文の誘う不思議なことは

私が各文に分けてエッセイを展開しているのは周知のことであると思うが、それらを眺めるにつき何とも不思議に思ったことを書く。


げに不思議なのは、何故だかこの、怪しい道行、時雨て行かばには、もれなく美文が集っている気がするのだ。

なんだか外れがないような気がする、そんな感想。


書くときもときで、何故だがよし、こう書くぞと少し力が入るような気がする。


病に伏したる私のこと、少し可笑しな文体もあろうが、まぁ仄々と明るく、名に恥じぬと書いては所詮小山が晴れて香ってるだけだろうと思ったが、なかなか絵にすれば、と思うも、五歳児の描く落書きしか思いつかない。


なんか蝶々が飛んでいて、晴れてて花が香る。


いや立派ではないか。猪鹿蝶が出てきそうだ。


とまぁ、特に自慢にも思っていないのは伝わるだろう。

ここに病平癒の兆し見え、人様の会話などに割り込んで聞く気など失せ、ははぁ、車を置いてったのは私達だからと安心して置いとかれたのだなと感じ入ることあり、なかなかに満足の行く日の出となった。


ぽっと灯った提灯の、それの持ち手は誰かいな。


この日を絶やしてはならない。それにはまず、落ち着いていなくては。


きゃいきゃいと喧しくしては敵わない、水の屋根から滴る音を聞き、文の中に絵を見つける。


これこそ至高の遊びだと思う。


さぁ動こうと、一枚脱いだがまだ寒くなく、うむ、体は出来ているなとすっかり安心の体。


消費者に出来るのはただ消費のみなりて、体を遊ばせては堪らぬと、城など登りけるを、面白き遊びと皆々様に手に取って眺めて頂けた、それだけで満足である。


後で郵貯にて小銭を貯金しようかと思ったが、今日は赤ちゃんが来るのだ。


然るのち顔洗って歯を磨こう。


少しだけの付き合いだから寂しくなるさ。でも私はしっかり覚えている。


幸せの記憶なり。


では。

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