パパがサンタを救助した!

永多真澄

父の語った真実

 これは今から30年以上昔、ちょうど年号が昭和から平成に変わったころのお話である。

 富山県の片隅に、Kという男がいた。Kはよく熊に例えられる髭もじゃの大男で、山男であった。

 Kは暇を見つけては山に登った。それは身を固めて、初めての息子が産まれてからも変わらなかった。

 Kは夏山を好んだが、冬山はさらに好んだ。

 その日は奇しくも12月24日のクリスマス・イヴであったが、Kは一夜を山と過ごすことに決め、前日の早朝には居所を出た。

 女房は気をつけてと見送って、私もこうでなかったらついていったのにと身重の腹をさすった。第二子の予定日が間近であった。

 しかし女房も山女であって、似たもの夫婦であった。まあ、文句は百ほど言ったそうではあるが。


 Kは新穂高温泉の登山口より入山し、穂高岳山荘のテント場まで登った。途中何度かひやりとする場面もあったが、無事の到着であった。Kは富山県警山岳警備隊に匹敵するか少し劣る程度の健脚の持ち主であったし、天候がすこぶる快調であったことも幸いした。

 そろそろ夕刻に差し掛かろうという頃合で、雪に覆われた山体は夕日で真っ赤に染まり、空の向こうに藍色の帳がわずかに覗いていた。Kは奥穂高岳山頂ピークへのアタックは早朝と断じ、テントの設営を急いだ。


 山の天気は変わりやすい。先ほどまであれほどピーカンだった空模様が俄かに蠢き、Kがテントの中で一服しだすと大荒れに荒れた。吹雪である。Kはテントに打ち付ける雪礫の音を聞きながら、ウイスキーで体を温めた。


 だがそれも、数時間のうちには落ち着いて澄んだ夜空となった。

 時刻は19時を回った頃であったが、人工の明かりが皆無の稜線上では驚くほど闇が深い。

 明日に備えてそろそろ就寝を、と考えていたKの耳に、不思議な音が聞こえたのはそのときである。

 

おーい、おーい


 寒風吹きすさぶ中わずかに聞こえたのは、まぎれも無く人の声であった。それも、年齢を感じさせる男のものだ。Kの脳裏に遭難の二文字が浮かんだ。

 二次遭難の危険があったが、Kにも多少の心得があった。

 Kはヘッドランプを確かめ、アイゼンを確かめ、ザックから予備のザイル(登山用ロープ)を出してテントを出た。

 あたりは真っ暗闇であった。ヘッドランプひとつでは、あまりに心もとない。風はあまりに冷たく、直撃すれば皮膚の水分がたちまち凍りつく。

 Kは冷静に、声の方向を探した。


おーい、おーい


 いた。雪に埋まった穂高岳山荘の反対側に、薄らと赤みがかった光が見える。人工のものにしてはあまりに朧気だったが、自然光でないことは明らかだった。

 先ほどの吹雪で新たに積もった膝丈の雪をラッセルしながら進むと、声と光が次第に大きくなった。


おーい、おーい


おーい、おーい!


 Kが返答すると、向こうの声がわずかに喜色を帯びた。おぼろげな光は、どうやら明滅を繰り返して「SOS」の光信号を打っているようだった。


 やはり遭難者か。Kはどうしたものかと頭をひねる。当時携帯電話など無い時代、山岳警備隊を呼ぶのも一苦労あった。小屋の電話は使えただろうか。それであっても、まず入り口を掘り返す必要があった。


 しかし当の遭難者とようやく顔を合わせたとき、そのような心配は稜線を吹き抜ける風にさらわれてしまった。Kはあまりの光景に言葉を失った。

 悲惨な状況だったのか、といえばそうではない。Kは以前、春の富士山で片足だけアイゼンを履いたイラン人が滑落して死んだのを目撃したことがあったが、それに比べるとあまりに平穏無事だ。

 問題は、遭難者の内訳である。

 声を上げていたのは、印象どおり老人だった。視認性の高い赤色の外套に黒いブーツ姿で、長い白髭が凍って氷柱のようになってしまっていた。こちらは、まだ良い。

 もう一方は、人ではなかった。

 県内でもよく見かけるカモシカに似た印象があったが、頭部に頂く立派な角は鹿のそれよりも立派である。長い茶色の体毛を持った動物で、鼻が月明かりを反射しててかてかと光っていた。先ほどの光の正体はこれだったのかと、Kは納得した。

 皆まで言うまい。ご存知サンタクロースと真っ赤なお鼻のトナカイが、北アルプス最高峰の山腹に突っ込んで遭難していたのだ。


 なんでも先ほどの吹雪でトナカイとそりを繋ぐロープの一本が切れ、制御を失って不時着したのだという。寒風にさらされすっかり弱った様子のサンタが語った。

 しかしこれは前代未聞の遭難事故であるから、Kも対応をとりあぐねた。しかしはたと思いついて、予備のザイルを渡してこれで代用できないかと提案した。サンタは渡されたザイルをしばし引っ張ったりたわめたりして確認すると、これなら問題ないと喜んだ。

 Kは予備のザイルを快くサンタにくれてやって、さらにチョコレート一枚とウイスキーを提供した。チョコレートをトナカイと分け合って食べたサンタは見る見る元気になって、一般的なサンタらしいサンタの顔になった。

 サンタは別れ際に自分の電話番号を書いた紙をKに手渡して、命の恩人である君の子供たちには毎年特別なプレゼントを贈ろう、と豪語して虚空に去っていったという。



「だからウチには毎年クリスマス・プレゼントが届くのだ」


 と、銀嶺立山で赤ら顔になったKこと我が家のサンタは、意気揚々と私に語ったのだった。

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