレイとトキヤから話を聞いたと言うことは、ユニコーンが町の人間を外に連れ出すためにユニコーンの乙女を利用していたことが明らかになったのだろう。初めておばば様に会ったとき、彼女はユニコーンの悪さを止めてくれと俺に依頼してきた。捉え方によっては微妙なところだが、おそらくその事実はおばば様も知らなかったことなのだろう。


「しかしそれが事実かどうか確かめる手段はない」


 カップをおいて町長が割り込む。


「神殿の破壊における死傷者がいないことが充分な証明になっていると思いますが」


 異議を唱えたのはトキヤ。とても落ち着いた声には説得力がある。


「…………」


 町長は再び沈黙する。


「そろそろこの町も解放されるべきなんじゃよ。――何もこの町の仕来りを撤廃しろとは言わん。寛容になれと言うだけのこと。それを知らせに御姉様がやってきたんじゃ」


「認めん。この町を守るための仕来りだ。寛容になれだと? そんなこと、儂が許したところでこの町の住人全てがおおらかに対処できるとは思えんな」


 どうやら彼に流れた月日は彼の頭を完全に錆び付かせてしまったらしい。それに比べればおばば様はとても柔軟な思考を持っているようだ。


「町を開放するだけでも違うと思うがな。トキヤもそう思うじゃろう?」


 おばば様に話を振られたトキヤははっきりと頷く。


「俺たちが外の町に行き来することにより、町にやって来る人間は増えたと思います。この町の情報を外部に持ち出すことで、観光目的で訪れる人が増えたことは町長様もご存じのはず。それによってこの町が活性化したことも認めていらっしゃるのでしょう?」


 トキヤは視線を町長に向ける。町長は視線を逸らす。


「今はまだ観光産業が未熟ですが、おばば様の占いを目的としてわざわざ遠くから足を運んで来る者がいるおかげで発達しつつある。定住とまではいかなくとも、この町に外部の人間を見かける機会は確実に増えたはずです。この調子でゆけば、この町で生活したいと思う者も確実に出てきましょう。――そのときになって、俺たちのような想いを抱く者が出てはツライのです」


「儂はお前たちの仕事を善しと思ってはおらん」


 町長はきっぱりと言い切った。


「まだそんなことを」


 おばば様が町長に言うと、彼はおばば様を睨み付けた。


「そう仕向けたのはお主ではないか、ナツメ殿!」


 ――!


 俺はその名に驚いて、周りにいる連中とはまったく違う理由でおばば様を見つめた。よりにもよって俺の姉貴と同じ名前かよ!


「自分の私腹を肥やす道具としてその者たちを利用しただけではないか!」


 怒りにまかせて机を叩き、町長は勢いよく立ち上がる。


「この町の発展を憂いてのことじゃ」


 おばば様は視線だけ町長を見る。にやついているように見えるのは何故だろう。


「儂は知っておるんだぞ。お主が占いの対価として外の町の品物を集めとることをな」


 町長のその台詞に俺は思い当たるところがあった。


 おばば様に初めて会ったあの部屋、雑貨屋のようにいろいろな物が散らかって置いてあると思っていたが、あの飾りのような物や謎の置物はおばば様のコレクションだったのだ。てっきり俺は占いに必要な物なんだろうとばかり思っていたが、それならあの統一されていない雰囲気を理解できる。


「それがどうしたと? この町の人間にとっては価値のない物じゃろう? そんな物を集めたところで、何の迷惑もかからないだろうに。それにわしは貴金属を手にしとらんよ」


「ぐぬぅ!」


 おばば様の反論は町長を黙らせるのに充分だったようだ。渋い顔をして町長は座り直す。


「まぁ、町長殿の言うことの一部は認めてもよい。トキヤたちを利用したという部分はな」


 確かレキが言っていたはずだ。この仕事を紹介したのはおばば様だと。


「でもそれは……」


 おばば様の台詞に割って入ったのは様子を窺っていたミレイ。それを止めたのはトキヤ。しかし続けたのはおばば様の隣に座っている青年。この男が何者なのかはよく分からないのだが。


「えぇ、その理由も我々は存じております」


「クレス……」


 ミレイはその青年のものらしい名前を呟いておとなしくなる。


 青年はミレイに向かって優しく微笑むと、町長に向かって切り出した。


「町の住人の中には初めこそトキヤさんたちの仕事に不信感を抱いていましたが、今ではその活動に賛同する者も少なくありません。

 ――ろくに宿を設けていなかったので、外部の人間がやってきたときには住人の家に招くしかありませんでした。この町の仕来りではよそ者は排除するようになっていますが、我々もそんな冷たいことができるわけではありません。ちらほらと、ほんのわずかではありましたが自分の家の使っていない部屋をそんな人たちに提供するようになりました。その中で外の町の様子を聞く者たちも出てくる。興味が湧かないことがありましょうか。外の町を見に行きたいと思うのは自然なことでしょう? なのにこの町の仕来りでは外の町に行くことをよしとしない。

 もともとこの仕来りはこの町が他のどの町からも離れているが故に発生したものなのでしょう。この町を出て別の町に行くには、徒歩ではかなりの旅になります。その上、この町を取り囲む草原は野犬が多く、いつ襲ってくるかわからないという危険をはらんでいる。その危険を思っての仕来りだったのではないでしょうか。

 しかしこの時代、馬車がある。馬車であれば野犬の心配はいくらか軽減されるばかりか、丸一日走らせれば充分に隣町に行くことができる。仕来りはもう時代遅れなんですよ。それに気付いたこの町のユニコーンは、おばば様に伝えたのです。もっと外のことに目を向けるように、と」


「ではなぜユニコーンは町長である儂やユニコーンの乙女にそのことを伝えなかったのだ? おかしいではないか!」


 その台詞に対し、ミレイとトキヤは悲しげな目で町長を見つめた。


「ユニコーンは伝えたんですよ。しかしうまくいかなかった。伝えられたユニコーンの乙女が混乱の末に自殺してしまったのですから」


 町長の台詞に答えたのは俺。ミレイとトキヤが言いにくそうにしていたので俺が先に言ってやったのだ。ユニコーンの台詞が真実なら、この悲劇は伝えねばならない。


「な……」


「町長。もう舞台は整いました。あなたは速やかに引退し、次の代にその席を譲るときなのです。

 我々の代はもう覚悟ができている。あとは自分たちの親の代を説得するだけなのです。幸か不幸か、今までの仕来りの象徴とも言うべき神殿はなくなりました。この機を逃せば町の人々の意識改革はできません」


 クレスはきっぱりと告げる。どうもこの様子からすると、クレス青年は仕来り撤廃派の中心人物なのだろう。そしてミレイを支えてきた人間でもあるようだ。さっきからミレイが彼に向ける視線に熱いものを感じるからね。ひょっとしたらミレイに神殿を破壊するように助言したのも彼なのかも知れない。


「何を言う」


 それに対し、町長は不敵に笑う。


「さっきから聞いていれば自分に都合のよいことばかり並べおって。肝心のユニコーンが本当のところどう思っているのかはわからんではないか。お主らが言うことが間違いであったらどうだ? ユニコーンの怒りに触れることになったらどうなるか、この町に残っている文献を知らんとは言わせないぞ?」


「ユニコーンはこんなことで怒ったりしませんよ」


 俺は落ち着いた口調でさらに続ける。


「むしろ、このままの状態であり続けることに怒りを覚えると思います」


「御姉様……」


 少しだけ嬉しそうな表情でミレイが視線を送ってきた。俺は小さくウインクしてこの場を任せるように合図する。


「ふん。どうかな。お主が本物の御姉様だというなら、ここにユニコーンを連れてきたらどうかね。ユニコーンの意向がどんなものなのか、直接聞くまで儂は信じないぞ」


 なかなかの頑固爺らしい。ユニコーンを連れてこいときたもんだ。一般人が何を偉そうに、と俺は町長を憎らしく思う。


 しかし、だ。都合よく俺の呼びかけにユニコーンが答えるとは思えない。あれはあれで気分屋なところがある。取り敢えず、呼んでみるか。


「わかりました。呼び出せばいいのですね」


 俺は立ち上がると小さく深呼吸した。――頼むぜ、ユニコーン。ここが正念場なんだからな。


「ユニコーンよ、私の声が聞こえているなら姿を現して」


 祈るように俺はその名を呼んだ。


 長机で四角く囲まれたその中央に、白い光が生じた。強烈なフラッシュのごときその明るさが次第に収束し、人型の影を作る。


「お疲れさまです、御姉様。あなたを選んでよかった」


 俺に背を向けて現れるなり、肩越しにユニコーンは言った。


「さて、私に用事があるというのはどちら様です?」


 きっと話は盗み聞きしていて知っているのだろうが、ユニコーンは穏やかな声で関係者に目をやった。


「俺の正面に座っている町長さん」


 俺がユニコーンの問いに答えてやる。


 正面の町長は目をまん丸にして驚いたままでいる。その様子からすると、俺が本物の御姉様だとは思っていなかったらしい。まったく失礼なヤツだ。


「あぁ、あなたですか」


 ユニコーンは言ってつかつかと町長の前へと移動する。


「いかにも頭が旧体制っぽい人物ですね。で、何か?」


 いきなり挑発する文句を言うあたり、俺が考えていたとおりこの場の状況を理解しているようだ。たぶんその顔には笑顔の仮面の下に怒りが込められているのがわかる表情が浮かんでいるに違いない。町長もさすがにその空気は読めるだろう。


「――あなた様はこの町をどのようにしたいのです?」


 しゃがれた町長の声はわずかに震えていた。ユニコーンに威圧されてびびっているのかも知れない。


「ユニコーンの乙女や御姉様が言っているとおりです。――この町には変化が必要なのです。ただ、今のこの穏やかさはそれまで守られてきた仕来りによるものが大きいことは認めます。この町の地理的条件からもそれら仕来りが生まれるのは必然のことでした。しかし、時代は流れました。この外の町はどんどんと近代化が進み、人の動きも活発になっています。この町を維持するためにも町の開放は必至なのです。今ここで行わなければ取り残されてしまいます。どうかご一考を」


 ユニコーンはいたって強気な姿勢で捲し立てるように言い放つ。


 それに対し、町長は細い目を目一杯開けてユニコーンを見つめた。


「――町が開放されてもこの町で培われてきた文化が守られると、あなた様は保証して下さるのですか?」


「保証はできません」


 ユニコーンの返答は簡潔だった。


「ならば町の開放には疑問だな」


 だからいわんこっちゃ無いと言った様子で町長は自分の髭を撫でた。


「……あなた、町の外の様子を知っているのですね?」


 口調に変化があった。ユニコーンの戸惑うようなその問いに、町長はゆっくりと頷く。


「それでいながら拒み続けてきた……」


「あぁ。そうだ」


 町長の返事に対し、ユニコーンは小さく頭を振って一歩後ろに退く。


「儂は、この町が工業化していくのを見たくはない。――科学というものがどれだけ生活を楽にさせたのかは出て行ってしまった孫から聞いておる」


「!」


 この町を出て行った少女の中に町長の孫が含まれていたのか。


「だがな、この町にはこの町のやり方がある。今の状態で充分に機能しているはずだ。なのにそれを変えようなどと……」


「無理に変えることはありません。ただ寛容になるべきだと言っているのです。人や物の移動の制限を撤廃するだけでよいのです。他の町の真似をしろとは言わない、いや、むしろこのままの状態であって欲しい。このままの状態で他の者に開放して欲しいのです。他の町からやって来た人々を温かく迎え入れ、また、外の町に興味を持った人々を自由に行かせてやる、ただそれだけのことをどうして拒否なさるのですか?」


「この町の良い部分が汚染される可能性があるのなら、その種を前もって排除するだけのこと。あなた様にはわからないのですか?」


「っ……」


 ユニコーンは黙り込んだ。町長の意見に押されている。


 さて、俺はといえば。


 難しい話をしているなぁと思うだけで、この議論に参加しようとは思っていない。究極的に外部の人間である俺にとって、この議論に口を挟むことは許されないように思えるのだ。


 しかしである。俺はこの町には丸一日ほどしかいないが、この町の雰囲気は好きである。電気のない生活なんて俺はしたことがないから、今はもの珍しくって仕方ないという分だけ面白く思えるのかも知れない。それでもこの白っぽい石で作られた通りや建築物は俺の住む町の雑多な感じよりはずっと整って見えた。通りを歩く人々はとても楽しそうで、店の従業員も生き生きしている。食べ物だって美味しかったし、この生活を不自由だとは思わなかった。


 この町にはこの町のリズムというものがあって、それが滞り無く回っていることはよく分かっているつもりだ。仕来りについてもなるほどと思わせるものがあって、俺としては納得していた。ま、それらによってトキヤたちきょうだいが苦しんできたと言うことも理解しているつもりだけどね。


 それに、この町が孤立しているのは馬車に乗せられてここに連れてきてもらったからわかるのだ。なぜなら道も整備されたものではなく、ただ草が刈られただけの悪路で馬車がひどく揺れていたことを覚えているからだ。街中に整備された石畳とは比べものにならない道である。つまり、この町に外からやって来る人間が少ないことを示しているのではなかろうか。まぁ、道なんて別にその一本だけではないだろうから、他に整備された道が存在するのかも知れなかったが。


「どうしても……変えたくないのですね」


 認めたくなさそうにユニコーンが呟く。


「儂が言ったとおりだ」


 町長は頷いて答える。


「ならば私は今回のように、外への移動を希望する人間をさらい、他の町へ逃がすことを了承してもらうしかありませんね」


「待て、ユニコーン。それじゃ何の解決にもなってない!」


 思わず口を挟んだのは俺だ。勢いで立ち上がっている。


 ユニコーンが驚いた顔をして俺の方を向いた。


「なんです? 御姉様。あなたは無関係でしょうに」


 それはひどい言い方じゃないかと思う。ユニコーンにとって俺の存在は呼び出すための媒体でしかないのだろうか。俺は――違うと信じたい。


「確かに無関係かも知れないが、今のままじゃトキヤたちが救われないだろうが! あんたはミレイが苦しんできたことも知っているだろうが!」


 俺の怒鳴るような声に、ユニコーンは片目を細めた。


「私の仕事は個人の幸福にあるのではなく、全体の幸福にあるのです。物わかりの良いあなたなら理解してくれているものと思っていましたが」


「それでもだ!」


「わかっていませんね」


 ユニコーンは心底がっかりしたとでも言いたげに溜息をついてトキヤたちの前に移動する。


「たまたまあなたは彼らと関わりを持った。それ故に感情移入してしまっただけのこと。この町の他の人間と関わりを持っていたらどうだったでしょうか?」


「偶然なんかじゃない! 俺が彼らに拾われたのは必然だったんだ!」


 根拠はさておき、俺は叫んだ。直感的にそう思ったのだから仕方あるまい。


 ユニコーンは再び溜息をついた。


「あなたはこの件が済んだら元の世界に帰るのでしょう? そこまで彼らをかばう理由があるとも思えないのですが」


「あんたはそれで本当にいいのか? 俺をこんな世界に呼びだして、『御姉様』なんていう役をさせておいて、わざわざ俺を女にまでして、やりたかったことはこんなことだったのか!」


「それは……」


 俺は勢いに任せて長机を乗り越え、ユニコーンの前に行くと胸ぐらを掴む。


「あんたは俺がトキヤたちに見つけてもらえるようにあんな町はずれの草原のど真ん中に放置したんだろう? 違うのか? あんたはトキヤたちを救いたいがためにこんな大がかりな芝居を打ったんじゃないのか? 町の開放云々が大事なんじゃなくて、トキヤたちを町の住人として認めさせたいがためにこんなことをしたんじゃなかったのかよ!」


「…………」


 ユニコーンの瞳が揺れる。じっとこちらを見続けていた瞳に別の感情が映っていた。


「俺たちのことなら気にしないで下さい」


 胸ぐらを掴んでいた俺の手に、トキヤの手が重ねられた。視線を向けるとつらそうなトキヤの顔があった。俺がユニコーンに詰め寄っている間に彼もまた長机を乗り越えて来たらしい。


「だけど!」


「どう足掻いたところで、俺たちきょうだいの出身が変わるわけではありません。外からやって来たことには変わりがないんだ」


「諦めるなよ! こんな想いはしたくないだろう!」


「それでも生活はできますから」


「あんな視線を毎日受けていて、それで平気な顔をし続けるな!」


 俺はユニコーンを解放するとミレイに視線を向ける。


「ミレイさんもトキヤさんを説得しろよ! つらかったって言ってやれよ!」


 ミレイはふっと視線を逸らした。唇をきゅっと結んで堪えるように。


 なんで……。


 俺、馬鹿じゃないか? 何を熱く……。


 だんだんと冷静になっていく。落ち着いてきた。


 どうして俺は……。


「……御姉様」


 ユニコーンの声。穏やかで温かい。


 俺が顔を向けるとユニコーンがこちらを見て微笑んでいた。まわりに他の人間の姿が見えない。どうやらユニコーンが創り出した世界のようだ。


「泣かないで下さい」


 言ってユニコーンは俺の頬に手を伸ばした。それで自分が泣いていることに気が付く。


「な、泣いてなんか……」


 どうして俺がこんなことで泣かなきゃいけないのだ。


 そう思っているものの、頬に温かな液体が伝っている感触ははっきりしている。


「あんたが幻覚を見せているだけだろう!」


「強がらなくてもいいですよ。他の人間は追い出していますから」


「…………」


 俺はユニコーンの差し出した手をはじいて、自分の手の甲で涙を拭う。ユニコーンの神殿に向かうときにした化粧がその甲についた。きっとひどい顔をしているに違いない。せっかくミキが丁寧に施してくれた化粧であったのに勿体ないななんて思ってしまったことに苦笑する。


「わざわざなんだよ」


 ユニコーンを見ないようにして俺は問う。


「あなたはどうしてこうも私の思考を理解できてしまうのでしょう。勘がよいと褒めるべきなのでしょうか」


「何だよ、気持ち悪い」


 視線だけをユニコーンに向ける。涙で視界がおぼろげである。再び乱暴に目を擦る。


「トキヤたちと引き合わせたのは確かに私です。そりゃあどう考えてもそうなりますよね。私があなたをこの世界に導いたのですから」


「だからどうした」


「そしてその目的も、あなたが指摘したとおりです」


 ――やっぱり。


 血が上った頭でフル回転させて導いた答えである。やけくそになって叫んだ台詞でもあったが、やはりそこまでずれたものでもなかったか。


 ユニコーンは続ける。


「今までトキヤたちきょうだいがこの町でやっていけたのは、精神力の強さによるところが大きいのでしょう。町の住人だって、余所の人間を見る目つきを向けることはあっても無視するわけではありません。そのくらいの優しさはありますから。ただ、彼らが何かトラブルに巻き込まれたときはそれはそれは冷たいものでしたけど。――そういう意味では、トキヤたちという存在は町の結束力に必要なものだったとも言えます。この町の住人に不幸がなければいい。その避雷針として外からやって来た彼らが選ばれてしまっただけの話」


「そんなの……」


「酷いと思うでしょう? でも考えてみて下さい。あなたのいた世界ではどうだったのかを」


「!」


 異世界のその町の話だけではない。俺のいる世界にだって同じようなことは昔っからあった。心の平穏を保つためという理由にしては卑怯なやり方ではある。犠牲者が出ることで、他の多くが救われるというやり方。昔話でいえば、人身御供なんて典型的な例だろう。現代にだって……。


 俺は奥歯をぎりっと噛んだ。


「思い当たる節があるのですね」


「――俺の思考を読んでいるだろう?」


「……えぇ」


 ユニコーンは肯定し、苦笑を浮かべた。


 ときどき彼の台詞からあの世界に出てきそうにない言葉が出てくるのが気になっていた。思考や記憶を読む能力がないと、あの狂言、菜摘を演じることができるはずもないしな。ギリシャという地名が出てくるわけがない。


「……でも、いつまでもトキヤたちがその役目を背負わされているなんて酷じゃないか?」


「えぇ。それは考えています」


「新しい生贄を招くってことか?」


「…………」


 トキヤたちがその役目を終えるには二つの方法がある。


 一つは町の住人の意識改革を行うこと。これが根本的な解決につながる一番の方法だと俺は考えているが、先ほどの町長の様子からすると難しそうである。とはいえ、同席していた青年、クレスの意見を考えるに少しずつではあるが変わりつつあるようではある。まだまだ時間がかかりそうだけど。


 そして二つ目。それは新しくこの町に外の人間を入れること。これによってトキヤたちに向けられていた視線は新しくやってきた者たちにも向けられる。波よけとしての存在を投入するのだ。しかし、これは根本的な解決にはならない。連れてこられた人間が不憫である。まぁ、今はトキヤたちもいるわけだから、命が失われるほど衰弱することはないだろうが。


「ほかのユニコーンから圧力を受けていて、町に人を入れなくてはならない時期が来ているんだろう? だから俺を呼んだ」


「鋭いですね……」


「町の人間の意識改革ができなくては新たにやってきた人間にとっては酷なものだから。――故にまずはトキヤたちに向けられている視線をなんとかしたかった」


「その通りです」


「下準備はできている。あとは町の中心人物を説得するだけ。――なぁ、ユニコーン。あんた俺を呼んだ目的が他にあるんだろう?」


 涙が落ち着いたのでユニコーンを真っ直ぐ見つめる。ユニコーンは降参したと言っているかのような開き直った顔をしていた。


「町の人間の前に姿を現すために、俺という媒体が必要なんだ。そうだろう? ユニコーンの乙女は確かにあんたと会話したりできるのかも知れないが、その姿を維持するにはもうちょっと特別な力が必要とかそんな感じで」


「ご名答」


「んでもって、ユニコーンの乙女と違うところは、御姉様という存在は純粋な媒体であるがゆえに特別な力を持たない」


 俺はこの世界に来てから変な能力を使った試しはない。性別が女になってしまったという忌々しい事実以外はいたって普通の人間である。


「突然口から火を噴いたり、静電気のすごいものを扱えるようになってもしょうがないでしょう?」


 ユニコーンが笑いながら言うと俺はむすっとする。だから俺のしょぼい想像力を台詞にするなって。


「で、なんで俺にしたんだ? もともと女である人間の方が都合が良かったんじゃないのか?」


 気を取り直して俺は問う。聞いてみたいと思っていたんだ。ミレイが自分をユニコーンの乙女にしたことを恨みながら聞いていたのとは違って、俺のは単なる興味本位。召喚されたことに関しては後悔していないのだ。


「えっと……世の中には知らなくてもいいことってあると思うんですよね」


「何故はぐらかす?」


 俺は条件反射的にユニコーンを睨んだ。ユニコーンは明後日の方向を見つめている。なんだよ、それ。


「聞いたら後悔するんじゃないかなぁ、と思うんですけど……」


「後悔しねーよ。じれったいな。……なんだ? 俺が女に見えたんでスカウトしてみたのは良かったが、実は男だったんで性転換させてみました、とかか?」


 そのくらいじゃ別にショックを受けたりはしない。いろいろ文句はあるけどな。


 しかしユニコーンは首を横に振った。


「じゃあなんだよ?」


 言いたくないなら、俺のその意見に首を縦に振っておけばよいものを。変なところで正直なんだな。いや、本当は隠したいんじゃなくて明かしたいのか?


「私に文句を言わないで下さいね?」


「どういう前置きなんだかわからないが、約束してもいい」


 俺はユニコーンに対して真摯な目で見つめて頷く。約束すると言わなかったところがポイントだ。


「話せば長くなりますが、要点を端折って言うとですね」


「要点は端折らなくていいぞ」


 要点は絞るものだと思う。


 ユニコーンは非常に言いにくそうにしばらくうなっていたが、俺が黙って待っていたらやがて口を開いた。


「棗さんに推薦されたからなんです」


「ナツメ……」


 ナツメ? ……ナツメってまさか!


「おばば様の本名じゃなくて、俺の姉貴か!」


 俺が叫ぶとユニコーンはこくこくと頷いた。肯定している。


「え、う、あ……よくわからんが、どうして俺の姉貴が出てくるんだ?」


 とんでもなく混乱しかけたところをなんとか立て直す。


「いろいろ理由はあるのですが、一番の理由は彼女が最もこの世界と同調しやすい人間だからってことです。

 人間には自分が生まれた世界とは別に、同調しやすい世界というものがあるんです。それは一つとは限らないのですが……そうですね。わかりやすくいえば夢がそれです。覚えていないだけで、核となる同調しやすい世界を夢の中で体験しているのですよ。いろいろな夢を見る人間は、それだけ同調できる世界が多いと言うこと。反対に同じ夢、または同じ世界を舞台とした夢を多く見ている人間はその世界に最も馴染んでいると言えます」


「つーとだな……この世界は姉貴が最も夢で見ている世界ということか?」


「その通りです。……おそらく、あなたの活躍を彼女は夢で追体験していると思われます」


 な……なんと!


 俺は開いた口がふさがらない。この世界の真実とは、実は姉貴の夢だったというオチなのか? それって……それって……!


「――私が彼女に会いに行くと、何で私がそんな面倒なことをしなくちゃならんのだと説教を喰らいましてですね、それじゃ困ると食らいついてみたらあなたを推薦したんです。詳しい説明は抜きに連れていっていいから、と」


 姉貴よ、俺はあんたの所有物じゃないんだが。


「……ね? 聞かない方が良かったでしょう?」


「そ、そうだな……聞かなかったことにする」


 消去消去消去……。


「さてと」


 ユニコーンが呟いたので俺は正気を取り戻す。


「あなたのおかげで少しは変わるかも知れません。まさかあそこで泣くとは思っていませんでしたが、あの町長、女の子の涙には弱いので少しは考え直してくれるかも知れません。棗さんがあなたを推薦して下さったおかげですよ」


「ユニコーン……お願いだから姉貴の名前は出すな。胃に穴が開く……」


 せっかく忘れかけていたのに。


 ユニコーンがにやりと笑ったのがわかった。――わざとか。見た目白いくせに腹黒なユニコーンめ……。


「ここまで有効な呪文があったとはね。もっと早くに出しておくべきでしたよ。棗さんには感謝しなくっちゃ」


 やたらとご機嫌にユニコーンが言う。こいつ……。


「もとの空間に繋ぎ直しますね。あとは私に任せて下さい」


「あ、あぁ」


 いつまでもダメージ受けているわけにもいかんな。しかし、姉貴の名前に耐性ができることはないのだろうか。トラウマって言うんだろうな、こういうの。


 そんなことを考えているうちに視界にミレイの姿が入ってきた。涙で視界が歪んでいる。今までユニコーンが見せてきた異空間とは違って、どうも時間が流れているようには思えなかった。


「仕事については認めないが……」


 しゃがれた声は町長のものだ。俺は顔を町長に向ける。


「トキヤ君たちの頑張りは認めても良い」


「町長……」


 トキヤとミレイの視線が町長に注がれる。


「この町にやってきた外の人間は、この町の住人の与えるプレッシャーで弱っていく。慣れない土地だというのにこの雰囲気では体が持たなかったのだろう。お前たちの両親もまた、他の例に漏れずに命を落としたんだったな」


「はい……」


 自分の両親のことを思い出したのだろう。トキヤはつらそうな声で頷く。


「気を病んでしまわぬよう、様子を伺うことぐらいはしても構わん」


 クレス青年が目を丸くしているのを視界の端でとらえる。町長のその発言、その意図はつまり……。


「町への移住を認めてくれるのですね?」


 念を押すようにユニコーンが問う。町長は渋るような仕草を一度したが、やがて肯定を示して頷いた。


「だから……何の前触れもなく町の者を外に出さないでくれ。――孫と別れの挨拶をすることができなかったことが、今でもつらい」


 後半の台詞は消え入りそうなくらいぼそぼそとしたものであったが、俺の耳には届いていた。ユニコーンの耳にも届いていたであろう。彼の本音が。


「わかりました。――そうだ。もしも外の町に行きたいという者がいたら、送別会を開いてみてはどうでしょう。そうすればきっと、町の出入りが楽になると思うのです」


 ここぞとばかりにユニコーンは提案する。


 確かに送別会を開いて大々的に町の外に出ることを知らせるようになれば、今までの古い仕来りから解放されるきっかけとなるだろう。興味を持つ者も増えるかも知れない。


「それは保留だな」


 町長はすぐには了承しなかったが、これは大きな進歩と言えそうだ。


「そうですか」


 ユニコーンの声は明るい。ほっとしているようにも聞こえた。


「町長殿、私はあなたと交わした約束を守ると誓いましょう。ですから、あなたも必ず守って下さい」


 町長の前に行って、ユニコーンは片手を差し出した。町長はそれに合わせて立ち上がるとその手をしっかりと握った。


「誓おう」


 こうして、このユニコーンに関した一連の出来事は幕切れとなったのであった。

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